第十四章 実家へ行く前に
ケータイサイトで見つけた日雇いのバイトを終えて家に帰った海は、早速、皿洗いをさせられていた。むろん、母親の命令である。紫藤家では女性が優位なのだ。医者をしている父親は寡黙で、いつも母親が一方的に喋っている。
海自身は外で夕食を済ませてきたので、今洗っているのは両親の使った皿というわけだ。
「海。話があるんよ」
母親が、背後から話しかけてきた。それに振り向くことはせず、答える。
「何?」
手は規則正しく、蛇口から流れる水で皿を濯いでいる。
「今度の、お墓参りやけど……母さんたち、仕事で出なあかんのよ。だから、日をずらして……」
海は水を止めて、母親を振り返った。皿洗い終了だ。
「いいって。俺一人で行ってくるわ。俺の問題やし、おばさんに付き合ってもらわんでもええよ」
海は目を伏せるようにしながら、口元だけで笑顔を作った。
「でもなぁ。こっからやと遠いし、あんた行き道分かるんか?」
「あのなぁ、おばさん。俺をいくつやと思ってんねん。遠いったって、こっから三駅くらいしかないやん。関西に住んでる頃に比べたらぐっと近いやんか。それに、おじさんに行き道聞いたらいけるって」
海の言うおじさんとは、今の父親のことで、おばさんとは今目の前にいる女性だ。外では便宜上、今の両親を『父さん』、『母さん』もしくは、『おとん』『おかん』と呼んでいるが、面と向かってそう呼んだことはなかった。いつも『おじさん』、『おばさん』だ。
「はん、生意気やこと。ついこの間までビービー泣いとったくせに」
「いつまでも昔の話ばっかりして。年取った証拠やで」
減らず口を叩く海の頬を、近づいてきた母親が容赦なく捻った。
「痛へへへ」
「そんなことをいう口はこの口か」
「ご、ごめんなさひ」
「よろしい」
素直に謝ると、あっさりと手を離した。痛む頬をさすって恨みがましく母親を見る海に、彼女は表情を引き締めて声をかけた。
「あんた、最近イライラしてるやろ。やっぱり、あのことが原因か? 前から思ってたんやけど、あんた毎年この時期になると情緒不安定になってる気がするんよ」
海は一瞬言葉に詰まる。一度顔を伏せた後、母親に目を合わせた。柔らかい笑顔をつくる。
「気のせいやろ。さ、洗いもんも終わったし、風呂入るわ」
そう言って、母親の横をすり抜けた。母親から見えない位置にくると、海の顔から表情が消えた。
目を覚ますと、すぐ目の前に人の顔があって、空は悲鳴のような声をあげた。
「ぎゃー、おばけ!」
そう叫んだのは、横にあった顔が妙に綺麗だったから。
腰を浮かせて、身を引いたら浮遊感に見舞われた。
落ちる。
思わず目を瞑ったところで、腕を掴まれた感触とともに、身体が引き戻される。心臓が煩い。
「朝から、何やってんだよ。っていうか、誰がおばけだ」
疲れた声が耳に届く。
うっすらと目を開けると、光が空を見上げていた。
混乱する頭で周りを見回して、ここが光の部屋であること、そして何故か、同じベッドで眠っていたことを知る。横になってこちらを見上げている光の手が、空の腕を掴んでいた。
「な、なんで俺たち一緒に寝てるの?」
腕を掴まれたままゆっくりと背後を振り返る。ベッド脇の床に、布団が敷いてあるのが見える。昨夜、自分で敷いてその上に寝ていたはずなのだが。
「おまえが……」
「え?」
光の声に思わず、目線を下げた。いまだ横になって、空を見上げている光の顔はいつにも増して不機嫌そうだ。
「おまえ、途中でトイレいっただろう。部屋帰ってきたと思ったら、寝ぼけてこっちに入ってきたんだよ」
「お、起こしてくれればよかっ……あーゴメン」
よかったのにと続けられなかったのは、自分が一度眠りに落ちたらちょっとやそっとじゃ起きないと知っているからだ。
ベッドが少し、軋む。光が半身を起した音だ。
「僕が下で寝ようと思ったけど、おまえ僕の服掴んで身動きとれなかったし」
「だから、ゴメンって」
「別に謝ってもらうことじゃないよ」
空は目をぱちくりした。
「あ、そう?」
なんとなく今の発言に驚いて、気の抜けた声が出た。
「行くんだろ、今日」
「へ? どこに?」
唐突な言葉に、思考回路がうまく働かなかった。寝起きでもしっかりと思考回路が働いているであろう光の顔に、バカと書いてある気がした。それも大きく。
