古の乙女達と
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
初恋のために戦うことを決意した桔梗の君は、自分の御殿である梨壺北舎に戻るなり、心配して待っていた女房達にがっつり怒られた。
縫物の出来はいかがですかと部屋を訪れたら、肝心の姫宮はおらず、不在を他の者に知られる訳にもいかず、心配のあまり右往左往していた所に、殿上童姿で戻って来たので、当然のことだった。
「姫宮様! なんてお姿をなさっているのです! この年寄りの心の臓を止めるおつもりですか!」
「女らしく縫物をされているかと思っておれば、男になっておられるなんて! 東宮様に知られたら、何と申し上げたらいいのでしょう」
「どうか、おとなしくお過ごし下さい! 畏れ多くも高貴なお血筋の姫宮様が、世間の笑い者になったらいかがなさいますか?」
「もう15歳で、普通の姫ならとっくにご結婚されるお年なのですよ。子供のような遊びはいけません!」
姉妹の年寄り女房、松の式部と竹の式部が、慌てて桔梗の君を袿姿に着替えさせるや、代わる代わる泣きながらお説教する。
「まさか、あなた達、兄宮様、ではなくて東宮様に言いつけるつもりではないでしょうね。……監視責任を問われるわよ」
「ヒィィ! 姫宮様、私共を脅されるおつもりですか?」
「非力な年寄りに、何とご無体な!」
「だったら、黙っているのよ! バレなければ良いの。出入りするのを誰何されたら、あの童はお文遣いの桔梗の君です、と言いなさい!」
親身になって泣いてくれている二人には悪いが、乙女の恋が掛かっているのだ。まるで悪役のように上から目線で怯える二人にきつく桔梗の君は命じる。
普段は明るく無邪気な姫宮が悪ぶった虚勢を張っていると、年寄りには見え見えだ。鼻で笑いそうになる。脅されても口先だけとは分かっていた。伊達に年はとっていない。
「……と、いうことは、またあの恐ろしいお姿になられるのですか?」
「あら、姉上、恐ろしいなんて失礼な。とてもよくお似合いの可愛らしい殿上童姿でしたよ」
「竹の式部! 姫宮様を甘やかして庇うのはお止めなさい!」
「……でも、姫宮様、どうしてあのようなお姿になられたのですか?」
しっかり者の姉に比べて少しだけ穏やかな竹の式部が、桔梗の君ににじり寄る。
本当は恥ずかしい初恋について黙っていたかった桔梗の君だったが、その年寄りの好奇心露わな迫力に負け、告白することにした。ひょっとしたら応援してくれるかもと子供っぽく期待して。それに心配してくれる姉妹の女房に黙っているのも辛かったのだ。
「どうしても、好きな殿方に近付いてみたかったの。女五の宮の立場ではお文も送れないもの……」
「まあ、なんと素直な可愛らしい……。姫宮様の初恋なのですね」
意外と同情を示したのは怒っていた松の式部の方だった。こちらもますますにじり寄り、コソコソと内緒話になっていく。
「そ、それでどちらの殿方なのですか? あの東宮様より美形なお方ですか? ……なんだか、こちらまでウキウキしてまいりました」
「何十年ぶりかの色めいたお話だわ。ときめきの昔を思い出すわねぇ。若い姫君にお仕えするなら、普通ならこういう出来事があってもいいのよ。そ、それで?どちら様で?」
「……紅葉の少将様……」
両袖で真っ赤な顔を隠しつつ、桔梗の君は告白した。母親も姉妹も側にいない桔梗の君にとっては、同世代の姉同然の麗景殿の女御以外にする、初めての告白である。恥ずかしくて、思わず突っ伏してしまう。
だが、姉妹の反応は、同情に満ちた残念なものだった。
「あや~、姫宮様! 駄目ですわ! あの方は有名な美少年好きで……。後宮中の美貌自慢の女房や女官が落とせず、難しいと嘆いているお方ですよ」
「ああ! だから、殿上童のお姿でしたか! 納得いきましたわ。……確か一番のお気に入りは、成人されたばかりの右大臣家の山吹の君だったはず」
「どちらも大変な美形だわ。紅葉の少将様といえば、凛々しく男らしいお美しさで。汗苦しくなく、むさ苦しくない所がいいのよ。年寄りになっても、あの力強い視線にはときめくわ」
「全く、姉上はああいう方が昔からお好きよね、ウフフ。逞しいお方が。私は断然、桂木の少将様の方が好きだわ。雅やかで美しくて……。あの色めいた流し目がたまらないわ」
