表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/37

第十章 光はその日

 駅前の繁華街を抜けると、急に寂しい住宅街になる。ビルや店のあかりで明るかった路地は、住宅街へ入ると暗さが一気に増した。等間隔に並んだ街灯の数が不十分なのだと、彼女は思う。

 送ると言っていた男に、頷けばよかったと少し後悔する。彼氏と別れたばかりで、下心のありそうな男性の申し出を受ける気がしなかったのが、正直なところだ。だが、こうして人通りのない夜道を一人歩いていると、不安になる。その不安を煽るように、背後から足音が聞こえてきた。

 驚き、彼女は振り返る。

 だが、暗い夜道の向こうに人影はない。

 気のせいか。そう思い彼女は、また前を向いて歩きだす。

 心持ち、速度を速めて。 

 だが、その速度に合わせるように、また彼女の背後から足音が聞こえるのだ。

 かかとを擦って歩くような足音。

 彼女のミュールの音が歩幅に合わせて、大きくそして早くなる。

 後の足音もそれに合わせるかのように速度を上げる。

 つけられている。

 彼女の中で、疑惑が核心に変わった。

 振り返るのが怖い。

 彼女は、全速力で家へ向かって走った。


 いつの間にか、足音は聞こえなくなっていた。




 クーラーのきいた自室で、たった今通話を終えた携帯電話を、ベッドの上に放り投げた。

 自身の身体もベッドへ投げ出す。すぐに顔を顰めたのは、先ほど放った携帯電話が背中に当たったからだ。寝ころんだまま少し背を上げて、手探りで携帯電話を取る。

 さて、どうしようか。

 そう思って、光は携帯電話を顔の上に掲げた。逆光で影に隠れた携帯電話をただ見つめる。

 不意に、咳が襲ってきた。慌てて携帯電話を握った手の甲を口元にあてる。

 苦しい。咳が止まらない。

 光はパニックになりそうな思考を抑えて、咳を繰り返しながら、注意深くゆっくりと、荒い呼吸を抑えるように息を吐く。

 大丈夫だ。これくらい。大丈夫。

 自分に言い聞かせながら、深呼吸を繰り返した。それでも合間に、咳が漏れる。

 幸い軽い発作だったらしく、しばらくすると咳は治まった。薬を使うほどでもなかったようだ。

 楽になってきた呼吸を整えるように、息を大きく吐き出す。

 まったく、こんなことで発作を起こすなんて。

 しばらく、喘息の発作はでなかったので、油断していた。

 光が喘息の発作を起こすのは、心因的要因が大きいと医者に言われている。

 今、考えうる心因的要因と言えば……。

 海のことか。

 そう、結論付けて、光は苦い顔をする。

 いつものことじゃないか。嫌われるのは。

 そう、いつものことだったはずだ。いつもの。

 そこまで考えたとき、ずっと握ったままだった携帯電話が、バイブレーションとともに音をたてた。

 半身を起こすと、相手を確かめずに、光は通話ボタンを押した。

「もしもし……」

『あの、春名くん?』

 聞き覚えのある声に、思い当たった顔を脳裏に浮かべる。

「ああ、伊藤さん。どうかした?」

 我ながら、ひどい声だ。掠れたような低い声。さっきまで発作を起こしていたのだから仕方ないが。

『あ、ごめん。寝てた? 今、話しても大丈夫かしら』

 掠れ声を寝ていたせいだと誤解したのだろう。静の言葉に光は苦笑いを浮かべた。

「いや、大丈夫だよ。何?」

 問いかけると、静は話し始めた。今日、メールの来ている友人たちと集まったこと。その時、メールが来たこと。空から聞いたこととほぼ同じ内容だった。

『春名君はどう思う? 誰が、私たちにメールを送ってきてるか、分かるかしら』

「分からないな」

 間髪入れずに答える。静からそれに対する返答はなかった。

「でも、可能性のある人物なら数人いる」

『なら、聞かせて』

 静の挑戦的とも取れる口調に、どこか違和感を覚えたが、光はそんなことはおくびにも出さずに口を開いた。

「それだけ君たちのことに詳しいなら、人数は限られる。君たちのまわりにいた人物、もしくは君たちの中の誰か」

 そこで、光は一度息をついた。そして、沈黙を守っている静に届くように続ける。

「もしくは、君自信か……」

 光の耳に、静の笑い声が響く。驚いて、光は少し携帯電話を耳から遠ざけた。

『ごめんなさい。あんまりはっきり言うからおかしくなっちゃって』

 笑われるとは思わなかった。笑い続ける静に、光は憮然とした表情を作り、携帯電話をまた耳にあてた。

『ねえ、他には? 他にはいないの?』

 笑いを押さえた静に問われ、光は一度顎に手をあててから口を開く。

「そうだな。あとは、亡くなった彼女の家族の誰かかな」

『うん、実は私もその可能性が一番高いと思ってたの』

「どうして」

 興味を引かれて尋ねると、静はどこか嬉しそうに先を続ける。

『だって、最初に来たメール。あれ、エリのケータイのアドレスと同じものだったって、ユカが言ってたから。それが本当なら、エリのケータイを持ってる人物は、家族くらいしか思い浮かばなくて』

 確かにそうだ。一番、亡くなった少女の携帯電話を手に入れやすい環境にあるのは、その少女の家族だ。静や、他の関係者では難しい。

「明後日、空たちがその亡くなった子の実家に行くらしい」

『空って、ああ、高橋君ね。仲直りしたの?』

 聞かれて、思わず咳きこんだ。これは発作ではない。

「いや、仲直りって。そもそも喧嘩してないし」

『でも、初めて会った日、喧嘩してたでしょう……あ、喧嘩してたのは紫藤君とか』

 言い当てた静に、苦い思いを抱きながら、光は溜息をついた。

『早く仲直りした方がいいわよ。で、それより明日なんだけど』

 余計なひと言の後に、静が言い淀んだ。何かと思い言葉を待つ。

『明日、時間ないかしら。あの、会ってもらいたくて。ムッコたちに』

 ムッコの名は空の口からも聞いている。空には暇じゃないといったが、本当は特に用事はなかった。それに、一度会って話を聞いた方がいいだろう。海は光の危惧したとおり、この件に首を突っ込んでしまったのだから。

 もう一度溜息をついて、光は肯定の意を静に伝えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=787011674&s

ランキングに参加しています。
ポチっとしていただけると幸いです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