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秘密

2017/05/03 誤字脱字を修正しました。

 ひどく傷ついた顔で、誤解したまま逃げるように麗景殿(れいけいでん)を飛び出していった桔梗(ききょう)の君を追いかけようと、桂木(かつらぎ)の少将は慌てて身なりを整える。

 掴み合いで乱れた装束のままでは簀子(すのこ)にも出る訳にもいかず、ましてや桔梗の君が逃げ帰った梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)には高貴な姫宮である女五の宮様がお住まいなので、式部卿(しきぶきょう)の宮家の子息としては無礼も許されない。


 袴の裾の乱れを確認しようと足元を見た桂木の少将は、床に散らばる唐菓子と共に文を見つけた。読んでみると、百合姫宛に女五の宮様からの文遣いの童を助けたお礼の言葉と、御殿を訪ねて欲しいとの内容が書かれていた。

 桔梗の君の雰囲気にも似た、生き生きとした伸びやかな手蹟だった。文遣いの童も主に気質が似ているのかもしれないと、桂木の少将は想像した。そっと文を懐にしまう。


 今宵は、麗景殿(れいけいでん)の女御が東宮(とうぐう)の住まいの梨壺(なしつぼ)に召されているので、間近の北舎には麗景殿(れいけいでん)の真正面の渡殿(わたとの)からではなく、北回りの桐壺(きりつぼ)から桂木の少将は回り込んだ。途中、庭に咲く花を摘んで。

 後宮を警護する者達に桂木の少将は出会ったが、警護する上司の立場から見回りに来たのだと言い逃れる。さては美女揃いの梨壺(なしつぼ)の女房に忍んできたのかとニヤリ笑いで勘繰られたが、手を振って追い払う。

 

 桂木の少将は自分でも不思議だった。単なる文遣いの童が自分の事をくだらない誤解をしたところで、いつもなら気にせず放って置くだろう。だが、何故か男装しているあの頑張り屋の少女には、桔梗の君には誤解されたくなかったのだ。


 賑やかな宴も果てて、後宮では、皆、静かな眠りに就くはずの遅い夜だった。

 

 ズキズキする右足首の痛みと、攫われたり、緊張したり、見たくないものを見たりで、桔梗の君は眠れずにいた。深い眠りに落ちている松竹の両式部を部屋に残し、一人梨壺北舎の内廊下の(ひさし)の端まで出て、御簾(みす)越しにまだ細い月の光に照らされる暗い庭を眺めていた。

 小さな蝋燭の明かりを寄せて御簾近くで寛ぐ。仮にも姫宮がだらしない姿でいるところを見られる危険は冒せないため、と自分に言い訳しながら、気楽な男物の袴姿だった。


 何故、こんな所に一人でいるのだろうと、桔梗の君は自分でも不思議だった。何かを待っている気がする。


「愚か者だわ、私って」

「……そんなことはないよ。早とちりなだけだよ、頑張り屋さん」


 暗闇の簀子(すのこ)をそっと歩いて来た影が、優しく答える。そして、その背の高い影は、桔梗の君がいる御簾近くの柱に寄りかかって背を向けて座った。

 そっと、御簾内に下から何かが差し込まれる。秋なのにまだ新緑の葉を付けた桂の細枝だった。それで桔梗の君は、この影が誰なのかを悟った。


「桂木の少将様?」

「先程は、驚かせてしまって済まない。もう、落ち着いたかな? 話を聞いてくれるかい? この梨壺北舎で運良く君を見つけられて良かった」


 複雑な思いに御簾内で返事も出来ずにいた桔梗の君に、桂木の少将は背を向けたまま静かに語りだした。

 これを待っていたのだと桔梗の君は思った。桂木の少将に言い訳に会いに来てほしかったのだと。桔梗の君が考えているような事では無いと、はっきり言って、しっかり説得してほしい。安心させてほしいのだ。