「竹の式部は昔から細身の美形がお好みで。お若い頃から変わらないわねぇ、ホホホ。でもあの方も意外と浮いた噂が少なくて。本命は誰だか分からないらしいわ」
尋ねもしないのに、ペラペラと姉妹は盛り上がって噂話を語りだした。梨壺北舎に籠っているはずなのに、何故に何処からこうもいろいろな噂を仕入れてこられるのか、桔梗の君はいつも不思議に思う。
「という訳で、残念ながら望み無し! ですわ、姫宮様」
姉妹が揃って残念そうにニッコリ笑って宣言する。これで話は解決した! とばかりに。
「で、でも、私の計画通り、今日お話できたのよ! 童姿の見知らぬ私にも優しくて、まっすぐな男らしい、素敵なお方だったわ。また会って下さるって(少年としてだけど)。だから、あなた達に協力してほしいの! 何とか少将様に好いてもらってから告白して、恋人になってもらうつもりよ」
「と、言われましても、いかように?」
「ちょっと! 竹の式部!」
「だって、上手くいったら、姫宮の婿君としてお側にお仕えできるのよ! あの美形に!」
「!!」
姉妹でヒソヒソ相談し始めたが、老い先短い年寄りの好奇心の方が勝ったらしい。桔梗の君の説得に負け、男装する手伝いと(きちんと装束を身に着けないとまた桂木の少将に怒られる)、不在時のごまかしだった。桔梗の君が出掛けている間は、気分が悪くて寝込んでいることにしてもらう。
部屋の奥で御簾や几帳に隔てられていれば、誰にも分からない。兄の東宮も気分の悪い姫には無理に会おうとはしないはずだ。
「そ、そう言えば、あなた達は麗景殿の女御様のご友人について聞いたことがあるかしら?」
無理矢理さりげなく、桔梗の君はこの噂好きの姉妹から紅葉の少将の意中の天女、百合姫のことを聞き出そうとする。何でも知っていそうな年寄りなので。
「ご友人? ……ああ、謎の百合姫ですか?」
「桂木の少将様に似た、お美しいと、評判の」
本当に、何故見てきたように知っているのだろう? 桂木の少将も、麗景殿様の女房も口が堅くて、話が伺えないと、紅葉の少将は嘆いているというのに。年寄り、侮り難し。
「私より麗景殿様と親しいと聞いて……」
「ああ、焼き餅ですか姫宮様? 確か、その姫は桂木の少将様の妹君。でも、外腹生まれのためか、お父上の式部卿の宮は正式に娘とお認めになっていないとか。姫宮様がお気にされるほどの者ではございません」
「帝様や東宮様に入内される訳でもないようです」
「どちらにお住まいなのかしら?」
「少々病を得てから、都から離れてどこかのお寺におられるとか。麗景殿の女御様も開運祈願の際、そのお寺で会われたそうですよ」
「ねえ、そのように高貴な姫君方が訪れるような所なら、そこは有名なお寺なの? 場所、詳しく分からないかしら? 誰かから聞きだせる?」
姫宮から寺について問われたことに、姉妹は互いに怪訝な顔を見合わせた。この無邪気な若い姫宮が何故、寺などに興味を示すのか? 先程、『初恋』に望み無しと言ってしまったため、感情豊かなこの姫宮が落ち込んで出家などを考え始めたのかと心配になったのだ。
「姫宮様、老い先短い私共とは違って、人生、まだまだこれからではないですか」
「出家なんて気が早うございますよ。恋の一つや二つ、これからいくらでも機会は……」
早くも失恋と決めつけ、まあまあと左右から囲んで肩を撫でて代わる代わる慰めようとする年寄りに、桔梗の宮はいらだちを感じた。
「誰も出家なんて考えてないわよ! 私はまだ紅葉の少将様を諦めてはいないわ! だから、開運祈願のために、そのお寺に興味が湧いただけよ。それに、麗景殿の女御様のような強運にあやかりたくて」
「兄東宮様の恩恵で、ただ今、幸運絶頂期のようにお見受けしますよ」
「今や姫宮は『強運の宮様』で宮中では有名ですが」
「いいから、そのお寺の事を誰かに聞いてきて!」
とにかく百合姫の居所を探らせたいだけなので、言い訳にも無理がある。だが、桔梗の君は姉妹に押し切る。この噂好きの年寄り姉妹なら、誰にも集められない情報を聞きだせるような気がするからだ。
数日後、首尾よく姉妹は命令通りその寺の噂話を仕入れてきた。どうやら寺の位置までだいたい掴んできたようだった。
「麗景殿の女御様の強運にあやかって、その寺で出家した年寄りの元女官がおりましたの。その尼になった者と文を遣り取りしている女官がまだ後宮におりました」
