姫宮対決
2017/05/04 誤字脱字を修正しました。
毒入り菓子を吐き出すという醜態を曝した恥ずかしさから、翌日の朝になっても寝所でもだもだしていた桔梗の君の下へ、あちらこちらからお詫びを兼ねたお見舞いの品が届いた。
弘徽殿と麗景殿の女御達からは、後宮の諍いに巻き込んで申し訳ないと、姫宮と文遣いの童双方へのお詫びの品に上品な織物が、桔梗の君を男の子と思っている山吹の君からは何でも相談してほしいと高級な紙が。百合姫からも、側仕えが不運に見舞われた女五の宮を励ます文が届けられた。そして恋する紅葉の少将からは、珍しい唐菓子が……。
『美味しい菓子でもたくさん食べて元気を出せ。もちろん私自らが毒見済みだから、安心せよ』と、紅葉の少将の直筆のお文が付けられている。
「……どうしましょう、初めての紅葉の少将様からの贈り物(姫宮としての私でなく、文遣いの童宛だけれども)。とても嬉しいのだけれど、唐菓子はまだ怖くて食べられないわ。いくら毒見済みと言われても、やっぱりまだ怖い……」
梨壺北舎に届けられた文と贈り物を共に確認し、右大臣家からの豪華な見舞いの品に喜んでいた松の式部や竹の式部も、紅葉の少将のお見舞いの品に驚く。
確かに、普通なら童が喜びそうな豪華で美味しそうな唐菓子ではあった。さすが天下の左大臣家らしく、上品で高級感に溢れている。しかも山盛りだ。
「無理に召し上がらなくていいですよ、姫宮様。菓子を食べて中り損ねた人へのお見舞いに菓子とは……。細かいことを気になさらないご気性のようですね、紅葉の少将様は。あるいは落馬したらすぐに馬に乗れ、という荒療治でしょうか」
「私共が代わりに食べますから。少将様、男らしいといえば、男らしいですわ。自ら毒見をなされるところも豪胆で。わざわざ宣言して安心させようとするあたり、思い遣りがあるといえば、ありますね」
文遣いの童としての桔梗の君が口にした毒は、唐菓子に仕込まれていた。それ故に、桔梗の君はしばらくの間、唐菓子は見たくなかったのだが。
そんな繊細な気持ちを全く気にしない紅葉の少将を『男らしくて素敵!』と無理矢理褒めたいところだが、やはり恋する乙女でも厳しい。年寄り女房達の褒め言葉も無理があった。
桔梗の君を助けてくれた桂木の少将からは、箱に入れられた文が届けられていた。なんだか恥ずかしくなって、桔梗の君は女房に見られないように背を向けて、そっと一人でその文を読む。
『紅ではなく、青い桔梗の花が咲いたなら、見せに来てほしい』とか何とか書かれていた。
仮に他人に読まれても、乙女に送ったお文とは分からないようなっている。文遣いの童に、花を摘んできてほしいと言っているかのように。男の子ではなく、本当は娘である桔梗の君の秘密を守ってくれているのだ。
昨日、みっともない姿を見せて恥じらう桔梗の君の顔がよほど紅かったのか、紅い撫子の花が添えられていた。暗に醜態を晒しても、撫子の花のように可愛いと言って慰めてくれているのかもしれない。
一番間近で醜態を晒した桂木の少将に嫌われなかったと分かって、乙女の桔梗の君はちょっと嬉しかった。
開きかけの蕾の桔梗の花に『もうすぐ咲きます』と文を結び付けて、桔梗の君は桂木の少将に返事を返した。
「ちなみに、童の桔梗の君宛ではなく、姫宮様宛にあの求婚者の方々からもお文が届いておりますよ」
どこからか松の式部が立派な文箱を差し出した。それも二つ。一つは兄東宮が毛嫌いする橘の宮、もう一つは大納言家の長男の頭の弁からのものである。
「え~、どうしましょう。またあなた達から返事を出しておいて。東宮様は無理に私からお返事しなくて良いとおっしゃっていたわ。政略結婚が見え見えのお文ってがっかりよね」
乙女を思い遣る桂木の少将からの文を読んだ後なだけに、残念感も高い。