「悪かったな」
「まだ何も言ってないだろ」
「どうせ、今バカって思ったくせに」
そういうと、光がかすかに驚いたように眉をあげた。ほんの少しの表情の違いが分かるようになってきたのが不思議だ。
「少しは賢くなってきたじゃないか」
「うるせー」
大いに剝れて空はそっぽを向く。
「で、行くんだろう? 亡くなった子の実家に。いいのか? ゆっくりしてて。もう、十時過ぎてるけど」
言われて、壁掛け時計に目をやると、確かに十時を五分ほど過ぎている。ずいぶん寝坊してしまったようだ。これも夏休みの特権である。
「大丈夫。夕方、えっと、三時に待ち合わせだから」
「そうか、なら、それまで図書館付き合ってくれ」
「え。勉強は嫌だぞ」
そういうと、光がふっと笑みを漏らした。微かな、口元だけの笑みだったが、久しぶりに見た気がする。
「勉強じゃない。ちょっと調べたいことがあるんだ」
そう言った光の顔は、もういつものポーカーフェイスに戻っていた。
朝食兼昼食を食べ終えたあと、光と空はそろって図書館に来ていた。
あいた席に腰を落ち着けると、光はふらりとどこかへ行って、古い新聞紙を手に戻ってきた。何を調べるのかと問うても、ろくな返事が返ってこない。何かに没頭するといつもこうなる。
暇つぶしにマンガでも取りに行こうかと、空が考えていたとき、光が小さく声をあげた。
「あった。これだ」
「何?」
空は横から、光の指さす記事に目を落とした。
『廃病院の屋上から転落か?』
と、見出しのついた小さな記事だった。
「これって、もしかして」
「そう、桜田絵里の記事だ」
頷く光の前から新聞を引っ張って、自分の前に置くと記事に目を通す。
『二十日午後六時ごろ、美晴市美晴町の廃病院の敷地内で、近くに住む桜田絵里さん(十四)が、頭から血を流し死亡しているのを、肝試しに来た大学生が発見した。
美晴署によると、現場は廃病院の裏庭。絵里さんは、この建物の屋上からなんらかの理由で落ちたものとみられる。同署は自殺と事故の両面で調べを進めている』
「へー、最初から自殺だったって分かってたわけじゃなかったんだな」
「ああ、そうみたいだ」
光は、かけていた眼鏡をはずすと眉間を指でもんだ。空は、首をかしげる。
「あれ? でも、何で光が桜田さんのこと調べてるんだよ」
光は空から目を背けた。
「ちょっと、気になって」
「ふーん。何だかんだ言って、やっぱ気になるんだ。へー」
からかい調子で、光の顔を覗き込むと、顔を手で押しやられた。その手をはずさせて、また覗き込む。
「んだよ、照れてんの」
「おまえウザい」
「うおっほん」
背後から、咳払いが聞こえて、空と光は動きを止めた。どうやら、知らず知らずのうちに声が大きくなっていたらしい。
光は外した眼鏡をかけなおしたあと、腕時計に目をやった。
「いいの? そろそろ二時半になるけど」
海たちとの待ち合わせ場所へ行くにはそろそろ出ないといけない時間だ。
「やべっ。俺行くわ」
そう言って立ち上がった空の腕を、光が掴んだ。
「空、覚えてるか? この前僕が電話で言った質問。忘れずにしてこいよ」
空は口を開け、光を凝視した。
「えっと、何だっけ」
光は思いっきり溜息をついた。
それに、文句を言う前に、光は質問内容を空に伝えた。
こんにちは。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。
久々に海が登場いたしました。今回は初めて、海の家族が登場しました。
そして、空と光も初体験しております。こんな書き方すると妙な感じですな。
次回もまた火曜日に更新予定です。
実は昨日、三兄弟の番外編的な位置づけになるコラボ小説をUPしております。
伽砂杜ともみ先生作の時間シリーズと三兄弟とのコラボです。
『かさなる時間』
http://ncode.syosetu.com/n1231m/
約27分の短編です。
舞台は、三兄弟の通う清秀高校の文化祭です。
三人が、走ったり、テンション上げたり、女装したりしております(笑)
事件のからまない三兄弟をかけたのは楽しかったです。
こちらと合わせて、お気軽にご覧いただければ幸いです。
それでは皆様。
また、お会いできることを願って。
愛田美月でした。