薔薇の衝撃
連続投稿の2話目です。本日の分は1話前からお読み願います。
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
例によって、麗景殿で御簾越しに素敵な紅葉の少将を見つめては、ため息を零す五の宮を見て、女御はふと呟いた。
「お背が高くて、男らしい所が兄上の東宮様に似ておられるからかしら? 身内に近い雰囲気に惹かれておられると思うのだけれど、東宮様の方が素敵だと思うわ。変わったご趣味よね」
「お好みは、人それぞれです。見つめるだけなら紅葉の少将様は、美形で精悍なお姿の貴公子で、文句の付けようがございませんから……。ただ、少将様のお好みは、『あちら』ですから、姫宮には残念なことです」
小雪の最後の言葉に、初恋にときめく五の宮がピクリと反応した。
「小雪、好みが『あちら』って何? 少将様がどうしたというの? どうして文も交わさないうちから残念になるのですか?」
五の宮のただならぬ様子に、ズケズケ言う小雪もさすがに怯え、正直に伝えるのを躊躇う。
扇の陰で女御と小雪はボソボソ相談し始めた。時折、「正直に言うのも」と互いに首を振り合ったり、「いっそ幻滅された方が」と呟きつつも、中々相談事に決着がつかない。
「女御様! 隠さず、はっきりおっしゃって!」
「そうですわね、はっきり申し上げましょう。鬼や天女に憧れる少将様におかれましては、この世の女人には興味が無いと噂されておりますの」
「それは、つまり……」
「今、一番のお気に入り、ご寵愛されているのは我が弟の山吹の君とか言われておりまして……。いえ、でも、我が弟はまっとうな良い子です! 弟には決してそのような趣味は!」
「嘘! そんな、男らしい少将様がそんな…」
愕然としつつ五の宮は、確かめるように御簾の外に視線を向ける。親切な兄風の様子で、また手拭いを持ってきた童に話しかけている。その姿には妖しい色気は漂ってはいない。
「女御様、きっと勘違いですわ。あの様に殿上童に優しい態度をお示しになるから、振られた女房や女官達が身勝手な噂を流しておられるのです! だってあの童に対するご様子をご覧になって!」
「あっ!」
「宮様、ご覧になってはいけません!」
必死に少将を庇い立てする五の宮の目の前で、事態が変わった。成人したばかりの風情(15~16歳)のまだまだ線の細い元気な美形少年が駆け寄り、そのまま少将の広い胸に飛びついたのだ。
麗景殿のあちこちで、きゃあきゃあと、姿の見えない女房達の声が上がった。姫宮と女御に遠慮して場を外していたのだが、目の保養の紅葉の少将が庭に来ているのに気づいて、こっそり美形貴公子を鑑賞していたらしい。
笑って年下の少年の体当たりを受け止める紅葉の少将。そのまま少年の背中を励ますように軽く叩いた。やや背の低い少年は身を少将から離したが、少将を見上げ微笑みながら何かを訴えている。すると、側にいた童も少将の袍袖を親し気に握り引き、気を引こうとしていた。
少将は童をひょいと軽々抱き上げ、高い高いをしたあと降ろすと、麗景殿の御簾内に向かって軽く礼を取った。そして少年と童を左右に従え、その二人の背に手を当てて親し気に話しながら麗景殿の庭から去っていった。
「だ、誰なの? あの紅葉の少将様に抱きついた美少年は誰なんですか? 女御様、ご存じ?」
「……あれが、噂の私の弟の山吹の君です。山吹の君は男兄弟がいないためか、少将様にとても懐いておりまして。弟にその気が無くとも、あらぬ噂が立って困っております」
女御はため息をつきつつ、五の宮の初恋の君に弟が抱きついた言い訳をした。
己の主に加勢するかの様に小雪も必死に説明する。
「少将様は、年下の少年達に非常に人気がございまして、あのように気を引こうと取り合いになるお姿がしばしば見かけられます。ですから、五の宮様のおっしゃられるように、きっと単なる勘違いで、無責任な噂ですわ!」
「その噂って、ひょっとして、紅葉の少将様は……。年下の少年がお好み、そう言われているの?」
「いえ、あの、そんな……」
女御様は扇の陰に顔を隠し、小雪も気まずそうに視線をあらぬ方向へ向けている。その二人の様子に五の宮は確信してしまった。紅葉の少将は、女人に興味がないらしい、ということを!
