番外編 東宮の受難4 ~山茶花の花~
だめだ、6話じゃ終わらない……。すみません。
「ああ、何とお労しい柊の宮様。……うう、小雪、気持ち悪いわ、お水を」
「ああ、女御、気分悪くさせてしまったか」
愛しい夫が乱暴される惨状を想像したのか、女御は悪阻をもよおしたらしく、側仕えの女房小雪を弱々しく呼んだ。気分の悪さを隠すように、袿の袖で顔を覆っている。
銚子と盃を乗せた盆を持って、心配顔の小雪が有能にもサッと室内に現れた。女御は、手渡された水盃にそっと口を付けて静かに飲む。
小雪の手慣れた様子からすると、悪阻対策の飲み水を銚子に入れて用意し、外簀子に控えていたらしい。桔梗の君は素早い対応に感心した。
「恐ろしい思いをさせて、済まない。無理に話は聞かない方が……」
「いいえ、きちんと聞いておきたいのです。あなた様がどんな恐ろしい目に遭ったのか、妻として分かち合いたいのです」
「女御!」
周囲に他人がいるにも関わらず、兄宮と女御は二人で熱い視線を交わして手を握り合う。桔梗の君は、百合姫ではない桂木の宰相に同じように甘えられないので、ちょっと羨ましく思った。
「……それで、兄宮はその方に助けて頂いたのですね。その袿姿の方が『若菜の君』なのですか?」
呆れたような桔梗の君の声で、二人は人目を思いだしたようにハッと手を離した。
「おそらくは。ただ、助けられた、というのとは少々違うような……」
「失礼ながら、あれは、違うと思います。『助けられた』というよりは、『囚われた』と言うべきでしょう」
狩衣姿の桔梗の君が女東宮である事を既に知っていたらしく、白梅の君は遠慮がちな苦い声で言う。それに桂木の宰相も残念そうに、うんうん頷いていた。
目が覚めた時、柊の宮は貴族の邸内らしい土壁で囲まれた塗籠の部屋で、薄い布団に寝かされていた。だが、妙に廃れた雰囲気で、一言で言えばボロい部屋だった。擦り切れそうな薄い上掛けと布団以外の調度品は無く、豪華な右大臣家や後宮で生活していただけに、不安を覚えるような古さである。外との唯一の出入り口である板戸は閉められていた。
どのくらいの間、気を失っていたのか分からない。重い身体に痛む胸を腕で抱き支えながら、ゆっくり起き上がる。それだで息が切れる。ひょっとして発熱しているのかもしれないと思った。
塗籠なのにどこからか隙間風が入り込むので寒く、身震いする。己の身体を見下ろすと、いつの間にか古びた夜着一枚だけを纏った姿になっており、身に着けていた直衣や袴は見当たらない。
ガタリと板戸が開き、棒で戦っていた男がにこやかに柊の宮に近付いて来て、布団の側に腰を下ろした。だが、表情とは裏腹に、油断なく柊の宮の様子を確認しているのが眼差しで分かる。
「お、気が付いたようだな。女に抱き締められて気絶するとは、情けないぞ」
「違う! あばら骨を折っているらしい。だからあの剛力で抱き締められて、気が遠くなったのだ。……ここは、礼を言うべきであろうな。助けてもらったようで感謝する。ここはどなたかの貴族のお邸なのか?」
「貴族かどうかは知らないが、賊でもない。我らが主人が住んでいる邸としか言えない」
「そうか、詮索はしない方が良いか。では、済まないが、右大臣家か式部卿の宮家、あるいは左大臣家でも良い、私がここにいると連絡してくれないだろうか? 迎えの者が来てくれると思う」
一応警戒して東宮であるとは明かさずに言うと、男は柊の宮を疑いの眼差しで見つめる。
「どれも大貴族だな。確かに、あんたの着てた着物は物凄く上等だったが……。どこかの若様か? こんな俺様の言う事が、あんな大きな邸の者に信じてもらえるかな?」
「私はその家々に縁の者だ。そうだ、私の直衣や身に着けていた物は? あれを持って行けば、どの家も私の言っていること信じて、きっと迎えを差し向けるだろう」
男は困ったように視線を反らしつつ、後ろめたそうに少し髭の生えた顎をポリポリ掻く。
