5.初めての村
歩いてみて初めて気づいたけれど、体は小さくなっても、体力まで子供レベルにはなってない。
むしろ、前よりもずっと身体能力が高いんじゃないかと思った。
靴も高くないとはいえ踵のある固い革靴だったので、途中で足が痛くなる覚悟をしていたけれど、歩いても歩いても痛みはなく、靴が汚れる様子もない。
明るいところでよく見れば、服も靴も見覚えのあるものだったので、ゲーム内と同じ性能があるのかもしれない。
ゲーム内では、普通の装備とアバター装備の2種類を同時に身につけられて、表示の切り替えで、どちらを着ているように見せるのか選べるようになっていた。
アバター装備は課金アイテムが多く、一度使用すると譲渡が出来ない代わりに破壊不可だった。
普通の装備と違って、耐久度もないので修理の必要もなかった。
中にはイベントアイテムのアバターもあって、そういったものは期間限定でしか手に入らないので、後になって、驚いてしまうような高値で取引される事もあった。
今、私が着ているワンピースは、課金アイテムのゴシックドレスだと思う。
靴もゴシックドレスと一緒に販売されたもので間違いない気がする。
更に髪飾りもあって、それも持っていたけれど、ゲーム内でつけていなかったからか、今は身につけてない状態だ。
アイテムボックスの中身がそのままなら、ボックスの中に入っているはずだけど。
ゲーム内ではアイテム辞典みたいなものがあって、一種類に付き一つまでならそこに収納できるようになっていた。
辞典を埋めれば、その数によってアイテムをもらえたり、特殊クエストが出たりしていたので、使えないアイテムも一通り収納しておく人が多かった。
私も、男性用のアイテムなんかは、使えないけれど全部収納してあった。
ただ、アバターには罠があって、染色することで、自分の好みの色の服を作れた。
色違いで同じ服を持っていることも多かったので、それがアイテムボックスや倉庫をかなり圧迫した。
後になってアバター専用倉庫というのも追加されたけれど、アイテムバッグは一つしか設置できなかったので、一種類に付き一つ辞典に収納できても焼け石に水という人も多かった。
私も4年以上遊んでいたので、アバター倉庫は常に圧迫状態だった。
このゴシックドレスも、黒の他に白とピンクがアバター専用倉庫に入っている。
「ユキ、このままだと門が閉まってしまうから、少し急ぐ」
体力はあっても、体格の差は如何ともし難く、ルーファスさんと私では歩幅がかなり違う。
ずっと抱いて運ばれるのは申し訳ないので歩いていたけれど、私の歩みは遅かったようだ。
それでも私の自主性を尊重して、ぎりぎりまで待ってくれたのだと思う。
日が随分落ちて、夕暮れ時が近くなったこの時間まで、好きに歩かせてくれた。
「少し走るぞ?」
ひょいっと私を抱き上げて、ルーファスさんが走り出す。
街道に出たものの、馬車や人と行き交うことはなくて、出てくるのは小さな獣くらいだった。
それすらも、狩られることを恐れるのか、近付いてくる事はない。
道を外れると魔物が出るけれど、大きな街道は魔物避けがしてあるので、魔物よりも盗賊の方が警戒対象らしい。
アルノルドは豊かな国だから、働こうと思えば仕事はあるそうで、盗賊になるのは、近隣の小国からやってきた人が多いそうだ。
妖精の森は中心部から外れるほど魔物が出やすくなるとルーファスさんが教えてくれたけど、さっきの移動中にはまったく遭遇しなかった。
だから私はまだ、魔物を見たことがない。
ルーファスさんの左腕に座るように抱かれたまま、こうして運ばれるのにも、一日で随分慣れてしまったなと思う。
最初は照れてしまったけれど、今は子供の体なんだし、あまり意識するのも自意識過剰みたいで恥ずかしいような気がしてきた。
今の私に出来るのは、ルーファスさんが少しでも走りやすいように、大人しく掴まってることだけだ。
街道を走っている事もあって、森の中を走っていた時よりもスピードが出てると思うけど、ルーファスさんは平然としていて、たいして疲れた様子もない。
