第30話 かなしみの悪役令嬢
その翌日は、時の神殿まで歩いて疲れた私が朝寝坊をしている間に、サイファが家に帰ったみたいで、起きたらサイファがいなかったの。
いなかったの。
寂しくて、とぼとぼと神殿前のあずまやに向かったの。
「どうしたのよ、デゼル。泣きそうな顔して」
マリア、毎日、来てくれてるのかな。えらいな。
私、泣きそうな顔してるのね。
「サイファ様が、おはようのキスしてくれずに帰った……」
どうしたのかな、マリアが吹いた。
「……それって、ケンカしたって意味なの?」
「えっ」
そうなの!?
わかんない。
「してないと……思うけど、したのかな」
「ああ、もう! 私、思うんだけど、帰るのがふつうじゃないの? むしろ、なんでおはようのキスしてるのよ」
「……」
なんでだろう。
「ああああ、もう! いいから、ちょっと読みなさいよ言い出しっぺ」
マリアがばさばさと、水神様へのお願い事を書いた紙を渡してきた。
あれ、なんか、違うの混ざってる。
『〇〇を買ってもらえますように』とか『〇〇で優勝できますように』とか。
七夕のお願い事と混同してるなぁ。
あれ、ちょっと待って。
『ゴリラが退治されますように』って、誰よこれ。
ジャイロに見つかって死鬼にフルボッコされても知らないよ?
命知らずがいるなぁ。
「これ違う、これも違う、これとこれ、いいんじゃないかな」
私があってるのと、違うのをわけると、マリアが『×』と書いた袋と『〇』と書いた袋に仕分けた。
「マリアって手際がすごくいいのね。いつも、ありがとう」
「――褒めたって、あなたがジャイロにしたことは忘れてあげないわよ」
「ごめんね」
なんでか、マリアが絶句した。
「ふ、ふんだ!」
ちょっと、頬を赤らめてマリアが顔をそむけたの。
何を意味する行動なのかは、わからなかった。
「デゼル、起きたんだね。今朝は少し、家に帰ってたんだ。デゼル、昨日、たくさん歩いて疲れてたみたいで、起こしたらかわいそ――」
サイファの顔を見たら、私、みよみよと泣き出してしまったの。
「デゼル、サイファのおはようのキスがなかったって、朝から、泣きそうな顔してたのよ。ほんとに泣くとかつわものね……」
「えっ」
それと聞いたサイファが、途惑いがちにキスしてくれた。
「……するんだ」
マリアが何だか、諦めた口調で言った。
**――*――**
「デゼル、今日もどこかへ行く?」
「うん。クライス様のところと、遅くならなければ公邸に」
うなずいたサイファが、言いにくそうに目をそらした。
「サイファ様?」
「あの……デゼルって、僕が神殿に泊まった方が嬉しい?」
「うん」
サイファがますます、言いにくそうに下を向いたの。
こんなこと、滅多にないのよ。
「あの……ね。頂いてるお金を、その分、多めにもらえるなら、帰らなくてもいいって母さんが……」
私はびっくりしてサイファを見た。
サイファとずっと一緒にいられるのは、もちろん嬉しいの。
お金のことだって、問題ないのよ。
でも、そんな風に言われて、サイファ、傷ついたりしないのかな。
私の気にし過ぎかな。
「もらえるよ。――だけど、サイファ様は、私とずっと一緒でいやになったりしない?」
「うん、僕は――」
サイファが優しい、いつもの様子に戻って私を見てくれた。
「別に、多めにもらえなくても、僕は、デゼルがいて欲しかったら、デゼルの傍にいるよ」
わぁ!
ほんとにいつものサイファよ、私が動揺するようなこと、さらっと言うの。
「クライス様のところだね? じゃあ、行こうか」
「うん」
**――*――**
その日は結局、クライス邸の時の精霊と契約しただけで終わったの。
ティニーにつかまって、つい、遊んであげたから、朝寝坊したのもあって、時間が遅くなってしまったの。
だって、ティニーったら可愛いんだもの。
「でぜるさまだ! あそんで、あそんで、まだ、かえったらやだ」
なんて、鈴を振るような可愛い声でねだられたら帰れないよ。
クライスにも拝まれてしまって。
そうそう、クライスの夕飯は美味しくなかった前科があるから、その日の夕飯はあるものでサイファが作ってくれたんだけど、とっても、美味しかったの。
ティニーなんてもう大喜びよ。
一緒につくったキノコ料理も美味しかったけど、サイファって、料理が上手なのね。
作り方も素材もシンプルなのに美味しくて、クライスが感心してた。
夏休みの間、せっかく、一緒にいられるんだもの。
毎日でも、サイファの夕飯が食べたいなぁ。
作り方、教えてもらいたいなぁ。
貴重なサイファの時間をそんなことに使ってもらって、公国が滅びたら目も当てられないけど。
だけど、まだ三年もあるんだし、夏休みの間くらいなら、いいかなぁ?
**――*――**
後々、この夏休みに完全攻略ガイドを読み込んでおかなかったことを、私は心の底から後悔することになるの。
でも、私はサイファの美味しい夕飯に夢中になって、私もサイファに美味しい夕飯をつくってあげられるようになりたくて、この日から、毎晩、サイファと一緒に夕飯をつくって、二人で美味しいねって食べるようになったの。
すごく、美味しくて、楽しくて、幸せな時間だった。
本当なら、私はこの日のうちにも、クライスに頼みごとをしなければならなかったのに。
デゼル・エンドを狙う場合の重要アイテム、『月齢の首飾り』。
デゼルがクライスに頼んでから、完成までに三年かかる魔法の品。
このアイテムが必要なのは、ネプチューンだけではなかったの。
――でもね。
サイファは子供がいない間は、この首飾りは必要ないと拒否し続けてた。
ましてや、まだ七歳だった私が幸せな時間をサイファと過ごしたことを、この首飾りのために心の底から後悔したなんて知ったら、サイファは泣いて私を叱ったと思う。
だって、サイファが私に手を上げたのなんて、後にも先にも、月齢の首飾り絡みだけなんだもの。
だから、神様がサイファのために、私をサボらせたのかもしれない。
主神は、優しいから。