「毒騒ぎに姫宮様が怯えておられるのではと、労わりの内容のお文ですね」
「大抵のお文が政略的なものです。ただ、こちらの方々は帝からの許可を得られていますから、そう、粗略にもできませんよ」
竹の式部が代わりに文の一つを読みつつも、姫宮を嗜める。可愛い黄色い石蕗の花が文箱に入っているのが桔梗の君にも見える。
もう一方の小菊の白い花が添えられている文箱は、松の式部が開けて確かめた。こちらはおそらく、帝のたった一人の息子の橘の宮からのもの。
「妻の咲耶姫一筋と言われたはずの橘の宮様は、このお文から察するに、意外にも、本気の求婚なのではないでしょうか? この上なく尊いお血筋の姫宮様へとか書かれています。あの方は、母上様がご身分の低い女官だったのを気になさっておりましたから……」
「お血筋からすると、姫宮様は今の所、一番高貴な内親王ですね。お父上様は先の帝様で、お母上様も裕福だった宮家の出の女御様。橘の宮様が一番尊ばれておられる帝の血筋が、最も濃いのですわ」
二人の話を聞いて、ますます桔梗の君は気持ちが離れていくのを感じた。自分そのものではなく、帝の血筋だけに惹かれているのかと思うと、嬉しくない。幼い頃読んでもらった物語のように、自分が紅葉の少将を想うように、恋をして結婚したいのだ。姫宮としては難しいのは分かってはいるのだが。
「あら、もうお一方おられますわ、尊い姫宮が。ほら、前斎宮様よ。姫宮様、東宮様、そして畏れ多くも帝の一番上の姉宮様ですよ」
思い出したような竹の式部の指摘に、松の式部は呆れた。
「何言っているのよ、あちらは独身とはいえ帝よりもお年上。ご結婚の対象ではいらっしゃらないから、態と言わなかったのよ。ただ、あの橘の宮様のお母上代わりでもいらっしゃって、この求婚をご心配されているらしいのです」
「もし前斎宮様からの後押しが入ると、益々断りにくいではないの! 困るわ! 私は少将様が……」
突然現れた橘の宮の強力な後見役の存在を知り、桔梗の君は悩みの重さに頭を抱えた。前斎宮は周囲の人々から大変尊敬されていると、聞いたことがあるのだ。仲良しの麗景殿の女御もお慕いしていると前に話していた。
「噂では、最近、橘の宮様は妻の咲耶姫ともあまり上手くいっていないようですし。親王に相応しいお支度を咲耶姫のご実家ではなかなかご用意できず、橘の宮様も、前斎宮様もそこがご不満だとか」
「え~、結局はそこなの? 身分に囚われない激情の恋だったのではないの? ちょっとその恋の話に憧れてたのに!」
父帝を始めとする周囲の反対を押し切り、身分の低い女官だった美しい咲耶姫を妻に迎えたと聞いている。それなのに、その後の生活感溢れる現実に、恋する乙女の桔梗の君はがっかりした。
「いろいろあって、今、橘の宮様は無職ですから。母上様のご実家も大したことはなかったので、東宮様とは違って、財産持ちとは言えないんでしょう。帝の庇護下にいたような、豪華なお暮しはとてもできません」
桔梗の君の兄東宮は、東宮位に就く前は橘の宮と同じ無職だったが、母方からの財産も十分にあり、また管理能力も高かったため、同居していた桔梗の君は暮らしに困ったことはない。両大臣家ほどの派手で豪華な暮らしではなかったが、十分体面を保てるほどの贅沢はできた。父帝を亡くしてからも、兄には父親代わりとして、衣装や食事など、十分に面倒を見てもらっていた。その点では、有能な兄上に桔梗の君は感謝している。
「お気をつけて下さいよ、姫宮様。姫宮様の婿君になれば、橘の宮様は官職も思いのままです。意に沿わぬ、無理矢理なご結婚にならないよう、私共も警戒します」
「無理矢理に結婚なんて、嫌よ。幸いな事に、私は普段は桔梗の君だもの。無理矢理会わずに済んで、反って、安全よ」
「夜ですよ、夜!」
「夜は寝ているもの。誰にも会う訳がないわ」
「!?」
