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花筏

作者: 月野 海

 春。出会いと別れが入り混じる季節。少しの緊張と少しの高揚がなんだか心地よくて私は好きだった。しかし、歳を重ねるごとにその機会は少なくなる。そして少しずつ私は新しい出会いに目を背けるようになってしまった。

 ふと机に目を落とす。積み上げられた原稿の山。どうして捨ててなかったのかと自分に腹を立て、転がっていた布を乱雑にかけた。今の私には関係のないものだ。今のままの生活。半径1メートルの小さな幸せがあれば、それでいいといつからか思うようになっていた。

 逃げるように家から出ると川沿いにふと続く花筏が目に入る。流れゆくあの桜たちはこれからどんな冒険をするのだろうかと羨ましく感じた。そんな自分に羞恥心を感じ、私はまた背を向け歩きだした。散りゆく桜は風にのり、見る人を魅了する。まるで、まだまだ輝けると証明するかのように。この時の私はその美しさに気づくこともできずひたすら日々を過ごしていた。


 田舎の結婚適齢期は早く、SNSでは指輪と花束の投稿が多くなってきた。

 二つ上の彼は中学の先輩でいわゆる下学年からの憧れの的だった。容姿端麗、明るく、後輩にも優しい。私も、そんな彼に、密かに憧れていた一人だった。まさか社会人になって再会するとは思ってもみなかった。雰囲気は少し変わっていたが、優しい目元と口調は変わっていない。勤めている会社は大手で、俗に言う有料物件というやつだ。

 交際して二年、結婚前提で同棲をすると両親に話した時も、すんなり了承された。それはそうだろう、フリーターで社会とギリギリの距離を保ちながら生活している私には、もったいないほど美味い話だった。

 結婚して家庭に入って、そういう普通の幸せが1番だと昔から母にも言われていた。周りの友人が続々と結婚する中、将来がある程度保証されたことに私自身も安堵していた。

 

 いつもの場所にいつもと変わらず桜が咲き始めた頃、同級生たちの帰省に合わせて、中学時代仲の良かった数人で集まることになった。

 久しぶりの集合なだけあって、さすがに退屈そうにしてる人はいない。

 会も中盤になり、話のネタはやはり中学時代の恋の話になる。懐かしい名前が飛び交う仲、一人の男の子が、声を上げる。「ここでサプライズゲストー!」みんながざわざわと期待の眼差しを向ける。居酒屋の引き戸の音に合わせて見覚えのある顔が暖簾から覗く。「お前かよ〜。」「悪かったな俺で〜。」みんな彼がきたことに悪態をつくも、どこか嬉しそうだ。思い思いに話をする中、ただ1人。私は胸の鼓動が早くなるのを感じていた。

 

 中学3年生の春。彼とは席が前後だった。当たり前の日常、部活、勉強。退屈な日々を変えてくれたのは彼だった。きっと私にとってそれは初恋で、彼がいるなら何もいらないと思えるほどにのめり込める恋だった。陽だまりのように明るい彼は、私をあっという間に笑顔にしてくれる。漠然と、この人と結ばれる運命だと、そう思ったが、高校三年生。桜が散り始めた頃、彼の転校を機に突然の破局を迎えた。彼がこの街を出た後パッタリと連絡が途絶えてしまった。またいつか会おう!と笑い手を振った姿が私の記憶に残る彼の最後だった。

 その年の桜は綺麗だなんてとてもじゃないが思えなかった。それから繰り返し訪れる春は、私の中で別れだけを連想させた。それが理由でもなかったのだろうが、その後誰と付き合ってもあまり続かなかった。あっけなく散りゆく花びらのように私の日々は過ぎて行った。


 そんな彼と卒業ぶりに再会したのだ。髪が伸び、服装が大人っぽくなっていたが人懐っこい笑顔は変わっていない。

 みんなと近況報告をしながら、彼への質問攻めが終わったら、また昔話に花をさかせた。

 だいぶ酔いが回ってきたころ、彼を連れてきた男の子がこちらをチラッと見てニヤニヤしている。嫌な予感がする。「ところでななとかいとはいつ復縁するのかな〜!?」酔いが回っているせいか、みんな、そうだよそうだよ〜すごいお似合いだったじゃん!!と加担する。

 ふと彼の方をみると今日初めて視線が合う。急に居心地の悪さを感じてしまう。「そんなんじゃないから。あの頃は若かったな!!」咄嗟に私がそういうと、おばさんみたいな反応だな〜とみんなから文句を言われた。「まぁななは将来有望な彼氏さんがいるもんな〜」友達の言葉に私は何故かバツの悪さを感じる。和やかな空気が流れる中私は彼を見れない。

 私の彼氏のことをひとしきり質問された後、誰かがかいとに根掘り葉掘り恋愛事情を聞いていた。

 その光景を見た私は、自分でもびっくりするくらい唐突に荷物を持ち席を立った。「ななどうした?」「ごめん、結構酔ったみたい。彼が近くにいるみたいだから迎えきてもらう!ごめんね〜先に帰るね、楽しんで。」みんなの名残惜しそうな顔を後に私は逃げるように店から出た。