さすがに少しは息が乱れてるし、汗もかいているけれど、根本的な体の作りが違うような気がする。
虎耳としっぽがある時点で、人とは違うのだけど、ルーファスさんがこの世界では珍しくない身体能力の持ち主なのだとしたら、今の私が元の体よりも強くなってるとしても、か弱い部類に入ってしまうだろう。
自分で自分の身が守れるとは思えないから、ルーファスさんとは絶対に離れないようにしよう。
ちなみにゲームと同じなら、この世界には森人と呼ばれるエルフと山人と呼ばれるドワーフ、そして獣人と人間がいるはずだ。
数は人間が一番多くて、人間だけはどの種族とも子を生せるけれど、人間以外の種族の場合、種族が違うと子供が出来ない。
人間と他種族のハーフは、他種族の特徴を受け継ぐ事が多いと、ゲームの公式サイトの説明に書いてあった。
閉門の時間はどこでもほぼ同じで、夕刻の鐘が鳴る頃だと、ルーファスさんが教えてくれた。
王都だけは、夜遅くまで門が開いているらしい。
ゲーム時代は閉門時間とかなかったので、好きなときに街に出入りしていたから、そこは違うんだなと思った。
鐘がなった後は、余程の事がない限り門は開けてもらえないらしく、外で野宿するしかないそうだ。
大きな街道沿いは魔物避けがしてあって、魔物に襲われることはないけれど、盗賊が出るので野宿をする人は少ないらしい。
街道沿いには村や町が点在していて、徒歩で旅をするとしても、一日で辿り着ける範囲に必ず一つは集落があるので、野宿をするようなことには滅多にならないそうだ。
さっき二人で並んで歩いている時に、ルーファスさんと色々と話をした。
どちらかというと無口なんじゃないかって感じる、喋りなれてないようなルーファスさんが、何も知らない私のために精一杯説明してくれるのが嬉しくて、私からも色々と尋ねてしまった。
辿り着いたのは小さな村だった。
門といっても小さなもので、立っているのも兵士というよりは、一応革鎧のようなものはつけているけど、村人といった雰囲気の人だ。
ルーファスさんの話では、ギルドの支部がある、それなりに人口の多い村と教えられていたけれど、そんなに大きくは見えなかった。
後で旅をするようになってわかったけれど、本当に小さな村は30人くらいしか人がいなくて、人口が400人を超えているこの村は、村としてはそれなりに大きかった。
近隣の村の人達も、買い物をするときはこの村にやってきたりするらしい。
ギルドに依頼を出す時も、冒険者ギルドの支部があるこの村にくるようだ。
村に入るには身分証の提示が必要だったけれど、ギルドカードが身分証の代わりになるようだ。
私はルーファスさんの連れで、これからギルドに登録するということで、門を通してもらった。
強面のルーファスさんが、私のような子供を抱いているのが奇異にうつったのか、じろじろと見られてしまったけれど、特に咎められる事はなかった。
門は小さかったけれど、中に入ってみると意外に広かった。
商業活動をしている人も多い村なのか、商家らしい、いくつかの大きな建物も見える。
「とりあえず、今日は宿に行こう。日が落ちると暗くなるから。ギルドの登録は明日だ」
私を腕に抱いたまま、ルーファスさんはすたすたと歩いていく。
足取りに迷いがない様子から、この村に来たことがあるんだとわかった。
道行く人達は人族が多いみたいだけど、中にはルーファスさんのように獣人もいる。
冒険者は武器や防具を身につけているから、すぐに違いがわかる。
ルーファスさんは、この辺りの魔物は弱くて問題ないからと、今日は武器も防具もつけていない。
盗賊が出ても、簡単な魔法や体術も使えるから、十分対処できるそうだ。
冒険者のような格好をしたルーファスさんは、きっとかっこいいだろうなぁと思ったけれど、王都に近くなればなるほど安全らしいので、その姿を見るのはまだまだ先になりそうだ。
初めての村で、ついでに異世界の人達が物珍しくて、きょろきょろと落ち着きなく周囲を見渡した。
今は子供の姿だから、落ち着きがなくても少しは許されるだろう。
