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天女召喚

2017/05/03 誤字脱字の修正をしました。

 少しずつ日が落ちて、外は夕方に差し掛かっている頃のはず。もうすぐ、宴が始まってしまう。それまでに何とかここを抜け出さないと、麗景殿(れいけいでん)の女御にも、弘徽殿(こきでん)の女御にも大恥を掻かす恐ろしい事態になってしまう。桔梗(ききょう)の君は、再度、縛めから抜け出そうと体を動かしてみた。

 

 御簾や襖ではなく壁で囲まれた塗籠(ぬりごめ)の部屋の中では、陽射しも差し込まないため、正確な時刻は分からない。桔梗の君は、ここで口と両手両足を布で縛りつけられて、床に転がされていた。

 助けを呼ぼうにも、うごうごとしか声は出ず、身動きもままならない。明かりも無く、隠すようにご丁寧に誰かの上衣まで掛けられているため、両足で床をバタバタ叩こうとしても大きな音もしない。


 大勢ではなくとも女房達に傅かれて育ち、誰もいない暗い部屋に放置されたことなど無い。桔梗の君は、不安と恐ろしさに涙がにじんできた。


 殿上童(てんじょうわらわ)姿の桔梗の君となり、梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)から出て弘徽殿(こきでん)へ向かう途中だった。目立たぬようにと人目を避け、梨壺北舎の北側渡殿わたどのから主のいない淑景舎(しげいしゃ)(桐壺(きりつぼ))の御殿へ、更にやはり主のいない宣耀殿(せんようでん)前を通る道筋で遠回りしようとしたのが裏目に出たのだ。

 桔梗の君は背後から数人の者に捕まり、叫び声を上げる前に誰かの手で口を塞がれた。帯のような物で胴と両手をグルグル巻きに捕縛されて、布を噛まされ、主のいない御殿へと攫われてしまった。


「たかが、文遣いの童のくせに、おまえは生意気なんだよ! 受け狙いに琵琶(びわ)なんか弾いて!」

「新参者のくせに、紅葉もみじの少将様や桂木(かつらぎ)の少将様に取り入ろうなんて! 僕らだって中々お近づきにはなれないんだぞ! 身分を弁えろよ!」

「宴を無断欠席して、怖い弘徽殿(こきでん)の女御様や女五の宮様に怒られればいいんだ! おまえは後宮から追放されろ!」


 閉め切って暗く埃っぽい塗籠(ぬりごめ)の部屋の中へと、乱暴に突き飛ばされて床に転がされる。ドカッとした音と衝撃と共に、桔梗の君の左肩と右足首に痛みが走った。

 

「!!」

「宴の後で、あるお方がお前を迎えに来て下さるってさ。良かったな! それまでここで転がってろ!」


 声からすると、桔梗の君を攫ってきたのは成人前の少年達、立ち居振る舞いからするとおそらく文遣いなどをしている者達と思われた。しかも「あるお方」とか、まだ誰かが関わっているらしい。


 バサリ! と桔梗の君に上衣を掛けて、少年達は立ち去っていった。

 桔梗の宮は、縛めから抜け出そうと体を動かしてみたが、細い帯布はきつく食い込むばかりだった。


 助けて! 紅葉の少将様、助けて! 少将様!

 とうとう涙を零しつつ、桔梗の君は優しく強い憧れの君に、心で助けを求めた。



弘徽殿(こきでん)の女御様にもの凄く怒られた……」


 承香殿(じょうきょうでん)で琵琶を奏してから数日後、またまた庭で愛しい紅葉の少将に桔梗の君が他の少年達と共に木刀振りの指南を受けていたら、ひどく暗く落ち込んだ様子で、山吹(やまぶき)の君が現れ呟いた。その様子を心配するかのように、桂木(かつらぎ)の少将が付き添っている。いつものニコニコ零れる山吹の如き笑顔が消え、まるで黒雲に覆われているかのようだった。これでは、桂木の少将が付き添っていることに誰もが頷ける。


 山吹の君はその場にいた、桔梗の君を除く少年達を人払いした。

 その際、桔梗の君だけを残すことに少年達は大いに不満そうだった。ひいきしていると思ったようだ。楽しんでいた稽古を中断させられ、小さくぶちぶち愚痴を言いながら立ち去る様子に、桂木の少将は可哀想なことをしたなと思い、後で詫びに菓子などをあげようと心した。


