第十二章 二人の言い分
あの日、彼女が来なければ。
きっと、今頃こんなことにはならなかった。
あの日、自分があの場所へ行かなければ。
きっと、彼女は死ななかった。
それを知っている誰かが、いる。
それを知っている誰かが。
案内された喫茶店は、少し空調がききすぎていた。暑い外から来たからそう思うのかもしれないが。
店員が注文の品をすべて持って来たのは、静がちょうど待ち合わせていた二人の紹介を終えたころだった。
「なーんかアタシ、最近ついてるなぁ」
満面の笑みを浮かべ、静に川崎杏奈と紹介された少女がそう言った。意味ありげな視線を投げてくる。光はその視線に気づかないふりをして、杏奈の隣で落ちつかなげに座っている石井睦子を見た。
日焼けした肌が健康そうに見えるが、表情がやけに硬い。二人とも、どちらかというと派手な格好だ。おとなしいタイプの静とは縁がなさそうに見える。まあ、学校は制服であるし、見た目の違いは関係ないのかもしれないが。タイプというのは大体において、似て来るものではないのだろうかと、光は首をかしげた。
本当はもう一人誘ったそうなのだが、今日は別の予定があるということで、ここに来ることは出来なかったらしい。
「いいなぁ、シズカ。カッコイイー」
「アンナ。ダメよ」
静が、短く窘めるような声を上げる。
「あ、大丈夫よー。シズカの彼氏とったりしないってー。アイツじゃあるまいし」
「ちょっと、アンナやめな」
へらへらと手を振った杏奈に、睦子の鋭い声が飛んだ。
場が一気に静まる。光は、静の恋人として二人に紹介されていた。彼女がそう望んだからだ。静の狙いがどこにあるのかは分からないが、光にとってもそれは望ましいことだった。メールのことを調べていると言って、下手に警戒されても困るからだ。もし、この二人の内どちらかが、あのメールに関わっているとしたら、上手く話しを聞き出せない可能性がある。
「ごめんなさい、私、ちょっとお手洗いに」
沈んだ空気に、居づらくなったように、静が席を立った。これは予定内の行動だ。
光が、彼女に二人に会ったら一度席をはずしてほしいと頼んだのだ。静が席をはずすことで、静がいるときには出ない話が出るかもしれないと光は考えたのだ。もちろん、その考えを直接彼女に伝えはしなかったが。
手洗い場に向かう静の背を見送ったあと、杏奈が声を上げた。
「ねえ、ねえ。春名くん、春名君って超イケメンだよね。いいなー静ってば。私もイケメンゲットしたいー」
睦子が杏奈に顔を向け、溜息をつく。
「アンナはイケメン好きだもんねー。ごめんね、春名くん。うるさくて」
「いや。それより、さっき言いかけてたアイツって誰のこと?」
睦子と杏奈の顔を代わる代わる見ると、二人は困ったような顔をした。
「そんなこと聞いてどうすんのよ」
不機嫌な声を出す睦子に、光は眼鏡の奥の瞳を向ける。
「気になって。さっきの言い方じゃ、誰かに彼氏を取られたみたいだったから。興味本位だよ。教えてくれないかな」
じっと、光は睦子を見つめた。しばらく見つめていると、耐えきれなくなったのか、頬を赤く染めて俯いてしまった。
「ムッコー。なーに、赤くなってんのよぉ」
変な笑いをしながら、杏奈は睦子を肘でつついた。
「別に、赤くなんてなってないわよ。それより、春名くん。アイツ……のことよね」
睦子はまだ赤い顔を一度振ってそう言った。
「教えてくれる?」
尋ねると、杏奈が大きく頷いた。
「アイツっていうのはー。アタシらの中学んときのダチなんだ。シズカがアタシらに彼氏紹介してくれたのね。そしたら、その彼氏がさ、エリに惚れちゃってー。シズカってば振られてんの」
杏奈は、爆笑している。
「へえ。取られたんじゃなくて、振られたんだ」
「そう。でも、シズカはそう思ってなかったみたい」
と、睦子が口を挟んだ。どういう意味かと問い返せば、睦子は肩をすくめた。杏奈が代わりに答える。
「シズカってば、ああ見えてプライド高いんだよ。だから、エリが……、あ、エリっていうのが中学んときのダチの名前ね。エリがシズカの彼を誘惑したんだって言ってたの」
「そうそう。シズカってお嬢だからさ。セレブよセレブ。男を金と顔でしか選んでないの」
杏奈と睦子は顔を見合わせると、ねーと声を揃えた。
「その点、春名くんは合格だよねー」
にこにこと笑う杏奈に、曖昧に返事をして、光は少し考える。