「百合姫は初めての後宮に怯えていた。それに参内前に紅葉(もみじ)の少将から文を貰っていたから、何か意に沿わないことが起きるのではないかと。私も親友のやりそうなことは分かっていた。だから、あいつを懲らしめてやろうと、百合姫と入れ替わり、女物の(うちき)を頭から被ってあいつを待ち構えていたんだ」

「それで、あの騒ぎに?」

「姫は別の所に密かに移した。決して恋人としてあいつを誘った訳ではないよ。躾けの行き届いるはずの麗景殿(れいけいでん)に、あのように騒ぐ若女房がいるのは誤算だったし、桔梗の君まで、この夜に訪問してくるとは思わなかったんだ」

「勘違いして、ごめんなさい。ええと、女五の宮様がお礼は直ぐに届ける方が良いと。それに、百合姫は夜が明けたらお帰りになってしまわれるから」

「そうか。その百合姫からの伝言だよ。是非とも女五の宮様にご挨拶したいって。伝えてくれるかい?」

「はい。きっと、凄く喜ばれます」


 更にスッと御簾下から何かが差し入れられた。今度は青い桔梗の花だった。


「この花の姫にも伝えてくれないか? 私は男にはそういった興味はないけれど、この可愛い花には興味があると。ねえ、この花の姫君にお会いしたいな。呼んできてくれないか、姫君を」

「え? でも……」


 桂木の少将が自分に姫君の姿に着替えろ、と言っているのはさすがに桔梗の君にも分かる。だが、女五の宮とバレてしまわないか不安だった。


「姫君に会いたいんだ、文遣いの君ではなく。細い月の明かりの下では、はっきりお姿は見えないから、お許し下さるんじゃないかな?」

「……」


 少しだけ悩んで、桔梗の君は着替えるために奥に行く。なぜか、童ではなくきちんとした美しい姫の姿も桂木の少将に知っておいてもらいたくなったのだ。

 男物の袴から女物の紅い打袴に換え、簡単に単の上に袿を羽織り、姫君の姿になる。シュルシュルと絹音を立てて着替えても、深い眠りに落ちている年寄りは気付きもしない。

 身支度を整え扇を手に、桂木の少将が待つ所へと、そっとできるだけ音を立てないように戻った。


「ああ、はじめましてだね、桔梗の姫君。やはりそうしている方がよくお似合いで可愛い。月の天女のようだよ」

「嘘。御簾内は暗くてよく見えないはずです。扇で隠してもいます。それに、天女というのは、百合姫みたいな姫を言うんです」

「夜しかお姿が見られない、月の光に儚げなところは天女のようだよ。最後にもう一つ、あなたに差し上げたいものがあるんだ。もっと御簾に近寄ってくれないか?」


 先程は、桂の枝葉、それに桔梗の花。次は何なのだろう? 桔梗の君は好奇心旺盛に、もっと御簾の傍へとずりずりと素直に擦り寄った。

 バサッ! と突然に御簾が上げられた。不意を突かれたため、動けずにいた桔梗の君の細い腰は温かい腕に抱かれる。そして軽々と月明かりの照らす簀子(すのこ)へ、桔梗の君は抱き出された。


「!!」

「夜に咲く可愛い桔梗の花を捕まえた。さあ、これをあげよう」


 顔を隠す扇を大きな繊細な手が除けるなり、桔梗の君の唇を桂木の少将の温かいそれが優しく覆う。

 それはどのくらいの間続いたのか。僅かの間だったのか、長かったのか桔梗の君には分からなかった。気付いたら、逞しい腕で抱き寄せられていた腰もいつの間にか解放されていた。

 

 桔梗の君はへたりと腰を抜かしたように簀子(すのこ)に座り込んでいる。その桔梗の君の紅く染まっているであろう頬に、桂木の少将はそっと温かい手を添えた。


「昼と夜とではこんなに違う、不思議な桔梗の花。夜の花は二人だけのお約束にしよう」

 