「私共もいつかはそこで出家しようか悩んでいる、と聞き回りました。やはり最後のお迎えが来るまで、運よく生きたいので。同じことを考えている年寄りも多くいました。そこで話を仕入れてきましたの」
まあ! 年寄りとは、どこでどう繋がっているのか本当に謎だ。このおしゃべりな二人から運良く、その寺の詳細を桔梗の君は聞きだせた。まさしく強運の宮の名の通りだった。
さらさらと桔梗の君は『とある昔話がございます』と文に書く。そしてまた桔梗の花の彫り物が施されている文箱に入れる。これで桔梗の君からの言伝と分かってもらえるはずだ。
そう簡単に殿上童姿にはなれないので、この文箱を松の式部に託し、承香殿の女房に届けさせる。
すると、松の式部は白い小菊の花を持って帰ってきた。日時の伝言も受けたそうだ。
「なんて綺麗な小菊!」
「まあ、なんて気の利いたお返事なんでしょう!」
可愛らしい小菊を抱えて胸をときめかした桔梗の君だったが、竹の式部の相槌に一瞬引っ掛かりを感じた。
「気が利いているかしら? 『菊』と『聞く』? 菊と言うからには私のお話を『聞く』と言ってくださっている?」
「ええ、その通りですよ、きっと!」
「……違う、違うわ! あの男らしい紅葉の少将様が、こんな雅やかな情緒に溢れたお返事を指示される訳が無いわ!」
どう見ても雅やか過ぎる。あの麗景殿の女御曰く、紅葉の少将様は見ている分には文句無しだけど情緒が欠けていると残念がっていたのを思い出したのだ。
危ない! これは桂木の少将の警告かもしれない、と桔梗の君は気付いた。
なぜなら、承香殿の女房に伝言を託すことは、あの桂木の少将も一緒に聞いている。先手を打って、竹の式部曰くの色めいた流し目で、女房を懐柔している可能性は十分ある。これでは伝言は託せない。
下手にウキウキ指定の日時に出かけてたら、あの恥ずかしい『約束』をまた交わしてしまうことになりかねない! 恥ずかしさと恐ろしさに、顔がカッと熱くなって身がぶるっと震えた。
桔梗の宮は、紅葉の少将がまた麗景殿の庭に素振りに来るところを捕まえなければならなくなった。これでは、いつ愛しい方に再会できるか分からない。むかむかと、乙女の恋路を邪魔する桂木の少将に怒りが湧き立つ。
綺麗な小菊を貰って喜んでいたと思ったら、急に機嫌が悪くなった姫宮を見て、姉妹の女房は心配になった。普通なら、もっと喜びに舞い上がっているはずだからだ。何故、イライラし出したのか不思議だった。
そこへ、梨壺北舎外の簀子から御簾内へと若い女房が、お文をお届けに来たと声を懸けてきた。
3人で顔を見合わせるが、誰も文を送ってくる相手に心当たりは無い。仲の良い麗景殿の女御からなら、見知った女房が文を届けに来るが、この女房には覚えがない。揃って首を傾げる。
とにかくと、竹の式部が身分高き姫宮を急いで几帳で囲い込んで姿を隠し、松の式部が御簾越しにずり寄って訪問者の対応に当たる。
「畏れ多くも女五の宮様にどちら様からのお文でしょうか?」
「水内侍と申します。帝様からのお許しを得られたとある方々からのお文をお持ち致しました。お受け取り願います」
二つの文箱が御簾下から差し入れられる。撫子の花と、薄桃色の小菊の花がそれぞれ添えられている。どちらも暗に、可愛い姫宮への『好意』を花が告げていた。
桔梗の君を始め、年寄り女房姉妹のいる梨壺北舎の御簾内に雷に撃たれたかのような衝撃が走った。帝からの許しを得たお文とは、まず求婚の内容と考えられたからである。
多くの場合、姫宮は、神に仕える斎宮・斎院を務めたり、生涯結婚せずに独身者なので、よもや『忘れられていた女五の宮』に求婚者が現れるとは思ってもみなかったのだ。
しかも方々とは? 兄帝からの許しを得た者が複数いるとは、普通ありえない。婿候補を絞り切れないほどの高位の殿方からかもしれない。
候補はいったい誰なのか? 一人ならこの人は嫌と、兄東宮に泣き付けば追い払えるかもしれないが、ではこちらをと違う殿方を勧められて、結婚させられてしまうかもしれない。
先日会った様子からすると、相手は、今をときめく二大貴公子である両少将とは思えない。紅葉の少将は謎の天女に夢中だし、桂木の少将についても噂好きのこの姉妹がそういった噂話は掴んできてはいない。
下手をすると、兄東宮の権威を以てしても断れない相手かもしれなかった。
桔梗の君の初恋に、これまでにない『帝の命による結婚』という暗雲が立ち込めてしまった。