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少将達との約束

2017/05/03 誤字脱字を修正しました。

 桔梗(ききょう)の君と名付けてくれた雅男の公達の後ろに従って五の宮は、麗景殿(れいけいでん)に向かって簀子(すのこ)を進む。


 先程この公達(きんだち)に胸まで手で触られた出来事が何度も頭の中をぐるぐる回り、あの一瞬の感触が思い出されて、恥ずかしさに五の宮の顔が熱くなる。同じ母上から生まれた兄東宮にすら触れられたことはほとんど無かったので、その衝撃は若い姫宮には強すぎた。

 

(あんな恥ずかしいことを思い返すのではなくて、もっと大事な事を考えるのよ! 紅葉(もみじ)の少将様のことを!)


 前を歩く公達の高く広い背から顔を反らし、忘れるの、忘れるのよ、と熱い顔を手小さくで仰ぎながら五の宮は自分に言い聞かした。

 

 その時だった、待ち焦がれたあのお姿を目にしたのだ。


「よう! 桂木(かつらぎ)の少将! 麗景殿の近くでお前に会うなんて珍しいな」


(嘘みたいに、来た! 紅葉の少将様よ! あちらから近付いてきてくださるなんて!)

 

 あまりに期待通りの展開に五の宮は我が身の幸運に舞い上がった。頭に先程とは違い意味でカーっと血が上る。

 姉上の承香殿(じょうきょうでん)の女御の所にご機嫌伺いでもしてから回ってきたのか、麗景殿に向かってあの紅葉の少将が簀子(すのこ)を歩いて来る。仲の良い桂木の少将ににこやかに手を挙げて挨拶してきたのだ。

 だが、その紅葉の少将の呼びかけによって、この隣の公達が、実は有名な二大貴公子の一人、桂木の少将であることも分かってしまった。確かに、噂に違わぬ雅やかな公達だと認めざるを得ない。

 

 有名過ぎる若い公達に男装している事を知られたのだと思うと、五の宮は動揺で胸がドキドキし、冷や汗をかいてしまった。だが、まだ東宮の妹宮であることまでは気付かれてはいないはず、それに黙っていてくれるようだし、と自分を励ます。


 近くで見る紅葉の少将は、武術を嗜んでいる若い殿方らしく、背が高くて細身でありながらガッシリしている。逞しくて頼もしいその姿に、五の宮は見とれてしまう。


 東宮に負けない程に麗景殿に通い、何日もかけた観察の結果、そろそろ麗景殿の付近に来る頃と見込んだのは、間違いではなかったのだ。好きな人が『いつ』『どこ』に現れるかなどの、恋する乙女の情報収集力は半端ではない。五の宮の読みは見事に当たったようだ。


「私も麗景殿に用があったんだ。お前もまた素振りか? よく飽きないな。仮にも貴族の子弟なら、鬼や妖対策だけじゃなく、他にもすることがあるんじゃないか?」

「ははは、政務もきちんとしているぞ。それに麗景殿には他にも理由があって……。あれ? お前の後ろの童、見かけない顔だな」


 紅葉の少将に気付いてもらえて嬉しかったが、いざ体面してみると若い姫君らしい恥じらいが出て、五の宮は思わず桂木の少将の直衣(のうし)の後ろに隠れてしまった。それでも紅葉の少将を見たくて、桂木の少将の左袖の後ろからチラリと紅い顔を出し、頭を下げて礼をとる。


「ああ、桔梗の君は女五の宮様のお文遣いだそうだ。ちょっとした知り合いになってね。姫宮様仕えでも、まだ後宮に慣れていないようだ。無礼は許してやってくれ」

「それは構わないが、女五の宮様……。確か、麗景殿の女御様と大変親しいお方とか。なあ、童、本当にお親しいのか?」


 憧れの紅葉の少将が急に迫って来たので、思わず恥じらいから五の宮が桂木の少将の左袖を掴んでしまったのを、桂木の少将は怯えたと勘違いした。スッと直衣の左袖を広げるように伸ばし庇って、紅葉の少将の前に進み立つ。


