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甘くてほろ苦いショコラの記憶

作者: ちょこっと

寒い。

冷たい空気が老いた肌を刺す。

もう50代を過ぎようかという年になると、年々寒さが堪えるようになってきた。


一人、深夜に書類仕事を片付けて、ふと窓を見る。

書斎の窓から見上げる星空は、何度季節が巡っても、最後に彼女と見たまま変わらない。


冬になろうかという寒さが増してきたこの季節。

手の中でじんわりと温かみのあるカップを、節くれだってきた指でそっと包むように持つ。


このカップは、彼女のお気に入りだった物だ。

それも、一人になってから知った。


一口、カップの中身を口に含む。

濃厚なカカオの香りが鼻から抜けて、甘い香りが鼻腔に充満する。


「やっぱり、甘いものは苦手だ」


誰に言うでも無く独りごちる。

そうして、またカップの中身を口にするのだった。










「はじめまして!

わたくし、アイリス・コンチェルドともうします。

いご、よろしくおねがいもうしあげますわ」


子ども特有の柔らかそうな栗色の髪に、くりくりとした鳶色の瞳が輝いている。

暖かい日差しの降り注ぐ穏やかな庭園で、彼女と出会った。


「……はじめまして。

ぼくは、ノワール・ブラン・シュヴァルツ。

よろしく」


頬を上気させて一生懸命淑女の挨拶をする彼女を、どこか冷めた瞳で見ながら、一応は挨拶を返した。

愛想の欠片も無かったはずなのに、彼女はとても嬉しそうに微笑んで、一緒に遊ぼうと僕の手を引いて歩き出す。


親が僕達を将来の婚約者とする為に顔合わせさせていると知っている。

どうやら彼女は僕に気に入られようと一生懸命のようだ。

そんな事しなくても、どうせ親が決めた通り、僕達は将来結婚するだろうに。


まだ5歳ながら、冷めているなと自分でも思うが、これが僕の性分なので仕方ない。

予習してきたのか、知っている花の名前や花言葉なんかを、つっかえながらも僕に話してくれる。

栗色の髪も相まって、まるで栗鼠みたいだ。

ちょこちょこと動いては一生懸命な姿がよく似ている。


それが、僕と彼女の初対面だった。








「ノワール様、今夜の夜会デビュー、エスコートして下さって有難う御座います」


15歳になった彼女は、幼さを残しながらも淑女らしく成長していた。

頬を染めて僕の腕にそっと腕を絡ませる。


「婚約者なのだから、当然の事です」


いつもながら素っ気無い僕の言葉にも、控えめに微笑んで付き従ってくる。

デビュー最初のダンスに付き合って、後はお互いに友人との会話をしたりして適当な所で帰った。

彼女はいつも微笑んでいる。

愛想の無い僕といると、余計それが際立って目立つ。

別に、婚約者なんて家の為に存在する者だし、貴族なんだから血を残すのは義務だから構わない。

けれど、いつも微笑んでいる彼女に少しだけ苛ついていた。

だからか、どうしても彼女と会う時はいつも愛想良く出来なかった。

嫌いではない、と思う。

ただ、彼女の微笑む姿を見ていると苛々してしまうのだ。









数年後、僕達は結婚した。

僕は領地経営に忙しく、彼女とはあまり関わりを持たなかった。

貴族では普通の事だ、殆どが政略結婚なのだから。

外に愛人を持つのだって珍しい事ではない。

とはいえ、子を残す事は大事だ。


一人目の子が産まれるまでは、出来るだけ褥を共にした。

初めての夜は辛そうにしていた彼女の姿に、多少胸が傷んだ。

僕は彼女が好きなのか?

ただ、本能的な欲望で抱く事は出来る。

けれど、彼女を見ると愛おしいというよりは、胸がざわめいて苛々してしまう。

そもそも、僕は愛おしいという感情が分かるのだろうか?


