相談役
長くなったので、2話に分けました。
2017/05/04 誤字脱字を修正しました。
(それにしても、文遣いの童一人に随分と大きく策が図られたわね。牛車に数人の男達だなんて)
ピーチクパーチクと鳥が囀るような賑やかな不協和音に包まれながら、桔梗の君は御殿最奥の御簾内で扇を広げ、思い返すや、からくも助かった先日の事件に安堵のため息をついた。
以前、攫われた時は、後宮にいるそこら辺の文遣いの童を唆してやらせた。だが、今回は夜盗もどきの大人の手で、後宮の外へと攫おうとしたのだ。
お文まで用意して、本格的に桔梗の君だけを狙ってきた。手引きできるほどの上位の貴族が絶対に関わっている。女東宮に不満を持つ者達だろうか?
(ひょっとして、文遣いの童が女東宮だと誰かにバレたのかしら? 女東宮まで神隠しにあったら、時間稼ぎどころか、あっさり橘兵部卿の宮が東宮になってしまうわ……)
深く考え込んでしまったところで、几帳の向こう側から甲高い声と扇を強く打ち鳴らす不協和音が大きくなった。
「女東宮様! ちゃんと起きていらっしゃいますの? 私がこうして申し上げておりますのに、几帳の陰で居眠りされるなど、帝の姫宮を客として迎えておきながら、失礼ではありませんか!」
声を上げて不満を示したのは、こちらの意向を確かめもせず、いつものように突然押しかけ訪問をしてきた女三の宮だった。
桔梗の君は攫われそうになった事の背景を考えながら、いつものように適当な返事をしていたので、気持ちがここにあらずが伝わったようだった。
それこそ『同じ』姫宮同士? の時は、訪問するのは下位の者がすることと三の宮は避けていたらしい。だが、相手が女東宮なら仕方が無いと、変な所で心が納得したらしく、今では思いつくままに堂々と梨壺北舎にやって来る。
「全く、こんな頼りないご様子では不安です。ですから、私は、御所のしきたりに疎い、鄙びた所でお育ちの女東宮様の相談役をして差し上げることにしました。殿方の家臣をお持ちになるわけには参りませんでしょう? 『同じ』姫宮同士ですから、一番相応しいのは私だと、お思いになりませんか?」
「はぁ~?」
(話、全然聴いて無かったけど、突然、何? 相談役って何するつもり?)
「そうですか、女東宮様もそう思われますか……。相応しいのは私しかおりませんから、仕方のない、当然の事ですものね」
自分の提案を女東宮が受け入れたものと思い込んだ三の宮は、満足気に几帳の向こう側でうんうんと頷いている。
まあ、姫宮様のお話しは楽しいですわね、と三の宮仕えの女房達は女主の話を冗談にしようと笑った。女東宮への不敬罪に当たらないよう、三の宮の暴言を誤魔化そうとしているらしい。
無理にホホホと笑わなくても、女東宮側の者達には、いつものように誰も真面目に咎める気にもならないが。
この梨壺北舎では、新たに楓尚侍が女東宮の側近くに仕えるようになったこともあって、身分の高い三の宮は女東宮と共に奥御簾内に入ることを許され、いくつかの几帳を隔てて女東宮と『親しく』話をしている。それもまた自分だけに許された特権であると、三の宮は思っていた。
そこへ、おずおずと楓尚侍が奥御簾向こうから声を掛けてきた。さすがの野心溢れる楓尚侍も、血統重視で権力や威厳を全く意に介さない三の宮には、苦手意識があるらしい。
「何事なの? 今、女東宮様の相談役たる私が、大事なお話をしているところなのよ! 楓尚侍も私からの指導が必要なようね!」
「(何ですか、その御役目?)女東宮様、姫宮様、ご無礼、大変申し訳ございません。実は、滝尚侍様が帝からのお文をお持ちになって、御越しになられております」
「そう、父帝からのお遣いなら、しようがないわね。お通しして良いわ」
扇で顔を隠しつつ、三の宮がツンと高慢な口調で返事をした。
(ちょっと! 何、勝手に返事しているのよ! ここの御殿の主は、私! 女東宮の私よ! それに誰が相談役ですって?)
