無理矢理は嫌
少し長くなってしまいました。すみません。
2017/05/04 誤字脱字を修正しました。
守られているはずの御殿にこっそり忍び込んだ不届き者が、不純な目的で高貴な姫宮を捕らえようと手を伸ばす。
まだまだ賑やかな宴に最後まで付き合うことなく、相応しい時間に姫宮は自分の御殿に戻って一息ついていた。もう、だいぶ夜も更けているので、あちらこちらに灯されていた天井の燈籠の明かりも少ない。あとはいくつかの長い柄の燈台が朧月のように部屋を照らすのみ。
その薄暗い灯りの中、不埒者から少しでも身を隠そうと、姫宮は屏風の後ろの、より暗がりへと逃げ込んだ。だが身を覆う上衣の袿の裾が長く伸びているため、ずりずりと絹音を立ててしまった。
それで隠れたつもりかと男は馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべ、暗がりの中、ギュッ! と裾を掴み獲物を捕らえる。
「!!」
「捕まえました。これで、あなたは私の、他の誰のものでもない私の妻に。そして全てが私のものに……」
姫宮の高貴な香と温もりが移っている、上衣の袿を男がそっと引っ張ると、しゅるりと滑るように脱げた。
男は獲物を絡め捕らえた網のように、両手で袿を握り引きながら、自分と姫宮を遮る屏風の裏側へと少しずつ近付いていく。
思いもよらなかった乙女の危機に、姫宮は怯えて暗がりの中で身を縮め、恐ろしさのあまり声も出せずに泣くばかりだった。
両少将の舞は、神に捧げる神事に匹敵するほど素晴らしいと、その場の貴族に称賛された。
更には二番手の舞も大拍手を受け、両少将の横笛や箏を奏する姿も素敵だったわ! と貴族の男達よりも女房・女官達が喜んだ。
舞殿から下りる時、少し汗を滲ませた東宮が、まだ成人したばかりの山吹の君の肩を叩いて褒める姿にすら、再び黄色い歓声が上がった。
東宮の纏う少し乱れた男の色気と、一生懸命にやりきったと微笑む山吹の君の姿に胸がときめくと、女房・女官達が口々に語る。
帝の席の近くで右大臣は満足気に笑みを浮かべ、酒を心地良く口にする。今夜の酒は実に美味く感じた。
帝への跡継ぎの売り込みは上々だった。自らが語らなくても、可愛い一人息子の出来の良さを周囲の貴族達が語り、自然に帝の耳にも聞こえているのを確信できたからである。
当代の煌く貴公子達が出揃い、婿を選定するに相応しい催しだった。まさしく一番胸をときめかす貴公子は誰か? と女人達は語り合い、皆が悩むほどだ。
生まれ育ちの良い右大臣家嫡男、山吹の君は年齢が近いながらも、まだ若すぎて身分が足りない。だが将来性は高い。
そうなると、やはり相応しいのは両少将となる。左大臣家の次男の紅葉の少将と、式部卿の宮家長男の桂木の少将。二人共に生まれ育ちは文句なく最上級で、より相応しい官位に近々昇進することも内々に決まっている。それぞれに賢く頼り甲斐のある、非常にお勧めの婿候補だ。
帝はどちらを姫宮の婿君にとお考えになられるのかと、宴に参加した者達はヒソヒソ扇の陰で噂し合った。娘を持つ貴族達も、姫宮と結婚しなかった公達を我家の婿に、と密かに狙っていたのだった。
体を動かしたため軽快な気分で席に戻った東宮の下に、御簾の外からそっと幼馴染の陰陽師の君が声を掛ける。この宴では、人目を気にしつつも、東宮に直接報告することを許された数少ない人物だった。
東宮は軽く人払いをして、陰陽師の君と話ができるよう御簾の傍に寄る。誰かに口元を読まれないように、互いに扇で隠しつつヒソヒソと話す。
「いかがしたか?」
「東宮様の舞の最中に、前斎宮様が橘の宮様と女五の宮様を強引に引き合わせそうです。姫宮がそっけない態度であったにも関わらず、橘の宮様はいたく姫宮を気に入られたご様子であったと、とある女房から聞きました」
「姉上は、何としても息子代わりの橘の宮に、しっかりした妻を迎えたがっている。しっかりかはともかく、身分、血筋、財力に不足のない妹宮は、理想的なんだろうな。困った方が後押しに入られたな」
東宮は困惑のため息を零した。幼い頃から東宮位を激しく争った仲で、お互いに嫌っている公達に妹を嫁がせたくはなかった。
「桂木の少将様はお一人宴を何とか抜け出し、手薄になっている後宮の警護をされ、紅葉の少将様が橘の宮様を見張られるそうです」
「いいのか? あの者も筆頭の婿候補であろうに。上手くすれば、帝の娘婿になって大出世も見込めるはずだ」