不意にそんな事を考えたりもしたが、忙しい日々の中、彼女との時間は少なかった。

生活に困らないだけのものは用意しているし、貴族として恥ずかしく無い十分な装いが出来るだけの稼ぎもある。

男の仕事は稼ぐ事だ。

そして、女は子を産み育てる事。

子を産むのは女にしか出来ない神聖な事だ、僕の子を彼女に産んで貰うからには、より領地経営に励み稼ぎを増やさなければ。


待望の子を妊娠したと聞いて、僕はより一層仕事に励んだ。

子育ては大変だろうが、侍女もいるし人手が足りなければもっと雇えばいい。


いつも微笑んでいた彼女が、子育てをするようになってから時折笑わなくなっていた、僕はそれに気付かなかった。








「ノワール様、本日はとても良いお天気です。

宜しければ、親子でピクニックなど如何ですか?」


珍しく、朝食の席で彼女が外出に誘ってきた。

今日は日の曜日、殆どの者が仕事を休む日だ。


「今日は、明日までに目を通しておかなければならない資料が溜まっているんだ。

良い天気なら君達だけで行ってくると良い」


朝食を取りながら、素っ気無く言う。

いつもなら、仕方ないと言った様子で微笑み諦める彼女だが、今日は少し違った。

僕の言葉に、どこか遠くを見るような眼差しで沈黙し、小さな声で、


「そうですか」


それっきり、静かに食事を済ませて早々に退出した。

子どもをピクニックへ連れていく準備があるのだろう。

僕も仕事をする為に、食事を終えると書斎に篭った。


その後も、何度か親子で外出をという誘いを受けたが、毎回仕事の用事があり断った。

その度に、少しずつ、彼女が笑わなくなっていった。

何時の間にか、いつも微笑んでいた彼女が笑わなくなったのに気付いたのは、上の子が10歳、下の子が7歳の頃だった。


しかし、もう随分と会話らしい会話なんてしていない彼女に、なんと話しかけていいのか分からなかった。

領地経営の方は、大分落ち着いて前より仕事も忙しく無くなって来たが、だからといって彼女を誘う事は出来なかった。

微笑まなくなった彼女は、子どもの世話を侍女や家庭教師に任せて、ぼんやりする事が多くなっていた。









「風邪を引いたと聞いたが、具合はどうだ」


季節の変わり目、丁度寒くなったり暑かったりする日が続いたある時、彼女が風邪で倒れたと聞いた。

同じ屋敷で住んでいながら、寝室も別でお互いあまり干渉しない生活を送っていたので、気付くのが遅れた。

ベッドに横たわる彼女に問うと、気だるげに瞳を開けて僕を見る。

少しだけシワのできた目元、鳶色の瞳が僕を見る。

くるくると好奇心に溢れて輝いていた瞳が、今は疲れと諦めに満ちて何処か虚ろに見えた。


「……ノワール様、来てくださったのですか。

ふふ、私の事に御興味なんて持たれた事無かったのに、珍しい」


彼女の口からそんな批判めいた皮肉が出るとは思ってもいなかった僕は、少したじろいでしまった。


「横になっていれば治ると思いますわ。

ねぇ、ノワール様、私の好きなモノを御存知ですか?」


突然の質問に、思考を巡らせるが思いつかない。

花か?宝石か?

貴族女性の欲する物とは大体そういった物だろう。

考えて口を開こうとした時、すっと彼女が人差し指を差し出して、ベッドサイドに座る僕の口を塞いだ。


「ハズレですわ、今、お花や宝石だと思ったでしょう?」


そういって、微かに微笑んだ。

考えを当てられた事に驚き、そして、久々に彼女の笑みを見た事に驚いた。


「……ショコラ、甘い甘いショコラ・ショーが飲みたいですわ」


囁くように話す彼女に、そっと人差し指を下ろさせる。


「そうか、では用意させよう」


「ノワール様も、一緒に召し上がって下さいませんこと?

