第2話 インターネットの消失
僕は気がつくと、いつもの部屋のベッドに横たわっていた。
いつの間に家に帰ってきていたのだろうか。
あのあとどうしたんだっけ。
どうもよく思い出せない。
そうだ。黒服の男を追いかけようとしたんだ。
僕の彼女を殺した張本人。
歩きスマホに僕の彼女は殺された。
走って逃げ去る黒服が落としたスマートフォン。
もはや憎しみの心すら湧いてこない。
もうこの世に藤宮ゆめは存在しないのだ。
いっそ僕も電車に飛び込んでしまおうか。
ピーンポーン。
インターホンが鳴る。
普段なら急いで部屋から出て玄関へと走って出るのだが、今はもうそれどころではない。
僕は今生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
ピーンポーン。
インターホンが鳴り止まない。
なぜ僕の家族は出てくれないのだろう。
今家に僕以外誰もいないのだろうか。
もしかしてもうそんな時間なのか。
僕も学校に行かなければならない。
急がなければいけないだろうが、しかしもう僕にとって学校なんかどうでもいいのだ。
ゆめのいない学校なんて地獄でしかない。
僕がそのままベッドに横たわっていると、突然窓から、コンコン、という窓を叩くような音が聞こえた。
叩かれたそのリズム的に、それが人以外による仕業ではないことが分かった。
僕は一応カーテンを開けて確かめてみる。
淡い期待を添えて。
「石崎ー!学校おくれちゃうよー!」
閉じた窓越しに、くぐもった声で、一人の少女がこちらに語りかけていた。
この声は。
この顔は。
この話し方は。
窓ガラスを隔てて、僕は藤宮ゆめと、この世で再会をした。
「ごめん、ゆめ。寝坊した。」
「何してんだよー、山崎。私も遅刻するじゃんか。」
「...ゆめ、ごめんな、ゆめ。」
「なんで泣いてるの。こわいよ。」
「ありがとう、ゆめ。」
僕は涙が止まらなかった。
思わずゆめを抱きしめてしまった。
昨日のあれは夢だったのか。
最愛の彼女が、赤の他人の歩きスマホによって突然殺される夢。
もう怖すぎてしばらく夜眠れないかもしれない。
「ていうか、あんなわざわざ庭まで入って窓叩かなくたって、電話してくれたら良かったんじゃない?」
「ん?電話?」
「スマホの番号知ってるんだし。
大体、人の家の敷地内には勝手に入るもんじゃないぞ。」
「えー、志崎が遅刻するのが悪いんじゃん。
私は君が遅刻しないように、わざわざ庭に入ってまで起こしに来てあげたんだよ!?」
「だからそれなら先にスマホに電話をしてくれよ。」
「ん?」
「え?」
さっきからゆめの反応が少しおかしい。
というか。
そういえば、今朝なんで僕のスマホのアラームは鳴らなかったんだろうか。
そのせいで今日僕は寝坊をした。
いつもなら朝の6時30分には鳴るように設定されているはずだ。
鳴ったのに僕が気づかなかっただけか?
しかし、目覚めの良い僕に限ってそんなはずはない。
おかしい。
「すまほって何?」
ゆめが首を傾げる。
おい、かわいいな。
「嘘だろ、何寝ぼけてるんだ。
スマホだよ、これ、あ、あれ。」
今朝ポケットに入れたはずのスマホが、無い。
バッグの中にも無い。
なんなら、バックの中に入れておいた学習用のタブレットも無くなっている。
ゆめもスマホを持っていない。
これってもしかして、もしかすると。
僕は、突如生まれた疑問をすぐに解決するべく、ゆめをそっちのけで、走って学校のパソコン室へと向かった。
『東棟図書室』
そう書かれた看板は、昨日まではパソコン室として使われていたはずの教室の手前に貼り付けられている。
少し中を覗いてみる。
しかし、部屋の中には当たり前のように、たくさんの本を含んだ背の高い本棚が規則正しく立ち並んでいた。
教室の用途変更なんてことはたった一日で容易にできるほど楽なことではない。
ここは昔から図書室として使われている、ということだ。
しかし、僕の記憶では昨日までこの部屋には無数のパソコンが並んでいたはずだった。
そんな面影は全く残っていなかった。
過去が書き換えられているようだった。
案の定、というか予想通り、一夜の間にスマートフォンとかパソコンが、この世界から消えてしまったようだ。
昼休み、いつもなら僕はゆめとお弁当を持ち寄って、仲良くおかず交換なんかをしながら食事をするのだが、今日はしない。
というのも、今朝僕がゆめを置き去りにして走って登校したせいで、ゆめは今少し機嫌を損ねている。
こんなときはしばらく放置して、後からゆめの好きなスイーツでも奢りながら誠心誠意謝るのが賢明であろう。
あとは、単純に僕は今のこの状況を整理したかった。
おそらく、今この世界にはかつてのスマートフォン、という概念は消失してしまっている。
その物体も、存在も、歴史も。
この現象について、僕は早速スマホでウェブ検索をしようとしてしまった。
昨日まであれだけ歩き"スマホ"とやらを軽蔑していた僕も、元の世界における現代の若者と、そう変わりはないようだ。
歩いていても、調べたいことがあっても、その便利な機能を持つスマートフォンというものに、意識を寄せてしまう。
これは、重症だぞ!