 妖しい月明かりの下、真っ赤な顔をして固まっている青い桔梗の姫君を桂木の少将は再び抱き上げた。そっと音を立てないように御簾内に連れていく。


「夜の桔梗の花の姫、昼の君に伝えておくれ。舞の練習での琵琶を楽しみにしていると」


 今一度柔らかな桔梗の君の頬をそっと撫でてから、桂木の少将はわずかな衣擦れの音だけを残して梨壺北舎から去っていった。

 

 罰ではない、戒めでもない秘密の約束に、桔梗の君の身体と頭が固まった。今日一番の衝撃は、これだった。

 好きな殿方は紅葉の少将だったはずなのに、どうしてこんな事になってしまったのか分からない。決して嫌ではなかったと桔梗の君は思った。

 また、日が昇ったら二人の少将に会わねばならない。恋する紅葉の少将と秘密の約束の桂木の少将だ。

 だが、舞の練習に付き合うと自分から言いだしている。女五の宮の名誉のためにも、文遣いは嘘を言って逃げる訳には行かないのだ。

 青い乙女は、沸騰しそうな頭を抱えて、寝所に戻った。



 人々がようやく休んだ頃、バシン! と女物の扇が大きな音を立てて、忌々し気に床に叩きつけられた。

 後宮のとある部屋ではあるが、慎重に人払いしてあるので、この醜態は身内にしか見られなかった。ここにいるのは最近の帝のご寵愛の滝尚侍(たきのないしのかみ)、その兄の大納言、大納言の息子の(とう)の弁だけのはずではあるが、気を付けるに越したことはない。


「一体、どうしてくれるのよ、兄上! 琵琶の童を攫って、弘徽殿(こきでん)の女御の宴を台無しにするのではなかったの? まんまと成功してしまったではないの! そのせいで、帝は賑やかだった宴の様子を聞きたいと、今夜は弘徽殿(こきでん)の女御を寝所にお召しになったのよ! このところずっと私がご寵愛だったのに!」

「静かになさい、滝尚侍。神経質に喚くと声が漏れ聞こえてしまうぞ。品が無い。噂が立って帝の御耳に入ったらどうする」


 新参の滝尚侍(たきのないしのかみ)として後宮で生き残るのには頼もしい気の強さだが、妹とはいえ不満を八つ当たりされては堪らない。大納言は妹の癇癪を嗜める。


「あの童を攫わせて、隠したまでは上手くいっていた。だが、事態にいち早く気付いた右大臣が、あっという間に門という門を全て閉ざすよう命じて、後宮から連れ出せないようにしてしまったのだ。たかが文遣いの童などと思っていたが、今回は右大臣家の威信が掛かっていただけに、監視も厳しく動きが早かった。さすがだ」

「感心していないで! あの大きな顔してる弘徽殿(こきでん)と、澄ました顔して幅を利かせる承香殿(じょうきょうでん)女御(にょうご)をなんとかしてよ! ご寵愛が続けさえすれば、私にだって御子ができるわ! そうすれば、尚侍(ないしのかみ)から女御(にょうご)に昇格できるはずなのよ!」


「わかっている。そなたの後宮での力の大きさが、我が大納言家の力の大きさに結び付く。そなたなら我が一族や滝尚侍(たきのないしのかみ)のために、どう対処する? たまには案を出してみよ」


 キーキー喚く滝尚侍(たきのないしのかみ)に内心うんざりしながらも、大納言は何を考えているか分からない表情の息子に話をふってみた。


「……父上、囚われの童を『偶然』助け出して恩を売り、懐ける案も失敗しています。あの女五の宮様の文遣いの童なら、高貴な身分の方々の間をあちらこちらに動かせて便利だったのですがね。今、派手な動きは控えた方が良いと思いますが。皆、警戒していますよ」