「でも、ご自分で後宮警護に就かれると。三の宮様とのご縁に乗り気ではないのでは? 紅葉の少将様は未だに百合姫に恋焦がれておられるようですし」
「困った両少将だ。だが、とりあえず、桂木の少将に任せよう。そなたも気を配って、引き続き情報を集めてくれ」
「畏まりました。お二人にそのようにお伝えします」
一礼すると、ふいっと影が闇に溶け込んで消えるように、陰陽師の君は音も立てずに下がっていった。
宴も酒の酔いが進むと、自然と年齢の近い者同士が寄り集まり、気楽に盃を躱し出す。本日の主役の一人で、明るく人気者の紅葉の少将の周りも若い公達が集まった。紅葉の少将は酒に強いのだが、やっかみ半分悪戯半分で、悪友達から次々と酒を注がれた。
もう一人の主役になった、成人したての16歳の山吹の君も周囲に勧められるまま杯を重ねている。すでに顔は紅く染まって、目つきもとろんとし出した。
若干、酔いでゆらゆら体を揺らしながら、紅葉の少将は隣の橘の宮の盃に酒を注ごうと身を乗り出す。親友の桂木の少将に、宮にぴったり張りついて見張っていろ、とも言われている。動けなるほど一緒に酔ってしまえばいい! とフラフラの頭で思っていた。
「橘の宮様ももう一杯いかがですか? ご遠慮なさらず! すばらしい箏でございました。我ら両少将の舞のためにありがとうございました」
「こちらこそ、力になれて嬉しい。せっかくだが、もう酒は遠慮させてもらうよ。私は酒に弱いので。だが、少将は私の分までどうぞ」
帝の子息である橘の宮に注がれたとあっては、紅葉の少将は断れない。グイっと飲んで、杯を空けた。
「おや、山吹の君、大丈夫ですか? 目つきが何やら怪しいですよ」
「気持ち悪いかも……」
山吹の君の隣に座っていた大納言家の頭の弁が、酒ではなく水を盃に注ぐ。年上の青年らしく、まだまだ酒の飲み方のなっていない少年を心配そうに労わり、目が泳いで真っ赤な顔の山吹の君に手を貸して、そっと水を飲ませる。だが、酔いが和らぐ様子はない。
「その様子ではだめですね。山吹の君、皆の前で恥をかかないよう、酔い醒ましに出ましょう」
ぶつぶつ言っている山吹の君に頭の弁は手を差し伸べるが、既に一人では立てないようだった。それを見かねて、人の輪の中でたった一人、ほとんど素面の橘の宮が手を貸して立たせる。
「私も酔いを醒ましたいから、手を貸そう。姉上であられる弘徽殿か麗景殿の女御様の下で、寝かせた方が良いようだ」
「そうですね、ただ、弘徽殿には乳飲み子の姫宮様がおられます。こんな酔っ払い、連れて行っても嫌がられるでしょう。麗景殿の女房にお世話をお頼みしましょう」
周囲の酔っ払い達を押し退けるようにして、橘の宮と頭の弁は立ち上がり、両脇から抱えるようにして真っ赤な顔の少年を宴の場から連れ出す。
紅葉の少将は、橘の宮について行くため腰を浮かしかけたが、他の酔った公達に袖を掴まれ、酒を注がれ、やっかみの語りを聞かされ、動けなかった。まずい! 宴から去っていく姿を目で追うが、掴まれた袖は放してもらえなかった。
宴の御殿から離れると、途端に辺りは薄暗く静かになった。
「山吹の君には困ったものだね。誰がこんなに酒を飲ませたのか? 大人振りたい年齢とはいえ、まだ少年なのに……」
「実は、私が仲間に頼んで飲ませたのですよ。これほど酔うとは思いませんでしたが。因みに鬱陶しい紅葉の少将も、酒宴から抜けられないように頼んであります。まあ、本気で絡んでいたようですが」
「頭の弁! こんな少年に何という事を!」
「橘の宮様のお力になるよう父に言われましたので。五の宮様のことで、少々ご協力致します」
少しも酔ってはいないスッキリした顔で、頭の弁は微笑む。その笑顔が無邪気なものではなく、恐ろし気な企てを物語っている。
何か厄介事にいつの間にか巻き込まれたらしいと、橘の宮は気付いた。ただでさえ、政の諍いに破れた身としては、下手な権力争いの駒になるのは危険だった。
「何をする気か? この少年を遣う気か? もうほとんど寝落ちしているのだぞ。まさか危険な目に?」
「ああ、山吹の君は、麗景殿に近付くための口実になってもらっただけです。そうでなければ、縁も所縁もない私達は、後宮をうろつくのは不自然ですからね。酔っ払いを連れて行く麗景殿の向かいは、五の宮様のおられる梨壺北舎です。上手くやって下さいよ」
いったい何をやらされるのかと、橘の宮は不安になったが、以前から密かに味方についている大納言家のやることだ、と半信半疑で歩みを進めた。
