残念な恋文
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
麗景殿の側でせっかく紅葉の少将に剣術を教えてもらうことで親しく近づいたのに、こうして桂木の少将が邪魔をする。
手にしていた木刀を取り上げられ、痛みは無いほどではあるが、桔梗の君は手首を強く掴まれてしまった。威嚇するように見下ろす桂木の少将の眼差しは、女の身で剣術など非常識な! と無言で非難している。
親友の桂木の少将のいつにない不機嫌な様子に、紅葉の少将は驚いた。普段は、文遣いの童にこのような強引な態度を取ることなど無く、それどころか童に少々至らない点があっても笑って許すくらい優しいからだ。それが強引に手首まで掴んで、どこかへ連れ去ろうとするかの勢いだ。
「まあまあ、桂木の少将、そのような言い方はないだろう。幼い童の頑張りは、褒めてやれよ」
「ありがとうございます、紅葉の少将様。私、頑張りたいです!」
「うん、実は帝から密かに命を受けている。新東宮がお立ちになり、後宮に麗景殿の女御様も入られた。住人の入れ替わりの際は、問題が起きやすいので、より警護を強めてほしいと」
「まさか、麗景殿の姉上が何者かに狙われているとおっしゃるのですか!」
山吹の君が顔色を変えた。木刀を握る手に力が入ったのを誰もが見て取れるほど動揺している。
「いや、一般的な話だ。それもあって、山吹の君と共に私はわざとらしく庭で素振りしているんだ。左右大臣の息子がいつも後宮を見張っているぞ! と曲者に分からせるためにな」
「東宮様も同じことを心配されて、我々に警護を強化せよ、と言っておられた。だが、普通に、巡回する回数や人数を増やすなりすればいいと思うが……」
桂木の少将が半ば呆れたように呟いた。
「いやいや、それでは私の力を見せつけることにはならない。それに麗景殿の女御様が、ご友人に私の雄姿についてお文に書いてくれるかもしれない。少しでも私の事を知ってほしい」
「姉上様の友人? ああ、百合姫様ですか?」
「そうだ! 山吹の君はあの姫を知っているのか? 姉上の友人関係にそなたは詳しいのか? 私は妹のことなどサッパリ知らないが」
ガシッと紅葉の少将が山吹の君の両肩を掴む。天女の百合姫の情報を得られるかもしれないとの期待に、瞳がいつになくキラキラ輝いている。
「我が右大臣邸に何度かお出でになっていますが、姫君に私が会えるはずもなく。それこそ桂木の少将様の妹君だということしか私も知りません」
「あ、あの、私が聞いたところによると……」
いい機会なので、紅葉の少将を喜ばそうと年寄り女房から聞いた事を桔梗の君は話そうと思ったが、桂木の少将に再びギュッと手首を掴まれ、例の目で睨み下ろされる。
「そ、その、やはり桂木の少将様にお願いするしかないとか、皆が言っておりました」
「やはりそうか……」
がっくりと肩を落としている紅葉の少将を見て、桔梗の君は何とかしようと桂木の少将の袖を握る。
「お願いです、桂木の少将様! この際、一度紅葉の少将様のお文を百合姫様にお渡しいただけませんか? 隠してばかりいるから、紅葉の少将様も色々な伝手にお頼りになられるんです。お文をご覧いただいて、それでも百合姫様の気が進まないと言うのであれば、紅葉の少将様もお気持ちに区切りがつくと思うんです」
大好きな紅葉の少将に喜んでほしいためとはいえ、何故恋敵との恋のためにこの怖い公達を説得しているんだろう? と自分でも不思議に思いながら桔梗の君は桂木の少将に上目遣いで訴えた。
不意に涙が浮かび、目がうるうるしてきてしまうのを必死に抑え込む。
睨み下ろしていた桂木の少将の眼差しから険しさが消え、困惑を浮かべる。更に桔梗の君が見つめ続けると、気のせいか桂木の少将の頬が紅く染まってきた。
「わ、分かったから、その手を離せ。そうだな、桔梗の君が言うように、文を届けた上で振られるのなら、紅葉の少将も諦めるか。……届けてやるから、すぐに書け」
「おお、ようやくか、親友よ! 感謝するぞ、桔梗の君! よし、皆で承香殿の姉上の所へ行こう。すぐ、文を書くからな!」
元気を取り戻したどころか、意気が上がった紅葉の少将様に引きずられるように、何となくの勢いで、桔梗の君も承香殿へ連れて行かれた。
承香殿では、突然の来客でも驚くことなく四人を簀子で出迎えた。さすが、名門左大臣家に仕える女房達である。紅葉の少将の不意打ちの訪問には慣れているのだろうと思われる。それだけに、姉弟の仲は良好であるようだった。