「桔梗の君だ。紅葉の少将、お前、何を考えている? 昔から、お前のそういう顔の時は碌な事がない」

「決まっているじゃないか、桔梗の君に麗景殿様の所で話を集めて来てほしいんだよ。力を貸してほしい。他に、もう誰もいないんだ」

「ど、どのようなお話でしょうか? 私はまだお仕えして間もない未熟者ですが……」


 桂木の少将の知り合いと思われたことが幸いしたのか、直接お声を懸けてもらえたのが嬉しくて、桔梗の五の宮は桂木の少将の袖に隠れつつモジモジと問う。


「女五の宮様と同じくらい麗景殿の女御様が親しくしている姫がおられる。そこの桂木の少将の妹の百合姫だ。その百合姫のお住まいなどの話を聞いてきてほしい」

「おい、兄の前でそんな事を頼むな! 桔梗の君が困るだろう!」


 怒って遮る桂木の少将などまるで無視して、紅葉の少将は真剣な目をして訴え出した。


「この兄は、ケチって妹姫の居場所を教えてくれないのだ。お父上の式部卿(しきぶきょう)の宮邸ではないのは分かっている。だが、手の者にどんなに探らせても、どこにお住まいなのか全く分からないんだ!」

「おい!私を無視して話を進めるな! 百合姫に近付くことは許さんと、いつも言っているだろう!」


 不意に、紅葉の少将がぐいっと桂木の少将を押し退けたかと思うと、桔梗の宮に迫り、ガシッと肩を掴んだ。

 

「頼む! お文を出したくてもお住まいが分からない。このケチな親友は取り次いでくれない。式部卿(しきぶきょう)の宮に頼んでも、そんな姫は知らないと空っとぼけられた。麗景殿の女御様付きの女房達は口が堅い。だが、五の宮様のお文遣いの童になら、口を滑らせるかもしれない」

「……紅葉の少将様は、その百合姫がお好きなのですか?」

「あの方は、私の天女の姫君だ……」


 『少年好き』と思い込んできた片思いの相手に好きな『姫』がいると聞かされて、桔梗の宮は衝撃にくらくらし、泣きたくなってきた。


(噂なんて、嘘ばかりじゃない! 何が少年好きよ! 少将様は普通に姫君に恋する公達じゃないの!)


 しかも、宮中で多くの美人女官や女房と接してきたことのある紅葉の少将が『天女』と愛し気に呼ぶほどの姫君。いったいどれほどの美しさなのか。

 

「おい、桔梗の君、どうした? 顔が真っ青だぞ。こいつの頼みなどきかなくて良いからな。兄を前に妹の事を探れと命じるような愚か者のことは放っておけばよい」

「愚か者ではなく、コソコソせず、正々堂々としているだけだ。桔梗の君が出来ないというのなら、お前が妹君にお文を届けてくれよ。いつもお前が駄目だというから、もはや桔梗の君だけが頼みの綱だ!」


 紅葉の少将の真剣な眼差し。これは遊びで懸想する公達の恋の戯れには見えない。真剣にその姫を想っていることが、桔梗の宮には分かった。なぜなら、その恋する瞳はまさしく桔梗の宮と同じものであろうと思われたから。

 

 失恋なのかもしれない。だが、生まれて初めて『頼みの綱』と、力を貸してほしいと頼まれたのだ。

 

 五の宮はこれまで『静かにおとなしくしていてくれ』以外を期待されたことがなかった。母上とは幼い頃に死に別れ、病弱だった父帝とも年取ってからの子であることもあって、一緒に過ごす時間が短かった。しかも五の宮は母親の実家で育てられており、手元で育てた兄宮ばかりを父帝は可愛がっていた。有力な後見も無く、通例で帝の姫宮達は独身で過ごす者が多いので、兄宮が東宮になるまで誰も女五の宮になど注目しなかった。

 その忘れ去られていた自分に、紅葉の少将が期待してくれたのだ。例え失恋でも、好きな人の期待に応えることであの方に喜んでほしい!と桔梗の宮は思ってしまった。


「……私、麗景殿の方々にそれとなく聞いてみます! 少将様のために! あ、あの、ですからまたお会いしていただけますか?」

「ああ! ありがたい! もちろん話を聞きに会いに来るよ。そうだな、東宮様の梨壺を訪問する訳にはいかないから、姉上のおられる承香殿(じょうきょうでん)の女房に伝言を託してくれ。童の桔梗の君なら、誰かの恋文遣いをしているだけだと思われるから、不自然じゃない」

「いや、思いっきり不自然だ! 今のところ、女五の宮様は承香殿(じょうきょうでん)様とはお付き合いが無い。止めろ! 妹に近付くのは絶対に許可しないぞ! 親友のお前でもだ!」