その頃、桂木の少将は一通り後宮の警護を確認してから、再び宴の場に戻った。一応主役の一人としては、そうそう長い間、宴を抜け出したままではいられない。汚した衣装を着替えるという口実だったので、帝のご不興を買わない程度の時間で場に戻っていた。
ちらりと場を見て確認すると、残念なことに、ひときわ賑やかな人の輪の中で、紅葉の少将が真っ赤な顔で大声を出して飲み交わしていた。だが、その輪の中に、橘の宮の姿は無い。
(あの馬鹿! 飲み過ぎて橘の宮から目を離したな! いや、もしくは策略に嵌められたか)
何のかんの言っても普段は頼りになる親友だ。うっかりで橘の宮から離れる訳がない。見れば、少将を取り囲んでいるのは、普段妬ましい目で少将を見る公達が多い。酷く酔わせて、帝の前で醜態を晒させよう、という企てに嵌ったようだった。
橘の宮が姿を消したことで、桂木の少将は嫌な予感がした。また宴を急ぎ抜け出し、着替えをした自分の臨時局へと足早に向かった。
桔梗の君は宴に最後まで付き合うことなく、梨壺北舎に戻って一息ついていた。
もう、だいぶ夜も更けているので、あちらこちらに灯されていた天井の燈籠の明かりも少ない。あとはいくつかの燈台が、朧月のように部屋を照らすのみ。
その薄暗い簀子から御簾内に向かい、梨壺北舎の者に取次を願い出る声が掛かった。てきぱきした声の女官だった。
「失礼致します。水内侍と申します。帝が五の宮様の乳母の君にお話があるそうです」
こんな夜になってからの急の呼び出しに梨壺北舎の住人は驚いた。
上座から退かせられた女三の宮が、帝に泣き付いたのかもしれない。五の宮が言ったことは間違っていないし、実際には前斎宮がやった事なので、事情聴取に側仕えを呼んだらしい。
五の宮に乳母はいないので、この場合、側仕えの松の式部か竹の式部になる。二人は顔を見合わせた。
「同じく、失礼致します。前斎宮様が、五の宮様の乳母の君にご相談したい事があると申されています」
追加で、今度は前斎宮からの呼び出しだった。こちらは橘の宮との交際について、側仕えと話をしたいのだろう。内々に話を進める方法としてはよくある事だった。
短い相談の結果、帝には姉の松の式部が、前斎宮には竹の式部が伺うことになった。
もしや、帝と前斎宮の両方からお叱りがくるのかしら、と暗い気持ちに桔梗の君が沈んでいると、老女房二人が何やら険しい顔で小声で相談している。どうも普段とは二人の様子が違う。真剣過ぎる眼差しで、時折こちらをジッと見ているのだ。
老姉妹は、慌てて自分達の衣装を整えると、次に桔梗の君を殿上童姿に着替えさせ、上衣に女物の袿、頭の上で一つに髪を括る下げ髪姿にする。
「なぜこんな、童女か童か分からない、変な姿をさせるの?」
「年寄りの勘をお信じ下さいまし。こんな夜に、側仕えを二人も呼び出して、姫宮様をお守りする者をわざわざ引き離すことなど、到底あり得ません。そのあり得ないことが起こっているのです」
「誰かが姫宮を訪ねてまいりましたら、袿を頭に被って童姿をお隠し下さい。例え東宮様付きの女房でも、とにかく追い払って下さいね。そして、もし万が一、嫌な事が起こりそうだったら、童姿でお逃げ下さい」
「梨壺、あるいは麗景殿でも構いません、とにかくお逃げ下さい。下手に立ち向かってはなりません。騒ぎになると姫宮の醜聞になります」
「怖いことを言わないでほしいのだけれども、わ、分かったわ。逃げると約束する」
二人はまるで戦に赴くかのような険しい顔だった。そして自分の身は自分で守れと、桔梗の宮に言っているのだ。かつて兄宮が東宮になる前、命を狙われていた頃のように、二人は緊張している。
あの時は兄宮とは離れて暮らしていたので、単なる万が一の場合だった。だが、今もそれと同じ万が一の状況らしい。
結局、考える暇もなった。老女房がいなくなって暫くした頃、その隙を見計らったように、声も掛けず音も立てずに、いきなり御簾内に滑り込んで来た者がいたのだ。束帯姿の若い公達だ。
几帳の陰で桔梗の君は驚いた。仮にも姫宮に対し、ここまで無礼な振る舞いはされたことが無い。しかもここは警護されているはずの後宮で、すぐ隣は東宮の梨壺だ。警護はどうなっているのだろう? と不安になった。
びっくりしすぎて、思考が追い付かず、とりあえず袿を頭から被って身を隠す。
「五の宮様。ようやくお会いできました。どうか、私の妻に」
(いきなり妻!? あなたなんか、知らないわよ! 誰よ! 怖い!)