 

 外は少し肌寒い。月明かりに花びらが照らされる。薄暗い川辺を一人歩き始めると、背後から地面を軽快に踏む音が聞こえる。街頭の少なさもあり、少し私も急足になるが、後ろから聞こえる温かな声で、私の足はピタリと止まった。

 「ちょっと、あいかわらず歩くの早過ぎだろ。」と、かいとは側の土手に腰を下ろす。「なんで??どうしたの?」やっとでた一言は情けなく少し震えていた。「ななはわかりやすい。何かあると唇をキュってするでしょ、でそのあとすぐ逃げる。すぐ一人になろうとするんだ。だから何かあるんだと思って追ってきた。正解?」彼の眩しい笑顔が月明かりに反射する。 「ちょっと酔ったから夜風浴びたいと思って。」「それだけじゃないでしょ〜まぁいいや、久しぶりに会えたと思ったらすぐ帰るんだもん、ちょっと話そうよ。」

 ダメだとわかっているのに私は彼の声を振り払えなかった。ゆっくりと腰を沈めた。

 「なな元気だった?」「うん、元気だよ。」「かいとは?」「まーまーってとこかな。」たわいもない会話、心地よく風に沿う声。いつまでも続いてほしいと、あの頃もそう思っていた気がする。

 「彼氏いたんだ。」「そうだね〜今同棲してる。」なぜか罪悪感を感じ、聞かれてもないのにそう言ってしまった。「そっか。幸せならそれでいいよ。」彼の言葉に少し気を落とす自分に驚く。何かに期待していたのだと気づき急に恥ずかしく思った。

 「普通に用事あったの忘れてた。もう帰るね!かいと、元気で!」ゆったりと流れる風を裂くように歩き始める。「なな!あのさ、会えてよかったよ、元気で!」振り向きたくなる気持ちを押し殺し静かに手を振った。

 

 家のドアを開けると、そこには日常が広がっている。「おかえりなな。今日楽しかった?同窓会。」「楽しかったよ普通に。」「普通にって何〜もっとゆっくりしてくればよかったのに。」

 今のわたしには背けたくなるような彼の温もり。満開の桜と共に出会った、優しくてわたしのことを大切にしてくれる人。

 でも、今日私は10分で帰れる道を1時間かけて帰った。いつも歩いている道。目を背けていた頭上に広がる満開の桜をゆっくり眺めながら帰った。散りゆく桜のその先を見てみたくなり、静かに胸の高鳴りを感じた。

 

 同窓会から1週間。冷静になり気づく。平穏な日々を積み上げていく。それが幸せなのだと自分に言い聞かせた。

 しばらく大好きな本も読んでなかったと思い、本屋に向かう。今は日常をただただ何かで埋め尽くしたかった。そんな努力も虚しく、「なな!また会えた!」と笑顔で手を振るかいとに出会ってしまった。

 「なな、まだ本読んでたんだ俺もこっちに帰ってきたら絶対ここにこようと思って!この本屋全然変わってないよね。」

 話してはいけないとわかっていたが、ふと気になり声をかけてしまった。彼の持つ本に見覚えがあったから。「かいと、その本、、。」「あ、そう、ななが俺に初めて貸してくれた本!覚えてる?!その時は本とかまったく興味なかったんだけど、ななと付き合いたいが一心で読んでさ〜でも意外と面白くって!久々にその本見つけたから思わず手に取っちゃったよ!」「そうなの?昔から本好きなんだと思ってた。」驚く私に、彼は少し口角を上げ、「騙されてんのっと」意地悪そうに笑った。

 「そうだ、お昼食べてないっしょ?ごはんいこ!」屈託のないその笑顔で私に手を差し出す彼をみた時、私はハッとした。どこか強引で、でも思いやりがある。私はいつもそんな彼のペースに巻き込まれて、気づくと笑顔になれていた。

 でもいつからだろう、人に流されることが怖いと感じたのは。彼と行く道にはいつも私1人では見つけられない宝物がたくさん転がっていた。彼と乗る船は、どんな船でも乗ってみたいと思え、どんなことが待っていようと乗り越えられるような気がしていた。

 でも今は違う。安全な船だと確認しないと乗れなくなった。自分以外は信じられないと。慎重に、そして道を狭めるようになっていた。そうか、私が彼からもらっていたものは、彼の道に転がっている宝物だけじゃなかった。彼が見つけてくれていた、私の中の小さな勇気だった。

 私は自分1人じゃその小さな勇気を見つけれなかった。背中を押してもらっていたのだとやっときづいた。今の自分を肯定したくて、いままで進んできた道は間違ってなかったと証明したくて、必死に掴もうとしていたものはただの安価なプライドだ。

