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5.

 昨晩、風間の妹――風間菜々美が高熱を出して寝込んでしまったらしい。

 通院帰りに身体を休めずに歩き回ったせいか、風邪が悪化したようだ。

 それに対して責任を感じているのか、風間祐二は朝から意気消沈としており、どこか上の空だった。


「――風間!」

「……あ?」


 放課後。二年A組、教室。

 最後の授業も終わり、周囲が身支度を始める中、桐人は何度も風間に呼びかけた。


 五回だ。風間が反応を示すまで、桐人は五回も呼びかけた。

 これは、ボーっとしているどころの話ではない。風間の意識は、随分と遠のいているように思える。

 心配になった桐人は、やっと現実へと戻ってきた風間に問いかけた。


「お前、大丈夫か?」

「ああ……わるい。なんか、昨日あんま眠れなくてさ」

「そういえば妹さんにずっと付きっきりだったとか言ってたよな」

「ああ、うん……途中で母さんに代わってもらったけどな」


 だけど、碌な睡眠時間を取れなかったらしい。


 改めて風間の顔色を確かめてみるが、やはり白い。

 昼間まではいつもと変わらない様子だったが、それは唯の空元気だったのか、今の風間は憔悴しきっているように見えた。


「今日、部活は?」

「休む。図書委員の方も代わってもらった」

「そうか……」


 机の教科書を鞄に仕舞いながら会話を続ける風間に、恐る恐る問う。


「妹さん。そんなに具合悪いのか?」

「いや、うん……まあ、熱はな。今朝がた大分引いたんだけど、またぶり返しそうでさ」


 「本人は平気だっつーんだけどやっぱ心配で」と苦笑する風間。それに桐人は「そうか」と頷きながらも気遣わしげに眉尻を下げていた。

 そんな桐人の様子に、風間は相変わらずボーっとした顔のまま、言葉を重ねた。


「……なんかさー」

「ん?」

「昨日、帰って久しぶりに料理とか家の家事してみたんだけどさ……」

「ああ」

「あいつ、すげーなって……」

「……」


 ――風間の家は両親が共働きしていることもあり、家事をするのは必然的に風間か、妹の菜々美になっていた。だが、風間は部活や図書当番を理由に、殆ど菜々美に仕事を任せていたのだ。


「女子力もアップ出来るからって、朝も夜も飯作って、弁当も用意してくれてさ……洗濯物とか掃除、自分のこともあるのに本当によく毎日できたよなって」


 感慨深げにぽつりと、まるで独り言のように呟く風間に桐人は目を細めた。改めて思い返してみれば確かにそうだと、桐人も感心した。


 毎日見る風間の弁当は、赤、黄色、緑、茶色、黒の基本の五色をいつも揃えており、栄養バランスもよく、見た目も美味しそうだった。運動をしている風間の健康を考慮して毎日のようにおかずのメニューを考えていたのだろう。まさに主婦の鏡だ。