しばらくルーファスさんが歩くと、3階建ての大きな建物に辿り着いた。
頑丈そうな木造の建物で、透明度の高くないすりガラスのようなものが嵌った窓越しに、明かりが漏れている。
一階の窓は嵌め殺しになっていて、ガラスも簡単に割れないようにか、かなり分厚いみたいだ。
中に入ると、一階は食堂になっているみたいで、結構人が入っていた。
でも、人が多い割には騒々しい感じがしないから、客層のいい、それなりのランクの宿なのだと思う。
「風呂付の部屋を一晩頼む」
「夜と朝の食事つきで、一人8千ギルになります」
受付らしきところでルーファスさんが部屋を頼むと、きちんと制服のようなお仕着せを着た従業員さんが、手際よく手続きをしてくれた。
宿帳のようなものがあって、ルーファスさんが記入したけれど、文字は見たことがない文字なのにちゃんと読めた。
今まで気にしなかったけど、言葉も問題なく通じているんだから不思議だ。
私は日本語を話しているし日本語に聞こえているけれど、実は違う言語を使っている可能性が高いと、文字を見て思った。
意思疎通が出来ないとなると大変だから、言葉が通じてよかった。
それに、お金の単位もゲームと同じなんだなって思った。
ゲーム時代には宿に泊まる事はなかったから相場がわからないけど、確か、一番最低ランクのポーションが一つ500ギルくらいだった。
MPポーションは800ギルだったから、1ギルが1円か2円くらいなのかな?と、ゲーム時代のフレンドと話したことがあったはずだ。
ルーファスさんはアイテムバッグから金貨を2枚だして支払った。
銀貨が4枚帰って来たから、金貨1枚で1万ギルみたいだ。
ということは、銀貨が一枚で千ギルなのかな?
多分、銅貨もあるだろうから、それなら銅貨一枚で100ギルになるのかな?
後でルーファスさんに教えてもらおう。
「部屋は3階になります。夜は食堂も混んでますので、食事を部屋に運ぶ事もできます。どちらで召し上がりますか?」
子供連れだからか、酔客もいる食堂で食事をしなくてもいいように、気を使ってくれてるみたいだ。
ルーファスさんは鍵を受け取りながら部屋に食事を運ぶように頼んで、私を腕に抱いたまま階段を上っていった。
見た目通りしっかりとした造りの建物で、年季が入っているようだけど、階段がきしんだりはしない。
掃除もきちんとしてあるし、一泊の料金も高めだったような気がするし、とてもいい宿なんじゃないだろうか。
「疲れただろう。少し体を休めるといい」
部屋に入ると、ルーファスさんはすぐに明かりをつけた。
ランプで部屋を明るくしてから、長椅子に私を降ろす。
ルーファスさんは夜目が利くと言っていたから、私が怖がらないように先に明るくしてくれたのだろう。
そういった些細なことに、ルーファスさんの優しさを感じてしまう。
部屋の中はしっかりとした作りのベッドが二つあって、想像していたよりも広かった。
扉があるから、そこからお風呂にいけるんだと思う。
ちなみにこの世界にトイレはない。
月が二つあるのを見たときよりも、もっと強くゲームの世界だと実感させられたのだけど、この世界には浄化石というのがあって、下腹部に石を押し当てるだけで排尿や排泄が済んでしまう。
旅の間、トイレの心配をしないですむのはとても助かるけれど、生まれ育ったのとは違う世界にいるんだなぁと、石を使うたびに実感させられる。
昨夜の内に、ルーファスさんが小さな布袋に入った浄化石を一つくれたので、ずっと服のポケットに入れてあった。
トイレに行きたくなるたびに、一々私から言い出さないで済むようにしてくれたルーファスさんは、とても気遣いのできる紳士だと思う。
椅子に座っていると、疲れがどっと押し寄せてくる。
運ばれている時間の方がずっと長かったけれど、思っていたよりも疲れてたみたいだ。