 そう思った時、何かの糸がぷつりと切れた気がした。気づくと私は自分の意思で彼の手を握った。もう戻れない。でも彼を通して見た空はいつもより澄んでいるような気がした。彼に私は伝えた。「私、また書きたい。」彼はまた、ひだまりのように笑った。


 付き合っていた頃、2人でよく行っていたラーメン屋。私はここで高2の時、彼に伝えた。誰にも言ってなかった将来の夢を。「私ね、小説家になりたい。」

 手に職をと両親に言われ続け、期待に答えたいと進学校に進んだ私は、本当は小説をかきたいなんて、とてもじゃないが伝えられなかった。誰にも言えなかった夢。でも、彼に伝えた時彼は優しく言った。「なならしい」と。

 それから私は両親に、小説家になりたいと伝えることができた。ひどく反対されたが、援助は一切しないと言う約束で大学に進み、奨学金を借りながら、日本文学の勉強をした。

 卒業し、執筆をするも、やはり甘い世界ではなかった。原稿を受け取ってもらえればいい方で、あとは門前払いに会う日々だった。

 もちろん小説だけでは食べていけず、フリーターをしながら執筆していたが、いつしか言葉が頭に浮かばなくなった。そしてペンを待つのをやめた。

 小説を書いていることは、友人にも伝えておらず、社会に溶け込めなかった可哀想な子。のレッテルが貼られていることにだんだんと苛まれていった。

 そんな時、今の彼氏と中学校ぶりに再開したのだ。優しい彼に、金銭的にも心理的にも余裕がなかった私は一気に惹かれていった。そして原稿は部屋の片隅にしまった。

 彼氏には、一度社会に出たが、うまくいかずフリーターをしていたと伝えた。そんな私を彼は暖かく迎え入れてくれた。この穏やかな日々をその時の私は手放したくなったのだ。

 彼氏の好きなイタリアンとフレンチ。その時の私には目から鱗だった。でも今目の前にあるラーメンに妙な安心感を覚える。

 今までの私の日々、書くのをやめたこと。私が幸せだと信じていたこの小さな世界。話し始めたら涙が止まらなかった。ラーメンを食べながら泣いたのは生まれて初めてだ。そんな私をみてかいとは静かに言った。「ななは今幸せ?」その言葉は今の私には痛いほど沁みた。続けて彼は言った。「迎えに来たんだ。ななのこと」。


 彼は私にゆっくりと話した。親の転勤で急遽この街を離れなくてはいけなくなったこと。この街を出てすぐ、彼はケータイを川に落としてしまい私の連絡先がわからず連絡が取れなかったこと。彼のアドレスが変わったことにより、連絡がつかなかったのだと知った。

 それからは時々この街に戻り、私を探したこともあったが、小作家になる夢を誰にも伝えていなかった私が県外の芸術大学に進学したことなど、彼の周りは誰も知らず、行方がわからなかったと。

 そしてもしかしたらと思い最後の望みをかけて同窓会に来たのだと。

 「でも久しぶりに再会したななには彼氏がいてさ。幸せならそれでいいと思ったんだ。でも俺の知ってるななじゃなかった。恥ずかしそうに、でもまっすぐに夢を語っていたなながそこにはいなかった。後悔したよ、なんでもっと早く会いに来れなかったんだろうって。俺ならもっとななを幸せにできるって。」

 彼はまっすぐ私に伝えた。「おれは、ななの紡ぐ言葉が好きだよ。その言葉をずっと見ていたくて、編集者になったから。俺にとってななは希望だったんだよ。夢だったんだよ。」

 もうラーメンは伸びきっていた。涙で味も分からなかった。でも、私の視界にあった霧が一気に晴れるような気がした。


 

 今年も桜が咲いた。家の間取りを決めるのに、このスペースだけはどうしても譲れないと駄々をこね、なんとか川沿いのこの小さな4畳半を手に入れた。この書斎で、今日も私は文字を綴る。

 世の中に私の言葉を伝えることができるようになるまで、5年はかかった。でも、かいとと離れていた時間よりあっというまに感じる。

 窓を開けると風に乗り桜が舞っている。水面に続く花筏は、いつも私に語りかける。散りゆく先にも道はあるのだと。「先生、今回のテーマはなんですか??」屈託のない笑顔で私を見つめる彼は、今ではもう欠かせないビジネスパートナーだ。

 「今回は桜をテーマに描きたいかな。人生は少しの勇気で変わることを伝えたい。そしてその時に出会える人を大切にして欲しいってことも。題名はもう決まってる。」彼はひだまりのように微笑む。「なならしいよ。」



私は春が好きだ。桜が好きだ。散りゆく桜はいつも私の背中を押してくれる。満開の桜の下を、今日も歩いていく。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 安定した愛の合間を縫うように現れる過去の恋。 かいとは何故またななの心だけ捉えて去ってしまったのでしょうか。 ななが今の彼氏と心穏やかに過ごせたらいいのですが。 人生にはなかなか綺麗にいかな…
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