「ああ、あれな? あれらはあんたの宿泊のお代として、売り払った。もう無い。……いや~、上等な着物や小物だったから良い値が付いた。助かったぞ! 何せ、冬は炭やら食べ物やら、色々と物入りでな」
「何が助かったのだ! あれらを勝手に売ってしまったのか? あの内着の単は、不器用ながらも妻(女御)が、一生懸命縫った物なのだ!」
「縫い目が不揃いでも、織りが良いから売れた。不器用でも、奥さん、あんたの役に立ったじゃないか、良かったな!」
「良くない!」
いくら恩人とはいえ、妻を馬鹿にされたようで、さすがに柊の宮も腹が立って男を睨みつける。
「まあ、そう怒るな。賊から助けてやったんだ。後は、宿泊代とは別にご主人に恩返ししてくれ。あんたのおかげでご主人はご機嫌だ。頼んだぞ!」
「そのご主人、あの剛力の女人が私の看病を?」
「いや、俺と海丸がした。ちなみに、俺、山丸」
何だ、美女の看病ではなかったのか、と少々不謹慎なガッカリを柊の宮は感じた。だが、助けてもらったことに変わりはない。物を売られたことは、相手の助けになったのだからと無理矢理納得する。
「私の事は、そうだな……」
「いや、言わなくて良い。若さんと呼ばせてもらうよ。大貴族の若様なら詳細は聞かない方が良さそうだ」
山丸は勘の良い男のようだ。少し面倒な気配を柊の宮から感じ取ったらしい。
また、ガタリと音がして、今度は矢を射っていた二十代の細身の若者が小さなお膳を持って入ってきた。恐らくこちらが海丸だと、柊の宮は推察する。
「おい、山丸、いつまで遊んでいる。ご主人がその若さんを早く連れて来いってさ」
「おう。じゃ、若さん行こうか。あ、これを忘れずに、っと!」
山丸は背後に手を回したかと思うと、腕の太さ程の白い帯のような布を取り出した。ボロい邸の部屋の中で、あまりに不吉な程それは妙に真っ白に光って見える。
「そ、それで、何をするつもりだ?」
「いや、ご主人は恥ずかしがり屋で、姿を若さんに見られたくはないが、逢いたいと言ってな。では、目隠しすれば良いんじゃないか、ということになって」
「御簾や几帳越しに会えば良いだろう! 何故、目隠しなのだ?」
二人は、この邸にはきちんとした御簾や几帳など無く、改めて買う金も無いと言う。真新しい布ぐらいしか用意できなかったらしい。しかも、古い邸も恥ずかしいから見られたくないので、ここから目隠ししてほしいと言う。
物凄く変とは思ったが、仮にも恩人の家の事なので、きちんと礼も言うべきだし、一度くらいならと、柊の宮は目隠しを了承した。
フラフラする体と胸の痛みに耐えながら、二人に手を引かれて支えられつつ、見えない中を柊の宮は進んだ。どこをどう進んだのか分からないまま、ここに腰を下ろせ、と言われるまま座る。いや、板床に座ったので部屋だと柊の宮は思ったが、冷たい風が吹き抜ける寒い所だった。夜着一枚でいるので、思わず寒さに震える。
近くにもう一人、誰かがいるような布の擦れる音がした。あの甘ったるい香りもわずかにする。
「我が君! お目が覚めたのですね! ああ、お会いしたかった。若菜でございます」
少し低めの女声が、大きく室内と痛みに響く。姿は目隠しで見えないが、どうやら目の前に来ているようだった。
「若菜の君か? 助けてもらったようだ。礼を言わせていただく……」
「何を言われますか、我が君! ようやく我が邸にお出で下さるなんて! ずっとお持ちしていましたのよ。ああ、これも夢のお告げの通りですわ!」
「夢のお告げ?」
「そうです、運命の再会なのです! ああ、まるで山茶花のように、寂しい冬の庭を彩るお方!」
どういう感性だ? と思いつつも、再び強烈な抱擁を受け、柊の宮は痛みにぐったりする。
「ダメです、ご主人。また死にそうになってます。熱でも出てるのでは? あばら骨も折れているとか山丸が言っていました」
