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桔梗の君

更に美形貴公子の登場です。

2017/05/03 誤字脱字を修正しました。

 梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)には元々若い気のきく女房は少ない、と言うかいない。なぜなら、梨壺の東宮の下に皆集ってしまうからだ。

 東宮は21歳の若さで、美しいと評判だった母上に似て眉目秀麗、更には寵愛する女性はまだ麗景殿(れいけいでん)女御(にょうご)しかいない。そのため、自信のある女官や女房達は、少しでも目立とう、あわよくば寵愛を得ようと東宮のいる梨壺にいるのだ。自然、別棟の梨壺北舎には昔から仕える年寄りの女房ばかりだったが、皆、突然の後宮暮らしにおどおどしている。

 これからの企みのためには五の宮には、その方が好都合だった。


 兄東宮の昔の狩衣(かりぎぬ)奴袴(ぬばかま)を縫い直したいから、持ってまいれと五の宮が命じると、年寄り女房は女らしい行いで結構なことですと、喜んで北舎に複数持ち込んできた。一日二日では縫いきれない量である。

 これで落ち着きのない幼い五の宮も、しばらくの間は麗景殿の女御に迷惑をかけることもなく、縫物に夢中になって静かであろうと、皆喜んでいる。

 扇の陰で、東宮そっくりにニヤリと五の宮は笑った。企みの第一段階が終了した。

 そもそも兄の召し物は、縫い直す必要などない。側仕えの女房が丹念に手入れをしているはずだからである。


 一人静かに縫物をしたいの、とさっさと女房達を周囲から追い出し、五の宮は兄東宮のお古の狩衣を身に着けた。重い(うちき)を重ねて着こむ姫君の衣装に比べて、内着の(ひとえ)に上着の狩衣姿は、実に身軽で動き易い。

 長い黒髪を左右の耳の所で分け縛り、丸く括って下げみづら髪にする。丸くするのは大変だったが、何とかできた!


 柱の影から渡殿わたどのを確認する。梨壺から麗景殿横の簀子(すのこ)には誰も特に注目していないようだ。

 五の宮はさり気無さを装い、そっと柱の影から出て、両手に文箱を持ち渡殿わたどのを歩く。


 文箱はここにいることを問われた時の言い訳に使うためだ。中には麗景殿の女御様に宛てた女五の宮からの文が収められている。大事な小道具として、準備したのだ。


 立場や名を聞かれた時は、女五の宮の母方の遠縁で、文遣いの者と名乗るつもりだった。仮にも東宮様と同腹の姫宮の者だ。その場は言い逃れできると五の宮は考えていた。


 渡殿を抜け、麗景殿横の簀子を進むその姿は、後宮によくいるお遣いを頼まれた狩衣姿の殿上童(てんじょうわらわ)にしか見えない。


(ああ! 誰も気づかないわ、案外簡単ではないの! お文遣いの童になど、誰も気にも掛けないのね)


 しずしず簀子(すのこ)を歩きながら、目だけで庭を探り、憧れの紅葉の少将を探す。麗景殿で細かく観察していた結果、そろそろ後宮に顔出しする頃なのだ。

 左大臣家の姫である帝の承香殿(じょうきょうでん)の女御が、紅葉の少将の姉姫だ。弟として定期的にご機嫌伺いに訪問し、その帰りに麗景殿の庭で素振りをする。承香殿は麗景殿の南斜め向かいなので、庭に出やすいようだった。


 いらっしゃるかも、いらっしゃるかもと期待に胸をドキドキさせて庭に目を配りつつ、麗景殿の角を曲がった時、ドン! と誰かにぶつかってしまった。五の宮より大きい公達だったため、思わずぺそっと五の宮は尻もちをついてしまった。