そう考えれば、紅葉の少将の妻の話は全く聞こえてこない。聞くところによると、もう19歳にはなっている。通常の一流の家の貴公子ならば、成人の儀と共に妻がいてもおかしくない年齢だった。
五の宮は事実の衝撃に身体がガクガクし始めた。鄙びた別邸で過ごしていた時には思いもしなかった事柄だった。これが後宮に潜む貴人達の秘密の一部かと思うと恐ろしくもなる。
「姫宮様、そんな青冷められて、大丈夫ですか?」
「わ、私、梨壺に戻ります。女御様には失礼して、大変申し訳ございません」
そのあと、女御と何と言葉を交わしたか覚えていない。五の宮は、頭をクラクラさせながら麗景殿の向かいの梨壺へ戻った。
「幻滅させるだけのつもりが……。姫宮様は帝や東宮様の命でしかご結婚が許されないからとはいえ、酷すぎたかしら?」
「衝撃が強すぎましたかもしれません。でも、これで叶わぬ初恋に終止符が打てたのでは?」
「他の姫が恋敵なら挑むかもしれないけど、少年好きと聞かされれば、女は諦めるしかないものねぇ」
立ち去る姫宮を心配しつつ、麗景殿の女御と小雪はボソボソ囁き合った。
青冷めた顔色の姫宮を心配し、梨壺の女房達が何かと世話を焼く。だが、ありがたいが、静かに一人になって休みたいと、五の宮は伝え、皆部屋から出て行ってもらった。木製の脇息に身を寄せかけて、初恋の思わぬ困難に深く悩む。本当に頭痛がしてきそうだった。
紅葉の少将様は年下の少年がお好き。それだけが五の宮の頭の中をぐるぐる回った。このまま麗景殿の女御のお側でどんなに礼儀作法を身に着けようと、少将に振り向いてもらえる訳ではないのだ。少年ではない、姫である限り!
「姫でなければ?」
少年がお好きならば、少年になれば良い! 成人の儀を迎えた者にはなれないが、長い髪を頭の左右で丸く括る下げみづら髪なら長い下げ髪をなんとかできるし、同じ梨壺におられる東宮の昔のお衣装の中から童殿上に相応しいものを拝借して身に着ければ、少年になれるかもしれない!
お気楽な考えが五の宮の頭の中を煌々と照らした。バレなければいいのだ。内親王である五の宮は、その顔も姿も几帳や扇に隠して過ごし、幾重にも重ねた唐衣裳姿で座って過ごしているため、その声も、背の高ささえ周囲の貴族や女房も知らない者がほとんどだった。
世間知らずのため、事が露見した時、後見している兄東宮や己の立場がどうなるかなどもよく分かっていないのかもしれない。
「よし、重たい唐衣裳姿を止めて、少将様のお好みの少年になるわ! もの凄く好かれてから、正直に打ち明ければいいのよ」
普通はやらないし、やれない。だが、兄の東宮に似て、五の宮には変なところで勇気と実行力があった。
美形少年、右大臣家の山吹の君なんかに負けはしない。紅葉の少将様獲得のため、まずは、山吹の君、あなたを蹴落として見せる! そしてそのご寵愛の位置に私が納まるのよ、と五の宮は固く拳を握って誓った。
少年を深く愛することで、男女の愛情に目覚めることになるかは不明だなんて事は、世間知らずの五の宮の思考には残念ながら無かった。