恐怖の女東宮
長くなったので、2話連続投稿です。次話が最終話です。
2017/05/04 誤字脱字を修正しました。
まさか、この桔梗の君が女東宮様だったとは!!
袴を掴んで前を小走りする唐衣裳姿のか細い身体。その背後を守るように付き従いながら、百合姫は内心驚愕していた。
目の前の少女は、野辺に咲いた幼く青い桔梗の花のような愛らしい姫君だったはず。不安に怯える身体を何度もこの腕に抱き締め護ってきた。童姿になっても己を恥じることなく何かに向かって頑張り抜く、一生懸命な少女。その姿を見るたび、己の姿を恥じていたことが、内心情けなく思えていた。ありのままの自分を恥じていたことが。
だが、実はこの頑張り屋の少女は、後宮の奥深くの御簾内で傅かれて護られるべき、最も高貴な血筋のやんごとなき女五の宮、女東宮だったのだ。
かつては『忘れられた姫宮』と言われていたが、兄東宮が行方不明になるや、帝のただ一人の親王である橘兵部卿の宮を強引に押し退けて東宮位をつかみ取った。
天下最大の権力者である左右大臣を手玉に取り、大納言家と正面から敵対している。更には、困り者の女三の宮をやりこめ、左大臣家の姫を手先に遣い、敬意を集めている前斎宮すら抑え込んでいると聞いた。
後宮では陰で、『恐怖の女東宮』と噂されている少女だ!
この噂の事を桔梗の君が知ったならば、酷い! 私は皆を守るために一生懸命なのに! と大いに嘆くことだろう。
何故か文遣いの童姿で後宮内を出歩いていたところから、忍び歩きが好きな兄宮に、少女の性格は結構似ているようだ。本人を目の前にしていながらも信じ難い。
こうして考えてみると、百合姫には思い当たる節もあった。
高貴な女東宮でありながら、身分低い文遣いの童を助けただけで、住まいの梨壺北舎に招いたり、親しく言葉を交わして友人になりたがったり。それも桔梗の君が女東宮であったなら、何度も助けた百合姫に恩と親しみを感じて当然だった。
手に摘んで愛でていた桔梗の花が、もう手の届かない存在になってしまった気がして、百合姫の心は締め付けられるように痛んだ。
角を曲がるや、前方にのろのろ進む文官武官の集団が見えた。どうやら帝の下へ向かう女東宮に付き従っているらしい。
三人で角柱の陰から、顔を隠しつつも集団の様子をそっと伺う。
「ひ、姫宮様、いかがなさいますか! こう人が多くては、押し退けて先頭の女東宮の行列にたどり着けません!」
先導していた竹の式部が扇で顔を隠しつつ、桔梗の君に動揺しながら囁く。
「こんなに人がいるなんて……。三の宮はどうしているのかしら? 側にいられると、入れ替わるのに、面倒なのだけれども」
「それは、楓尚侍が上手く誘導されて、先に帝の下へと向かわされました。高貴な相談役に先導してもらいたいと言って。女東宮様を背後に引き連れて歩くと分かり、大いにご機嫌のご様子でした」
「流石、楓尚侍ね! 上手いわ!」
楓尚侍の機転に、桔梗の君は感心した。三の宮の虚栄心をくすぐった、実に上手い手である。あとはいかにこの文官武官を押し退けて楓尚侍に近付くか、だけだ。
「左大臣家の、紅葉の中将の妹姫様が身代わりをされているのですか……。なんと、大胆にも恐ろしい事を……」
状況を理解した百合姫のかすれ声の呟きで、桔梗の君はひらめいた。
「百合姫様、これから私がすることをお許しいただけますか?」
「何をされるのかは分かりませんが、私はいつでもあなた様のお味方ですわ」
百合姫が桔梗の君を励ますように、そっと手を握ってくれた。温かい大きな手。その手は、女東宮と知ってからも、これまで通り友人であると伝えるかのようだ。桔梗の君は力を得た。
桔梗の君は扇で顔を隠しつつ、柱の陰からずいっと進み出た。勇気を振り絞り、腹に力を込め、前方の文官武官の集団の背に向けて声を張り上げた。
「道をお開け下さい! こちらにおられるのは、式部卿の宮家、桂木の宰相様の妹君にして、麗景殿の女御様のお遣いであらせられます百合姫様です! 女東宮様へのお遣いでございます!」
(桔梗の君、一体何を!?)