 紅葉の少将の姿を求めるあまり庭にばかり注目していたため、更には御簾(みす)で角向こうの気配に、五の宮は注意してなかったのだ。


 これまで姫宮としてあまり出歩いたこともなく、真向いの御殿である麗景殿の女御に会うときは、梨壺の女房達に取り囲まれながら先導されて几帳(きちょう)で隠れながらの移動だった。だから見知らぬ誰かにぶつかる可能性があるなど考えたことも無かったのだ。これからは一人で出歩くのだから、もっと気を付けねばと、五の宮は心した。


「ああ、済まない! そんなに強くぶつかったつもりは無かったのだが……。怪我は無いか?」

「こ、こちらこそ申し訳ございません。失礼いたしました。よく前を見ておりませんでした!」


 五の宮は慌てて、身分低い文遣いの童が取るであろう行動として、そのまま簀子に伏してお詫びの礼をした。


 だが、無作法な文遣いの童を叱ることなく、優しく手助けし助け起こしてくれたのは、紅葉の少将に負けず劣らずの美形の若い公達だった。年20歳前後で、兄東宮や紅葉の少将と同じくらい。兄東宮の威厳、紅葉の少将の精悍さとはまた異なり、その『雅やか』さに、まあ、と思わず五の宮は驚く。爽やかに年少者を労わるように微笑んでいるのは、まさしく貴公子だった。


 梨壺を抜け出した途端の失敗を叱責されずに済んで、感謝の気持ちで五の宮も微笑み返した。


 だがその公達は、文箱を持ちつつ立ち上がった文遣いの童の姿を頭の上から足元まで訝しげに見改める。思わず女とバレた? と五の宮の胸は、心配でドキドキし出した。


「ああ、そなた、何という姿をしている。ちょっとこちらに来なさい!」

「え? 姿? あ、こ、困ります! 私は麗景殿様にお文をお届けに!」

「麗景殿様だと! 尚更許せぬ! 美しくない! 乱れた姿で後宮を歩くなど、帝や女御様方にご無礼だ。直して差し上げるから、きちんとしたお姿になりなさい!」


 その公達は細い手をむんずと掴み、主の住んでいない宣耀殿(せんようでん)へと動揺してあわあわする五の宮を無理矢理引きずって行った。

 

 たかが召し物を直してもらうくらいで、この童は何をそんなに抵抗しているのだ? と公達は不思議に思わずにはいられない。

 本当なら親しい女房が着付けを直すのが筋だが、生憎、このような仕事を頼めるような親しい知り合いが近くの麗景殿にはいない。東宮様や女五の宮様の梨壺の女房になど、畏れ多くて頼める訳もない。しようがないから、自分が見られるほどに直すためにと、主のいない宣耀殿(せんようでん)へと連れてきたのだ。


 御簾(みす)をくぐって五の宮はグイッと中に引き摺り込まれた。

 いくら美形でも見知らぬ公達である。こんな人気のない所に連れ込まれては、どんな事になるか分からない。もしも女とバレたら? 今更になって、五の宮は、無謀にも一人で梨壺を抜け出した事を後悔し始めた。


「いいです、構わないで下さい! 触らないで下さい! 私、自分で直します!」

「触らねば直せない! 背中や後ろの帯は、自分ではどのようになっているか分からないであろう? ジッとしていなさい。さあ、ほら、まずは文箱を下ろして」


 あっさり文箱を取り上げられて、腕を取られて逃げられないように押さえつけられた。


 いや~! 触らないで! 兄上、助けて! と、殿方に触られてる~! 怖い!