女東宮としての嗜み上、三の宮に怒鳴りつけたいのを抑えて、桔梗の君は真の主の返事を待つ楓尚侍に、御簾越しに頷いて許可を出した。確かに、帝からのお遣いなら、対面しないわけにはいかない。
梨壺北舎の奥に通されて、身分、礼儀作法に則った挨拶をするや、滝尚侍は文箱を差し出した。
「このたび、帝は大社にて行われる臨時駒競に行幸されることになりました。つきましては、かねてより女東宮様から願いが出されておられましたご参拝を、併せて行うことをお許しになられました。東宮自ら兄宮様のご無事を祈りたい気持ちはよく分かると仰せです。また、文遣いの桔梗の君の奉納琵琶楽も楽しみにしているとのお言葉を賜りました」
「!!」
滝尚侍の言葉に、桔梗の君は自分の耳を疑った。この命が狙われるであろう東宮位に就いてから、参拝など願い出た記憶は無い。
駒競は、馬二頭を走らせて馬術を競わせる催しで、帝が殊にお好みだった。
滝尚侍の話によると、今回は、従者では無く、身分高い殿上人の子弟から腕自慢を募っている。その参加する子息のため、上位貴族からの寄付もあり、奉納品や褒美、競技合間の宴も、豪華なものになるとのことだった。
このところ、明るい話題のない帝を喜ばせようと、無理矢理開催することになったらしい。
季節が寒くなってきているので、広い大社敷地内に殿上人用の臨時観覧用の館を設けることになり、それならば女東宮も参加参拝できるであろうと、帝が仰られた。不憫な妹宮の気晴らしを思っての事だろうが、桔梗の君にとっては危険を招くことになる。
「父帝はそれはもう馬がお好きですから、さぞやお喜びでしょう。女東宮様も御祈願が通ってよろしゅうございましたね」
「え、ええ……」
「それに、噂に聞く文遣いの童の琵琶を披露することで、皆を喜ばせることになりましょう」
「そ、そう?」
祈願に物品を奉納するのが普通であるが、多くの人目につく奉納楽に『桔梗の君』を立てる願いなど出すはずがない。一体、何のことを言われたのか分からなかった。
チラリと周りに視線を走らせると、側に控えていた松竹の式部達も驚きつつ、小さく首を振って問いに否定を示してしている。
今ここで、兄宮のための安全無事祈願などしていないとは、妹宮である立場上言えない。それに、密かに代理の者を通して、あちこちの神社仏閣に祈願はしている。
あからさまに、誰かに仕組まれたのだ。警護厳重で安全な後宮から『桔梗の君』と『女東宮』の両方が、出ざるを得ない状況に追い込むために。
「ならば、私も共に参りますわ! 女東宮様の相談役ですもの! 父帝には私から奏上致します。せっかく姫宮が東宮様なのですもの。良い機会ですから、同じ姫宮の私もご一緒にお出掛け致しましょう!」
「い~?」
思わず正直に、嫌がる声を桔梗の君は漏らす。
(一緒にお出掛けって……。仕える者としての『お供』とは言わないのね!)
「良いですか、そうですね。ならばご衣裳も新しくご準備下さいね。姫宮たる私達がみっともない姿で、参拝する訳にはいきませんもの!」
「え~?」
桔梗の君が几帳越しに呟く不快な返事も、さっきから全く三の宮には通じていない。自分に良いように解釈し、天下無敵状態である。
「ええ、そうですとも! 女東宮様のご権威を世に示すためにも、『同じ』姫宮同士で、ご衣裳もお揃いなどが良いわ。楽しみですわ、私、御所を出るのは初めてですの!」
(お出掛けが目的なの? しかも衣装を『私』に準備しろですって!? どさくさに紛れて、何おねだりしているのよ!)
「では、三の宮様も共にご観覧希望と、帝に私からも奏上致します。確かに高貴な姫宮たる女東宮様には、高貴な姫君が随行される方が良いかもしれません」
「それに、駒競をご覧になられる女東宮様のお側に、私が相談役としておりますと、父帝にお伝えして。せっかく姫宮が東宮になられたのですもの、殿方しか観られない駒競を女人が観ることができる絶好の機会ですわね。連れて行く側仕えの女房達も、さぞや喜び感謝することでしょう」
驚きと呆れのあまり、桔梗の君が返事も出来ずにいた一瞬の間に、話は三の宮と滝尚侍の間で勝手に進んだ。心得ましたとばかりに、滝尚侍は御殿から下がって行ってしまった。
「新しいご衣裳のお仕度、楽しみにしておりますわ!」
女東宮に否定させまいと、三の宮もニッコリ微笑みながらサッサと御殿から出て行った。残されたのは、激しく吹き荒れた嵐のような事の成り行きに、呆然としている梨壺北舎の者達だけだった。
「いかがなさいますか、女東宮様?」
桔梗の君の正体が露見する危険を思い、松の式部が不安げに御簾内に問う。楓尚侍にも桔梗の君のことは未だ言えずにいるのだ。
「こうなったら仕方が無いわ。松の式部、あなたは急いで私と姫宮の衣装の手配を。竹の式部は桔梗の君の支度を。楓尚侍は大社に出かける手配と確認をお願い。あの三の宮の方もお願いね」
「三の宮様のご用意もこちらで? 本当にお連れになられるのですか?」
楓尚侍も心配そうにしている。手配することは問題ないが、何か余計な面倒事を起こしてくれそうな気がするからだ。
「ええそうよ。……それに、腹は立つけど、どうしても憎めないのよね、あの姫宮。何故か懐かれたみたいだし」
「女東宮様とお話しされている間、大変嬉しそうですものね。分かりますわ。他にお話相手もいないのでしょう。きっと母君を亡くされてから、お寂しいのですよ」
竹の式部の言葉に、女東宮も新参の楓尚侍も納得した。ここには同じ年頃の高位の姫達がいるのだ。寂しくなると、同等の話し相手に会いに来ているのかもしれない。そう思うと可愛げすら感じた。
しようが無い、生意気な妹分への贈り物として、お出掛け用の衣装ぐらい私有財産で仕立ててあげることにした。