姫宮のあまりなお子様な発言に、松の式部と竹の式部は恐ろしくなった。
育てるにあたって、年寄りが寄ってたかって世間から遠避け過ぎたらしいと、今更に後悔する。こんな無邪気すぎる姫宮が無理矢理な結婚なんて、とんでもないとさえ思える。
年寄り二人で視線を合わせ、無言で語り合う。何も知らない姫宮を護るため、東宮様により一層の厳重警護をお願いしようと頷き合った。
熱も下がり、年寄りの神経痛用の薬で足の痛みも治まった桔梗の君は、琵琶を持ってまたまた紅葉の少将と桂木の少将の舞の練習に参加した。
元気な姿で現れた桔梗の君を見て、二人の少将と山吹の君は安心し、喜んでくれた。恐ろしい目に会ったのに、本当に頑張り屋だと褒めてくれる。紅葉の少将にその頑張りを認められるのが、桔梗の君にとって何よりの薬だった。
帝の宴のために庭で練習を重ねる二人の少将の姿は、何度見ても見飽きることが無いほど美しかった。琵琶の拍子に合わせて袖を翻し、視線と足並みを合わせて、互いに近づいたり遠ざかったり。
山吹の君との横笛と桔梗の君の琵琶の合奏も、より一層呼吸が合ってきたようにも思える。
本番では、桔梗の君は身分の低い文遣いの童ではなく、高貴な女五の宮として特等席から観覧だ。間近に迫るその日が桔梗の君は楽しみだった。それが婿選びの宴ということをすっかり忘れて。
「女五の宮様は、こちらへどうぞ」
女五の宮(桔梗の君)が女官に案内されたのは、御簾内の奥ではあるが、いかにも義理で招待したような端の末席だった。
松の式部と竹の式部が用意してくれた真新しく美しい衣装をまとって出席した、帝の月の宴の御殿内でのことである。
無邪気な桔梗の君も、さすがにこの無礼な扱いにはカチンときた。
「無礼者! 畏れ多くも女五の宮様をこんな末席になど!」
「女御様方が参加されていないのなら、女人の席の中でも、最も上座に案内すべきでしょう!」
側仕えの松の式部と竹の式部が二人そろって、年寄りに相応しい腰の入った威厳のある声で案内した女官を叱責する。
「で、ですが、上座には帝の女三の宮様がおられます」
「女五の宮様も帝の妹君ですよ!」
しどろもどろに困惑しつつ言い訳する女官。だが、横目で上座を伺うばかりで、案内しようとはしない。
「お下がり、そこの女房。騒がしいわ。帝の三の宮である私の前で無礼よ」
奥の上座の几帳の向こうから、桔梗の君と同じくらい若い娘の気の強い高い声がした。帝の娘で、桔梗の君の姪にあたる女三の宮だった。
姫宮からの命令ともなると、如何に理不尽で悔しくとも、女房の身分では松の式部も竹の式部も言い返せず、引き下がるしかない。年寄りの悔しさに歯をギリリと噛む小さな音がした。
だが、桔梗の君はここで引き下がるわけにはいかない。兄東宮の権威も掛かっているのだ。これは真っ向から叩きつけられた女の勝負だった。帝と揉めたくはないが、兄東宮の力を弱めるような振る舞いを認める訳にはいかない。
桔梗の君は月の使者に例えられた百合姫を思い起こし、上品に扇で顔を隠しつつも、ぐっと背筋を伸ばして凛とした態度を心がけ、奥を睨みつける。
「無礼者はそなたです。叔母宮に向かって、姪宮が末席に座れと言うのか? 一族の序列を考えよ」
「私は帝の姫宮です!」
同じ15歳でありながら、女五の宮の声は落ち着き、反対に女三の宮の声は怒りに声が上ずる。
「私も姫宮よ。帝の妹であり、東宮様の同腹の妹でもあり、そなたの叔母です。そこを退くがよい、女官の娘よ」
わざと女三の宮が一番気にしているであろう、母親の身分を持ち出した。帝の娘の姫宮として認められているが、一族の序列の中では決して高い身分ではないことを思い知らせる。
「忘れられた姫宮が、生意気よ! そこがあなたの席です! 無礼者!」