一緒に、時間を、思い出を共有したいんですの」


そう言って、寂しそうに微笑む。

どうしたのだろう。

朝食等は大体共にしているし、僕の仕事が忙しいから寝室は別にしているが、今まで同じ屋敷で過ごしてきた。

今更、時間を共有とはどういう事か。

怪訝な顔をしていたのだろう僕を、彼女は哀しそうに見る。

取り敢えず、病気の時には出来るだけ栄養を口にした方がいいだろうと、彼女の言う通りにショコラ・ショーを二人分用意させた。


「さぁ、飲みなさい」


彼女をベッドの上で上半身起こさせて、そっとカップを渡す。

両手で包み込むようにカップを持ち、彼女は顔を綻ばせた。

そうっと口にして、瞳を閉じる。


「……美味しい。

カカオの香りとミルクのまろやかさ、甘いショコラを飲むと元気が出るんですの」


そう言って、僕にも飲むよう目で促す。

仕方なく、一口含む。

甘い。


「甘い物は苦手なんだ」


若干眉を顰めて言う僕に、彼女はくすくすと笑い「知っています」と言う。

知っているのなら、何故勧めるのか、彼女の考えている事は分からない。


それから、僕はカップを盆に置いたが、彼女が飲み終える迄はそこに居た。

それを、彼女は嬉しそうに眺めていた。


寝室の窓から見上げる月明かりは、優しく星を照らしている。

彼女と共に夜空を見上げるなんて、思えばこれが初めてだ。

そんなゆっくりとした時間を彼女の為に割いた事は無かった。


「ご馳走様。

美味しかったですわ」


「そうか、ではもう寝なさい」


片付けに侍女を呼び、僕は部屋を出る。

一人の方がゆっくりと寝られるだろう。


部屋を出る間際になって、彼女が囁くように言った。


「おやすみなさい、愛していますわ、ノワール様」


思わず振り返ると、出会った頃の少女のような微笑みを浮かべていた。


「……あぁ、おやすみ」


そうして、部屋を出た。


それが、最後の挨拶になるとも知らずに。









人が死ぬのは呆気ない。

つい数日前まで元気にしていた彼女が、翌朝には冷たくなっていた。


あまりの呆気なさに、置いてきぼりに、頭が付いていかなかった。

母に泣いて縋る子ども達。


いつもなら、仕事なら卒なくこなせる自信がある。

だが、この時ばかりは呆けたように立ち尽くす僕に、優秀な家令が葬儀やら何やら手際良く済ませてくれた。


子ども達も、馴染みの侍女や乳母に世話を任せている。


一通り終えて、彼女の墓の前に立ち尽くしていた。


 <良き妻、良き母、アイリスここに眠る>


これは現実なのか?

夢を見ているのか?


靄のかかったような頭を振り払うと、頬にポツリと雨が落ちた。


空を見上げると、ポツリ、またポツリと雨。

次第に、ザーッと勢いを増して降り注ぐ雨に全身を打たれ、現実だと実感が湧いた。


僕は、その場で一人、叫ぶように慟哭した。













あれから20年近く過ぎた。

子ども達も成人し立派に育った。

彼女のおかげだ。

愛情を沢山注がれていた子ども達は、真っ直ぐに育ってくれた。


彼女を失って、初めて気付いた。

どれだけ彼女を愛していたか。

ただ、側で微笑んでくれる存在が、共に居てくれる存在が、僕を愛してくれる存在が、どれ程得難く貴重なのか。


一人になって初めて知った、寂しいという感情。

幼い頃から厳しく育てられ親の愛情を感じられずに育った僕だが、彼女だけが乾いた地面に慈雨が注ぐよう愛情を注いでくれていた。

ふとした時のさり気ない気遣いや、僕の子を一生懸命愛情深く育ててくれていた事。

彼女の何気無い仕草やひとつひとつが、なにものにも代え難い宝のように、僕の胸を締め付けた。


何故、失う迄気付けなかったのか。

何故、居る間に示せなかったのか。

彼女へ愛情を返す事が出来ない今になって、漸く気付くだなんて……僕はなんて愚かだったのか。


書斎の窓から見上げるのは、あの時と同じように優しい月明かりが星を照らす夜空。

時が過ぎても変わらぬ夜空を一人見上げて、またショコラを一口含む。


あの日見上げた星空、彼女と飲んだショコラ・ショー。


「カカオの香りとまろやかなミルクの味、だったね、アイリス」


瞳を閉じれば、瞼に浮かぶ笑顔。

その笑顔に、今宵も一人で想いを馳せて。

星空のもと、ショコラのほろ苦い香りに包まれる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 現実の世界を舞台とした作品としてはよく見る題材ではありますが、異世界でのこういった悲恋は新鮮で、ただ愛する相手に置いていかれる寂しさは普遍的なものだとしみじみ思わされました。 亡くなる直前…
[良い点] これから転生して彼女を探しだす展開にはならないんでしょうか? 寂しいけれど良いお話でした。
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