 そんな少年達を気にも掛ける余裕もないほど、暗雲立ち込めたかのような悲壮な雰囲気で山吹の君は俯き、ぽつぽつ語りだした。


 先日、桔梗の君が紅葉の少将の気を引きたくて演奏した琵琶に山吹の君が合奏した話が、あっという間に後宮に広まったらしい。

 さらに承香殿(じょうきょうでん)の女房達が、宮中の美形貴公子を集められたのは、承香殿(じょうきょうでん)の女御様、すなわち左大臣家の御威光の賜物よ! と自慢気に言いふらした。

 それを聞いた帝の寵愛の競い手である弘徽殿(こきでん)の女御(山吹の君の姉)が激怒した。仮にも右大臣家の長男が左大臣家のために演奏するとは何事か! と弟の山吹の君を呼び出し、激しく雷を落としたのだ。


「姉上は、右大臣家の内々で! と言いながら、弘徽殿(こきでん)で派手に演奏の宴を催し、承香殿(じょうきょうでん)の女御様の鼻を明かすって息巻いているんだ……。桔梗の君、弘徽殿(こきでん)の女御様のために琵琶を弾いてくれ! 私が横笛を奏するから! 姉上は怖くて、負けず嫌いなんだ!」

承香殿(じょうきょうでん)の女御様の女房が迷惑を掛けたな、すまない」


 女同士の争いの勢いに恐ろしさを感じたのか、慰めるように紅葉の少将が山吹の君の肩をポンポンと叩く。


 頼まれたのはいいが、桔梗の君はしばし思案する。下手に人目につくと、文遣いの童が女であることや、下手したら女五の宮であることがバレてしまう可能性がある。だが、内々の宴で、身分低い文遣いなら目立たぬよう隅で演奏すれば問題ないかな?と考えた。


「内々の宴であれば、女五の宮様もご許可下さる(自分だし)と思うので、私は目立たなければ大丈夫です」

「しかし、承香殿(じょうきょうでん)でやった同じ演奏で、弘徽殿(こきでん)の女御様はご納得されるのか? 二番煎じに甘んじるお方ではないと、噂に聞くが。もっと何かお考えでは?」


 桂木の少将の鋭い意見に、山吹の君がビクッとなって、更に俯く。まだ何かあるらしい。


「姉上曰く、あちらが美青年を集めたなら、こちらはもっと美男美女をご招待すると……。それで後宮だけでなく、宮中の公達の注目も一気に高めるっておっしゃっているんだ」

「美男美女? 例えば?」


 気まずそうに、山吹の君は視線を反らしつつ、そっと紅葉の少将の陰に隠れる。


麗景殿(れいけいでん)の女御の姉上と、生まれたばかりの姫宮のご機嫌伺いに『偶然』お立ち寄りの東宮様。噂の幸運の姫宮である女五の宮様。それに、それに、……式部卿(しきぶきょう)の宮の百合姫様だって……」


 百合姫と聞いて、両少将の目つきが変わった。紅葉の少将は驚きに目を見開き、桂木の少将は怒りをにじませ目を細める。


「妹への招待など、私は聞いていないぞ! それに、どうやってこの後宮に呼ぶおつもりか!」

「怒らないで下さい、桂木の少将様! 弘徽殿(こきでん)の女御様のご意見です! 友人である麗景殿(れいけいでん)の女御様の一時雇いの私的女房としての形で、帝からご許可をもぎ取ったらしいのです! 姉上はお強いから……」

「もう、参内は決定事項か!」


 桔梗の君はそっと紅葉の少将の様子を伺い見る。憧れの天女が参内すると聞いて、落ち着かない様子でそわそわしている。それを見て、やっぱり、天女の百合姫を想う紅葉の少将のお心は変わらないのか、と桔梗の君も『失恋』の言葉が重くのしかかってきたようで気持ちが沈み込む。


 山吹の君曰く、近々、帝も月見の宴を開き、両少将の舞の演出をお考えである。その前に弘徽殿(こきでん)で無理矢理割り込んでの演奏の宴で両少将に何か演出を依頼をすると帝に失礼になってしまう。そこで、世間でコッソリ評判になっている、誰にも会わずにいた月の天女の姫を召し出すことで、右大臣家の権力と威光を示したいらしい。この噂の姫見たさに、多くの貴族が集まることだろう。


「他家の姫を、私の妹をよくも都合よく利用してくれる……。右大臣家、なんと傲慢な!」

「お父上の式部卿(しきぶきょう)の宮様はそのような姫は知らぬと言われたので、評判の美女ならぜひ養女にと、先日大納言家が動いたのです。その養女を東宮妃にさせないため、父上も姉上も右大臣家側に取り込むおつもりらしいです」

