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番外編 東宮の受難3 ~柊の花~

 賊の一人が背後から怒鳴るや、黒雲の影のような物が、馬上の柊の宮に頭上から襲い掛かった。


投網(とあみ)!? 私は魚か何かか!?)


 左右から投げられた網に馬も人も頭部を覆われ、馬は驚き思いもしない動きで暴れた。網に囚われたため思うように体は動かず、上手く馬を制することも出来ない。柊の宮は勢いよく投げ出され、激しく地面へと横向きに身体が叩きつけられた。強烈な痛みが全身を走り抜け、一瞬呼吸も止まった。


 遠くなる意識の先で、男たちの物騒な会話が聞こえてきた。網を掛けられたまま、誰かに縄で縛められた。その衝撃で胸に激痛が走る。あばら骨の何本かが折れたのかもしれないと、柊の宮は死も覚悟した。



 里帰りしていた女御(にょうご)の所に悪戯で訪ねて楽しんだ帰り、この兄宮は迎えにきた桂木(かつらぎ)の宰相と共に賊に襲われ、行方不明になった。こうして戻って来るまで、桔梗(ききょう)の君と恋人で妻である女御がどんなに心配したか。


 ようやくその時の話を聞かせてもらえると、桔梗の君は不謹慎ではあるが期待に胸を膨らませた。こうして元気な姿を見られた今だからからこそ語られる、きっと男としても辛い冒険や苦難があったに違いない。

 

「あの時のことはいつか語らねばと思ってはいた。……だが、もう一人の関係者もいた方が良いだろう。実は桂木の宰相もここに呼ぶようで言いつけてある。直に来るだろう。彼にも大いに迷惑を掛けたし、恩人だ。共に語りたい」

「!! 百合姫……」

「しっ! 落ち着いて、桔梗の君」


 兄宮の突然の呼び出し命令に、桔梗の君は大いに焦った。桂木の宰相は、今、ここに百合姫としているのだ。だが、その桔梗の君の動揺は、温かい頼りがいのある手で抑えられた。


 そこへ好都合なことに、女御の側仕えの女房、小雪が伝言を伝えるため、簀子(すのこ)に現れた。


「畏れながら、申し上げます。桂木の宰相様からのお遣いの者が牛車と共にお訪ねです。百合姫様に至急お邸までお戻り頂きたいとのことです」

「まあ、百合姫、何事かあったに違いないわ。無礼は許しますから、急ぎお戻りになられた方が良いわ」


 百合姫の正体を知る女御がすかさず、百合姫に退出を促す。柊の宮からの呼び出しに家人(けにん)達が困って、連絡してきたに違いないと察したのだ。


「そ、そうよ、百合姫。私も下がる事を許します。きっと急ぎなのよ。お行きなさい」

女東宮(にょとうぐう)様、私事でご無礼し、大変申し訳ございません。おそらく、病で寝込んでいた乳母の容体が、急変したのではないかと思います。年寄りですので」


 さもありそうな言い訳をして、百合姫は桂木の宰相の姿になるべく、急ぎ帰っていった。

 そして今度はスッキリと爽やかな様子の直衣(のうし)姿で、桂木の宰相が外御簾を巻き上げ、内廊下の(ひさし)に現れた。

 おそらく狭い牛車の中で、急いで着替えたものと思われる。まったくもって落ち着き払った貴公子振りに、桔梗の君は感心した。なよやかな天女から、凛々しい美形公達への見事な変身だ。


「お呼びと伺い、参上致しました。妹、百合姫のご無礼、申し訳ございません」

「ああ、参ったか、桂木の宰相。妹君の事は気にしなくて良い。病身の乳母への心配を抱えつつも、幼い女東宮に仕えてくれて感謝している」


 事情を知らないとは言え、柊の宮はやや間抜けにも見え、しかも密かに結婚したも同然の妹宮を『幼い』などと言っている。思わず桔梗の君と女御は内心呆れ、チラリと同意を得る視線を交わしてしまった。

 

「ようやく関係者もそろったし、行方不明の時のことを説明する。桂木の宰相からも話してくれ。白梅の君も(ひさし)に参れ」

「御意」


 几帳(きちょう)の陰でこれから語られる話に胸をドキドキさせる桔梗の君と女御に、三人は語り出した。



 夜明けだった。右大臣家から御所へと向かう途中、襲撃者が味方の守護の壁を掻い潜って襲ってきた。桂木の宰相が何とか一頭の馬の(くつわ)を捕らえると、東宮・柊の宮は、直衣(のうし)姿でもひらりと身軽に騎乗した。


「宰相!」

「お逃げ下さい! 早く!」


 家臣を見捨てることができずにいると、桂木の宰相が馬の尻を殴りつけた。途端に馬がまさしく弾かれたように駆け出す。その背後から矢が襲い掛かってきた。振り返り、桂木の宰相の身を確かめたくても、危険でおちおち振り向くことすらできない。

 

(とにかく急ぎ御所に戻り、助けを!)


 味方を呼ぶため御所へと向かう柊の宮に、横道から騎乗した賊が新たに現れ、並走する。どうやら逃げ道を予想して、待ち構えていたようだ。その証拠にチラリと見た時に、手に何やら大きな縄の塊のようなものを持っている。

 

「言われた通りだ! よし、捕まえろ!」


 賊の一人が背後から怒鳴るや、黒雲の影のような物が柊の宮の頭上から襲い掛かった。


投網(とあみ)!? 私は魚か何かか!?)


