神様と神学者との対話
「神学者よ、わしと対話するのは初めてじゃな。」
「はい。神様。私は、神学者ですが、まさか、神様が本当にいるとは思いませんでした。」
「それで、よく神学者と名乗れたものだ。」
「神様、私は、神様に出会いたくて、出会いたくて、たくさんの書物を読んだのです。そして、研究をしたのです。でも、神様は、どこにもいなかったのです。」
「わしは、どこにでもいるし、どこにもいないのじゃ。」
「なんですか、そのクイズのような答えは?」
「電波について、考えみよう。電波は、今では、当たり前に存在しているし、活用もしているが、200年前には、誰も、その存在を知らなかったので、どこにもないものあった。それと同じじゃ。」
「では、神様は存在しているが、誰にも気づかれないと言うだけなのですね。」
「そうだ。神様に出会うには、科学は必要ないぞ。」
「何が、必要ですか?」
「心じゃな。イエスは、神様とよく対話したぞ。そして、いろいろ教えてやったんじゃ。」
「イエス様は、何で、あんなに早く死んでしまわれたんですか?」
「それを、そなたはわしに聞くのか?」
「それを知りたくて、私は神学者になったんです。そして、あらゆる本を読み、先達も訪ねたが、納得することができませんでした。」
「教えてやっても良いが、それは、計算式もわからずに、答えだけ知るようなものだ。答えを知っても、カンニングしたことになって、何の喜びもないぞ。」
「そうですね。自分で考えてみます。地球の隅々まで、訪ねて考えてみます。」
「そうだな。ブッタも、イエスも、一人で悟ったのだ。誰かに答えを聞いたのではない。」
「そうですね。お一人で、悟られましたね。」
「実は、その答えは、心の中にすでにあるのだ。それを見つけることだ。」
「そうします。」
「そうか。がんばりたまえ。せっかくの機会だから、ヒントを一つあげよう。」
「なんですか?」
「そうだな。百人の兵が、100万人の敵兵に囲まれて、他に味方もなく、助けに来るあてのない時に、どのように生き残るか考えると普通の方法では生き残れない。あまりにも、巨悪の時代にイエスは生まれたのだ。それを承知でな。」
「そうですね。洗礼者ヨハネさえ、簡単に殺される時代でしたものね。」
「おしゃべりが過ぎたようだ。あとは、自分で考えて見よ。」