天下の二大貴公子の承香殿の女御の弟君と桂木の少将、および後宮で人気急上昇中の山吹の君、更には謎の美少年の訪問に御殿が湧き立つ。めったにない美形が揃って座す図を一目見ようと、奥に下がっていた女房達まで御簾の内側に揃ってひしめき合っているようだった。
両少将はそんな大勢の女房達の桃色視線に慣れているのか平然としているが、山吹の君と男君としては初体験の桔梗の君はとてもではないが落ち着かない。
特に桔梗の君はあまり女房達に顔を見られないように、思わず桂木の少将の直衣の後ろに隠れるように簀子に座す。あくまでも今は単なる文遣いの殿上童なので、桔梗の君は身分の低い者として出過ぎないよう後ろに控えるような位置で気を付けた。
更には、紅葉の少将、こんな人目が多い所で、恋文を書くのもどうかな~? と桔梗の君は思ってしまう。
目立つ三人に注目が思いっきり集まっている。その動作一つ一つに、女房達の『素敵』『可愛い』などのもてはやすようなささやきが漏れ聞こえる。
書く道具や紙を承香殿で用意させ、紅葉の少将が文に書く内容にう~んと頭をひねる。しばらくしてからサラサラと書いて友人達に見せた。
『月を見てはあなたを想い、どんなに剣を振るっても、逢いたい気持ちを断ち切れずにいます』とか何とか書かれていた。
「……」
意見を求められて覗き込んだ三人は、恋文ではなくまるで決闘の日を待ち望んでいるかのような荒々しい内容に、どう感想を述べるか一瞬戸惑った。
記されている字は凛々しさ溢れる達筆である。それが残念なほど、恋する情緒が全く違うものに、素晴らしく変換されている。噂通りの紅く熱い紅葉の少将に相応しい、本当に残念すぎる文だった。
「どうだ?私のお逢いしたいという、熱い想いが伝わるだろうか? 山吹の君はどう思う?」
「私の姉上達、特に弘徽殿の女御様に見せたら、おそらく、ならば断ち切ってやろうぞ! と言って扇で頭をぶたれそうです」
山吹の君の感想に、紅葉の少将は頭を傾げる。
「なぜだ? ……桂木の少将はどう思う? お前が書くほどの雅やかな文ではないと分かっているが」
「妹への恋文について、兄に聞くな! それに何だ、これは? お前は妹に決闘を申し込みたいのか? ならば、いっそのこと私が決闘を受けて立とうか? 思いっきり断ち切ってやるぞ!」
親友は真面目に文を書いていると頭では分かっているが、あまりにも外れた内容に桂木の少将は揶揄われているような気がして少し腹が立ったらしい。
「私は真面目に想いを綴っただけなんだが……。桔梗の君は女五の宮様の文遣いをしているくらいなのだから、何か意見はないか?」
「……強いお気持ちは分かるのですが。申し上げるなら、天女の姫君に『剣』とか『断ち切る』とかは荒々しいと思います。やはり姫君としては、優しいお言葉が欲しいです。……そ、そう、皆に聞かされております!」
少年の姿でいるのを忘れて、思わず女性の気持ちを語ってしまったので、最後の言葉を慌てて桔梗の君は付け加える。
「優しい言葉……例えば? 姫君には、やはり花とかか? そこら辺の花でいいのか?」
「う~ん、そうですね……。例えば、『月を見て想いを歌う虫の音に、負けぬ私の心を聞いて』とか? そこに萩の花などを添えて。ちょっと直接的な言い方ですが、変に雅やか過ぎると紅葉の少将様と思って頂けないかもしれないので」
「なるほど。だが、なぜ萩の花なのだ?」
「中秋の名月の時に飾る花なので、月の天女のあなたを見ていますよ、とか伝われば良いなと」
「いい案だよね。例えそれが分からなくても、萩の花は、可愛らしく綺麗ですし。綺麗な花を送ると姉上達も怒りが解けます」
桔梗の君の思い付きに、山吹の君がニッコリ笑って同意した。
それにしても花を送らねばならない程、何をそんなに姉上達を怒らせたのか、ちょっと聞いてみたいと思った桔梗の君だった。
ならば! と紅葉の少将は桔梗の君の言うままに、百合姫への恋文を書き直し、家人に庭の萩の花を一枝取らせて、文を結んだ。満足気に、良し! と呟きそれを桂木の少将に手渡す。
もしもこのお文の送り先が百合姫でなく自分であったなら、例え誰かに考えさせた内容でも、飛び上がるほど嬉しいのにな、と桔梗の君は思わざるをえない。皮肉なことに、そのお文の内容を考えたのは自分なのだと思うと、馬鹿な自分に少なからず落ち込む。顔には出さないよう、気を付けたが。
兄の目の前で妹を口説く文を書いた紅葉の少将に呆れながら、ため息をついて桂木の少将は受け取った。
「返事は貰ってきてやるが、内容に期待するなよ。妹は結婚する気は全く無いんだ」
「男の友情に懸けて、絶対に百合姫に届けてくれ! それに、桔梗の君には感謝するぞ。これからも文を書くときは手伝ってくれるとありがたい」
「はい! 紅葉の少将様のお役に立てるなら、何なりとお申しつけ下さい!」
