番外編 東宮の受難5 ~白梅の花~
2017/06/24 誤字修正しました。
愛しい者、大切な仲間に見送られて、桂木の宰相は東宮探しに出発した。更には、心配した式部卿の父宮と、右大臣によって腕の立つ武士や家人を数人引き連れている。東宮が攫われた状況からすると、乱暴な賊共と戦うことに成りかねないからだ。
切られた胸の傷が完治していないために無理ができず、旅道具と共に牛車に乗らねばならないのが忌々しい。先程の愛しく可愛い桔梗の君との甘い抱擁はともかく、弟のように可愛がっている山吹の少将の体当たりの抱きつきは、実は、結構辛かった。ゴトゴト進む牛車の揺れさえも、傷に響く。
「若様、前方から陰陽師の君様がこちらに……」
家人の言う通り、狩衣姿の若者が牛車の側に近寄って来た。確かに陰陽師の白梅の君だった。
「桂木の宰相様、私もお供にお加えいただけませんか? きっとお役に立ちます」
「ああ、そなたの力を借りれるとは嬉しいよ。そなたの『失せ物探しの力』は、宮中でも有名だ。よろしく頼む」
「畏れ入ります。ところで、早速、ご相談があるのですが」
「では、牛車に乗るがいい」
徒歩で現れた白梅の君は、式部卿の宮家の上等な牛車にちゃっかり乗り込んだ。普通なら、徒歩で付き従う身分である。
「まず、桂木の宰相様が、どちらに向かわれるおつもりなのかをお伺いしたいのです。もし、東宮様が乗っておられた馬がいた川辺に行かれるのなら、無駄です。あそこには、東宮様の気配というような物が感じられ無いのです」
「やはり。あそこは紅葉の中将が、しらみつぶしに探している。それでも見つからないのだから。そこで、私は怪我で動けないので、父宮と右大臣様のお力を借りて、あちこちの市を家人に見張ってもらった」
「市ですか?」
一見、人探しとは関係ないような気がして、白梅の君は不思議に思い首を傾げた。まさか、左右大臣によって厳しく禁じられている人身売買は無いと思われたからだ。
「襲われた時、東宮様は御所に戻られるため、右大臣家で用意した上等の直衣や小物を身に着けておられた。あのような物は市で高く売れるらしい。盗賊ならば売って金にするかもしれない。だからそのような小物などが売りに出されていないか、見張ってもらったのだ」
「なるほど! ……それで見つかったのですか?」
「ああ、つい先日、都から少し離れたとある寺の門前市で、上等な織物の単を家人が入手してきたのだ。おそらく東宮様の御召し物で間違いないだろう。これだ……」
牛車の中に積んでいた荷物の中から、表着の下に身に纏う単を桂木の宰相は取り出し、白梅の君に見せる。
白梅の君はその単を検めると、苦笑いした。そっと縫い目を指先で撫でる。
「ああ、間違いなく、東宮様の御召し物でしょう。東宮様、いえ、それよりもあの女御様の気配がします。最上の織物なのに、この残念な不揃いの縫い目。お小さい頃から縫い物だけは、一向に上達されなくて……。でも、東宮様を想う優しい気配が残っています」
白梅の君のしみじみとした呟きに、思わず桂木の宰相も笑みを浮かべる。変わったところのある情の深いあの女御が、一生懸命に苦手な縫物をしている姿が浮かんだからだ。きっと東宮様は出来上がりを揶揄いながらも、嬉しそうにそれを身に纏ったのだろう。
「ただ、一つの市で全てが売られている訳ではない。複数の市で少しずつ売りに出されたようだ」
「出所を探られないようにでしょう」
二人は家人から報告の上がった複数の市を巡り、東宮の小物の出所を一つずつ丹念に辿った。特に白梅の君は、それとなく出所を尋ねるのが上手かったので、的が絞られていくようだった。
「さて、次は、どちらにいくかだが……。商人の話からすると、この東宮様の扇を持ってきた都から来た者と、小物を持ってきた更に山から来た者がいる。どちらを追うかだが……」
「こんな迷う時こそ、お任せを、桂木の宰相様! たあっ!」
そう言って、白梅の君は東宮の扇を取り出し広げ、突然、片手で柄を持って空中へと投げる。当然、扇はへろへろ回転しながらと地面へと落ちた。
「……何をしている、白梅の君?」
「占いですよ、宰相様! 扇は都を差しました。都に戻りましょう! しかも結構、都のはずれの方ですね。きっとそちらに東宮様はお出でです」
答えは出た! とばかりに白梅の君は胸を張りつつ、うむうむと頷く。それを思いっきり疑いと呆れの眼差しで、桂木の宰相は見つめた。
今、柊の宮も、あの時の桂木の宰相と同じ疑いの眼差しで幼馴染を見つめる。