「あら、嫌ねえ。せっかくの逢瀬なのに。しようがないわ、海丸、看病して差し上げて」
遠いところで若い男と大声の女が話している。そして目隠しをしたまま、柊の宮は再び歩かされ、元の部屋に戻された。
骨折と打撲、更に寒い部屋に薄い夜着で過ごしたこともあり、柊の宮はその日から数日の間、高熱を発し、寝込んでしまったのだった。その間、山丸と海丸が交代で甲斐甲斐しく看病してくれたらしい。
話を聞いて、桔梗の君は首を傾げた。
「お怪我と高熱で寝込まれたのは分かりました。でも行方不明の期間が、それだけにしては長すぎるのでは、山茶花の兄宮?」
「止めろ、その名で呼ぶな、気分が悪くなる。病だったのと弱っていたのは確かだ。だが、回復しても、あの塗籠の部屋から出してくれなかったのだ」
「ええ!! それは何故ですか?」
驚きの余り、桔梗の君は、はしたなくも大声を出してしまった。兄宮は苦々しい表情をしている。女御も不快そうだ。
「開けようとしても戸には鍵が掛かっているし、土壁で囲まれた塗籠だ。逃げられなかった」
「では、助けられた訳ではなくなったのですね」
発熱が治まった頃、あばら骨の痛みは中々抜けないが、柊の宮は山丸と海丸に帰宅したい事を告げ、迎えの者にお礼の金や品なりを持ってこさせることを告げたが、却下されたのだ。
「何故だ!」
「だから、ご主人が満足されるまでは出せない。俺達はご主人の言う通りにしているだけだ。若さんに逃げられても困るんで、鍵を掛けている」
抗議する柊の宮に、山丸が困ったように言う。決して悪意があるようには見えないが、それでも、意に反して閉じ込めらていることには変わらない。
「あのご主人は私達にとっても大恩人なのです。逆らえません。それに、ここにあなたを入れてるのは、あなたを護っている事にもなるのです。本当なら、元気になったら、ご主人がここを訪れたいと言っているのです。それを逆に阻んでもいるのです」
「そうそう。だから、感謝してほしいな。若さんもご主人の訪問が嫌なら、男らしくこれからは若さんがご主人の下に通ってもらう」
訳分からないことを海丸が言う。女の方が男の下を訪れるなど、妻でも滅多にしない変な事だった。
「もちろん、目隠しで。あと、変な事を考えないように手を縛らせてもらいます。逃げられないように」
「私を縛めると言うのか! 無礼な! 如何に命の恩人と言えど、受け入れられない! 私は東宮だぞ、絶対に許さん! そのようにお前たちの主人に伝えろ! 私は東宮であると。そして、右大臣家に連絡を入れるのだ!」
怒りのあまり、とうとう言ってしまった身分だが、山丸と海丸は疑いの眼差しを向ける。だが、一応、柊の宮の真剣さに押されてか、主人に伝えてくれると言う。
そして再び恥ずかしがり屋の主人を目隠しで訪問させられた。
「山茶花の君は、真に東宮様なのですか? 御所におられるはずの?」
「そうだ、訳あって右大臣家をお忍びで訪問した帰りに賊に襲われたのだ。急いで私は御所に戻らねばならぬ! 右大臣家に連絡し、私を解放せよ」
「東宮様! ああ、私の東宮様だわ! お告げの通りよ! 山茶花の花が、私にも咲いたのだわ!」
「私は御所に戻らねば……!」
女は全く柊の宮の言う事は聞かない。嬉しそうに抱きついてきては、山茶花の運命だとか何とか、ピーチクパーチク話す。腹が立つままに逆らいたいが、目隠しで剛力に囚われ、山丸と海丸が見張っているためそれも出来ない。危害を加えられる訳でも無い代わりに、逃げることもできなかった。
それどころか、それから毎日、柊の宮は目隠しの訪問を強要された。部屋に戻ると、山丸と海丸が申し訳なさそうにして、それなりに世話はしてくれるが、監禁生活は中々終わらない。
「そんな時だった、ようやく桂木の宰相と白梅の君が助けに来てくれたのだ」
柊の宮は改めて感謝の眼差しを二人に向けた。