 左右から投げられた網に馬も人も頭部を覆われ、馬は驚き思いもしない動きで暴れた。思うように体は動かず、上手く馬を制することも出来ない。柊の宮は勢いよく投げ出され、激しく地面へと横向きに身体が叩きつけられた。強烈な痛みが全身を走り抜け、一瞬呼吸も止まった。


 痛みに思わず呻いていると、追いついた賊の者達が下馬するなり、柊の宮にさらに蹴りを入れ、動けなくする。


「なあ、まさかこのまま殺すのか?」

「馬鹿だな、殺したらそれで終わりだ。下手したらこっちまで口封じで終わりだ。何度も金を引き出すには、まだ生きてるって脅すんだよ! 生きててもらっちゃ、困るようだったからな」


 遠くなる意識の先で、男たちの物騒な会話が聞こえてきた。網を掛けられたまま、誰かに縄で縛められた。その衝撃で胸に激痛が走る。荒い息で、あばら骨の何本かが折れたのかもしれないと、柊の宮は死も覚悟した。抵抗する気力も無くなり、ぐったりする。


「それで、生きてるのか?」

「ああ、気を失ったようだ。公家(くげ)の若様には手荒過ぎたかもしれんな。だが、息はしてるぜ!」

「よし、急いで運べ! 早くしないと人目に付くぞ!」


 誰かの掛け声で、まるで荷物のように手荒く馬に横向きに乗せられた。駆ける馬の激しい揺れによる激痛で、思わず声を上げそうになるのを堪える。このまま気を失ってしまっては、どこに連れて行かれるか確かめようもなくなってしまうからだ。

 

「おおっと、そこまでだ! その若さんはこちらに渡してもらおうか!」


 柊の宮の意識が痛みで朦朧としてきた時、賊に声を掛け、長い棒を片手に持ちつつも、両手を左右に大きく広げて賊の馬の行く手を阻む男が現れた。庶民にありがちな括り袴に直垂(ひたたれ)姿のため、どこかの家人(けにん)か、それどころか救いの手なのかどうかも分からない。言葉遣いも助けに来たという割には妙だった。三十代くらいの年で逞しいがっしりした体つきの者だった。

 

「なんだ!邪魔する気か!」

「我が主がその若さんをご所望だ。もらって行くぞ!」

「ふざけるな!」


 俄かに戦いが始まった。賊は馬やら剣やらで襲い掛かるが、立ち塞がった男は身の丈程の棒で見事に受け流しては叩きのめしていく。剣術に優れる紅葉(もみじ)の中将に匹敵する素晴らしい技量だ。どこからか矢まで飛んできて、次々と賊が射貫かれ倒れていく。

 

 称賛の声を贈りたいが、戦いのせいで馬上にいる柊の宮の弱った体が激しく揺れる。不自然に横たわって乗っているだけに吐き気までしてきたのだ。


 不意に柊の宮と一緒に馬に乗っていた賊の男が馬からドサリと落ちた。見ると、矢を何本か受けて血を流している。

 

「よし! いただきだ! ははは!」


 棒の男がやって来て、柊の宮の馬にひらりと跨った。力強く馬の腹を蹴るや、馬を勢いよく駆け出させた。

 

(頼む! もう少しゆっくり、穏やかに! あばら骨が!)


 激痛に耐えながらも、柊の宮は疾走する馬から投げ出されないようにと姿勢を保つ。しばらくすると、ようやく馬の脚が止まった。

 もう死にそうな弱々しい目つきになった柊の宮の視線の先には、みすぼらしい牛車が一台止まっていた。側には馬に乗った二十代の細い直垂(ひたたれ)姿の若者がおり,その手には弓矢が握られている。どうやらこの若者が棒の男を援護していたらしい。

 

 棒の男はスルリと馬から滑り降りると、力強く柊の宮を抱き下ろす。地面に足が付く前に、そのまま子供の用に横抱きにされたまま牛車の後ろから中へと押し入れられた。一向に縄を解く様子も無く、丁寧さに欠ける扱いのため、助けられたという気がいまいちしない。


(助けてくれたのだろうか? それとも新たな誘拐か? 牛車ということは、それなりに財産がある者と思うが……)

 

 縄を掛けられたままではあるが、なんとか柊の宮は座る。奥に誰かがいるが朝方の牛車の中は小窓も開いていないため薄暗い。さらに中に漂う香りが、妙に甘ったるくて気分が悪くなる。

 

「ああ、ご無事だったのですね、我が君!」

「!!」


 ガンガン響く女の大声が牛車の中に響き渡るや、艶やかな(うちき)を纏った細い身体が柊の宮に体当たりを食らわし、腕が剛力で抱き締めつけてきた。激痛が走る。

 

「あら!? 我が君、いかがされました? ご様子が? 大変だわ! 山丸(やままる)海丸(うみまる)! 急いで邸へ向かっておくれ! 早く!」


 ゆっくり進むはずの牛車が、ぎしぎし、ガタガタと壊れそうな凄まじい速さで進み出した。それこそ柊の宮が、へ~,牛ってこんなに速く馬みたいに走れるのか、と思うほどだった。


「もっと速くよ! もっと!」

 

 限界だった。未だに蛇のように体を剛力で締めあげる細腕と縄、前後左右に激しく揺れる牛車のこれまでに無い素晴らしい乗り心地のため、柊の宮のあばら骨の痛みは限界を超え、情けなくも気を失ってしまった。

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