そして僕はもう一つ、気づいたことがある。
それは、今日行われた授業の内容についてだ。
僕は日頃授業なんか聞かずに、授業中は窓から中庭を眺めるか爆睡をかますかのどちらかをしているのだが、そんな僕でも分かる違和感が、今日の授業にはあった。
なんとなく感じる既視感。
聞き覚えのあるこのくだり。
僕は、唯一の信頼できる友人である美濃大聖に、この違和感について少し訊いてみることにした。
「なあ、美濃。今日なんかいつも違ったことはなかったか?」
「前髪でも切ったの?そんなボサボサヘアーで。」
「髪は切ってないし、ボサボサでもない。
さっきの質問は僕に関することじゃないんだ。」
「じゃあ、藤宮さんのこと?」
「そういうわけでもないんだけどさ。
なんか今日の授業デジャヴじゃね、って話。」
「俺は特に違和感は感じなかったよ。
でも、蝶二のそういう意味わかんない英単語をすぐに使い出す癖には、いつも違和感を感じてるけどね。」
「無知は罪だぞ。」
「考えすぎるのも疲れちゃうよ。」
毎回思うが、こいつと話すと少々疲れる。
美濃は、僕が問いかけたことに対して、毎回少しズレた回答をする。
単純に理解できていないのかと思うこともあるが、しかし稀に核心をつくような返答をすることもある。
だからこそ、こいつと話すのは少々疲れるのだ。
とりあえず、美濃は昨日の授業の内容と今日の授業の内容がなんとなく似ているということに関して、違和感は感じていないようだった。
スマホが消失した世界なら、時間がループしたりとかそういうことが起きていてもおかしくはない。
昨日と同じことが繰り返される今日。
僕はなんとなく嫌な予感がした。
僕は真実を確かめるためカレンダーを探したのだが、まあ教室には元から無いし、スマホは消失しているから中々見つからなかった。
もう一度美濃に質問してみた。
「美濃、今日何日だっけ?ド忘れしてしまった。」
「ちょうど昨日親父の誕生日だったから、二月一日か。
蝶二なんかあったの?」
「ん?なんもないよ。まじで。」
「なんでそんな棒読みなんだよ。まあ友人が隠したがっていることを無理やり聞く趣味は無いけどさ。
藤宮さんのことなら、ちゃんと逃げずに対処しろよ。」
「だからゆめのことじゃないって。」
「さっきから目が泳いでるよ。」
「生まれつきこういう目なんだよ。」
「死んだ魚は泳げないよ。」
やはり美濃は鋭い。
こいつと会話してると隠し事なんかできない気がしてくる。
もしかして、僕が分かりやすいのか?
日が落ちる頃、僕は一人で駅へと向かった。
これで確定した。
ゆめが電車に撥ねられたあの日。
あの日はゆめの誕生日だった。
忘れもしない、二月一日。
いつもだったら僕とゆめは別々に家に帰る。
でも、あの日は違った。
一緒に帰る約束をしていた。
ゆめの誕生日だったから。
ゆめにプレゼントを渡そうとしていたから。
ゆめの喜ぶ顔が見たくて、何日も前から念入りに準備をしていた。
そんなプレゼントは、二月一日、ゆめとともに砕け散った。
今日も変わらず二月一日。
変わったのは、今日一日、スマホが使えなかったことくらいか。
僕は重度のネット依存症である自覚があったから、一日中スマホが使えないなんて絶対に耐えられないと思っていた。
しかし、学校にいる間は意外と大丈夫で、まだまだ僕は現代人の色に染まりきってはいないのだな、と少し安心した。
僕は駅の改札口を通り抜ける。
後方で大きくピーという音がして、僕は入れた切符を受け取り忘れたことに気がついた。
少し頭が働いていないようだ。
ゆめのプレゼントは、また今度渡すか。
誕生日プレゼントってのは当日だからこそ良いみたいなことは知ってはいるが、さすがに今そんな余裕は無いから、とりあえず今日は帰ってゆめにおめでとうメールでも送ろう。
...メール送れないんだった。
まあ家も近いしなんとなかなるだろ。
僕は駅のホームで帰りの電車を待っていた。
既に日は落ちていて、辺りは暗闇に覆われている。
ホームの電灯だけが、僕の視界を照らしていた。
両手をポケットに突っ込む。
優しく吹いた冷たいそよ風が、僕の心をさらに冷やしていく。
ふと横を見た。
僕は駅のホームの左端で電車を待っていた。
そんな僕が横を見たとき、ふらふらとホームを歩く大きなマフラーを身につけた少女が、僕の視界に映り込んだ。
少女は駅のホームの右端をふらふらと歩いていた。
「ゆめ!!!」
僕は直感的に彼女がゆめだと理解して、ホームの端から端へと全速力で走り出す。
僕は電車が徐々に近づいてきていることに気がついた。
視線の先には、既にその窓を視認できるくらいに、こちらへと迎えにきている。
嫌な記憶が思い出される。
もう繰り返さない。
ゆめは死なせない。
ゆめは、僕だけの彼女だ。
またもや、電車に撥ねられた肉片が、赤々と周囲に血を撒き散らして飛び散るのを見る。
昨日、何度も思い出した光景。
僕は全く理解できなかった。
スマホが消えた世界に、ゆめが死ぬ理由なんて無かったはずなのに。
ゆめは、自ら線路へとその身を投げ捨てたのだった。