「あまり言いたくないが、仮にそなたの占いが当たったとしよう。ならば、今まで語っていた市巡りは不要だったのでは? 最初からその扇投げをしながら進めば、もっと早く私を見つけることができたのではないか?」
ふう、と残念そうに白梅の君はため息をつく。
「いいえ、そのようなことはできませんでした。あれは、最後まで身に着けておいでだった扇だからこそできた占いなのです。あの最初の単では、一生懸命お心を込められ縫われた、女御様の想いが強すぎます。おそらく占っても、女御様の所へ、右大臣邸へと導かれてしまったでしょう」
御簾内に座す女御に向けて、白梅の君は微笑む。女御も縫い物の努力を認めてくれた幼馴染に向け、扇越しに微笑み返した。
「では、もし見つかったのが靴だったのなら、そなたは靴を投げたのか? 何でも投げるのか?」
微笑み合う、二人の様子に不満げな眼差しを向け、柊の宮は馬鹿にしたように言う。
「無論です! 現に占いの結果は、当たりました。でも、できるだけ細長い物の方が、指し示す方向が分かりやすくて良いのですよ。桂木の宰相様が丹念に扇を探し求められて、助かりました」
「何故か、それまで真面目に取り組んだ私の方が恥ずかしいから、そう言わなくても良いよ」
結局は不思議な占いの方が当てになったため、不本意そうに桂木の宰相様は視線を皆から反らした。
悩んでは扇を投げて、都を進み、桂木の宰相の一行は、都の外れの方の小さな古い邸が立ち並ぶ区画に進んだ。ここら辺に住まうのは、身分の低い下流貴族、小金持ちの武士などである。扇が最後に指し示したのは、貧しそうな下流貴族風の邸だった。
まずは、近所の家の土塀の陰に牛車を停車させ、小窓から様子見をする。その間、付き従っていた家人や武士達に、この邸の住人についての情報を集めさせた。
「う~ん、独り身の女主人に、腕の立つ家人が数名か……。盗賊とは違うようだが」
「でも、東宮様は絶対にここにおられます。なんとか確かめる方法は? あの家の家人に尋ねますか?」
「馬鹿な! この家にある人物を監禁していますか? と聞いても素直には言わないだろう。だが、私達がここまで来ている事を知っていただくことはできると思う。幸い、ここら辺は身分の低い下流貴族、小金持ちの武士などの住まう区画だし」
桂木の宰相は牛車の荷をごそごそ探ると、とある大事な物を取り出した。
茜色の夕焼けが寂しい辺りを照らす中、吹き抜ける寒い初冬の風に乗るように、雅やかながらも寂しい箏の音が響き出した。夫を恋想う切ない調べだった。
宮中で名手と評された、懐かしい友が爪弾く箏の音。初冬の冷たい風が吹く中で寂しく響くが、大切な夫や友を心配する優しい気持ちも込められているようだった。
姿形が分からない女に抱きつかれながら、うんざりしていた柊の宮の耳にその音はしっかり届いた。それは目隠しをされて、更には最近では逃走しようとしたため、腰にも縄が巻かれている柊の宮の荒んだ心を慰め癒すような美しい調べである。
箏を爪弾く友人に、自分がここにいることを何としても伝えねばなない。ようやく待ちに待った助けがそこまで来てくれているのだ。これまで反抗心から碌に女には返事もしないでいた柊の宮だが、試してみることにした。
「ねえ、君。このままでは、私は君を見つめる(睨む)こともできない。それでは想い(重い)が伝えられないよ、残念だ。ああ、せめて横笛でもあったなら! そうすれば、見えなくても私の想いを笛の音で君に伝えられるのに。東宮に相応しい風流だと思わないか?」
「ああ、東宮様が私のために横笛を!? 素敵だわ! 殿方が私のために奏して下さるなんて、夢みたい! ええと、笛なら確かここら辺に……、まだ売ってなかったはず……、ありました、どうぞ!」
嫌味を込めずにはいられなかったが、女は単純に感激したようだ。一旦、離れて部屋の奥に行ったかと思うと、ゴソゴソと調度品をあさる音がした。そして、目隠しで見えない柊の宮の手に、固くて細長い物が手渡された。間違いなく横笛の感触。
腰は犬のように縄が巻かれて繋がれたままだったが、腕は自由にしてもらえた。おそらく腕の立つ山丸が、どこかに控えているからであろう。そんな監視など、もうどうでもよかった。あばら骨の骨折の痛みを堪えて、柊の宮は風に乗って響く名曲に合わせて、得意の横笛を奏した。
日が沈んだばかりの闇の中、痛々しい思いが込められたかのような鋭い横笛の音が、箏の音に応えた。
「東宮様だ! この横笛の節は、間違いない。それにしても、ちょっと息苦しい感じが滲んでいるな。弱っておられるのか?」
普段なら滑らかなはずの横笛の音に、息遣いの乱れが感じられた。
