第九章 電話じゃなくてさ
夜の八時過ぎに家に着いた。
食卓に出された夕飯は、昨日の天ぷらの残りを乗せた天丼だった。
タレの匂いが良い具合に腹の虫をくすぐる。空は、手を合わせていただきますと言ってから箸を手に取った。
「空、遅くなるなら電話ぐらいしなさいよ。心配するでしょう」
母が、横に大きな身体を揺らして、麦茶の入ったコップを手に空の前の席に座る。空は、かきこんだご飯の咀嚼を終えてから、母に答えた。
「だって、最近公衆電話ないじゃん。電話しようにもできないって」
反論した空に、母はそう言えばそうねぇ、などと呟いている。
空は、ふと壁に掛けてある時計を目にし、母に声をかけた。
「ねえ、母さん。いいの? もう八時過ぎてるけど、いつも見てるテレビ始まってるよ」
「ああ、大変。お父さーん。何見てるー」
居間にいる父に呼びかけながら、母は立ち上がってダイニングを出て行った。
漏れ聞こえる両親の声を聞きながら、ウチって平和だよなと思う。
勢いよく食事を終えると、皿を洗ってからダイニングを出る。そして、廊下に置いてある電話に向かった。受話器を上げて、すでに頭に入っている電話番号を押す。
ほどなくして、電話がつながった。
『もしもし? 空?』
「え? なんで俺って分かんの?」
驚いて声を上げた空に、電話の相手は不機嫌な声を上げた。
『空、うるさい。何でそう、声でかいんだよ』
「悪かったな。コレが地声だっつーの。いい加減慣れろよな」
開き直った空に、光の溜息が届く。
『で、要件は?』
端的に尋ねる光に、もっと話すことはないのかよと思う。だが、口に出すことはやめた。どう言っても言い争いになりそうな気がして。争いをするために電話したのではないのだ。
「行って来たぜ、今日。この間言ってた、死人からメールが来るって子の所」
『へえ、どうだった?』
お、珍しく話に乗ってきたぞ。と、思って、空は今日の出来事を語って聞かせた。
「ってわけ。で、俺達、明後日にその死んだ子の家に行くことになってんだ」
そう、話を締めくくった。一拍の間をおいて、光の声が耳に届く。
『空も行くのか』
「まあ、いちおうな。あ、光も一緒に行く?」
光が一緒に来てくれれば、空たちが気付かない何かに気づいてくれるかもしれない。以前事件に巻き込まれたときも、光はよく回る頭をフル稼働して事件の真相に迫ったのだ。
それに、そろそろ海と仲直りしてほしい。ケンカしてから一度も、光と海は会っていない。いつまでもこのままでは、空の気がもたない。
『いや、やめとくよ』
「何でだよ。いいじゃん。暇だろ」
『空と一緒にしないでくれ。別に暇じゃない』
間髪入れずに返されて、空は頬を膨らませた。どうせ、見えはしないが。
『空は行くんだろ? だったら、また教えてくれよ。どうだったか。あと、亡くなった子の家に行ったとき、聞いてほしいことがあるんだ……』
簡単な問いの文句。だが、空にはそんなことを聞いて何になるのか分からない。
「え? 何で? つか、何でそんなこと聞かなきゃなんないわけ?」
興味がないのではなかったのか。
空は、首を傾げつつ光の答えを待つ。
『嫌なら、別にいいけど……』
「あ、聞く聞く。ちゃんと聞いてくるって。な。だからまだ切るなよ」
慌てて声をあげて、空は一度大きく深呼吸した。回りくどいのは好きじゃない。こうなったら単刀直入に言ってみようと、空は心に決めた。
「あのさ、海と仲直りしろよ」
しばらく待ったが、光から返答はない。
空は、受話器から延びるコードを片手で弄びながらまた口を開く。
「せっかく、兄弟だって分かったんだしさ。仲良くしたいじゃん。お前だって、今の感じ嫌だろ」
『まあ、な』
空は、光の返事に安堵の息をついた。よかった。これで、別に何とも思ってないなどと言われたら、もうどうしていいか分からなかった。仲直りしたいと少しでも思っているなら、今の関係を改善できるチャンスはある。
『でも、僕じゃなくて、海が嫌なんだろ。僕には海が何に怒ってるか分からないし、謝るつもりもないから。海が僕に会ってもいいと思うまで会うつもりはないよ。じゃあ、そろそろ切るから』
そう言って、空の返答を待たずに、光は通話を切ってしまった。
「もー、なんでそんな頑固なんだよ。光のバカ」
空は、通話の切れた受話器を握りしめ、そう叫んだのだった。