 これを中学の頃からやっているのだから驚きである。彼女の夫になる男は間違いなく、幸せ者だろう。


「……いい妹さんだな」

「うん……だから、今度は俺が頑張んねーと」


 「つっても、やることは看病と短い間の家事だけだけどな」。そう言って通学鞄を片手に立ちあがる風間。

 その後ろ姿を数秒見つめた後、桐人は茶化すように風間の膝をカクンと軽く蹴った。突然の衝撃に慌てながら風間が振り返る。


「え、なに?」

「何かできることがあったら言えよ」


 両ポケットに手を突っ込みながら言葉にする桐人。それに風間は僅かに目を丸くすると、次いで自然と口元を綻ばせた。


「おお、そうする。ありがとな」

「爆弾握り二つな」

「多い。一つ」



♢  ♢


「――今日の晩飯なんだろう」


 帰り道。

 珍しく、何事もなく終わりそうな一日にどこか浮足立ちながら、桐人は足を進めていた。

 今日は久々にのんびりできそうだと肩が軽くなったような気がして、足取りも何時にも増してしっかりとしている。


 が、其処は『妖怪ホイホイ』。何事もなく一日を終わらせるなど、そうは問屋が卸さない。


「片瀬殿ぉ!!」

「うわぁっ!?」


 がさり。たった今通り過ぎようとした茂みから傘が突き出てきた。

 ダンジョンの罠の如く、仕掛けられた槍のように此方へと突撃してきたソレを咄嗟に躱す桐人。


「今度はなんだ!?」


 突撃を躱された傘が宙返りをし、そのまま鮮やかに地面に着地する。次いでスッと背筋を伸ばしたかと思えば照れたように身体をくねらせた。


「いやぁ、すいません。偶然見かけたもんで、つい」

「ついじゃねぇよ……」


 見知った顔に、桐人は疲れたように脱力した。

 ……しかし今回は、頼みごとが無いようで安心した。

 本当に今日はゆっくりと休めそうだ、と安堵しながら桐人は鞄を肩に掛けなおした。


「しかしいけませんぞ、片瀬殿。あまり遅くまで遊び歩いていたら、いつ蟲に襲われるか……」


 ちっちっち、と音を舌で鳴らしながら、からかさに注意された。

 危機感迫るような面差しでゆっくりと距離を縮めようとするからかさ小僧に呆れながらも、桐人は顔を足蹴にすることであしらう。


「ねーよ。今、何時だと思ってんだ? 日も落ちてねーし、俺もこれから帰るつもりだっての」

「ぬぬ……」


 最もな返しを受け、たじろぐ唐傘。どこか不満そうではあるが、それで納得したようだ。

 そして少し引き下がると、ふとある事に気づき、桐人に問いかけた。


「そういえば片瀬殿。沢良宜殿はどうされました?」

「えっ」


 今更な質問に戸惑う桐人。

 常に共に登下校を繰り返していたはずの幼馴染の居ないことに、唐傘は器用にも首を傾げた。


「いや、あの……それは」

「……もしや、未だに喧嘩したままで!?」


 明らかに焦っている桐人を見て、唐傘が仰天する。

 大袈裟にも上げられた悲鳴染みた声に、桐人は気まずそうに視線を逸らした。


「……大人げないですねー」

「いや、まて。何故そうなる」


 やれやれと、まるで聞き分けのない子供を前にした大人のように、身体を左右に振る唐傘。

 まるで全て自分が悪いと、責められているような気がして、桐人は思わず突っ込んだ。

 しかし唐傘は「そうではない」と言う。


「口は聞かれているのですか?」

「……いや、避けられて」

「それはいけませんなぁ。いや、いけませんよ片瀬殿」


 深い溜息を吐かれた桐人は「わかっているよ」と零した。唐傘の言いたいことは理解している。だが、事態は奴が思っているほど単純ではないのだ。


(あの本で余計に拗らせちまったから……)


 うなじを指で掻きながら、図書館での出来事を思い出す。


(駄目だ……打開策が思い浮かばん)


