神様と薬剤師との対話
「神様、薬というものは、不思議ですね。こんなになぜ、たくさんの漢方の薬があるんでしょうね。」
「それは、草が教えてくれるんじゃよ。」
「草がそんなことを教えてくれんするか。」
「そうだ、教えてくれるのだ。」
「山の中で腹痛になって、困っていると、草がこれを食べろ。この実をかじろと教えてくれるのだ。」
「そんなこと、信じられません。」
「そうか、この話ならどうかな。昔、家族のものが病気で苦しんでいるときに、子供が、お母さんを助けてくださいと、神様にお祈りすると、神様が、草を持って現れて、病気が治るのじゃ。」
「それって、アンデルセンか何かの童話にあった話ではありませんか。よく覚えていませんが。」
「童話も、何かの出来事からヒントを得て、書かれているのだ。きっと、そのような出来事があったに違いない。だから、それも真実だ。」
「いい加減ですね。まあ、そういうこともあって、それが、何千年も積み重なりと漢方が生まれたということでしょうか?」
「いや、そうでもない。バラバラな知見を、総合するというのは、実は、非常に難しい。検証することもなかなか大変だ。古代の薬剤師の名人のような人間が存在するのだよ。そのような人が、野山を巡り、丹念に、草花、樹々を、中には、石を観察し、調べ、ときには、味わい、その草の力を見極めるだ。そして、その見極めを持って、最後に、草に尋ねるのだよ。すると、草が、どのような病気にこの草が有効か、教えてくれるのだよ。」
「またまた、神様、適当なことを言いだしましたね。草には、口がありません。言葉もありません。」
「もちろん、この物理世界の草には、口や言葉は、存在しないが、草の魂の世界には、草の神様もいるので、ちゃんと教えてくれるのだよ。」
「そうなんですか。」
「プラトンが言っておるじゃろ。イデアの世界が存在し、そこには、すべてのものがある。それを思い出せば良いと。」
「思い出すだけなんですか?」
「そうだ。人間の魂は、根源的神様と同根なのだ。その無限の知恵とエネルギーを使う権利を持っているのだが、人間は、それを放棄しているのだ。聖書に出てくる放蕩息子のように、親の愛を無視して、飛び出して勝手なことをしているというのが、現在の人間の姿じゃ。親の元に帰れば、たくさんの財産、力があるというのにだ。」
「人間も自分の力を試したくて、冒険に出かけた、放蕩息子で、今は、ほとんど、財産の全てを失っているようなものなのですね。」
「そうだ。正当な財産の受け取り人ではあるが、財産の存在も、使い方も知らん。」
「しばらくは、どうしようもないないわけですね。」
「帰るべき家はあるが、まだ、帰る気にはならないというわけだな。」




