二話 秘密結社堕天使~①~
彼があたしの部屋を出て行った後、その日は店を臨時休業して、組織を抜けて以降、二度と開くまいと思っていた組織のホームページに何年ぶりかに素性を隠して潜り込むのだったが、やはりというべきか、昔から悪い予感の的中率だけはほぼ百パーセントの確率を持つあたしの予感は、今回も見事に的中していた。
そして、彼が先ほど今は何も話せないといった事も、納得しうる事実だったのである。
何故なら彼は、その掲示板の運営者、秘密結社堕天使の首魁を勤める舞原直子さんの側近中の側近で、彼女の右腕とも左腕とも言われる存在だったからである。
さらに言うなら、この掲示板はあたし達姉妹が両親を亡くし天涯孤独の身の上になったとき、藁にも縋る思いで組織への加入を決めた掲示板だった。
加入当初は、トラブルに見舞われた当事者の身の上相談窓口のような業務をこなしていたあたしと美奈子だったのだが、何件かの依頼を請け負ううちに依頼内容も過激な物になっていき、あたし達姉妹の行動は、日本全土を統治する警視庁の知るところとなり、この当時で全国各地に散っていた数百人はいたであろう堕天使のメンバーもそのうちの何十人かは、逮捕、起訴、収監の流れで、幹部的役割を担っていたメンバーの何人かは、死刑宣告を受け、死刑囚として刑の執行までの何年かを薄暗い牢獄で過ごす者と、刑が既に執行されて、この世から抹殺されてしまった者までいたと聞き及ぶほどに組織は、壊滅的状況のはずなのに、昨今急激に勢力を盛り返して、活動も以前よりさらに活発克、過激な物になっており、今や警視庁は言うに及ばず、全国都道府県警察の脅威に近い巨大犯罪組織へと変貌していたのである。
そしてまた、あたしの背中に生えかけていた白い羽根がもげ墜ちた瞬間でもあった。あたしはもう二度と袖を通す事はないだろうと思い、クローゼットの奥にしまっていた、彼がここを出て行った時と同じ、黒の革の上下に身を包むと、まるで彼を追いかけるようにしてその身を夜のとばりに踊らせていた。
JR横浜駅西口の掲示板を発信源にしていた頃から、あたし達堕天使は一定のたまり場を持たず、あたし達堕天使のメンバーだけが持つ独自のIDアドレスによって全てのメンバーの情報が、あたしと美奈子の持つ携帯端末に届くという仕組みになっており、警察に居場所を特定される心配はなかったのだが、このIDアドレスは諸刃の剣で、それを所持する人間が存命なうちはセキュリティ効果が働き、その人間の情報を引き出すのは無理なのだが、その人間が死亡したり、窮地に陥った場合は、IDアドレスのセキュリティ効果によってその人間もろとも抹消してしまうという恐ろしい一面を兼ね備えた物が堕天使の一員としてカウントされた時から、それぞれの身体に埋め込まれる事になっていた。
これは首魁を勤める直子さんを始め、あたし達姉妹も例外ではなく、これをあたし達は堕天使の烙印と呼んでおり、また、背中の羽根が折れた痕が疼く夜は、殺しの依頼の前触れで、必ず街の何処かで血の雨が降ったのである。
「……最上金融社長の最上晃三さんですね?ある人物からの依頼で貴方には死んで頂きたい!」
俺はそういうと、驚き逃げ惑うその男を市街地の路地裏に追い詰めると持っていたスイッチナイフで、その男の首筋に深く斬り込むのだった。
鮮血の飛び散るその向こうに、あの人は立っていた。思わず引き込まれそうなほどの漆黒の瞳が俺を見据えていた。
「……ヒロくんはあたし達の先輩だったんだ……最近活発化した組織の行動に県警が血眼になって捜査網を広げてる…こっちよ!」
あたしはそう言うと、返り血塗れで呆然とあたしを見据える彼の手を引き、路地裏のさらに奥にある今は役目を終えて取り壊しを待つばかりの一件の廃ビルへと、彼を誘導するのだった。
「驚かせてごめんね……この秘密結社堕天使はあたしと妹の美奈子が両親を亡くした時に藁にも縋る思いで加入した組織なの……けど…あたしもびっくりしたよぉまさかヒロくんが堕天使に加入してたなんて知らなかったから……殺しの依頼を受けたのは今夜で何度目?残念ながらあたし達堕天使に未来なんてないわ……ヒロくんはまだ若いんだものこれから先楽しい事だっていっぱいあると思うよ……あたし達姉妹の事は忘れて…戻れるうちに表の世界に戻りな……」
状況が未だ理解できず、虚ろな瞳であたしを見る彼、正直あたしは、彼にこれからという人生を台無しにして欲しくなかった。けど、彼から返って来た応えは真逆の物だった。
「今の俺には家族と呼べる人間は一人もいない……恵梨香さん達姉妹が今の俺には血のつながりこそ無いけど…家族以上の存在なんだ……この組織に未来がないのなら俺達の手で切り拓けばいい!それまでは…一緒に居させてよね……」
最初こそ、戸惑いの色が隠せない俺だったけど、彼女の悲しい漆黒の瞳を見つめるうちに、彼女達姉妹の深く悲しいこれまでの人生が憑依でもしたかのように俺は、はっきりとした口調でそういうと、無意識のうちに、彼女を抱きしめ、口づけを交わしていた。
「……本当に真っ直ぐな子…だからこそあたし達みたいに黒く染まって欲しくない……けどあたし達姉妹は幸せ者ね…こんな素敵な弟が居るんだもん……ヒロくん…改めて…ありがとう……」
抱きしめてくる彼に、正直戸惑いはあったけど、彼は本当に不思議な青年だ。諦めかけていた事でも、彼が言えば実現できてしまいそうな、彼の言葉には妙な説得力があるのだ。
「……今…俺が殺めたあの最上晃三という男…俺や恵梨香さん達の両親の自殺にかなり大きく関わってた男なんだ……けどあいつはまだ…氷山のほんの一角にしかすぎない……もっと大きな力が他で動いてる……直子さんはそう睨んで俺を二人の元というよりは美奈子さんより早くに組織を脱退した恵梨香さんにもう一度だけ組織に戻ってくれるようにと俺を派遣したんだ……自分は組織の首魁として警察にも面が割れてる…だから今…美奈子さんを首魁にたてて…その本丸を突き崩すための情報収集に奔走してるんだ……だからしばらくは……」
美奈子さんの手助けをしたいから、しばらくは店にもマンションにも戻れない。という事を彼女に伝えたかったのだが、その先の俺の言葉は、彼女の唇でふさがれていた。
「わかったよ…ヒロくん……妹の事…美奈子の事…よろしくね……二人の身の安全はあたしが全力でサポートする……死なないでね…ヒロくん……」
あたしはそう言うと、一度離した彼の唇をさらに強く吸い寄せた。
そして明け方近くの午前二時、街中に配備されていた警官達がその姿を徐々に減らし始めた頃あたし達二人は夜陰に紛れて美奈子の指定してきたカクテルバーへと歩みを進めるのだった。