第二十二章 容疑者
海と別れた後、私市はその足で署に戻った。二時間ほど抜けさせてもらっていたのだ。結局、二時間を少し超えてしまったが。
「おう、私市。戻ってたのか。どうだ、進展あったか」
「ないですねー、残念ながら。虻さんの方は?」
入口から顔を覗かせた中年刑事に質問すると、彼は私市を手招きした。
「ちょっと来いや。面白いもんがみつかったぞ」
面白いもんとは、なんぞや。
頭にそう疑問を浮かべながら、私市は虻さんの広い背中を追った。
別室のドアを開けると、二人の刑事が椅子に座って、小さなテレビを見つめていた。
その二人の内の一人、新人の河合が気配を感じたのかこちらを振り返る。
「あぁ! 私市さんっ。勝手にいなくならないでくださいよー。俺、迷っちゃったっすよ」
恨みがましい目で見上げられ、私市はふやけた表情を見せた。実は、私市は河合と一緒に聞き込みに出かけたのだが、墓参りへ行くために彼の隙をついて、抜け出したのであった。上司の許可は取っていたが、河合に説明するのが面倒くさかったのだ。
「ははは。君が勝手に迷子になったんだろう。こうやって再会出来たんだから、ま、良しとしようや。で、何見てるんですか? 梶谷さん」
私市は話を逸らすべく、河合の横に座る梶谷に目を向けた。視界の片隅に、納得いかない顔の河合が映るが、気にしないことにする。
「ああ。石井睦子の家の近くにあるスーパーの監視カメラの映像を借りてきたんだ」
私市の質問に答えた梶谷は、細面の顔に細く鋭い目が印象的な男だ。私市より六つ上と聞いたことがあるので、年齢は三十三歳だろうか。今日は珍しく眼鏡をかけている。
「で、なんか面白いもんでも映ってたんですか?」
私市が二人の後から腰をかがめて、テレビに顔を近づけると、その横で虻さんが頷いた。
「まあ、見ろや。おい、河合のボウズ。ちゃっちゃと回せや」
「ぼ、ボウズって言うのやめてくださいよ、虻さん。巻き戻しっすね。分かりました」
拗ねた顔で河合は小さく唇を尖らせた。声も小さかったのは、虻さんが怖いからだろう。
河合の操作で、巻き戻しされたビデオテープが再生される。
どこかの駐車場が映っていた。その手前にある道も映っている。
商品を納品に来た車などを映すために設置されている監視カメラの映像だろうか。
時刻は夜の九時を過ぎている。そうと分かるのは、画面の右下に時刻がしっかりと表示されていたからだ。
暗いが、街灯や店舗に備え付けてあるライトのおかげで、それなりに周りがよく見える。
「人っ子一人通りませんね」
しばらく見て漏らした感想に、虻さんが反応した。
「河合、お前、回しすぎたんじゃねーだろうな」
「だ、大丈夫っすよ。もうすぐ、もうすぐ映りますから」
焦ったように、立ったままの虻さんを見上げて上ずった声をあげる。そんな河合の様子に口元を緩めてから、私市はテレビの画面に視線を戻した。
その時である。画面の左端から女性の姿が現れたのだ。顔立ちや背格好から石井睦子であることに間違いないと思われた。
彼女はどうやら、ケータイ電話で通話中のようだ。特に急ぐ気配も見せず、ゆっくりと画面の中を通過していった。
「こんな人通りの少ない道をわざわざ通らなくても、あの家ならもうちょっと明るくて大きい道があっただろうに」
つい、そう呟いた私市に、梶谷は頷いた。
「おい、来るぞ」
虻さんが突然声を上げた。私市は、画面から逸れた意識を戻した。
「あ、こいつは……」
私市は画面の中に現れた人物に、見覚えがあった。
数日前に話を聞いた関係者の一人だ。
名前は植田和樹。二十歳の大学生で、石井睦子の元恋人だった。
「何でこんなところに、この時間は確か友人と会っていたんじゃ」
「そうっすよねー。おかしいっすよね。私市さん」
河合が眉を寄せている。彼も一緒に話を聞きにいっていたのだ。植田の友人にも事実確認を行っていたのだが。嘘をついていたということか。
私市はテレビ画面から視線をはずし、眉間を指で揉みながら声を上げた。
「虻さん、ニンドウしますか?」
「ああ。だな。課長には俺から言っとくから河合と二人で行って来い」
「はい、了解です」
勢いよく立ちあがった河合は、早速ドアへ向かう。私市はゆっくりと腰を上げてその後を追った。
植田和樹の自宅は石井睦子の自宅から五キロほど離れた場所にある。
質素なアパートの二階。二〇一号室が植田の部屋だった。
平日の昼間だが、彼は在宅していた。
部屋から顔を出した植田は、ドアノブを掴んだまま、胡散臭そうな顔で私市たちを見る。
彼は茶色く染めた、少し痛んだ髪に指を突っ込んで、頭を掻きながらあくびをした。