 どうやっても花耶とは接触できない。会いに行く前に逃げられてしまうのだ。色々な策を使って回り込んでもグーパンで事を終わらされてしまう。

 もうほとぼりが冷めるまで待つしかないだろう。


 今、仲直りせずとも問題はない。時間に身を任せてゆっくりと関係を修復するのが吉だ。

 そのうち花耶の怒りも収まるだろうと、彼女の性格をよく把握している桐人は楽観的に考えた。


「いいだろ、別に。そのうち花耶も許して……」「いけませんぞ、片瀬殿!」


 難息を吐きながら己の考えを主張すると、何故か唐傘がいきり立つ。


「事を先延ばしにするなど言語道断! 喧嘩したのならば今すぐに行くべきです!」

「……いや、行くって」


 「どこに?」と続けたかった桐人だが、その前に唐傘の形相に圧倒されてしまい、口を捲し立てられる。


「もちろん沢良宜殿に会いにです!」

「いや、だから……」「よいですか片瀬殿?」


 再び距離を詰められ、「近い近い」と訴えながら傘の顔を遠ざけようと腕を伸ばす。

 だが抵抗なんてなんのその、一体どこからそんな力が出るのか、唐傘は更に距離を縮めようと顔を押しかけてきた。

 ぐぐぐ、と腕の筋肉を軋ませながら押し問答を繰り返す。


「女性とは面倒な生き物です」

「いや、何の話だよ」

「下手すればちっちゃな恨みごとも生涯ずっと根に持ち続けるほどねちっこい」

「経験があるのか」

「おまけに汚い仕返しをすることだって……」

「何があった」


 だらだらと冷汗を垂らす唐傘に桐人は眉を顰めた。だが、落とされた次の言葉に目を丸くする。


「貴方はどんな事も受け入れる器の広いお方だ」

「……は?」


 いきなり人生最大の褒め言葉を貰ってしまい、思考が停止した。

 なんだ。いきなりどうしたのだこの傘は。

 予想外のそれに不意を突かれ、言葉を失った桐人は呆然とした。


「ゴミ拾いも、子妖怪たちのお守りも、どんな雑用も引き受けてくださる片瀬殿の器は本当にあつか……ゲフン。広いです」

「おい、いま扱いやすいって言いかけたよな?」

「それは片瀬殿の唯一の美点ではありますが、汚点でもあります」

「おい」

「貴方は流されやすい」


 今度は図星を突かれた。唐突に核心を攻めてくる唐傘に桐人は当惑せず、冷静に構えた。いや、実際には痛い所を突かれて内心では居心地悪く感じているのだが、表面では平静を装う。


「時間が関係を修復してくれることもありましょう。ですが片瀬殿、ここは一つ。仲直りできるまで踏ん張ってみては如何でしょう?」

「からかさ……」

「行きましょう。今すぐに」


 真剣な面差しでこちらを見る唐傘。感嘆の息を吐く桐人。

 珍しくも大人の助言めいたことをする唐傘に感動的な雰囲気が漂いそうになる。だが、桐人は勘付いていた。


「花耶は『北府中』に居るんだな」

「え……」


 ぎくりと骨を鳴らす唐傘に白い目を送る。そして「やはりそうか」と諦念の息を吐いた。


「そういえば、からかさ。お前、例の『愛しの玉子さん』にも最近会ってないんだって? たぬまさんから聞いたよ」

「いや、あの……」

「まあ、往復二時間はきついもんなぁ」


 一つ、また一つと、唐傘の思惑を暴くような言葉を口にしてゆくと、奴の身体が見る見る萎んでゆく。


「で、『玉子さん』怒らしちゃったのか?」

「いえ、その……まあ」


 てへ、と舌を見せながら誤魔化し笑いをする唐傘に怒り通り越して呆れを覚える。本当にしかたのない奴だと肩を落としながら、桐人は恨めし気に傘を見やった。


「蟲が出るから、遅くまで出歩いちゃいけないっつったのは誰だっけな?」

「うふ……うふふ」


 遅くまで遊び歩いてはいけないと言った口で、よく自分をあのような遠い所までけしかけようとしたものだ。大分距離のあるあの場所へ行けば、帰りは間違いなく遅くなる。


(急げば……七時には戻れるかな)


 先の計画を立てて、桐人は財布の中身を確かめた。


「……時間があったら、その『玉子さん』とやらの可愛い子ちゃんも、見てくか」

「いえいえ! 玉子さんの所へは私めで一人で行きますので、片瀬殿は片瀬殿で頑張ってくださいまし!」

「あ、そ」


 張りきったように声を上げる唐傘に頷く。どうやら一緒に北府中までは行ってほしいが、愛しの『玉子さん』とは、自分一人で対峙したいらしい。

 「お互いに頑張ろう」と意気込む唐傘のその心意気だけは買ってやろうと、桐人は思案した。


(帰りに団子でも買ってやるかな……)


 意図がどうこうであれ、傘の言ったことは強ち間違っていないし、実際にこうはふざけているが自分を思って言ってくれたのだろうと、笑う。


「北府中か……」


 それにしても随分な所まで行ったな、桐人は思考した。

 本当はわざわざ花耶を追いかけるよりも家で待ちぶせした方が良いのだが、彼女が居るという場所が場所なので桐人は追いかけることにした。


 傍には春一か阿魂がついているだろうし、危険はないのだろうがやはり気になる。北府中は若者が遊びに行くような場所ではない。もし花耶があそこへ向かったのだとすれば、考えられる理由はただ一つ。


府中刑務所ふちゅうけいむしょ……」


 日本最大の刑務所――朽木文子の復讐相手だった教師が収容されている務所だ。


「からかさ。なんで花耶がそこに居るって知ってるんだ?」

「さきほどお会いしたのですよ。丁度彼方へ向かうところだったようで、土御門が車を用意されておりました」

「そうか」


 花耶が刑務所へ向かった理由は恐らくあの教師と面会するためだろう。

 何故そのような行動へと出たのか――正直、桐人にもわからないが、目的が彼であることは間違いないだろう。


(いや、別の事件に首つっこんでる可能性もあるか……)