「妹は、いずれ出家する予定だ! どちらにも与しない!」


 追い詰められたように怒る桂木の少将に、桔梗の君は少し怯えた。

 それにしても、知らないところで大きな人の波が動いていることに、桔梗の君は驚いた。自分の恋で引き起こした琵琶演奏が、大事を引き起こしてしまったと、恐ろしくなる。


「……桔梗の君、そんな怯えなくても良い。承香殿(じょうきょうでん)で演奏をさせた私が至らなかったのだ。誰しもこんな大事になるとは思わなかったんだ。大勢の前で演奏するのが気が引けるのなら、私から弘徽殿(こきでん)に謝りを入れよう」


 青ざめた桔梗の君に気付いて、紅葉の少将が慰めるように頭を撫でてくれる。百合姫のことだけでなく、自分の事まで気遣ってくれた優しい少将に、胸がときめいた。恋の息が吹き返したかもしれない。

 

「紅葉の少将様、ありがとうございます! やり始めたのは私です。私の琵琶で何かできるなら、何があろうとやってみます! だから、桂木の少将様! 百合姫様にお力をお貸しいただけないか、伺っていただけませんか?」

「……仕方ない! そなたのような童がやり遂げようというなら、妹にも覚悟をさせよう。政治的にも、逃げるわけにはいかぬようだ」

「百合姫のためなら、私も力をお貸しするぞ!」


 目をキラキラさせて親友の手を握る紅葉の少将に、桂木の少将は冷たい視線を向けた。そしておもむろに懐からお文を取り出し渡す。先日の百合姫に宛てた恋文の返事と気付いた少将は顔を赤らめて、文を読む。

 その場の全員が興味深々に覗き込んだ。

 桔梗の君は少しばかり背が足りないので、思わず桂木の少将の腕に掴まって伸びあがり、覗いた。いわば最強の恋敵からのお文だ。見せてもらえるのなら見てみたいのが恋する乙女の心情だ。

 

『欠けていく 望月(もちづき)共に眺めれば 鈴虫も泣く 秋の夜』


「こ、これは……、桂木の少将! お前の手蹟じゃないか! お兄様の代筆かよ! 本当に姫は私の文を読んだのか!」

「月の天女は消えるので悲しいと……」

「何か、消えそうなほど儚げな感じだね」


 桔梗の君の訳と山吹の君の感想に、紅葉の少将は桂木の少将に儚げな理由を問う。


「妹は、深い悩みがあって、近々出家するつもりなんだ。これまで引き留めてきたのだが……」


 返歌の内容と出家の言葉に、紅葉の少将は肩を落としてがっくりした。


 結局、右大臣家の家族と女御達のための演奏の宴が開かれることが決定した。散々反対していた桂木の少将も右大臣家の権力には逆らいきれず、百合姫が麗景殿(れいけいでん)の女御の箏の指南役として参内することになった。


 外向きには、女御様方の無聊をお慰めする内々の演奏の宴である。高すぎる身分のため欠席の女五の宮の連絡役としての桔梗の君、女御の弟の山吹の君と、箏の指南役の百合姫で演奏を披露することになった。


 演奏の宴の当日は、一番若い姫宮のご機嫌伺いに『偶然』東宮様も立ち寄られる予定と聞いて、弘徽殿(こきでん)の周囲は外廊下の簀子(すのこ)も含め大勢の貴族が集まった。

 もちろん、一番見やすい席を、胸をときめかせる紅葉の少将が陣取っている。


 弘徽殿(こきでん)麗景殿(れいけいでん)に伝手のある女官もこっそり紛れることを黙認されたため、宮中一番の美形と言われる東宮に近付きたいと、弘徽殿(こきでん)内では多くの几帳が立ち並び、ぎゅうぎゅう詰めの女達で大賑わいになった。


 演奏の場は西側内庭に面する外廊下の簀子(すのこ)に、横笛の山吹の君と琵琶の桔梗の君が座し、御簾(みす)を上げた内廊下の孫廂(まごひさし)に几帳を重ねて立てた陰に箏の百合姫が座す予定だった。御殿の一番内側の御簾の外に右大臣、御簾の内側に二人の女御、『偶然来る予定』の東宮が座す。


 見よ、この弘徽殿(こきでん)の、右大臣家の力を! 左大臣家の承香殿(じょうきょうでん)など目ではない! と弘徽殿(こきでん)の女御の自慢気な高笑いが聞こえてきそうな演奏の宴となりそうだった。


