13話
その日は朝から快晴だった。いよいよ今日が花火大会の日である。休みを取った葉花は、朝のうちに家事をすませてしまおうと、ベランダで洗濯物を干していた。
心配していた台風も、関東に近づくのは明日の夜らしく、今晩は雨の予報は出ていない。台風のせいか、少し風はあるが、花火大会には支障はないだろう。
葉花は洗濯物を干し終えると、部屋を片付け始める。ちらりとハンガーにかけられている浴衣をみて、わくわくしてしまうと同時に、今日が四葉と別れの日である現実に、どうしようもない喪失感が襲ってくる。
考えないようにしなければ、と葉花は部屋の片付けに精を出す。
今日明日で連休を取る為に、このところ連勤だったので、部屋の荒れ具合がひどい。だが、やることがあるのは、あまり他の事を考えずに済むので助かる。
なんだかんだと、家事を終わらせると、もう昼近くだった。四葉は最初葉花のかけている掃除機の周りをちょろちょろしたり、ベランダにでて手すり上から、外の鳥をじっと眺めて、飛びかかってみたり(もちろん鳥はすりぬけてしまう)して、遊んでいたが、飽きたのか今ベッドの上で、寝そべっている。
「四葉、お昼食べて、着付けが終わったら早めに出ようか」
「花火は夜だろう?」
「そうだけど、せっかくだから、早めにでて散歩しよう」
「いいぞ」
「ところで、どこから花火見ようか?」
「いつもはケンタロウのマンションのベランダで見ていたが、どこでもいいぞ」
「あんまり混んでいないところがいいよね。どうしようかな」
「私は多少離れた場所の方がいいな。今までがそうだったからな」
「そう、じゃあ会場からは離れた場所で、散歩がてら見えるところを探そう」
「ああ」
葉花はにっこりと笑って、残った家事を片付けた。
午後三時。
「おい、ヨーカ。まだか?」
「まって、帯がまだちゃんと……、あれ、こっちから通して、えっと」
葉花涙目になりながら、浴衣と格闘していた。店員に教えてもらった時は、割と簡単だなと思ったのだが、いざ自分で着てみると、まったく上手くいかない。なんとか浴衣を着て、腰ひもで止めたまではいいのだが、帯が何度やっても上手く結べない。帯に苦戦しているうちに、こんどは浴衣がどんどん着崩れていく。
かれこれもう一時間半は着付けと格闘していた。
「四葉……、私今回浴衣は諦めるよ。これ……無理。」
「せっかく買ったのにもったいないよー」
葉花は、ぱっと振り返る。窓からひらりと翡翠が入って来た。
「翡翠!どうしたの?柴垣さんも近くにいるの?」
「ううん。ムドウは仕事中。ちょと抜け出してきたんだ。金色の顔でも見ておこうかなと思って」
「そう」
「そう、じゃないよ。ヨーカ。ボクがさわれるように、浴衣と帯にリム流して」
「え?翡翠、着付けできるの!?」
「いいから早く」
葉花は浴衣と帯に触れて、リムをいきわたらせるようにイメージする。
ふわりと浴衣と帯にリムをまとうモヤが見えた。
「出来た!?これ、出来た?」
「出来ているな。ヨーカやればできるではないか」
「いいから、ほら、貸して。ヨーカこっち向いて手を横にあげて」
翡翠に言われるがまま、葉花は横に手を上げる。翡翠は浴衣の形を整えて、腰ひもを結びなおす。それが終わると、慣れた手つきで帯をしめていく。
「ヨーカ、ここ持っていて。そう、後ろ向いて」
「翡翠、手慣れてるね?柴垣さんて家で浴衣着たりするの?」
「しないよ。着付けが上手いのはケンタロウのせい」
「ケンタロウさんの?」
「ケンタロウが……。金色のせいだったんだからな。ボクがとばっちりを!」
「え?何?なんの話?なんで四葉顔を背けるの?」
何かを思い出したのか、翡翠がものすごく嫌そうな顔をして、勢い任せに帯をぎゅっと締める。
「翡翠苦しい!きつい!きつい!」
「あ、ごめん。あとは、こーやって結んで出来上がり」
「すごい!翡翠!あっという間にできちゃった!ありがとう!」
「ヨーカなかなか似合ってるね。その柄もかわいいし」
「そう?ありがとう。四葉が選んでくれたの」
「げっ!あいつが!?まあ、いいけど、これでこの前の借りは返したからね」
「うんうん!ありがとう!」
「緑の、ケンタロウの教えが役に立ったな」
なにやらにやにやと含みのある笑いをする四葉に、翡翠はリムで銃を出して構える。
「金色ー。余計な事言ったらただじゃおかないかね」
「さて、ヨーカそろそろ行くか」
「そうだね」
翡翠はぷくっと頬を膨らませて、銃を消すと、今まで見た事がない顔をする。真剣なような、少し寂しげなような。翡翠は四葉に近づくと、ぎゅっと金色の頭を抱えて、耳に口を寄せた。