 車で向かったのだとすれば、恐らく桐人が務所に着く頃には、花耶たちの用事も済んでいるはずだ。


 だがすれ違いになる可能性だってあるし、このまま刑務所へと向かえば、再び何らかの事件に巻き込まれるよう可能性もある。

 そうなれば春一の白眼視が自然と必須になり、それを想定した桐人は震えた。

 駄目だ、これ以上奴の「関わるな」忠告を無視すれば本当に消されかねない。それに自分も人の足を引っ張るような真似はしたくない。

 果たして追いかけていいものかと、桐人はこの時になって悩んだ。


 だがそんな少年の様子などお構いなしに、唐傘が彼を駅へと引きずりだす。


「っちょっ、待て、からかさ! やっぱり」


 「やめよう」と言葉を続けようとするが唐傘がそれを聞く様子はない。腕を引っ張られ、体制を崩しそうになりながらも歩道を歩く。途中で携帯が着信音を鳴らすのだが、携帯を取ろうにも両手が唐傘と鞄のせいで塞がっており、あえなく断念させられた。


「ちょっまて、からかさ。ケータイ鳴ってるから、後に……」

「いけませんぞ、片瀬殿! 時には勢いも大事です! さあ、いざ行かん。乙女の愛を取り戻すために!」


 曇天の下。なんとも浮かない天気の中、唐傘が声を張り上げた。




♢  ♢


 東京都府中市、府中刑務所。面会室。


 厚いアクリル板で仕切られた狭い部屋で、冷房が強いのか、花耶は肌寒そうに腕を摩った。背後では刑務官が立ち会って、交わされる会話の内容を記録している。


 本来、花耶のように囚人の肉親でもない、ただの一生徒に面会の許可は下りるはずがないのだが、春一の計らいにより彼女は許されていた。


 室内には花耶と刑務官、そして阿魂が興味なさげに壁に寄りかかっている。春一は別の任務で出動することになってしまい、居ない。代わりに彼が要請した、白い被った式神が花耶の傍に控えていた。


「先生……」


 アクリル越しに相対する男は沈黙したままだ。此処へ入って既に五分は経つが、言葉は未だ交わされていない。あるとれば、男の一方的な嫌味か直接的な悪態だ。


 それに花耶は悲しそうに瞳を揺らすが、目を逸らすことは決してしなかった。

 僅かな沈黙の後、男がとうとう真面な口を聞く。


「その先生ってさ……」

「はい?」


 やっと聞けそうな悪態以外の言葉。それに花耶は僅かに瞳を輝かせ、期待したように元教師の言葉を待つ。

 だが、吐き捨てられたのは辛辣なものだった。


「嫌味? 皮肉?」

「え?」


 混乱したように声を我知らず漏らす。それに対して男から嘲りのような笑いを向けられ、たじろいだ。


「俺、もう先生じゃないし……先生にも戻れないんだけど」

「……っ」


 指摘されて初めて己の失態に気づいた花耶。

 掌に汗が滲み、思わず膝元のスカートを握りしめる。己の浅はかさを悔やみ、顔を顰めた。それを目にした男は不遜な態度で腕を組み、挑発するように顔面をアクリルに近づけた。


「ほぅら、その顔」

「顔……?」

「自分は傷ついてます。貴方に同情してますって顔だよ!」


 ガタリと椅子から立ちあがり花耶を指さしながら声を荒げる。驚く少女を前に男は尚も嘲りながら、どこか狂ったように笑った。


「善良な顔してさ、結構きついことするよな。おまえ」

「あ、あの……」


 男に反論するかのよう口を開こうとするが、結局は何も言えず唇を堅く閉ざしてしまった。


「そもそもさ、何しに来たわけ? 俺を笑いに来たわけ? それとも、何? まあた、あのとち狂った説教聞かせに来たの? 馬鹿なの? 死ぬの? それとも、俺をこっから出してくれんの?」


 男の双眸に宿るのは怒り、憎しみ、妬み。どす黒い感情がその顔を醜怪に見せ、花耶はごくりと唾を飲み込んだ。



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