 まず、特別参内許可を得た天女の百合姫が、二人の女房の几帳に隠され守られながら、麗景殿(れいけいでん)に入り女御に挨拶した。

 簀子(すのこ)を歩く姿とその美しさを垣間見したいと多くの公達(きんだち)、特に紅葉の少将が待ち構えたが、扇と意外と厚い几帳の布に阻まれ、誰も見ることはできなかった。


 挨拶を受けるや、麗景殿(れいけいでん)の女御は一番の側近の小雪も含めて人払いし、扇でもっと百合姫に御簾内に、さらにもっと近寄るよう招く。百合姫は御簾を上げて一番奥へと入り、几帳越しに伏して礼をとる。


「まあ、一体何がございましたの? 私の入内前の百合姫様と、今の百合姫様は別人のよう。昔の姫様なら、このような殿方や見知らぬ女房のいる場所になど、震えて動けずにいたでしょうに」


 面を上げた百合姫の白く輝く月光のような凛とした強さと美しさに、麗景殿(れいけいでん)の女御は扇の陰で驚きのため息を零した。


「もっと強くあらねばと、己を鍛えましたの。私の美しい盛りはもう終わります。天女は今回限りで月に帰って、戻らぬつもりです。舞姫になる夢は叶いませんでしたが、この度を私の最後の晴れ舞台とするつもりです」

「寂しいことをおっしゃらないで。私のたった一人のお友達で、私の知る中で一番美しい天女ですのに。いえ、今は女五の宮様もおられますわね。お引止めしてはいけないからこそ、天は私に新たな友人を下さったのかもしれません」

「でも、いつまでも友ですわ。もうお会いすることも、文を交わすことも叶わなくても」


 悲しむ女御を慰めるように、百合姫は扇越しに美しく微笑む。


「ありがとうございます。でもいつかまた天女にお会いしたい、女五の宮様にもご紹介したいわ。あの姫宮様もきっと大いにあなたを誉めそやすことでしょう」


 麗景殿(れいけいでん)の女御は、月に帰ってしまう(二度と会えない)という友人に、上衣の(うちき)の贈り物を申し出た。百合姫が参内すると聞いて、ようやく会える友人のために心を込めて一番美しい衣装を用意したのだ。

 箱に入ったその美しい女衣を百合姫はありがたく受ける。


 おそらく身に纏うことは無いと互いに分かってはいたが、それでも女衣を持っていてほしかったし、持っていたかった。互いの気持ちが伝わり、微笑み合う。


 そこへ、御簾の外から麗景殿(れいけいでん)の女御の側近女房の小雪が声を掛けた。


「女御様、百合姫様、なにやら支度が遅れているらしく、演奏の始まりが遅れるそうです」

「支度とは? 百合姫は、もう私と一緒に弘徽殿(こきでん)に参りますよ。山吹の君も先程挨拶に来ましたし」

「もう一人、琵琶を弾く文遣いの童の姿が見当たらないと。家人が探してはいるのですが。同じ年頃の少年達に聞いても、演奏の宴に酷く怯えていたとしか。またその者達にももっと良く探すように言いつけているそうです」

「まあ、童には重荷だったのかしら? もしもの場合、山吹の君の横笛と百合姫の箏だけで、演奏してもらうかもしれないわね」


 スザッ! と急に百合姫が立ち上がった。正式な女房装束の唐衣裳(からぎぬも)姿で重さもあるのに、その背筋のスッキリ伸びた凛とした姿に女御も小雪も驚く。


「……兄からは、恐れて逃げ出すような童ではないと聞かされております。それ故、私もこの演奏の宴ために勇気をもって参内できたのです。ですから、もっと良くお探しいただけませんか? 見つかるまで、私、控室に下がって待っております」

「ええ、もちろん……」


 突然、下がるなどと言い出した百合姫に女御は驚いた。久しぶりにやっと顔を合わせられたのだから、もっと女同士の話をしたかった。がっかりだった。しかし、百合姫も緊張しているのかもしれないと思い、小雪に控えの間に案内すよう言いつける。


 案内された控えの間から小雪が消え、百合姫は邸から連れてきた自分の女房と三人だけになる。


「私は、少々用事ができました。私が戻るまで、この場は乳姉妹のそなたたちに任せます。不在をごまかしなさい」


 そう言いおくと、百合姫はそっと御簾を上げて麗景殿(れいけいでん)を抜け出した。

返歌についてはお許し下さい。へぼです(泣)。

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