第36話 悪役令嬢は公子様を降参させる
「ガゼル様、先日は不十分なご挨拶となりましたことを、心よりお詫び申し上げます」
私が見違えるように綺麗な礼をしたせいか、ガゼルが目を見張って私を見た。
「ガゼル様ほど優れた方から、婚約のご意向を頂きましたこと、身に余る光栄でした。ガゼル様は麗しく、聡明で、やがてガゼル様が治めることになるオプスキュリテ公国に生まれたことは、私にとって望外の幸運であり、闇巫女として、ガゼル様の御代に貢献できるならば、これに勝る喜びはありません」
耳を疑う顔をして、ガゼルが私の瞳を見詰めた。
誰かに書いてもらった脚本を意味もわからず棒読みしているのか、わかって奏上しているのか、確かめるように。
「ですが、公国が公家と闇巫女の婚姻を歴史的に推奨していることは承知の上で、どうか、私がガゼル様の御代に政教分離を求めることをお許し下さい。私の肩に公妃としての責務は重く、至らぬ私を支えるために、ガゼル様がその責務を十分にまっとうできなくなることは、私にとって、つらく悲しく、耐えがたいのです。ガゼル様のお傍に立てば、私は必ずや、この身の至らなさを嘆き、自ら崩壊してしまうでしょう」
私も真っ向から、ガゼルの瞳を受け止めた。
深い碧色の、綺麗で力のある瞳。
ガゼルのそれは、目を見れば相手の真意を汲み取れる者の瞳。
すべて見透かされて構わない。
私は本気なの、ガゼルに奏上していることに、嘘偽りはないの。
「なぜなら、些末な諍いのたびに心労から体調を崩し、伏しがちな私の傍に、サイファはいつもついて支えてくれますが、同じことをガゼル様がなされば、必ず、御代が乱れるからです。どうか、私がサイファと共に、ガゼル様にお仕えすることをお許し下さい。至らぬ身ですが、闇巫女として生涯に渡り、ガゼル様に心よりの忠誠と献身を誓います」
「――参ったな。デゼル、ラクにしていい」
同じ趣旨でしたためられた私の手紙を取って、目を通したガゼルが首を横に振った。
いくらガゼルが聡明でも、まだ十二歳よ。
手紙にしたのは、この口上を聞いただけでは、理解できないかもしれないと思ったからでもあるの。
だけど、ガゼルの目は理解してくれていた。
十二歳でこれを理解できるって、もう神童の域だと思う。
頭のいいサイファでさえ、辞書を頼りに時間をかけて理解したのよ。
「その瞳で言うんじゃ、真剣なんだね。許さないとは、とても言えないよ」
ガゼルが哀切な瞳で私を見た後、その視線をサイファに移した。
「サイファ、君は、デゼルの話を聞いてどう思った?」
ガゼルに声をかけられたサイファが、正しい礼法でガゼルに跪くのを、ガゼルがさらに驚かされた顔で見た。
サイファの立ち居振る舞いが、すでに、つい先日までの庶民のものではなかったからよ。
サイファはガゼルに問われた覚悟を、先に態度で示したの。
生涯に渡り、闇巫女を守るために必要な知識と作法をすぐに学び始め、ガゼルに取るべき礼法、最敬礼をすでに修めたという証をもって。
「主命に従い、デゼル様と共に、ガゼル様の御代にこの身を捧げます」
綺麗な最敬礼の後、私がそうしたように、サイファもガゼルの瞳を真っ向から受け止めたの。
サイファの瞳にあるのは、ガゼルへの敬意と憧憬、負の感情を伴わない羨望。
サイファは最初から、ガゼルに見惚れていたもの。
素直なサイファは、自分より優れていると思う相手にその思いを隠さないのよ。
私もサイファにならってガゼルに令嬢としての最敬礼をした後、ガゼルの手の甲に忠誠を誓って口づけた。
そうしたら、ガゼルが片手で顔を覆って天を仰いだの。
「わかったよ、降参する。二人とも、よく私を支えてほしい」
それから、何か思うところのある顔をして、少し考えていたガゼルが口を開いた。
「デゼル、確か、トランスサタニアン帝国の第二皇子ネプチューンに会いたいんだったね? いいよ、会わせてあげる」
私はもちろん、びっくりしてガゼルを見た。
紹介状を書いてくれるのかと思ったら、ガゼルの申し出は、私の想像の斜め上だったの。
「私が面会を申し入れるから、ついておいで。先方から許可して頂けたら、連絡する」
「あの、ありがとうございます!」
ガゼルが微笑んでくれたけど、哀切で、私、胸が痛かった。
――ふと。
私は今さら、もしも、私がシナリオの阻止に失敗したら、公子様であるガゼルは確殺だって、気がついたの。
その時には、ガゼルには万に一つの生存の可能性もないんだって。
絶対に、阻止しないといけない。
最初からそう思っていたけど、今、ますますその思いが強くなった。
あんなに一生懸命のマリアだって、他のクラスメイトだって、マリベル様たちだって、みんな、殺されてしまうのよ。
絶対にだめよ。
ガゼルには話した方がいいの?
タイミングはいつ?
ネプチューンに会う前? 後?
公家からサイファを闇主として承認するという公式の通達が届いたのは、翌日のことだった。






