3.黒猫会議
ガサガサと草木を踏み分ける音が近づいてくる。
クベールがゆっくりと後ろを振り向くと、見知った顔が疲労困憊で立っていた。
「殿下ぁ!いなくなるならいなくなるって言ってくださいよ!!必死で探すこちらの身にもなってくださいって!!」
「言ってもお前、絶対に許可しないだろ。」
「まぁしませんけどぉ!!」
汗を拭きながら不満垂れるのは、モノクルをかけた茶色い髪の若い男。
「今日は見つかるのが早かったな」と内心で思いながら、クーベルは小さくあくびをした。自分を殿下と呼ぶこの若者、名前をジャスティという。事実クーベルの従者であり、彼とはかれこれ10年以上の付き合いがある。放浪癖のあるクーベルを探し出すのはジャスティの主要任務の一つだった。ちなみに申し訳ないという気持ちは一切ない。気づかないこいつが悪い。
「どうしてこの場所がわかった?」
「匂いと、...あとは音ですよ。地面が割れるような音が響いてきたので、殿下が何かやらかしたと思って駆けつけたのですが。」
ジャスティはあたりをきょろきょろと見まわした。とりたてて分かる異変はない。魔法の痕跡も見当たらない。となると先ほどの轟音の正体はなんだったのだろう。
「音の原因は俺じゃない。女だ。」
「はんっ、こんな森の中に女性がいるわけないでしょう!つくならもっとましな嘘をついてくださいよ。」
「そこの大木を持ち上げていたぞ。」
「そんなゴリラじゃあるまいし。」
そう言ってジャスティはクーベルの視線の先にある大木を見やった。いたって普通の木だ。根元にバラバラと枝葉が落ちているのが気になるが。一応確認のために近づいてみる。
手を添えて軽く体重をかけようとすると、
「うわぁ!なんかちょっと動いたぁ!?」
「だからさっきの女が引っこ抜いたんだ。下手に力をかけると倒れてくるぞ。」
ミシッと嫌な音をたてて幹が動いた。
よくよく根本を観察すると、一度引っこ抜かれた痕跡がある。こんな大木を猫の姿のクベールが脈絡もなく抜いたとは思えない。正体不明の第三者の登場に、ジャスティは頭を抱えた。
「仮にその殿下がいう女性がここにいたとして、どうして木を抜くなんてことが起こるんですかぁ!!」
「さあな。本当にゴリラだったんじゃないか?」
「なんて失礼なことをぉ!!」
「お前が言ったんだろうが。」
リーナについてはこれ以上説明する必要もない。呻く従者の横を通り、クベールは優雅に木々の間をすり抜けた。
森を抜けたその瞬間、身体中の体毛が逆立ちし、白い光に包まれる。光が発散した跡には、一人の美しい若者の姿があった。
黒い艶やかな髪は耳のすぐ上で切り揃えられ、風にさらさらとなびく。
細い体躯は、されどその皮膚の下にしなやかな筋肉があることを見て取れた。長いまつげに縁取られた瞳は、まるで黄金の太陽。異国情緒ある布の多い衣装には、金の紐飾りが揺れていた。どこか作り物めいたその姿。しかし特徴的な金の瞳が、人を寄せ付けない怜悧な光を放ち、彼が人形ではないことを物語っていた。
まだ眩しい真昼の日差しにクベールは僅かに眉をひそめた。
「何をしているジャスティ。さっさと俺たちも城へ向かうぞ。」
「勝手に馬車から抜け出しといて、何偉そうにほざいてらっしゃるんですかぁ!?こちとら殿下のせいで引っこ抜けた木を元に戻すので忙しいんですがぁ!!」
「そうか。ならば置いていく。」
「ああ、ちょっとぉ!?手伝ってくださいよぉ!!」
リーナと名乗る少女が颯爽と駆けていった道が長く続いている。
遠くに見える城はまだ小さく、道のりは長そうだ。
◇
隣国ガルティアからの代表として招待された今夜のパーティ。クベールは心底行きたくなかった。
直前まで行きたくないとごねり続け、城を抜け出そうとしたところをジャスティに無理やり連行されここまで来たのだ。帝国の第二王子という立場では、自由に散歩もできない。詰め込まれた馬車をこっそり抜け出したどり着いた人気のない森で、不思議な少女に出会った。
クベールは自分以外のことに対して興味がない。
もっと言うと、自分のことについても正直興味があまりない。ただ平穏な睡眠の時間と、自由な散歩の時間が確保されていればそれでいい。欲望もなければ強い感情も滅多に抱かない。ただ、王子という肩書きで、命じられた任務を遂行するだけの生き物。とはいえ、王族の公務を担うのは全て兄である第一王子で、今回のような対外的な雑用がクベールに割り当てられるわけだ。
冷酷な奴だとも、気味の悪いやつだとも言われてきた。
しかし他者からの評価こそ、クベールにとってはどうでも良かった。だから、先ほど出会ったリーナという少女についても、「変わった人間だ」というだけで大して感心は湧かなかった。
(...とはいえ、あの女。城に呼ばれたと話していたな。)
となれば、表面的な目的はクベールと同じだ。
だというのにあのような格好で向かうというのはどういう意味だろう。考えてみれば、会話の内容もいくつか噛み合わなかった気がする。
(もしかしたら...)
なにか面白いことが起こるかもしれない。
貴族同士の薄っぺらい交流には露ほどの興味も抱けないが、あの少女がいるなら話は別だ。きっと何かしでかすに違いない。帝国へのみやげ話にネタを拾えるかもしれないと、クベールは一人、空を見上げた。