葉花に聞こえない小さな声で、四葉に何かをささやく。四葉はそれを聞いて、ふっと息を吐くと、どことなく嬉しそうな顔をしているように見えた。
「じゃあ、ボク帰るねー。ばいばーい」
翡翠はあっという間に窓の外に飛び出すと、消えてしまった。
「翡翠なんて言ってたの?」
「内緒だ」
葉花はちょっと唇を尖らせると、『行こうか』と四葉を促した。
慣れない下駄でちょこちょこと歩く葉花の前を、四葉は時折振り向きながら歩いていく。
すれ違った人が、葉花の浴衣姿を見て、振り返っていく。それを見た四葉の尻尾が自慢げにゆったりと左右に揺れていた。
葉花はそんな四葉の様子には気づかず、左右に揺れる尻尾をじっと見る。いつも掴んでやりたい衝動に駈られるのだ。最後くらい、あの尻尾を後ろからぎゅうっと握っても怒られないだろうか。
そっと手を伸ばして、尻尾の先に手を振れる直前に四葉が振り向き、葉花はさっと手を引っ込める。
「何をしているんだ」
「なにも」
葉花はまたわざとらしく、手をかくし、そっぽを向く。金魚のかんざしがしゃりんと揺れる。四葉が怪訝そうな顔でまた前を向いて歩きだすと、再び葉花は尻尾に手を伸ばす。そしてまた寸での所で四葉に見つかる。駅までそんな遊びをしながら歩いた。
「だるまさんが転んだ。みたいだね」
「なんだそれは?」
「知らない?」
「知らないな」
「ふうん。それは健太郎さん教えてくれなかったんだね」
葉花がにやにやして言うと、四葉は気になるのか、ちらりと葉花を振り向く。
「それはなんなのだ?」
「知りたい?」
「そうだな。普通、知らない事があるなら知りたいと思うだろう」
「じゃあ、そのうち教えてあげる」
「今教えろ」
「やーだー」
葉花は下駄で小走りに走って逃げる。
「なんだ、追いかけっこか?なら捕まったら教えろよ」
にたっと牙を見せて四葉が笑う。
「ひいいいい!それ私に勝ち目ないじゃないー!」
じゃれ合いながら駅に着くと葉花はきた電車に飛び乗った。
電車を二回ほど乗り換えて、目的の駅で降りる。
「ヨーカどこに向かっているのだ?」
「ふふっ、内緒。もう少しだよ」
葉花は地図を見ながら歩いていく。夕方とはいえ、まだ東京の夏は暑く、じっとりと汗をかいてしまう。四葉が周りの景色を見ながら、耳をぴくりぴくりと動かして、何かに気づいたように立ち止まる。
「ヨーカ。まさか」
「あ、分かっちゃったか。だよねえ」
「ケンタロウのマンションに行くつもりか?」
「そう。屋上から見ようよ」
「ケンタロウのマンションは屋上に出れないように、鍵がかかっているぞ」
「え……」
「まあ、私が連れて行ってやれるがな」
「本当!?」
「だが見つかると、怒られるとケンタロウが言っていたからな。暗くなってからにするか」
「うん!そうと決まれば、買い出しだね!ビールとか!ビールとか!でもぬるくなっちゃうのは嫌だしな」
葉花が悩んでいると、四葉が得意げに言う。
「ヨーカ、この道を真っすぐ行くと大きな公園があるぞ。隅田川も見える。時間までそこで暇をつぶすか?」
「それいいね!さすが長くここに住んでただけあるね、四葉」
「当然だ。行くぞ、こっちだ」
四葉に連れられてきた公園は、かなり大きな公園で、木がたくさんあり、木陰は風が抜けて気持ち良かった。
休日なので人が多いが、公園自体が広いので、さほど混雑している感じはしない。
「四葉!川が見える!」
「隅田川だな」
「あ、なんか場所取りしてる人が結構いるね。ここからでも花火みえるんだ」
川沿いの広い場所に、レジャーシートを敷いている人達が、沢山いる。おそらくそのあたりがよく見えるスポットなのだろう。
葉花は木陰のベンチに座ると、自販機で買った冷たいお茶で喉を潤した。
「さすがにこの暑さじゃ、花火が始まるまで飲み物を我慢するのは無理だなあ」
ごくごくと喉を鳴らせてお茶を飲むと、ふーっと息をついて、ベンチの横をポンポンと叩く。
「四葉、こっちにきなよ」
地面に伏せていた四葉に合図すると、ふわりと四葉は葉花の横にきて、いつもの様に顎を膝に乗せて来る。葉花はそっと四葉の頭に手をのせると、軽くリムを流す。四葉は片目をちらりと開けて葉花を見るが、何も言わなかった。
今日契約を終わらせた後、健太郎の所に行くつもりの四葉は、これ以上リムはいらないだろう。葉花にもそれは分かっているのだが、こうして膝に頭を乗せられると、どうしても流したくなってしまうのだ。それに、契約が終わってから、すぐ消えてしまっては寂しいという、葉花のわがままも含まれている。