突然の少女の声に「えっ!?」と驚き、集団の歩みが止まって一斉に背後へと振り向いた。
出来る限り目立ちたく無かった百合姫は、突然の紹介に、内心あたふたし驚いた。
だが、ここで恥じらって逃げる訳にもいかない。豪胆な少女の無謀な作戦に乗るため、即座に決意し、柱の陰より扇と袖で顔を隠しつつ身を現す。できるだけ威厳を込めて睨み下ろすかのように、スッキリと背を伸ばした。
おお! あれが式部卿の宮家の天女の姫君!? 紅葉の中将様ご執心の姫君だ! 噂通り、本当にお背が高い!
天女の威厳に押されてか、背の高さに圧倒されたか分からないが、恐れおののくように人垣が左右に割れた。ヒソヒソと驚きの声があちこちで上がる。
(本当に、自分の目的のために何でもするよ、この女東宮は!! 正に『恐怖の女東宮』だ! あの麗景殿の女御と気の合う友人だというのも頷ける。類は友を呼ぶ。同じように、平気で人を人身御供にした!)
突然多くの殿上人の注目を集め、はしたなくもその身を晒すことになり、百合姫は恐ろしさと恥ずかしさから思わず死にたくなった。自分をよく知る人に見られたら、下手すれば身の破滅だ。
桔梗の君の視線を受けて心得ましたとばかりに、竹の式部も背後から進み出て、恥じらう百合姫を先へと促す。百合姫を注目の的の人身御供にすることで自分から人々の視線を反らし、先導する女房顔で桔梗の君は、堂々と女東宮の列へとしずしず歩み寄る。
後方の騒ぎに女東宮の行列も歩みを止めていた。尊い高貴な女東宮の姿を隠すように、数人の女房が几帳を持って取り囲んでいる。
「ご無礼、申し訳ございません。女東宮様のご友人、麗景殿の女御様より急ぎのお遣いでございます」
「聞こえていました。百合姫様、どうぞこちらへ。女東宮様はお話をお待ちでございます」
桔梗の君の声をよく知る松の式部が気付き、百合姫とその側仕えの三人を几帳の内に招き入れてくれた。
「間に合って、ようございました、女東宮様! 帝の下へ到着してしまっては、ご挨拶せずにはいられませんし、帝は女東宮様のお顔をご存知ですしで、進退窮まっておりました」
ヒソヒソ声で楓尚侍が、安堵の声を漏らした。
「遅くなってごめんなさい。ここまでよくやってくれたわ、ありがとう。ここまま進みましょう」
「ご衣裳はいかがされますか? この三の宮様とお揃いの表着を脱ぐことができず、ここまで来てしまって……」
「そうね、とりあえず、表着だけ脱いでいただくわ。百合姫様、申し訳ございませんが、私達を隠すように背後にお立ち下さい。松の式部、竹の式部、やって!」
「はっ!」
「え? ここで?」
背の高い百合姫が背後に付き、何気なく袖を広げるようにして二人の姿を背後の文官武官から隠す。すると、松竹の式部が楓尚侍の左右に立つやシュルシュルッ! と衣擦れの音がし、あっという間に楓尚侍の表着一枚だけが抜き取られていた。二人の見事な連携離れ技だ!
