第十八章 証言
廃ビルの裏側に、人が集まっていた。
夜の十時過ぎだというのに、辺りは騒然としている。
ビルの入り口付近には、立ち入り禁止のテープが張られ、見張りの警察官が立っていた。その近くには、警察関係の車両が駐車してある。
そしてまた、車が一台停車した。
そこから降りてきたのは、二十代後半くらいの男性と、五十代半ばほどの、こちらも男性だった。
二人は立ち番の警官と二言三言話しをすると、立ち入り禁止のテープを潜り、現場へと足を向けた。
この廃ビルの裏手で、女が亡くなっていたという通報があったためだ。
二人は、カバーの掛けられている遺体に近寄ると、しゃがんだ後、そろって合掌し、カバーをめくる。
まだ年若い少女だった。高校生くらいだろうか。男がそう考えていたら、先に着いていた新米刑事の河合が彼の考えを裏付けた。
「該者は石井睦子、十六歳。持っていた生徒手帳から、愛聖女子学園の一年生であることが分かりました。死亡推定時刻は、午後七時から十時の間。死因は転落死ではないかということです」
「ふーん。若くて可愛かっただろうに、勿体ない」
「おい、私市。お前はそんな感想しか持てんのか」
中年の男性が、若い方の男に呆れた声をかける。私市と呼ばれた男は、整った顔に笑顔をのせた。
「本音、聞きたいですか? 虻さん」
虻さんと呼ばれた中年の男性は、嫌そうに顔を歪めた。
「いらん。どうせろくでもないこと言うんだろうが。で、河合。第一発見者は?」
河合は緊張の面持ちで、私市たちの背後を指さした。河合はまだ、この中年刑事に視線を向けられると緊張するようである。
「あっちで待ってもらってます」
河合の指し示す方向を目で追って、私市は軽く驚きの声を上げた。
「あれ? あの子は……虻さん、あの子」
「え、ああ? 見覚えある顔だな」
第一発見者という少年と少女。私市たちが注目したのは、少女ではなく綺麗な顔をした少年の方だった。
「やあ、春名くん。久しぶりだね」
にこやかに私市は話しかけたが、少年は眉間にしわを寄せ、私市を見上げた。そんな顔をしていても、綺麗だ。
「あれ? 僕のことは憶えてないかな?」
苦笑いを作ってみせると、少年は首を横に振った。初めて会った時も思ったが、どうにも表情の乏しい少年だ。彼が以前、フィギアスケートの選手として活躍していたことを知っている私市は、その頃とのギャップに首を傾げたくなってしまう。本当に同一人物なのかと。
「いえ、私市さん。その節はありがとうございました」
言葉の後半で頭を下げる少年に、私市もつられて頭を下げた。
「いえいえ」
そのやり取りを見て、少年の横に立った少女が目を丸くしている。刑事と知り合いだったことに驚いているようだ。
「おい、私市。何やっとんだ。まったく」
頭を平手で叩かれ、恨みがましい目で叩いた相手を見やった。
「虻さん、子どもの前でー」
「煩い。遊んでないで、さっさと話し聞かんか」
心の中で、へいへいと返事をして、私市は手帳を取り出した。
その手帳を見て、少女がまたもや驚きの顔を作った。私市が出した手帳はクマとウサギのキャラクターが描かれた、とてもファンシーな物だ。私市の趣味ではなく、姉からのプレゼントである。この間まで使っていた黒革の手帳を使いきったので、机の奥にしまっていた物を急場凌ぎのつもりで持ってきていたのだ。しかし、この手帳を見た人の反応が面白いので、そのまま使うことにしようと思っている。
何か言われる前に、私市は素早く質問を口に上らせる。
「君は、春名光くんだね。では、お嬢さん。お名前は?」
「え、えっと。はい。伊藤静です」
おとなしげな少女である。亡くなった石井睦子はどちらかといえば派手な格好をしていたが、こちらの少女は、服装もおとなしめである。
「そう、伊藤さんね。二人はどうして、こんな時間にこんな場所に来てたのかな? デートってわけではないよね」
