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一日中降り続く雨のせいで地面がぬかるんでおり、足場は最悪だった。
小学生の頃によく遊んだ秘密基地は、水源地から少し離れた山にあった。山といっても民家はその辺中にある。けどその中でも、子供ながらに人気が無さそうな場所を選んだつもりだった。自分で提案しておきながら、どうして彼女がこんな天候の日にこの場所を了承したのか理解に苦しんだ。
同じクラスの同じ帰宅部だが、秘密基地へは彼女の方が先に到着していた。学校が終わってそのままやってきたんだろう。私は、準備に少し手間取ってしまった。
「ごめん、待った?」
「ううん。大丈夫」
彼女は、阿佐島さとりは、下手くそな笑みを浮かべながら髪の毛を耳にかけた。
栗毛色のふわふわとしたパーマヘアが、湿気のせいで広がっている。私はというとひっつめ髪で、首筋にかかる髪がどうなっているかは知りたくもない。
「有希――橘が死んでからずっと学校休んでたから、心配したよ」思ってもいない事を言う。
「本当に?」
まるで何でもないように笑って切り返すさとりが、何だか得体の知れない生き物のような気がしてした。
「ほ、本当だよ」
「だって、一回も家に来てくれなかったじゃない? 連絡もしてくれなかった」
本当に朗らかに話すのだ。言葉の意味を汲みとって尚、責められている気が一つもしない。
「それは、私も有――橘が死んで、気が動転してたから」
「ねぇ、有希でいいじゃん。何で橘って呼ぶの?」
「それは……」
「私に遠慮してるの?」
「遠慮は、するよ」
「いいじゃん。もう死んだんだから」
それから彼女は、先ほどの柔らかさが嘘のように、恐ろしく鋭く言った。
「有希は死んだから、もう私の彼氏じゃないんだよ」
傘からはみ出した身体が雨に打たれる。でもそのせいではなく、身体の芯から冷え上がるような思いだった。
「そんな言い方しちゃだめだよ、さとり」
「なんで本心で話してくれないの? そんなだから、私……」
さとりは堰を切ったように声を張り上げて、傘を地面に放り投げた。小学校の頃に使っていたキャラクター物の傘とは違う、ずっと大人びたブランド物の綺麗な傘。
慣れ親しんだ秘密基地に居るけれどど、あの時とはもう何もかもが違ってしまっていた。
私達三人は、幼馴染だ。
一学年上で異性の有希と、同い年で同性だがまるで私とタイプの違うさとり。三人が高校生になっても一緒に居た理由は、特筆するまでもない。ここが閉鎖的な田舎だからだろう。
小学生の頃、身体が弱い有希をあちこち連れ回しては大人に怒られた。高校生になってからは留年した有希とクラスメイトになった。病気で学校を休みがちな有希が二度目の留年をしない為に、私とさとりは二人で勉強の穴埋めを頑張った。
私とさとりは同じくらいの時間を有希と一緒に過ごした。私もさとりも有希を好きになった。だけど有希が好きになったのは、さとりだった。
橘有希が亡くなったのはただの病気の悪化で、不審な点等何一つなく、彼は最後まで病気と戦った。
どこにでもあるような三角関係の、どこにでもあるようなお涙頂戴劇の、どこにでもあるような結末だ。
そして私のドス黒い本心は鞄の中に入っている。傘はいつの間にか私の手から離れており、私は鞄を抱きかかえていた。
「私も、有希が好きだった」
散らかった鞄の中を探る。
「でも有希には勿論、さとりにも言えなかった」
緊張しているのか手のひらの感覚が曖昧だ。
「だって、有希がさとりの事を好きなの分かってた」
教科書を家に置いてこなかった事を後悔する。
「有希が死んで、すごく悲しいよ」
園芸用のスコップの先が手の甲にあたった痛みで感覚が戻ってくる。
「でも、ちょっとだけホッとした」
筆箱はビニール製だったのでぬかるんだ地面に落とす。
「さとりと有希が仲良くしている所、もう見なくていいんだって」
ようやく目当てのものに指先が触れる。
「さとりと一緒に居なくて、いいんだって」
鋭く尖った折り畳み式のナイフを、私はさとりに向けた。