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2.邂逅

リーナが家の前の道を進んでいくと、大きな二又の道に差し掛かった。



あたりには木々が鬱蒼と生い茂り、鳥の鳴き声もいつの間にか止んでいる。このあたり一帯は人の手が入っておらず荒れ放題だ。一応ジュベルハットの管轄地だが、森の整備に回すお金の余裕はない。リーナは知った勝手で、土が剥き出しになった道ではなく、その間の雑木林に足を踏み入れた。



「こっちの方がだいぶ近道ですし、今日は急いでますから別にいいですよね。」



ぼそりと呟いた言い訳を拾う者はいない。

「頼むからせめて道を歩け」という父の言いつけ。大きくなってからは無鉄砲に森の中へ足を突っ込むことは控えていたが、今日は大事な武闘会が待っている。遅れるわけにはいかない。


肩に担いだトランクを抱え直し、薄暗い森の奥を見やる。

湿った森の匂いとざわざわとした木々のこすれる音が、不気味な雰囲気を醸し出していた。並みの令嬢であれば、間違いなく避けて通りたい場所だ。


しかし、今のリーナにとっては目の前の森は脅威ではなかった。腰に刺した剣は飾りではない。正真正銘リーナの相棒だ。たとえ自分の身体より大きい獣が襲ってきたとしても、対処できる実力がある。むしろこの程度の規模感で森であれば、ドラゴンやオーガが出現する可能性は極めて低い。リーナからすれば、比較的安全な近道だった。


「失礼しまーす。」


挨拶もそこそこに、ぐんぐんと奥へ進んでいく。

見慣れた木々の配置に幼いころの記憶が蘇ってくる。リーナは思わず笑みを浮かべた。


(あれは何歳の時でしたっけ。木に登って降りられなくなった弟をはやし立ててたら、父上に拳骨を落とされたっけなぁ。)


緩やかな傾斜に足を滑らせないよう気を付けながら、木の幹をよけて降りていく。

角度が急な所は片手で体を支えながら、身軽に木々の間を抜けていくリーナの様子はさながら獣のようだった。


しばらく進んでいくと、一際太い木が見えてきた。

あの木を超えた先に城下へと続く道が広がっている。ふと立ち止まって見上げれば、木々の間から見える太陽はまだ高い位置にあった。家を出てからまだそれほど時間は立っていない。やはり森を直接進んできて正解だ。


満足げに頷き、森を抜けようとしたその瞬間だった。




「ーーーっ、」





気配。視線。

一瞬にして変わった空気。


自分以外の何者かが私を見ている。

位置はおそらく背後だ。


(どうして...っ、さっきまで何の気配も感じなかったのに。)


幾度も死線をかいくぐってきた勘が告げている。

これは振り返ってはいけない。


背中に冷たい汗が伝い、心臓がどくどくと脈打っている。

身体中の神経が背後の何かを感じ取ろうと研ぎ澄まされているのに、ただ「強大」であることしか分からない恐怖。フルーレに添えた指先は小刻みに震えていた。


(うご、けない...)


もし動けば次の瞬間には、背後の何かに殺されるかもしれない。

初めて感じる絶対的な恐怖に、リーナは困惑していた。つい先ほど意気揚々と家を飛び出してきたことが遠い昔に思えてくる。肩にのせた黒いトランクを持つ手に力を入れすぎて、指先は冷たくなっていた。


(でも、今ここで私が諦めたら...)


指先の力を少しだけ緩める。一気に血が流れ、指先がカッと熱くなった。


トランクに入った母からの贈り物。

顔も覚えていない母が、唯一リーナのために残してくれた宝物。

それをこの目で拝まぬまま、ここで命尽きるのは何物にも耐え難い屈辱だ。


今夜の武闘会で名を広めたいと思っていたのはどこのどいつだ。こんな道半ばで諦めようとする人間に、名前を名乗る資格はないと兄貴たちにぶっ飛ばされてしまう。


リーナは軽く自嘲しながら、剣を握る指先に力を込めた。震える足を踏み締め、大きく息を吸う。


(相手がどんなに強大であろうと、私はベストを尽くすだけ!でなければ、天国の母上に顔向けできません!)


そのままの勢いで、大きく後ろを振り返った。






「へ....?」





響いたのは剣戟の音でも血しぶきの散る音でもなく、間抜けなリーナの声。

目を丸くしたまま固まっているリーナの視線の先にいたのは、ドラゴンでもオーガでもない。それは、人の身長ほどの背丈がある巨大な猫だった。


黒い艶やかな毛並みに、1メートルはあるかと思われる長いしっぽ。

ピンとたった耳は大きく、時折ピクピクと動いている。毛並みと同じ黒いまつ毛の下には、金色の瞳が瞬いて、どこか眠たげに瞬きを繰り返す。切り株の上に座る姿は、どこか愛らしささえ感じた。