部屋は燈台が朧月のように照らすのみ。その薄暗い灯りの中、不埒者から少しでも身を隠そうと、桔梗の君は几帳ではなく、部屋の隅に置かれている屏風の後ろの、より暗がりへと逃げ込んだ。
だが身を覆う上衣の袿の裾が長く伸びているため、ずりずりと絹音を立ててしまった。
それで隠れたつもりかと男は馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべ、暗がりの中、ギュッ! と裾を掴み獲物を捕らえる。
「!!」
「捕まえました。これで、あなたは私の、他の誰のものでもない私の妻に。そして全てが私のものに……」
姫宮の高貴な香と温もりが移っている、上衣の袿を男がぐいっと引っ張る。束の間、袿の引き合いをしたが、男の力に適うはずもなく、しゅるりと滑るように脱げた。
男は獲物を捕らえた網のように両手で袿を握り引きながら、桔梗の君が身を隠す屏風の裏側へと少しずつ近付いて来る。
見知らぬ男に追い詰められ、思いもよらなかった乙女の危機に、桔梗の君は怯えて暗がりの中で身を縮め、恐ろしさのあまり声も出せずに泣く。逃げようにも足腰に力が入らない。
捕まったら、物語のように力づくで無理矢理この見知らぬ男の妻にされてしまう! なんて恐ろしいの! とぶるぶる震える。
(少将様、助けて! 助けて、少将様!)
「ええい! こっちへ来い!」
「嫌! 少将様、助けて!」
押し退けられて屏風という盾が無くなるや、男が乱暴に掴みかかってきたので、咄嗟に、桔梗の君は大声で助けを呼んだ。
「そこまでです! 下がれ、無礼者!」
凛とした低めの声が響いて、男の背後から女房姿の誰かが飛び込んできた。
その勢いのまま袴を纏った足で蹴りを入れ、男を桔梗の君から遠ざける。その力強い一蹴りで、男はドタッ! と床に打ち倒された。さらに、とどめ! とばかりにもう一蹴りが入った!
「百合姫様! 百合姫様なの!?」
スッキリ伸びた長身から、怒りに満ちた目つきで不埒者を細目で見下ろすのは、袿を纏った女房姿の百合姫だった。月からの天女と見紛うほどに美しい。その怒りと軽蔑で突き刺すような眼差しは、白銀の月光のような力と威厳があった。まるで月の使者のようだ。
突然助けに現れた美しい女に、強力な蹴りを入れられ、男は痛みと驚きに蹲ったまま動けずにいた。
「お怪我はありませんか、姫宮様? ……ではなく、桔梗の君? 桔梗の君なのですか?」
「うわ~ん! 怖かった! 怖かったの!」
桔梗の君は泣きながら、天女の百合姫に飛びついて泣く。その袿の温もりと爽やかな香が、桔梗の君にも伝わって来て力を分け与えてくれているようだった。
梨壺北舎の奥の部屋にいたのが姫宮ではないことに驚きつつも、百合姫はそっと桔梗の君を抱いて慰める。
「失礼します! こちらで不穏な大きな物音が! 姫宮様はご無事ですか!」
次に飛び込んで来たのは、束帯姿の二人の公達だ。思わず恐ろしくなって桔梗の君は、百合姫に尚一層きつく抱きつく。
百合姫はその華奢な背を隠すように撫でで慰めてから、その場で身だしなみを整えて伏して礼を取った。
一人は宴で桔梗の君が会った橘の宮だった。その品ある束帯姿から、百合姫は高貴な公達と判断したらしかった。後宮では麗景殿の一女房であるため、帝の子息である親王に敬意を示したのだろう。
几帳やら屏風やらが倒れて荒れた室内に驚いて、橘の宮はキョロキョロ見回している。
「いったい何が起きたのだ? 姫宮様はどちらだ? なぜ、童と女房しかいないのだ? この男は? 頭の弁、これはどういうことだ?」
「さあ?」
公達二人から説明せよと視線を向けられても、何から説明する? 不埒者? 百合姫? 童姿の自分? 五の宮不在の言い訳? 桔梗の君は突然の大人数を前に、戸惑ってしまった。




