十話反逆の堕天使~⑥~
「……二人とも…いい加減にしてくんねぇかな?」
先ほどから延々と二時間近くも続く、兄妹の兄弟喧嘩というにもお粗末な兄弟どおしでの罪のなすり合い、呆れかえるばかりの俺達三人だったけど、一等先にしびれを切らしたように言ったのは、俺、露木浩行だったのだが、俺達三人の中で、一番誰よりもこの二人のくだらない罪のなすり合いに腹立たしさと歯がゆさを感じていたのは、この一連の騒動で、婚約者まで死なせてしまった彼、谷崎圭吾さんだったのかもしれない。
「……本部長!監察官!いったいいつまで続けるおつもりですか?!そのくだらない罪のなすり合いを?!」
そう言う彼の声音からは、呆れかえりだとか、憤りだとか言うよりも、自分の目の前、くだらない泥仕合を繰り返す二人に対しの哀れみと哀しみの感情しか、傍にいる俺と恵梨香さんには感じられなかったのだが、彼と同性の俺からすれば、彼の声音、瞳だったりからは、怒り半分、落胆半分の感情も読み取れるのだった。
「……お取込み中わりぃんだけどよぉ…あんたら二人肝心な人の感情を見逃しちゃいねぇか?」
俺が口を挟む次元の会話じゃないのは、充分理解していたつもりだった。
しかし俺には、谷崎さんの怒りと落胆の混濁した心情を鑑みると、何も言わずには、いられなかった。
『……すまない浩行君しかしさすがは大介さんのご子息だな……』
怒りと苛立ちの感情から、警察官僚二人のくだらない泥仕合にくさびを打ち込んだ俺に、彼は哀しくも優しい視線を送っくれた。
「……本部長…監察官…私も言わばあなた方と同罪の人間だ……明日警察庁に辞表を持って出頭するつもりです……お二人も潔く罪を認めて辞任される事をおすすめします……」
彼、谷崎圭吾さんは俺から視線を外すと、自分の眼前でいがみ合う瀬戸内一馬本部長と、その実妹である瀬戸内真理子監察官に深々と頭を下げるのだった。
「何を言いだすかと思えば…私達も君と同罪者だと?笑わせるな!谷崎ぃ私達は決して辞任などせんよ!何故か解るか?それはなぁ罪人はおまえ等三人の方だからだ……出頭したくばすればいい!ただし…私達二人の名を出した地点で貴様の死刑は確定だがな……」
自分の眼前で、全ての怒りの感情を抑え込み真摯に頭を下げる彼、谷崎圭吾さんに対して県警のトップでもある、瀬戸内一馬本部長からの暴言が飛び出した時だった。
あたしと彼は、自分の意思とは関係なくまるで何か見えない力に弾かれるように、二人と谷崎さんの間に割って入るとそのまま、臨戦態勢を取ると、猛然と眼前の敵、瀬戸内一馬本部長と、その実妹でもある瀬戸内真理子監察官に襲いかかろうとした刹那だった。
『待て…君等はもうこれ以上その手を汚す必要はない……これはあくまでも私の落ち度……君等は最後に私を処刑してくれればいい……』
眼前の敵に、猛然と襲いかかろうとするあたしと彼、谷崎さんと視線が交錯した一瞬、そんな彼の強い決意ともとれる、心の声を聴いた気がして、あたし達はしばし攻めるのをためらうのだった。
「圭吾さん…あんたは死なせねぇよ……生きて…罪償って…この神奈川県警を立て直してほしいからよぉ……それがこの件で命落とした人達のせえいっぱいの償いになるんじゃねぇのかな?俺はそう思うぜ!」
同じ男として、彼には何か、感じるものがあったのだろう。
彼はそう言うと、また眼前の二人、瀬戸内一馬本部長と、監察官で実妹の瀬戸内真理子に視線を戻し、持っていた小太刀で二人に襲いかかり、瞬殺の勢いで恐れおののく二人の両手を肘の関節部分から、一刀両断に斬り落とし、二人に冷たく言い放つのだった。
「……あんたら二人…この場でぶった斬ってやりてぇとこだがよぉ……いくら殺人許可書を所持してる俺等でもよ…これ以上ぁさすがに寝覚めが悪ぃやな……両腕だけで勘弁してやっからよぉ…俺の気が変わらねぇうちにとっととこの神奈川県警から出てけってんだぁ!!」