エリという名前には、聞き覚えがある。あの、自殺した少女の名前が桜田絵里だったはずだ。
「その彼氏はエリって子と付き合った?」
光はゆっくりと、眼鏡を人差し指で押し上げた。杏奈は笑いながら手を左右に振る。
「まっさかぁ。だって、エリそのあとすぐ死んじゃっ……」
「ちょっと、アンナ。喋りすぎ」
慌てたように、睦子が杏奈の言葉を遮った。
やはり、そうだったか。光は杏奈の言うエリが、亡くなった桜田絵里だと確信した。空の言っていた、エリを虐めた理由が、この辺りにあるのかもしれない。
「ごめん。ムッコは本当におこりっぽいんだからー。ねぇ、春名くーん。シズカに飽きたらぁ、私と付きあってね」
笑顔全開で、杏奈が甘えた声を出した。光は返事に詰まる。なんと答えようかと思っていると、睦子が声を上げた。
「まったー。アンナはすぐこれだ」
「えへへ。でも、ムッコだってカッコいいって思うでしょ。ムッコ、彼と別れたばかりなんだから、ムッコもお願いしときなよぉ。もちろんアタシの次だけど」
「しないわよ。アンナじゃないんだから。アタシは別れてせいせいしてるんだもん。しばらくは独り身でいいの。だから、春名君。気にしないでね。シズカああ見えてお嬢気質なとこあるから、疲れるかもだけどさ。末永くよろしくしてやって」
光は少なからず驚いて、睦子を見つめた。睦子はきまり悪そうに、光から視線を逸らす。
「君たちは本当に友達なんだね」
睦子は眉を顰めて光に目を向けた。
「何それ、どういう意味?」
「あはは、分かる。シズカってば、見た目大人しいからさ。ぱっと見アタシらとタイプ違うじゃん。だから、友達っぽく見えないんだよね」
杏奈はにこにこと笑顔を光に向ける。
「いや、まあ。そうだな」
「うっわ素直に認めたよ。この人」
苦笑交じりに睦子が杏奈を見る。杏奈は口の端を上げた。
「まぁ。そう見えちゃうのも仕方ないかなー。シズカって金払い良いんだよねー、お嬢だから。よくおごってもらってるもん。あ、だからと言って財布代わりにしてたわけじゃないよ。嫌な奴なら、お金積まれたって一緒にいないもん。ね、ムッコ」
「うん。あ、シズカが戻ってきた」
その言葉に反応するように、杏奈が手を振る。振りかえると、確かに静がこちらに向かって歩いてくるところだった。
戻ってきた静は、先ほどと同じように光の隣の席に着いた。
「何の話してたの?」
「いや、春名君かっこいいからさー。シズカに飽きたらアタシんとこおいでって言ってたのー」
「もー。アンナはすぐそれだ」
そう言って、笑いあう女たち。光は疲れた気分で、壁に視線を向けた。
その時である。携帯電話の着信音が聞こえてきた。静と睦子の鞄の中から、音が漏れている。テーブルの上に置いた杏奈の携帯電話が、バイブレーションに合わせて音と光を放出していた。すぐに音が途切れたところを見ると、メールだったのだろう。
笑いが一気におさまる。それぞれの視線が自身の携帯電話のある位置に向かう。
「見ないの?」
問うが誰一人として、見ようとはしない。
「静、見せて」
光は、静に片手を差し出す。彼女は、我に返ったように鞄に手を伸ばした。携帯電話を取り出すと、メールを開いてから光に手渡す。
『どうして、無視するの? どうして? あんなに、仲よくしてたのに。私が何をしたっていうの? ひどい、ひどいよ。どうして、私を殺したの? ひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどい……』
ひどいという言葉が画面を埋め尽くす。スクロールを途中でとめて、光は静に目を向けた。
「何、このメール?」
静の言っていた、死人からのメールだということはすぐに分かったが、光は敢えてそう尋ねた。静は、光に差し出された携帯電話を手に取る。文面を読んで、心無し青ざめた顔を光に向けた。
「心当たりがある?」
静は、光から顔を逸らし俯いてしまった。その前で、恐る恐るといった体で、携帯電話を開いた睦子は、悲鳴のような声をあげて携帯電話をテーブルに放り投げた。
「もう、嫌。これきっと呪いよ、呪いなのよ。エリの呪い! そのうちアタシたち殺されるのよ」
頭を抱えて、机に突っ伏す睦子の肩に、杏奈が心配そうに手を置いた。
光は嘆息すると、注文していたアイスティーをすべて飲み干した。
「お茶も飲み終わったし、石井さんが落ち着いたら場所変えて話しよう。いいよね、静、川崎さん」
尋ねると、静と杏奈はゆっくりと頷いた。