どんな化け物かと思えば、そこにいたのは少しサイズ感のおかしい猫一匹。

呆気に取られたリーナの目の前で、巨大な黒猫は呑気に毛繕いをはじめた。

ピリついた空気が一転、何とも気の抜けた雰囲気に包まれる。


「ね、ねこぉ...」

「猫ではない。俺にはクーベルという名前がある。」

「ーっ!しゃ、喋れるんですか!?」


再度目を丸くしたリーナの前で、黒猫は当然、と顔を上げた。

目を合わせて気づいたのは、金色の瞳の美しさ。太陽のような月のような、神秘的な光を纏っていた。リーナはほぉっと思わずため息をついた。


「...きれーですねぇ。」

「よく言われる。もっとマシな褒め言葉を吐け。」


人語を話す猫はふいっと向こうを向いてしまった。随分と気分屋な猫だ。いや、猫とは元来そういった性質だったか。


喋る巨大な猫との邂逅。

リーナはこれまで数々の生き物と出会い、それらを討伐してきた。しかし、人の言葉を操る動物など聞いたことがない。置かれた状況のおかしさは十分分かっているのに、それが大した問題に思えない、不思議な空気が流れているように感じた。


「クーベルさんは、こんな森で何をしていらっしゃったんですか?」

「人のことを聞く前に、まず自分から話すのが礼儀だろう。」


至極もっともなことを返されてしまった。人のこと、というより「猫」のことだと思うのだが、そこを突っ込んだら怒られそうだ。リーナは正直に話すことにした。


「申し遅れました。わたくしリーナ・ジュベルハットと申します。今日は城の武闘会に招かれまして。近道のためにこの森を抜けようとしていたところです。」

「.......はぁ?」


猫なのに伝わる、ひどく怪訝な顔。

「こいつは何を言っているんだ」と心の底から不満げな表情に、リーナは慌てて訂正を加えた。


「わ、私の家はこの森の上にあるんです!幼い頃からこの森は遊び場として利用していて勝手も知っているので、」

「そこはどうでもいい。お前は今、城に招かれたと言ったな?今日の夜に参加するのか?そんな格好で?」


訝しげな視線に、なんだそんなことかとリーナは笑った。

確かに、一般的な武装からすればリーナの格好はあまりにも身軽すぎる。剣士であれば、鉄の鎧や銀の兜を身につけるのがセオリーだ。腰に刺したフルーレも、剣と言うには細く、大剣と交われば折れそうだった。こんな格好で敵がやってきたら、よほどの常識知らずか愚か者だと思うだろう。


しかし、リーナの強さは身につける武具で左右されるものではなかった。


「問題ありません。私の強さはこの体にあります」

「体?その細い手足か?」

「ええ、その気になればこの大木を引っこ抜くこともできますよ。」


目印にしたすぐ後ろの木に手をやる。

ニヤリと笑ったリーナに、クーベルは鼻を鳴らした。


「愚かな。できるわけがないだろう。ただのか弱い人間に。」

「うーん、実際に見ていただくのが早いですかね。危ないので少し離れていてくださいね。」


言うとリーナは肩のトランクを少し離れた場所に下ろした。

腕をまくり、ブーツのつま先を軽く踏み鳴らす。そうして両手で大木を持つと、大きく息を吐いた。



「っ、せーーぇのっ!!」

「ーーっ!?」



ミシッ、ボキッ、ズズズズズッ

嫌な音を立てて、木の根が地面から抜けていく。

振動でまだ青い葉や枝が、いくつもパラパラと地上に降り注いだ。


「......。」

「これ以上抜くと戻すのが大変なのでこのくらいで。」


木の根本が地面から30センチほど離れたあたりでリーナを手を止める。

それを唖然と見つめる猫の瞳は、文字通り丸くなっていた。


「どうですか?信じていただけました?」

「バカな、お前は一体何者なんだ...?」


猫なのにまるで人のように感情が伝わってくる。

どうやら自分は思った以上に、この美しい猫を驚かせてしまったらしい。抜いた大木をゆっくりと地面に降ろしながら、リーナは少しだけ反省した。家族や剣士仲間のみんなはこの力を知っていたが、見ず知らずの相手の前で披露するのは初めてだった。生まれて初めて出会った不思議な生き物を前に、冷静な思考を欠いてしまっていたようだ。


肩にトランクを担ぎ直し、リーナはぺこりと頭を下げた。



「リーナ・ジュベルハット。ジュベルハット男爵家の一人娘です。今は先を急いでおりますのでこのあたりで失礼いたします。驚かせてしまってごめんなさい。あなたとお話しできて楽しかったです。それでは。」

「あっ、おい!!」



引き留める声に後ろ髪を引かれつつ。

リーナは先ほどの倍のスピードで走り出した。先を急いで近道をしたのに、結局寄り道をしてしまっては元も子もない。今日の一番のミッションは武闘会の会場にたどり着くことだ。奇っ怪な猫と友達になったとて、それではお腹は膨れないのである。


(でも、すごく綺麗な猫さんでしたね...)


黄金の眼差しを思い出し、頬がゆるむ。

纏うオーラは冷たかったが、あの瞳の色はとても温かかった。もしできることならまた会って、もっと彼の話を聞いてみたい。そう思わせてくれる出会いだった。


顔を上げれば、太陽の位置はやや西に傾いている。

ペースを上げなければ日没までに間に合わない。トランクを支える手に力を込め、リーナはさらに加速するべく大きく一歩を踏み出した。

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