「ちょっと待ってくれ……私達二人はまだ…おまえ等二人が現役の監察官だと認めた訳じゃない!この屈辱…必ずや返してやるからなぁ!」
彼の情けも知らず、自分達の罪を棚上げして、好き勝手暴言を吐く彼、瀬戸内一馬本部長に対して彼はあくまでも冷静だった。
「俺の今したこと…屈辱と思いたけりゃあ思えばいい……けど残念だったなぁ……この部屋での一部始終は…全て長官に報告済みだぁ……いい加減観念すんなぁそっちだぜぇ……」
彼はとにかく冷静沈着にそう言って、兄に続いて何かを叫こうとする妹の真理子の二人に近寄ると、刃を返した峰の部分で二人の頚椎に強烈な峰打ちを見舞うのだった。
「露木浩行主席監察官…お見事だ!私もこれで安心して自首できる……それと…これで少しは恩返しが出来たかな?お二人のご両親にな……」
彼、谷崎圭吾さんはそう言ってあたしと彼の前に両手を出すのだった。
「谷さん…ワッパはかけねぇよ……このまま一緒に東京に来てくれりゃいいよ……生前…俺の親父が言ってたっけ…谷崎は真面目な反面妙なとこが頑固だってよぉ……罪償ったらまた…必ずこの神奈川県警に戻ってやってくれよな……谷崎圭吾本部長!」
彼はそう言うと、指し出された谷崎さんの両手を引っ込めて、彼の肩を優しく叩いた。
「……君は本当に親父さんそっくりだな……ぶっきらぼうたが優しく…決して人の欠点を貶さずいつも同じ目線で物事を考えてくれる…出来の悪かった俺には出来すぎた先輩だったよ…君の親父さんは……」
谷崎さんがそう言って、あたし達二人と一緒に警察庁の捜査官の運転する覆面パトカーに乗り込もうとした時だった。
あたしのズボンのポケットに入れていた携帯端末が出し抜けに着信メロディを奏でるのだった。
電話の相手は、言わずもがな警察庁長官の舞原龍三郎氏で、会話の内容はこうだった。
今回のこの、神奈川県警本部で起こった事案の始終は全て把握したという事と、これは自身の進退をも視野に入れながら、勇気ある発言をして県警に蔓延るヤミ献金問題解決に乗り出した彼、谷崎圭吾さんの勇気ある行動を讃え、一方では、あたし達二人でこれまで地固めを進めて来た事が事案解決の糸口になった事も、讃えてくれており、あたし達三人に対する処遇は全て不問にするとしてくれたのだが、県警本部を出たあたし達五人を待ち受けていたのは、警視庁の捜査官八十名と特殊部隊の捜査官二十名の合わせて百名弱の一大部隊であり、真っ先に彼等特殊部隊の銃弾の餌食になったのは、瀬戸内一馬元本部長と、その妹で元警察庁監察官の瀬戸内真理子の二人だった。
「待って!これは一体どういうこと?!いくら警視庁の人間だからってこれは無いんじゃない?これから東京へ送還しようとしていた重要参考人を無言のまま射殺!さらにはあたし達まで討ち取らんこの状況!ご説明願いたい!」
あたしはこの現状に俄然納得がいかず、瀬戸内一馬、真理子の両名を無言で射殺して尚、あたし達三人にまで銃口を向ける彼等にそう言って噛みついた。
「恵梨香さん…ちっと落ち着こうや……こんなにも早くケリが着くってのも不思議に思ったっけか?やっぱり腹に一物隠してやがったかよ?あの古狸ぃ……俺等が次々に真実暴き出すもんだからよ…てめぇの身の回りが急に心配になったんじゃねぇのかな?」
彼は物静かにそう言ってはいるが、彼自身ギリギリの状態で怒りの感情をセーブしているのがあたしには手に取るようにわかったと同時に、彼はこの場に警察庁長官の舞原龍三郎氏も来ていると踏んでいたのか、自分達に銃口を向ける彼等を激しく睨んだまま、彼がこの場に姿を現すのを待っているようだった。
「……いい加減出てきてくれねぇかな?ここまで訳わかんねぇ事されっとよぉ…俺等も我慢の限界ってもんがあんだよ……」
彼は物静かに言っはいるが、かなりの怒りの感情を無理矢理押し殺しているのだろう。彼は抜き身の小太刀の刃を返すと先頭に立つ何人かの捜査官達を峰打ちに仕留めるのだった。