朝より少し風が強くなってきていて、汗をかいた葉花の肌を、すっと吹き抜けて冷ましていく。
葉花は四葉の頭に手をのせたまま、ぼうっと隅田川を眺めていた。
「そろそろ行こうか」
「ああ」
葉花は、途中ビールと食べ物を買い込むと、健太郎の住んでいたマンションへと戻ってきた。高級マンションだけあって、完全オートロックで入口には管理人もいる。
「あんまり考えていなかったけど、どうやって入ろうか……。というか入れないね」
「マンションの裏手から、私がヨーカを乗せて屋上まで行こう」
「ありがと。でも、まだ以外に明るいね……。もうあと十五分で始まるのに」
「そうだな。もう少し暗くなってからにしよう」
暗くなるまで、ふらうらと歩いていると、ドオン!という音が聞こえた。
葉花は空を見上げるが、建物に囲まれていて見えない。
「四葉、まだ真っ暗じゃないけど、なんとかいけないかな?」
「行ってみるか」
健太郎のマンションの裏手はビルの建設中なので、誰かに見られる心配はあまりなさそうだ。
きょろきょろと見渡しても人の気配はない。遠くから、ドオン、ドオンと雷鳴に似た花火の上がる重低音が聞こえてきて、葉花は早く花火を見たい衝動が込みあがってくる。
「浴衣白地だから目立つね……」
「大丈夫だ、高速で飛ぶ。しっかり掴まっていろよ」
葉花は四葉の背に横座りになると、ビールの入った袋を落とさないように抱きかかえて、ぎゅうっと金色の首に手を回した。
「行くぞ!」
四葉の声と共に、身体に一気に圧がかかるような感覚になる。風を切り裂くような風圧に、葉花は四葉の首に顔をうずめたまま、振り落とされないように必死にしがみつく。
けれどそれもほんの僅かの時間だった。おそらく十秒くらいのものだろう。
ふわりと、頬に感じる風が柔らかくなったのを感じて、葉花は目を開けた。
「うわああ!」
色とりどりの光の花が、空に咲いていた。次々に、ドオンドオンという重低音に合わせて、花火が打ちあがっていく。場所は会場から離れているため、花火自体は大きくはないが、高層マンションの屋上なので、さえぎるものなくはっきりと見える。
「四葉!見て!」
葉花は、屋上の縁まで走っていくと、打ちあがる花火を見て立ち尽くす。
四葉は後ろから、金魚柄の浴衣を着て花火に見惚れている葉花と、その先に次々と打ちあがっていく光の玉を見て、懐かしそうに目を細める。
「四葉!こっちにきなよ!すごいよ!あっちにはレインボーブリッジも見える!すごい!」
興奮した葉花に呼ばれて四葉はゆっくりと、近づき隣に並ぶ。しばらく黙ったまま二人は花火に見惚れていた。
怒涛の打ち上げが終わり、ほんの少し間が空いた時、葉花は買ってきたビールを思い出して、置きっぱなしのビニール袋から目的のものを取り出す。
プシュッとブルタブを開けて、一気にごくごくと飲み干すと、再び花火が打ちあがり始めた。今度は変わり花火の様で、星形や不思議な弾け方をする光る粒を目で追う。
「今の、なんの形だったのかな?三角?」
「さてな?スイカじゃないのか」
「違うよ、あ、ほら、また上がった!あ、分かった」
「なんの形だ」
「え?分からなかったの?ハート型だよ」
「ハートガタ?」
「ハート!」
「そうか」
「もう、分かってないでしょう」
四葉はとぼけた顔で、花火をみたまま返事をしない。
葉花はくすりと笑い、ビールをごくりと飲む。
いつの間にか真っ暗になった空に、次々とあでやかな光の華が舞う。ドオンドオンと低く響く音が心地よい。
花火はいよいよクライマックスを迎え、怒涛の打ち上げが始まる。そらは、光の華で埋め尽くされた。そして、ひときわ大きな音と共に、大きな金色の花火が打ちあがり暗闇に大輪の花を咲かせる。そしてそれは枝垂れ桜のような線を描きながら、いつまでも下にきらきらと落ちていった。
「きれい……」
「私もあれが一番好きだな」
大輪の枝垂れ花火が、続けて何発も上がると、そのあとは、一斉に色鮮やかな花火が一面空を光に染める。息をつく暇もないほど、空に上がった光の粒は、最後の乾いた重低音の余韻を残して、すっと消えた。
打ち上げが終わった後の暗闇から、目が離せず、葉花は夜風を受けながら、じっと見つめていた。
時刻はもう終了の時間だ。目を逸らした隙に、もしかしたらもう一発上がるかもしれないと、変な期待をしてじっと待つが、花火が再び上がることはなかった。
真っ黒の水面にかかる、色鮮やかなレインボーブリッジだけが、まるで花火の色を吸いとったかのようにきらきらと、暗闇に浮かんでいた。