「あー。刑事さん。なんか用っすか」
「ああ。またちょっと聞きたいことがあってね。できれば署までご同行願えないかと思ってね」
「はあ、まあ。いいっすけど」
あっさりと植田は頷いた。ちょっと待っててくださいと言い置いて、彼は部屋へ入って行く。ドアが閉じないようにドアノブを掴んでいた私市は、我知らずそれを強く握り締めた。
傍らで、河合が息を飲む音が聞こえる。
二間続きの部屋が彼らの視界に入っていた。半分ほど閉められた襖の向こう。おそらく寝室として使用されている部屋の壁一面に無数の写真が貼ってある。
それは、全て、石井睦子を隠し撮りしたと思われる写真だった。
私市は取調室の椅子に腰かけていた。
机を挟んだ正面に、植田がだらしない格好で座っている。
「だからー。その時間はダチと一緒だったつったっしょ。あいつ等にも聞いたんじゃねーの。けーじさん」
自信満々にそう言った植田に、私市は写真を見せた。それは、監視カメラの映像をデジタルカメラで撮影したものである。荒いが、人の顔が判別できないほどじゃない。
「これは、君だよね」
植田はその写真にちらりと見やって、すぐに目を背けた。
「さー。どうっすかね」
足を組んで、身体を半ば斜めにして座る植田の態度は、決して良いとはいえない。
私市は机の上に置いた写真に手をやると、滑らせるように植田の方へ近づけた。
「もう一度よく見て、これは君だね」
ゆっくりとした口調の中に威圧を込めると、植田は渋々といったていで写真に視線を落とした。
「はあ、まあ。俺っすね」
頷く植田に、間髪入れずに次の質問をする。
「そう。じゃあ、これがどこだか分かる?」
「さあ? 暗いし良く分かんないっすね」
私市は、机の上に身を乗り出して、笑顔を作った。
「これは、石井睦子さんの家の近くにあるスーパーの裏道だ」
無言で、植田は私市に視線を向けた。顎を引き、俺は何もしゃべらないぞと言っているかの様だ。私市は写真の一部を指さした。
「日付を見てくれ、小さいけど見えるだろう。これは石井睦子さんが亡くなった日だね」
覗きこむようにして、植田を見るが、彼は返事をしなかった。
私市は嘆息して、話しを続けた。
「この時間、九時二十八分。この時間は君、友達といたということになっているけど。どうして、こんなところを歩いていたんだい?」
植田は口を開かない。
「お友達の姿は見えないようだけど。虚偽の証言をすると、どうなるか知ってる?」
あくまでにこやかに話しをする私市が、薄気味悪く見えたのだろうか。植田は両手で頭を掻くと、その手をテーブルの上につけて私市を正面から見つめた。
「だって、しょーがねーじゃん。アイツ俺のこと振りやがったんだぜ。散々貢いでやったのにさ。アイツは俺のモンなのに。自由になりたいとかぬかしやがって」
「ふむ。それで、殺した」
その言葉に、植田は目を見開いた。
「ま、まさか。俺は殺ってねぇよ! だから嫌だったんだ、言うの。俺は、アイツのあとつけてただけだよ。アイツ。電話しても会ってくんねーし。だったら、話する隙狙うしかねーじゃん」
私市はテーブルから身体を離して、背もたれに体重を預けた。腕を組む。
亡くなる数日前から、石井睦子は誰かにあとをつけられていると言って怯えていたと、周囲の人間から証言を得ている。あとをつけていたのは、どうやら彼で間違いなさそうだ。
「で、結局話はできた?」
その問いに、植田は力なく首を横に振った。
「いや、途中で見失っちまった。アイツん家の近くまで来た時、アイツ急に走りだしちまって、まかれた。アイツも馬鹿だよなー。逃げなきゃ死なずにすんだかもしんねーのに」
植田は片手の肘をテーブルに付き、その手の上に額を乗せた。
その姿を図るように見ていた私市の耳に、ノックの音が聞こえてきた。事情聴取に立ち会っていた刑事がそのドアを開ける。私市はその刑事に呼ばれて立ち上がった。
ドアの外へ出ると、相も変わらず厳めしい顔をした虻さんの姿があった。
横に大きいが背の低い虻さんを、私市は見下ろす格好になる。
「で、どうだ。やっこさん。なんか吐きそうか?」
「さあ、どうでしょう。まだ分かりませんね」
そう言うと、ふむと唸って、虻さんが顔を上げた。
「おい、私市ちょっと変われや。俺が話を聞いてみっから。その間に飯食ってこい」
言われて、腕時計に目を落とすと、午後五時三十分を回ったところであった。
定時が五時三十分であるから、今日も残業決定である。
私市は虻さんの言葉に甘えることにし、自分の席へ向かうべく歩きだした。