ひぃばあちゃんの出前一丁
小学生の頃、ひぃばあちゃんの家に遊びに行くたび、ねだったものがある。
「ひぃばあちゃん、出前一丁作って〜」
おなかがすいてなくても、それをねだった。
なぜかひぃばあちゃんの家には必ず出前一丁があって、私がねだればすぐに作りはじめてくれた。
その出前一丁は、私にとって特別なものだった。
うちの家系は代々お医者さんで、ひぃおじいちゃんの代までは、江戸時代に建てられた個人病院を守り続けていた。
ひぃおじいちゃんが亡くなると、大人はみんなが喜んだ。
ひぃおじいちゃんは頑固な人だったので、じぃちゃんは病院を新しくすることが出来ず、父は車の免許を取らせてもらうことが出来なかった。
じぃちゃんは現代的な病院を、新しく別の場所に建てた。今では辺鄙なところとなってしまっていた旧病院は後に市に売却することとなった。
それまでの間、旧病院にはひぃばあちゃんが一人で住むことになった。
広大な庭は荒れ果てて、部屋の中にはキノコが生えた。
私は学校帰りによく遊びに行った。
扉のカンヌキをかけるのが手間らしく、いつも玄関に鍵がかかっていないので、勝手に開けて入ると、ひぃばあちゃんが大音量でテレビを見ていた。
「ひぃばあちゃん!」
私が2メートルの距離から大きな声で呼びかけても聞こえない。耳も遠いし、テレビの音量がでかすぎる。
タバコをふかしながら、テレビアニメの『はいからさんが通る』に夢中になっている。
「ひぃばあちゃん! 来たよ!」
すぐ側まで近づいて言うと、ようやく気がついてくれた。
「ああ、Kちゃん。おったんかね」
シワだらけのこどもみたいな顔をして、びっくりしていた。
「ひぃばあちゃん、出前一丁作って!」
夏だったような記憶があるが、いつも廊下に灯油のストーブがついていた。
ストーブの上に水を入れたお鍋を乗せて、タバコをくゆらせながら、じっとその前に座って、出前一丁を作ってくれた。ずっとお箸で中身を混ぜていた。
ひぃばあちゃんの作る出前一丁は唯一無二だった。
他にこんなおいしいインスタントラーメンを作るひとを私は知らなかった。
具はなんにも入ってないけど、麺とスープだけでおいしかった。麺が赤ちゃんの二の腕みたいにやわらかくて、スープの味が濃くて、世界一おいしかった。
友達を呼んで食べさせたこともある。わざわざそれを食べさせたいがためだけに呼んだのだ。なぜか出前一丁はいつでもあった。
ひぃばあちゃんの出前一丁を一口食べると、友達は声を揃えて言った。
「これ、のびてるよ」
私はのびたラーメンを食べたことがなかったので意味がわからなかった。
ひぃばあちゃんはとにかくゆっくりゆっくり作るので、麺がとろけるぐらいになっていたのだ。私にはそれが世界一おいしかった。
今、ひぃばあちゃんの出前一丁を真似して作ろうとしても、どうやっても作れない。
常に混ぜながらとろ火で10分ぐらい煮込んでみても、どうしてもあのやわらかさと濃さが出せない。
今思うとひぃばあちゃんの家にいつでも出前一丁があった理由は、賞味期限が切れたものが大量にあったからなのではないかとも思える。
後にひぃばあちゃんを九州の伯父さんが引き取って、旧病院を解体した時、そういえば台所から大量に、賞味期限を50年ぐらい過ぎた保存食が出てきたことがある。
あの出前一丁は度を超えて熟していたのかもしれない。
真相がどうであれ、私にとってひぃばあちゃんの出前一丁は、今でも特別な味である。
思い出の中では世界一おいしいインスタントラーメンだ。
お腹を壊したこともない。