「す、凄い技ですわ! いったいどうやって? 私、ただ立っていただけですのに、あっという間に……」
初めて目にして体験した離れ業に、さすがの楓尚侍も驚く。己の身支度に変な所が無いかとキョロキョロ確かめるが、楓尚侍自身の表着、唐絹や裳裾にも全く不備は見つからない。
「ほほほ、伊達に年は取っておりませんので。私共は女東宮様のお母上様の代からお仕えしております。このような事一つできなくては、高貴なお血筋の姫宮様の筆頭女房にはなれませんわ」
「楓尚侍様には初めから抜き取りしやすい様に、この表着は着付けさせていただいておりました。これも隠し技の一つですのよ、ほほほ」
松竹の式部は己の技を見事に決められたことに、鼻高々に大いに自慢顔だった。反対になぜか百合姫は顔を紅く染め、恥ずかし気に視線を反らしている。
「さあ、行きましょう、帝の下へ!」
「女東宮様はお召しになられなくて良いのですか?」
「脱ぐよりも、着付ける方が大変よ。楓尚侍と違って、私には女東宮である証拠の衣は必要ないの。帝が私にお会いになれば分かる事ですもの!」
「確かに……」
突然の百合姫の登場に訝しむ文官武官の視線を桔梗の君は無視した。いかに騒ごうとも、もう本物の女東宮にすり替わったのだから、恐れるものは何も無い。左右に百合姫と楓尚侍を当然のように従え、松竹の式部の持つ几帳に囲まれながら女東宮は歩き出した。
帝の観覧部屋に招き入れられ、桔梗の君は無事に奥御簾越しに拝謁できた。背後の几帳向こうの席には左右大臣や大納言家、各宮家などが連ねて座している。
「女東宮よ、ご無事であったか。何やら外で襲撃騒ぎがあったそうな。心配していた」
「畏れ入ります。私は忠義心厚い家臣に護られ、無事でございます。帝にまでご心配いただき、ありがたき幸せでございます」
扇で慎ましくも顔を隠しつつ、女東宮として、後ろに控える楓尚侍や百合姫などと揃って伏して礼をする。
ふいに、帝が御簾内に入るよう扇で手招きした。非公式の駒競の場でもあり、妹宮と言う事もあってか、特別に女東宮に隣の座を許されたようだった。
しずしずと女官に巻き上げられた御簾の下から桔梗の君は中に入り、もっと身近な几帳越しに帝と対面する。何故か帝はジッと桔梗の君を見つめていた。
「妹宮よ、そなたにとって、未だ安泰の道は遠いようだな。東宮位に就かれるとき、申したはずではあるが……」
誰にも聞こえないよう小声で、帝は痛まし気に呟く。
「帝? 何を仰せられておられますか? 私は無事であると……」
「危険な目に遭われたようだ……」
何をそんなに心配しているのかと桔梗の君が首を傾げると、帝は手に持つ扇で己が首を指し示す。
ハッ! と気付いて、桔梗の君は自分の首にそっと触れる。御簾越しで扇で隠しつつも、橘兵部卿の宮に絞められた跡を見られてしまったらしい。おっとりされているようで、帝は意外と目ざとかった。
桔梗の君は鏡を見ていないので、自分では気づかなかったが、紅い痣にでもなってしまっているようだ。
「そなた、僅か一年の東宮位を守るために、真に死ぬつもりか?」
「以前も申し上げました。私は生き残る覚悟でございます。死ぬつもりはございません」
「我が息子、橘兵部卿の宮も、そなたほどの強い心があれば、何があったにしても東宮位に就くことができていたであろうに……」
この首を絞めたのは、その橘兵部卿の宮だけどね! と先程の事件を桔梗の君は思い出した。兄帝がこのように可愛がっているからと、取引もあって許してしまったが、忌々しい苛立ちに思わず扇の陰で鼻息が荒くなる。
「そなたは姫宮でありながら、自ら動き強引に掴み取った。橘兵部卿の宮は、誰かが自分のために動いてくれるのを夢見る。だが、帝位はそう甘いものではない。それは私が一番良く分かっている。あの駒競のように、馬は自ら走らねば、一番速い馬とは言われぬ……」
「馬でございますか……?」
物の例えと分かっていても、可憐な乙女としては、馬と言われて嬉しくはない。
それにしても帝の口調には悲しみが滲んでいた。ひょっとしたら、女東宮の企みに勘付いて、橘兵部卿の宮に東宮位を与えることを諦めたのかもしれない。
「貴族に手綱を取られて走らされる馬だよ、我々は……。何はともあれ、可愛い妹宮よ、生き残って何よりだ。直に、そなたの自慢の文遣いの奉納楽であるな。私とて弟宮には生きていてほしい。私からも祈願しよう」
「ご心配、ありがたき幸せでございます。拝謁をお許し頂いたばかりで申し訳ございませんが、奉納楽前に、祈願に神殿へ参ります。お許し下さい」
「許す。……心強いそなたなら馬にはならず、手綱を握る操手になるやもしれぬな。戯言だ、気にするな……」
帝に許しを得た桔梗の君は、その場を辞して神殿に向かう。チラリと横目で家臣席を見た時、大納言から忌々し気な鋭い視線が突き刺さった気がした。先程の襲撃にでも関わっており、失敗を目にして悔しがっているのだろう。
(悔しいのはこっちよ! あなたが犯人でしょう! と名指しできる証拠が無いのが悔しいわ!)
女東宮を敵対視しているのは、大納言家が筆頭だ。桔梗の君は、当てつけるように、私は元気です! と怯えを微塵も見せず、余裕の態度で観覧部屋をしずしずと退場した。