彼のこの衝動には、さすがの舞原龍三郎氏も限界を感じていたのだろう。多くの警官達に守られながらあたし達三人の前にその姿を現すのだった。
「全く…娘の直子にも困ったものだな……まさかこの数ヶ月の間にここまでの真実を暴き出してくれようとはな……君等三人に感謝はするが…君等のような危険人物をこのまま野放しには出来ないんでね……悪いが君等三人にはここで死んでもらうしか無さそうだな……」
彼、舞原龍三郎氏はそう言うとまた、警官達の後ろにその姿を隠そうとした刹那だった。この機会を逃したらもう二度と、妹の美奈子だったり、はたまた直子さんだったり、両親だったりの無念は晴らせない。そう踏んだあたしは、無謀なのは充分理解していたのだが、この事案から命を落とした全ての人達の無念を考えるとあたしはその駆られた衝動には抗えず、警官達の後ろに姿を隠そうとする彼に声をかけ、彼が正面を向いたとき、カートリッジに残っていた全てのニードルを彼めがけて連射するのだった。
けどこれは明らかに衝動に駆られたあたしの判断ミス。
彼にどうにかやっと一矢報いれたかな、なんて考えるまもなく、あたしの身体は彼と谷崎さんの目前で特殊部隊の銃弾の雨に消えた。
薄れゆく意識の中、あたしに続いて彼も特殊部隊の銃弾の雨に消え、残ったのは谷崎さん一人だったと思うけど、あたしの意識も、彼の意識もそこで完全に事切れていた。
「……長官…娘さんは…直子さんは最初から気付いていたんじゃないんですか?県警内部に蔓延るヤミ献金問題の首魁が貴方だということを……そしてまた貴方の警察官僚としての地位を利用した悪事に早く気付いてほしかったんだと思います……長官…瀬戸内一馬本部長並びに瀬戸内真理子監察官…そして娘さんの私設監察官でもあった葛城恵梨香露木浩行主席監察官の殺人教唆の罪により逮捕します!と言いたいところですが…私も貴方に操られていたうちの一人……全ての罪は私が負うとしましょうだが…次に貴方を待っているのはマスコミによる国民の厳しい追求だということだけはお忘れ無きよう願います!」
彼、谷崎圭吾さんはそう言うと、警察庁長官、舞原龍三郎氏の前、自らの拳銃で側頭部を撃ちぬき絶命するのだった。
「……愚かな男だ……谷崎圭吾……貴様一人死んだところで私の立ち位置は何も変わりはせんのだよ……
お前ら!早くこの紛らわしい四体の遺体を撤去せんかぁ!それから…マスコミにはかん口令を引けぇい!神奈川県警の人事は私が後日考慮する!以上!」
声高らかに、その場に集まった捜査官達にそう宣言する彼だったけど、そこに彼の言う事を聞く捜査官は一人としておらず、特殊部隊の捜査官達の手にする大型拳銃の冷たい銃口が彼に向けられるだけだった。
「貴様達何の真似だ?私を撃つというのか?警察庁長官のこの私を?撃てるものなら撃ってみろ!貴様達全員懲戒解雇だぞ!それでもいいならさあ!撃てぇい!」
彼はもう、自身の命令を聞く捜査官達が誰一人としていないのにもかかわらず、国家権力を振りかざして、みっともなく強がった。
「舞原長官……ここにはもう…貴方の命令を聞く捜査官は一人もいません……私達に銃の弾きがねを弾かせる前に潔く辞任される事をおすすめします!」
並み居る屈強の男性捜査官達の中心から、声高らかにそう言って姿を現したのは、つい先ほど自身の目の前で壮絶な最後を遂げた、谷崎圭吾さんと長官のじつの娘であった舞原直子さんとの間に生まれた娘さんで、谷崎麻美という女性というよりは少女といった方が似合いの彼女だったけど、発する視線と、ストイックに鍛えあげられた筋肉の鎧が彼女の幼さを難無くカバーしていた。
「……お前は…あの時の幼子か?娘の孫にまで諭されるようでは私もヤキが回ったという事だな……おとなしく辞任するとしよう……県警エントランスに報道陣を集めてくれ……今までの悪事の数々を包み隠さず全て話そう……」
彼のこの発言こそが、この長きに渡り、数多くの犠牲者を出した政界へのヤミ献金問題の完全終結を意味するのだった。