 

 五の宮は内心で大きな叫び声を上げて逃げようとするもできない。雅やかな雰囲気のためか一見軟弱に見えるのに、意外にもその手は力強く、ガッチリ掴まれたままだった。

 

 ジタジタする童の腕を押さえながら、器用にもその公達は背後に回って、まず、乱れた狩衣の腰の当帯に指を入れて左右に皺を伸ばし、引っ張り直した。

 

「ひ、ひえ~! こ、腰は止めて下さい! ゾクッとします! お止め下さい!」

「いったい誰がこんないい加減な着付けをしたのか。仮にも子息を参内させるなら、女房がしっかり装束を整えるはずだろうに……」


 ギャーギャー騒ぐ童と思ってか、ぶつくさと呟きながらその公達は躊躇いもせずに、五の宮の装束に指を入れ、引っ張っていく。

 

「ほら、背筋を伸ばして。帯だけではなく、狩衣もあちこち歪んでいるではないか!」

「も、申し訳ございません。慌てて参内したので……」


 五の宮の首元から肩の左右に布を引っ張り、更には背を撫で下げる様に下へと布をならす。

 背中への刺激に思わずびくっとした五の宮に、公達が笑いをもらす。


「ああ、済まない。またゾクッとしたか? 本当は内側の(ひとえ)から直してやりたいのだが……」

「と、とんでもない! 結構です! お許しを!」

「最後に、こちらを向け! ほら、表側まで歪んでいるではないか。腰の帯がこう、上着の狩衣をたくし上げているところが……」

「いいです、こちらは自分で直しますから、大丈夫です! お許し下さい!」

 

 手をバタバタさせて必死に抵抗する童など気にもせず、その公達は左右均等になるようサッと肩から胸を撫でおろして布を引き延ばした。

 あらぬ刺激を受けて、またもや五の宮は、びくっとなってしまった。


「!!」

「……」


 二人の動きが固まった。


 さ、触られた……。よりにもよって胸を……。落ち込む五の宮。


 今の手の感触はもしかして? いや、しかし? と目を見開き、僅かに手をピクピクさせている貴公子。


 胸を撫で下ろしたその手が、とあるモノを感じ取ったのかもしれないが、不確かであったようだ。


 麗景殿の女御ほど目立つ胸ではないため、五の宮は胸のふくらみなど気にもせずに(ひとえ)を纏っていた。普通に対面しているだけなら、ふんわりした狩衣などで誰も胸にふくらみがあるなど気付かなかっただろう。

 もし麗景殿の女御が狩衣姿になっていたら、出るところは出ていて、それでいて華奢なお姿だったろうにと思う。自分ですら隠す必要が無いと思えたのは、少女にとって悲しくも屈辱的な事実だった。


「そ、そなたは何者だ? ただの童ではない。この狩衣も非常に良い布だ」

「畏れ多くも東宮様と女五の宮様の母上様方の遠縁の者です。この度女五の宮様の文遣いをさせていただくことになり……」


 気まずさに俯きながら、考えていた身の上を五の宮はぼそぼそと語る。

 公達はジッと文遣いを名乗る童を見つめて、何か思案しているようだった。


「そうか、それで親しい麗景殿の女御様にお文を……。あ~、女五の宮様も麗景殿の女御様からのお返事を心待ちにしておられるやも知れぬ。早々に、お届けに行くがよい」


 まるで何事もなかったかのように、彼は取り繕っていた。


 娘であることに気がついたような気がするのだが、彼はこれ以上何も問わない。

 ひょっとして屈辱的な事に、乙女の胸とは思わなかったのだろうか?

 バレずに済んで良いのかもしれないが、ある意味、多感な乙女に取ってそれはそれで、非常に悲しすぎる。


 床に置いていた文箱まで手渡してくれ、その箱の表面に刻まれた花の絵を見て、その公達は優しく微笑む。

 

桔梗(ききょう)の模様か……。何処の花かは分からないが、青くて華奢な、野に咲く桔梗の君だね」


 その雅やかな公達は怪しい童(五の宮)に詳細を問うこともなく、意味ありげに微笑んで、ざっと御簾を上げて簀子へと導く。


「すぐ隣の御殿だが、麗景殿まで共に参ろうか。通り道だからね。さあ、私と一緒に行こう、桔梗の君」


 麗景殿にお文を届けると言った手前、このまま梨壺北舎に逃げ帰ることもできない。五の宮はしようが無く、その公達の後をついて、共に麗景殿に向かった。

セクハラ?

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