そこへ、邸の中をこっそり覗いて探っていた武士が、青い顔で報告に来た。それによると、東宮と思わしき若い男が、この寒い中、夜着一枚を纏って、腰には縄が巻かれて柱に繋がれており、更に目隠しされた状態で横笛を奏していたと言う。
「ああ、東宮様、高貴なお方がなんとお労しい。急ぎお助けしましょう、桂木の宰相様! すぐに式部卿の宮様と右大臣家に連絡を入れて下さい! 人手を集めて、東宮様を……」
「いや、それは不味い。もし東宮様のお体を盾にされたら……。コッソリ忍び込んで救出しよう!」
「どのように?」
桂木の宰相は、思いついた作戦を白梅の君と付き従ってきた従者や家人達に説明した。
ドンドン!と朽ちかけた門を桂木の宰相の家人が叩いた。
「何だ! 日も暮れたこんな時間に!」
「申し訳ありません、我が主のご気分が悪くなり、牛車にも乗れず、困っております。先程、こちらのお邸から風流な笛の音が聞こえて参りました。ご立派なご一門のお邸とお見受けします。どうかお助けいただけませんか?」
「何いきなり人ん家に来て、怪しい事言ってんだ。夜盗か? 貧乏だ、盗む物なんか、無いぞ」
仮にも名門の式部卿の宮家に仕える誇りから、家人も無礼な言われようにムッと腹が立った。もう一度、バンバンと門を叩く。
「違います、怪しい者ではありません! こちらは、式部卿の宮家の若君様です! 乳母の君をご訪問された帰りなのです。お助けいただければ、十分にお礼したいと言われております。お願いです、こんな夜に締め出さないで下さい!」
「……十分なお礼、絶対だぞ!」
「勿論です!」
ぎぎー! と壊れそうな軋みの音を立てながら、門が開く。庶民にありがちな括り袴に直垂姿の三十代くらいのがっしりした体つきの男が待ち受ける。見知らぬ者の訪問に警戒してか、太刀を帯びていた。
太刀の柄に手を掛けたまま、ボロい階を指し示す。どうやら、あそこに腰掛けて休めと言いたいらしい。
家人の持つ明かりで足下が照らされる。桂木の宰相は、いつもはスッキリと伸ばしている背筋を弱々し気に傾けながら、もう一人の家人に支えられ、扇で端正な顔を少しだけ隠しながら荒れた庭を進む。その際、宮中や後宮で常に黄色い歓声が上がる、爽やかでありながら甘さを含むと言われる流し目を邸の奥に向けた。
儚げに少し弱った風情の美形貴公子。後宮なら、どこの御殿の女房も女官も、絶対に心配の声を掛けてくれる姿である。
「お助けいただき、感謝する。こちらのご主人にこのお文をお届けいただけないか? 私からの感謝を伝えたい」
「いいけど。それよりも、お礼、しっかり頼むよ」
「分かっている」
お文を持って、男は邸の奥に引っ込んだ。
その隙をついて、白梅の君は武士達を引き連れて、小さなお邸の横側へと回り込む。この一行の中で東宮の顔を知るのは桂木の宰相と白梅の君だけだったため、確認できるようにと囮役と侵入役の二手に分かれたのだ。
白梅の君は懐から取り出した扇を投げた。扇の落ちた所から、古びてギシギシ音を立てる外廊下の簀子に上り、内廊下との境にあるボロイ板でできた妻戸をこじ開け、邸内にあっさり侵入した。
女房などはいないようだ。気配もない。先程集めた情報通り、女主と家人数人しか住んでいないらしい。
白梅の君はもう一度扇を投げる。すると、土壁で囲まれた塗籠の出入り口らしい板戸の前に落ちた。武士達に指し示すと、彼らも手際よく太刀の柄などをぶつけて鍵ごと板戸を打ち破った。
「東宮様!」
「その声は白梅の君か! ここだ!」
ササッ! となだれ込んだ武士達に身体の両側から支えられ、無事、柊の宮は幼馴染の手によって囚われの身から脱出した。
男が桂木の宰相が待つ庭に戻って来たその時、邸の中から荒々しい足音がいくつも響いて来た。
「あ! お前ら、若さんを攫う気か! 騙したな!」
「何が、攫うだ! 救出したんだ! あんな風に閉じ込め、縛めておいて!」
スラリと男は腰に下げていた太刀を抜いた。それに合わせて桂木の宰相も太刀を抜く。その間を置かず、男が風のような素早さで切りかかってきた。咄嗟の判断で桂木の宰相は身を躱す。ギリギリだった。
普段、剣術に優れた紅葉の中将と打ち合い稽古をしていなかったら、絶対に避けきれなかっただろう速さだ。
男は、ほう! と称賛の声を上げた。
「良く避けた! だが、甘い!」
男がもう一度構え直す。桂木の宰相も傷の痛みを堪えて、待ち構える。
「待て! 両者共、争うな!」
桂木の宰相の背後から、懐かしくも威厳に満ちた凛々しい東宮の声が響いた。




