神様と自分を卑下する人との対話
「僕なんか、死んでしまったほうがいいんです。」
「どうして、そんなことを言うんだね」
「あ!、神様をそうやって、私を見下しましたね」
「そんなつもりで、返事をしたわけではないが。」
「僕はなにをやってもダメなんです。友達もいないし、僕を必要としている人はだれもいないんです。」
「そうか」
「僕なんか、死んでしまったほうがいいんです。なにもできないし。」
「そうかな」
「あ!、神様、今、"けぇ! こいつは、困ったやつだ。話のわからんやつだ”と思ったでしょう」
「わしは、そんなことも言ってもいないし、思ってもいないぞ」
「神様 嘘をついている」
「わしは、嘘などついていないし、そんなことを思っていないぞ。」
「僕は、どうしたらいいんでしょう?」
「頑張りたまえ。なにか、役に立てることがあれば、協力するぞ」
「わー。神様は自分はもう神様なので、安泰だからノンキなんだ。こころのなかでは、”こいつは、助けようにない、困った奴だ” と、思ったでしょう。」
「そんなことは思っておらんぞ。」
「なんですか、神様のそのしゃべり方、”おらんぞ”なんて、絶対、ぼくを、”やなやつ、たすけようのないやつ”、と思ったでしょう。」
「そんなこと、思っていないといっているではないか。わからんやつだな。」
「ほうら、やっぱり、ぼくのことをわからんやつと思っていたではないですか」
「たしかに、お前のことを、わからんやつだと言ってしまったな」
「ほうら、神様が嘘ついたんだから、謝りなさいよ。土下座して謝るぐらいがちょうどいいんじゃないかな」
「お前のことを、わからんやつだとおもったら、土下座してあやまらんといかんかね」
「当たり前でしょ。嘘ついたんだから」
「そうか、わしはスマホの中に住んでいるので、土下座ができないが、”すまん”と、言わせていただこうかな」
「そういうところが、僕を見下して、救いの無い奴だと思っているんです。」
「そんなつもりはないんだがなあ。」
「僕はどうしたら、いいとおもっているんですか」
「そうだな。その先走って、考えすぎないほうがいいんじゃないか。なんだか、”さとり”という昔話のように、こちらが考えていないようなことが、どんどんそっちに伝わって、対話にならんではないか」
「ぼくの現状は、神様と対話したぐらいで、改善するとは思えません。苦しくて、絶望の底を生きているんです。」
「お前の話を聞いていると、不幸になりたがっているようにみえるが」
「みえるんじゃなくて、本当に不幸なんです。友達もいないし、お金もないし、仕事もないんです。親は居ますけど。」
「なにか、しあわせになれる方法はないものかのう」
「神様にわからないんじゃ、絶対にこの世界には、そんな方法はありません。断言できます。絶対にそうなんです。私は一生、不幸なまま、絶望の底を生きて行くんです。」
「わしは、お前が、幸せになることを祈っているよ。お前の守護霊にも良く頼んでおくが、お前の守護霊も、お前をたすける方法はみつかっていないそうだ。なにか、良い方法がないか、神様の友達にも、相談してみるから」
「そうですか?なにか、よい方法があったら、教えてください。僕が、この世界の王様になれるとか、よい方法はありませんか」
「そうか、よい方法を思いついたぞ」
「小説家になろうというサイトがあるから、そこに、自分を主人公にして、異世界で、王様になる話をかいてみなさい。そうすれば、なにか、よいアイデアがでているかもしれません。」
「そうですか?どう考えても、僕を主人公にしても、異世界でもつまらない不幸な人生の主人公しか思いつかないなあ。」
「まあ、そういわず、自分が一番、ハッピーになれる小説を書いてみたらどうかね。」