そう尋ねたのは、二人の間に色恋特有の甘いムードが見られなかったからだ。まあ、死体を発見した直後では、そんなムードを出しようがないだけかもしれないが。
「はい。あの、ムッコから電話貰ったんですけど、その電話がおかしくて、それで春名くんと一緒に捜しに……」
「ふむ。ムッコっていうのは、亡くなった石井睦子さんのあだ名かな? 二人は友達?」
優しげなといえば聞こえはいいが、気だるげともとれる口調で私市が問う。
「はい、中学からの友達です」
静が頷きながら言葉をつむぐ。それに頷き返して、さらに問いを重ねる。
「ふむふむ。仲は?」
「良かったです」
静から即答が返ってきた。私市が睦子と静の仲を聞いたのは、彼女たちの服装の違いに違和感を覚えたからである。友人というのは、どことなく服装が似通っているものだと私市は思っていたからだ。
まあ、学校では制服だし、服装の好みは関係ないのかもしれない。二人の関係は調べれば分かってくるだろう。
私市は頭を切り替えた。
「そう、じゃあ、その電話の内容は? どうおかしかったのかな」
静は一瞬言い淀む様子を見せたが、光が頷いたのを見て話し始めた。
「夜の九時前だったと思います。ムッコから急に電話がかかってきて、またあとをつけられてるって。これから警察に行くって。その途中で電話が切れたんです」
それは、穏やかじゃないな。静の話を手帳に記しながら思う。
「あとをつけられてるって言ったけど、またってことはそういうことが頻繁にあったってこと? ストーカー被害にでもあってた?」
「いえ、ストーカーではないと思います。ムッコはエリの呪いだって思ってたみたいです」
私市は隣に目をやった。虻さんの眉間に大きな皺が寄っている。彼は呪いなどの非科学的なものは嫌いなのである。
「エリっていうのは?」
「一昨年亡くなった、友人です。最近、その亡くなったエリの名を騙ったメールがくるようになって、それでムッコも私も気に病んでたんです。だから、ムッコ、追い詰められてたんだと思います」
うーんと私市は唸った。
隣を見れば、虻さんがただでさえ怖い顔を顰めている。
「虻さん、私市さん」
突然名を呼ばれて振り向くと、河合が白い手袋をつけた手に、携帯電話を持ってやって来る姿が見えた。
「これ、見てください」
そう言って、私市と虻さんの間に身を割り込ませた。
彼の持っている携帯電話のディスプレーを見て、私市は眉を寄せた。
『私を殺したのは誰?』
メールの画面にはそう書かれていた。
「これ、これが君たちの言っていた悪戯メールかな」
私市は、河合の手首を掴んで、二人に画面が見えるように動かした。河合が痛がっているが、気にした様子も見せず、二人の答えを待つ。
「はい、そうです」
伊藤静の答えに、私市は頷いた。河合の手を離してやると、河合に恨めしそうな眼で見られた。
「私市さーん。酷いっすよ。って、あ、違うんすよ。私市さん」
河合が思い出したように声をあげる。なんだと言うように、視線を河合に向ける。
「これ、メールじゃなくて、このケータイに直接入力されてるんす」
「新規メールにってことか?」
河合が頷く。虻さんは要領を得ない顔をしていた。虻さんを置き去りに河合は話を進める。
「犯人が、入れてったんすかね」
河合には答えず、私市は自身の顎に手をやった。
これは、単純に自殺という線で、片付けられなくなりそうだ。
亡くなった少女の名を騙るメールは、ただの悪戯である可能性も高いが、かといって無関係であるとも言い切れない。
つけられていた、というのが事実であれば、ストーカーもしくは変質者の線も考えられる。
携帯電話に入れられた文字は、本人が入力した可能性もあるだろうが、この文面を入力する意図が分からない。第三者が、入力した可能性の方が高いように思われる。
とにかく、調べてみるしかない。これから忙しくなりそうだ。