取り繕った空元気の桔梗の君を褒めるように紅葉の少将が頭を撫で撫でしていると、御簾内の女房の一人から声が掛かった。承香殿の女御からお言葉があったらしい。
「申し上げます。先程、帝様より気楽な月見の宴を開きたいので、是非とも両少将様方に舞を舞ってほしいとお話がこちらにございました。少将様方のお話が終わったのなら、ご準備なさいませ、と女御様がおっしゃられておられます」
「いきなり舞の要請か……。帝はどういうおつもりか? 気楽な宴とは、女御様方まではご招待されない内々の宴か?」
「私達の舞う姿を見せたい誰かがいるのかな? 紅葉の少将の所には、これまでに何かお話はなかったか?」
桂木の少将の謎めいた質問に、紅葉の少将は心当たりは無いらしく首を振る。
「噂では、帝の女三の宮様の婿を帝が探されているらしい。そなたに白羽の矢が立ったのではないのか?」
「嘘! そんなお話、聞いてません! ご結婚話が上がっているのは女五の宮様だと聞いてます! 三の宮様ではなく、五の宮様のお間違いでは?」
「さあ? 左大臣家に何か言われたかもしれないが、少なくとも私は結婚話は聞いていないぞ」
思わぬ紅葉の少将の結婚話に驚き、桔梗の君は身分を忘れて二人の話に割り込む。
姫宮は姫宮でも、なぜ自分ではなく女三の宮様が紅葉の少将のお相手なのか! それならば自分たる女五の宮の婿にしても良いではないかと思ってしまったのだ。そうすれば、この憧れの君との恋が叶う。
「落ち着きなさい、桔梗の君。主を心配する気持ちは分かるが、まだ本決まりではないらしい。それ故、帝は宴を開かれ、我々両少将や他の候補者も見極めようとされているのかもしれない」
なぜか激しく動揺する桔梗の君を不思議に思いながらも、桂木の少将は少女を宥める。女五の宮様の文遣いでもあるし、少女の複雑な胸の内は計り知れない。
「まあ、とりあえず、左大臣家の恥とならぬよう舞を失敗する訳にはいかない。日が無い、舞の呼吸を合わせる練習をせねば。済まないが、山吹の君、練習のための横笛を頼めるか? そなたの横笛は見事なものだし」
「もちろん、喜んで! あ、でも私の横笛だけでは……。どなたか左大臣家の家人に他の楽器を……」
気持ちよく頼みを受けた山吹の君だが、舞用の演奏は一人では心許ないようだった。ならば! と勇気を出して、桔梗の君は名乗りをあげる。なんとしても紅葉の少将に存在を認めてもらいたい!
「僭越ながら、私にも何かお手伝いさせていただけませんか? 雅楽は一通り嗜んでおります。特に琵琶は得意です!」
「流石は、東宮様や女五の宮様にお仕えせし者。ならば、少し腕前をみせてもらおう!」
「……今? ここで?」
「そうだ! 名乗りを上げるからには、やってみせよ。男は勇気だ!」
紅葉の少将のよく分からない真っすぐな意見に押され、いきなりこの場で琵琶を奏することになってしまった。
忘れられていたと言われる女五の宮は、かつては都から離れた所で寂しく過ごしていたこともあり、年寄り女房達に琵琶や箏などをがっつり習わされていたのだ。
思えば、落ち着きのない姫宮をおとなしくさせておく手段の一つだったに違いない。実は兄宮に習って主に殿方の楽器である横笛までも奏することができる。
いつの間にか準備良く、承香殿の奥から琵琶が御簾越しに差し出された。
ならば! と高まる緊張に耐えながら、桔梗の君は誰もが知る名曲で琵琶を掻き鳴らし出した。自慢の琵琶と言ったからには、憧れの紅葉の少将の前で失敗する訳にはいかない。心を込めて奏する。
少年には不似合いな、優しくも滑らかに琵琶の音が響き渡る。
すると、いつのまにか横笛の音が琵琶の楽に重ねられた。いったいどこに持っていたのか、山吹の君が愛用の横笛で合奏し始めてくれたのだ。目に感心の笑みを浮かべ、余裕で楽の節に乗る。力強くも爽やかな横笛と優しい琵琶の音で、二人の呼吸は合っていた。思わず目と目で微笑みあって拍子に乗る。
突然の心にしみる楽の音に、承香殿は御簾の内外の誰もがうっとりと聞き入った。
とある切りの良い所で楽を終えると、紅葉の少将だけでなく雅やかの代名詞である桂木の少将までもが桔梗の君の琵琶を褒めた。御簾内の女房達も愛くるしい少年達の演奏を誉めそやす。
その場で、桔梗の君が両少将の舞のための練習に加わることが決まった。都でも認められた! と思い、桔梗の君の胸に大きな喜びが湧く。
自分がお手伝いすることで、帝の宴で上手くいけばいい! 愛しい人の成功を祈りたい! だが、上手くいくと今度は女三の宮が紅葉の少将の妻になってしまうかもしれない。またまた複雑な気持ちに落ちいった桔梗の君だった。