「さあ、これで希望が見えてきた! やる気が出てきたぞ! 桔梗の君、無理はしなくて良いが、頼んだぞ! うん、可愛いそなたに良く似合う可愛い名だ」

「おい! 人の話を聞け!」


 文句を言う桂木の少将をまるきり無視して、紅葉の少将は嬉しさのあまりかギュッと桔梗の君を一瞬抱き締め、更には頭をポンポンと軽く撫で叩いた。それはまるで言いつけに従った可愛い幼子を父親がよしよしと褒めるように。

 では、と嬉しそうに意気揚々と、紅葉の少将はまた姉上のいる承香殿(じょうきょうでん)の方へと戻っていった。

 

 何か最初の目的とは異なるような気がするが、とにかく危険を冒して男装した甲斐あって、桔梗の宮は憧れの紅葉の少将と親しく仲良くなれたような気がした。まだ失恋とは決めたくない。あの方が喜ぶなら何でもやって差し上げたい! そんな気になった。

 

「さて、桔梗の君、あの愚か者のことで私と話をしようか……」


 これまでの優しい声とは打って変わった、静かな一段低い声で桂木の少将が細目で睨み下ろす。しかも、桔梗の宮が逃げられないようにガシッと両肩まで掴んでいた。

 

「あ、あの少将様? 私、そろそろ麗景殿の女御様にお文をお届けしないと怒られてしまいます」

「ちょっとこちらに来なさい。また二人で宣耀殿(せんようでん)へ行こう」

「いえ、あの、その……」


 腕をぐいぐい引っ張られて、二人は麗景殿の前から戻り、再び主のいない宣耀殿(せんようでん)へと入った。少将は御簾(みす)の内には誰もないことを悟ると、更に奥へと桔梗の宮を引き込む。

 強引に引っ張りこまれたのは先程と同じなのに、親切心溢れるものとはまるで異なる険しい眼差しで桔梗の宮を見下ろしている。

 ようやく腕は放されたものの、蛇に睨まれた蛙のように桔梗の宮は動けない。


「あの愚か者に余計な事を言ってはいけないよ、桔梗の君。百合姫に近付いてはいけない、誰も。あいつには、何も分からなかったと伝えるんだ」

「な、何故ですか? 紅葉の少将様は良いお方です。姫様だって素敵な殿方からお文を貰えれば喜ばれるかもしれませんよ。それに、私、紅葉の少将様にお約束をしたんです」

「ならば、私とも大事な『お約束』をしようか……」

「!」


 急にグイッと細腰を片腕で引き寄せられ、見かけでは分からない思わぬ逞しい身体に桔梗の宮は抱きしめられた。そして抵抗する間もないまま、温かく柔らかいそれが桔梗の宮の唇を覆う。

 それはいつまで続いたのか。長かったのか一瞬のことだったのかも分からない。

 いつの間にか桔梗の宮は解放されて、へなへなと床に座り込んでいた。

 桂木の少将も片膝を着いて、驚きのあまり目を見開く桔梗の宮と視線を合わせた。その瞳には、先程の険しさが和らぎ哀れみも浮かんでいた。


「野に咲く可愛い桔梗の君。せっかく花開いたばかりなのに、秋が終わる前に私に摘み取らせるような真似はさせないでくれ。百合には構わず、静かに野に咲いていて。でないとまた『お約束』をしなければならない。分かったかい?」


 桔梗の宮は小さく頷いた。それを見て桂木の少将は微笑む。


「いい子だ。また一緒に行こうと誘いたいところだが、無理そうだ。青いはずの桔梗が、真っ赤になっている。私が先にここを出るから、目立たぬよう、気を付けてお帰り。三度目にここで会う時は、どんな時かな?」


 桔梗の宮が碌に返事もできないまま、今度は一人で桂木の少将は流れるような静かな動作で、宣耀殿(せんようでん)から出ていった。


 その姿を思わず見送りつつ、初めてのことに驚いてしまったが、実は桔梗の宮は恐ろしくはなかった。なぜなら、力強く腕を掴まれても、驚いてしまった事も、どこか優しさがあったからだ。だが、あの強引な『お約束』は嫌だった。


 一人の少将には『探れ』と、もう一人の少将とは『静かに』と約束してしまった。恋しい人には会いたいし、脅す人には会いたくない。

 紅葉の少将を喜ばすと、桔梗の宮は失恋の可能性が高くなる。百合姫に会えないままなら紅葉の少将の方が失恋し、振り向いてもらえるかもしれない。だが、桔梗の宮は桂木の少将の言いなりになるのはもっと嫌だった。

 

 何とか桂木の少将を躱しつつ、紅葉の少将様ともっと親しくなるのだ。初恋のために戦うことを桔梗の宮は決意した。

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