同じく馬鹿にして喚くような女三の宮の言葉を無視し、桔梗の君はしずしずと威厳をもって奥へと進む。そして几帳の向こうに隠れている姪を見下ろした。
「もう一度言います。そこを退きなさい、姪宮。叔母の上座に座してはならぬ」
「……だから!」
「まあ、面白いことになっていること」
さらに女三の宮が言い返そうとしたとき、状況を楽しむかのような笑いを含む年配の女性の声が響いた。
「前斎宮様!」
御簾内に新たに現れたその女人の姿を認めるや、双方の姫宮の女房や女官達が、一斉に伏して礼をとった。若い者ならいざ知らず、ある程度の年数を後宮で過ごしている女房や女官達の間では、崇拝と尊敬の対象なっている尊いお方である。
「帝の姉妹である叔母宮を差し置いて、女三の宮が一番上座に座すというのなら、そなたの伯母である私も、そなたの下座に着くことになるのかしら。そなたは、この伯母姉妹より身分が上だと知らしめるのですか?」
「そ、そんな、前斎宮様を差し置いてなんて……」
女三の宮の声に焦り、戸惑い、怯えがにじむ。
桔梗の君は初めて会う姉宮の威厳ある後押しに驚くばかりだった。
「ならば、伯母姉妹にその上座をさっさと譲りなさい、三の宮。案内せよ、そこの女官」
「は、はい。申し訳ございません」
前斎宮の威厳に圧倒されて、ざわざわと御簾内の人々が配置換えに動き回る。それぞれ几帳や座布団を整えたり、置き直したりと目まぐるしい。
絶対に誰も勝てない強力な力だった。前斎宮の威厳と力は健在であることが示された。おそらく右大臣家の怖い弘徽殿の女御や、左大臣家の承香殿の女御の力を上回るだろう。
だが、この前斎宮のおかげで、桔梗の君は帝からお叱りを受けずに済む。なぜなら、結局の所、女三の宮を遣り込めたのは、この力強い姉宮なのだから。
突然現れた姉宮に連れられるように、桔梗の君は上座に隣同士で仲良く座し、すっかり怯えた女三の宮は静かに下座に移動した。
思いがけぬ援護で、この姫宮対決は伯母宮姉妹が勝利を収めた。
だが、このニッコリ楽し気に微笑んでくる姉宮の援護射撃の代償は、桔梗の君にとって高くつきそうな予感がした。
「うふふ、久しぶりに真っ向勝負を観させて頂いたわ。よくぞ泣き寝入りしませんでしたね。さすがは私の妹宮です」
「畏れ多いことでございます、前斎宮様。でもなぜ私を助けて下さったのですか? 姉妹とはいえ、離れて育った私なのに」
「もちろん、お願いがあるからですよ。まずは、あなたの人となりを確かめてから、と思っていましたが。いきなり勝負が始まっているとはね。私も意外でした。面白かったわ! 思わず私も参加してしまいました!」
後宮の崇拝と尊敬を集めているから、さぞや落ち着いた方なのだろうと桔梗の君は想像していたが、どうももっと茶目っ気のある楽しい人懐っこい大らかな方のようであった。
「お願い……」
「まあ、それは後でね。あら、宴が始まりますよ。お酒の会だけではなく、歌舞音曲が披露されるそうですね。楽しみにしていたの。一緒に観ましょう!」
華やかな雅楽が流れ出した。まずは宴を盛り上げるために、いきなり注目の的の二人の美形少将の舞が披露されるはずである。
これまでの練習に協力してきたこともあり、桔梗の君も人知れず緊張してきた。
以外にも前斎宮は、御簾内からも良く見えるようにと、そっと几帳を横へとずらしてしまった。
「今宵の宴では、美形貴公子が大勢登場するそうですわ。いい年した私でも心ときめくわね!」
大勢? 両少将と横笛の山吹の君の三人でも大勢なのか? と桔梗の君はふと疑問に思った。それとも他に美形貴公子がいたのだろうか? 兄東宮を除いては、誰も心当たりがない。
「さあ、良くご覧になって、五の宮様。もっと良く。音楽も舞もきっと素敵ですわね!」
肩を抱かれるように姉宮に促されるまま、桔梗の君も御簾の外を見た。一体誰をよく見ろと言うのだろう?