「おまえはいつもそうやって! たまには一族のために何かしてみなさいよ!」


 叔母が甥を怒鳴りつける。その乱れた様をみて、甥は馬鹿にしたようにクスリと笑う。

 父親と腹違いの叔母は、相当な癇癪持ちではあるが、帝の前では淑やかな美女だ。その落差にいつも笑いが込み上げてしまうのだった。


「一族、いや、叔母上のためにですか? 考えてはみますがね。まずは帝の宴に参加できるように手は打ちましたから。そこで帝のご機嫌をとって下さい。他の女御方は参加できませんよ」

「参加できるの? あれは身内の宴と称して、女三の宮様の婿探しなんでしょう? 私は尚侍(ないしのかみ)だからだめだって……」

「大丈夫です。帝にはとある入れ知恵をしておきましたから。ですから、叔母上も宴のお手伝いと称して参加できるようになっています」

「本当!? さすが私の可愛い甥だわ! 期待していましたよ」


 宴に参加で、途端に機嫌が良くなり、滝尚侍(たきのないしのかみ)は笑みを浮かべる。

 実は宮中二大美形貴公子の舞を見たくてしようがなかったのだ。誰だって美形の晴れ舞台を愛でたい。更には後で、後宮中の女達にどんなに素晴らしかったか語る事を、それを観れた自分の事を自慢して回りたかったのだ。


「それよりも、正攻法の妹姫を東宮妃として入内させる件はいかがですか、父上? あれももう13歳で、入内に問題はないでしょう? 我が妹ながら、賢く可愛い姫ですよ」

「東宮がするりするりと言い逃れ、左右大臣の許可も未だ得られない。おそらく麗景殿(れいけいでん)の女御の懐妊や左大臣家の姫の成人を待っているのだろう。麗景殿(れいけいでん)の女御は、目にも眩しいほどの寵愛を受けている。子などあっさりできてしまうやもしれぬ」


 大納言もイライラすると扇を膝に打ち付ける。息子の目から見ても、こういう所は兄妹そっくりな癖だなと常々思う。


「運が良い一族ですからね、あの右大臣家は。お家の危機に関わる出来事が持ち上がるたびに、姫君方が懐妊やご結婚で力強く右大臣を支えるから。我が家も見習いたいものです」


 甥の馬鹿にした視線を受けて、滝尚侍がさらに神経質に怒る。


「お前! それは私に対する嫌味? 私は十分貢献しているわ! もう良いわ、私の力で何とかするまでよ! 見てらっしゃい!」


 扇を拾うや、滝尚侍(たきのないしのかみ)は怒ってドスドス足音も荒く、部屋を出て行ってしまった。その様子に親子でため息をつく。


「あれも下らぬ事をせねばよいが……。そなたは、どう手を打つつもりか?」

「おそらく、東宮様の権勢は衰えることはないでしょう。ならば、やはり女五の宮様の婿を狙うが一番かと。もし麗景殿(れいけいでん)の女御が男子をお産みになられたら、下手したら帝はご退位にと追い込まれる可能性もあります。ですから、東宮様の対抗馬をご用意致しましょう」

「ならば姫はあの方に嫁がせるか……。まだ幼いから相手にされぬかもしれぬ」

「大丈夫です。我が妹は叔母上よりよほど頼りになりますよ。あの方の好みの弱点は既に掴んでいますから、結婚が決まったらそれを妹に伝えましょう。あの姫はその弱点にぴったりなのです」


 大納言の息子、(とう)の弁は自信ありげに微笑んだ。

 あの方の弱点など大納言には想像もつかないだけに、姫に何をさせる気なのか怪しむ。だが、この息子は、目立たぬようにしていながらじっくり人を観察しているのは知っている。何か情報を掴んでいるのは間違いないのだろう、と思った。


「まずは叔母上のすることを見てみましょう。何をするか想像がつきますが。何、大事ない様にしておきます」


 妹の滝尚侍(たきのないしのかみ)がしでかすであろう事と、状況を楽しむ息子を見て、大納言は不安ばかりが増した。

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