「見た目が幼いとはいえ、女性と同室というのはどうかと思ったんだが、一人にすると攫われる危険もあるから我慢して欲しい。この宿なら従業員は信用してもいいが、客はどこにいても信用できない。金回りのいい悪党はどこにでもいるから、こういった田舎でも安心はしない方がいい。明日、ギルドに行く時も、村の中を歩く時も、決して俺から離れないで欲しい」
ベッドに腰掛けたルーファスさんが、まっすぐに私を見て言い聞かせる。
この世界はあまり治安がよくないようだ。
日本の治安がよかっただけで、海外に行けば治安の悪いところもあったから、この世界がというよりも、日本が特殊だっただけかもしれないけれど。
「同室なのは気にしてないから平気。それこそ、今は子供にしか見えないんだし、それだと、部屋が別の方が変に思われるかもしれないから。それより、教えてほしい事があるんだけど……」
忘れないうちにと、貨幣の価値や物価の事などを聞いておく。
知らない事だらけだから、気づいた時に教えてもらわないと、知っていて当たり前のことを知らないのが、他の人にばれてしまう可能性がある。
だからできるだけ、疑問に思ったらその都度解消するようにしていた。
貨幣については私の予想通りで、他に鉄貨と大金貨と白金貨もあるらしい。
鉄貨10枚で銅貨1枚になるそうで、主食代わりによく食べられているロールパンのようなものが、鉄貨1枚で一個買えるらしい。
教えてもらった大きさは私の知っているロールパンと同じくらいだったから、1ギル1円で計算するとちょっと安いかな?
他の物の値段を見てみないとはっきりしないけど、やっぱり1ギルが1円~2円といったところかもしれない。
金貨が10枚で大金貨だから、大金貨が10万ギル、大金貨が100枚で白金貨になるそうだから、白金貨は1000万ギルみたいだけど、白金貨は滅多に使われないそうだ。
冒険者ギルドの一番高い報酬でも、さすがに白金貨には届かないらしく、また、白金貨に届くような報酬が出る依頼は、大きな街が滅亡するレベルの災害級の魔物が出た時にしか発生しないから、そんな依頼はないほうがいいと、説明しながらルーファスさんが苦笑した。
話をしているうちに食事が届いて、部屋に備え付けのテーブルに料理が並べられた。
食事を終えた後は、食器は部屋の外に出しておけばいいらしい。
料理はシチューと、さっき物価の説明の時に聞いたロールパンみたいなパン、それから、メインは肉料理のようだった。
子供料金とかないみたいだから、料理も同じ量で用意されているけれど、どう見ても食べきれないくらいに多い。
「ルーファスさん、この料理、私にはちょっと多いから、半分食べてもらえますか?」
こういった場所で出された、残したら残飯にしかならない料理はできるだけ完食したいので、先に分けてしまおうと声をかけた。
いくらなんでも食べかけの料理を押し付けるわけにはいかない。
「残ったら食べてやるから、好きなだけ食べるといい。子供は腹いっぱい食べて、大きくなるのが大事だ」
私が遠慮しないようにだろうけど、ルーファスさんがやたらと食べさせようとするのが気に掛かる。
そんなに小さくて痩せて見えるのかな?
元の体と同じくらいまで育つなら、それなりに成長するはずだけど、それはまだ先のことだし、その姿をルーファスさんに見せることはないだろう。
それが当たり前のことなのに、そう考えた瞬間、少しだけ寂しいと思ってしまった。
「ありがとう、いただきます」
手を合わせてから、木のスプーンを手に取った。
熱々のシチューを吹き冷まして食べると、少し薄味だけど、野菜の味がしっかりとしていて美味しかった。
ルーファスさんは熱いのも平気みたいで、冷ます事もなく普通にシチューを食べてる。
虎の獣人は猫舌じゃないんだなぁなんてことを思いながら、少し固いパンをちぎって、シチューと一緒に食べた。
ゲームの中には、料理スキルで作れる和食のメニューもあったから、こっちにも食材があるといいんだけどなぁ。
家事はお兄ちゃんに教わったから、料理も一通りはできるし、甘党のお兄ちゃんのためにお菓子も作っていたので、簡単なものならお菓子も作れる。
ゲームみたいにスキルが使えれば、料理スキルのレベルはかなり高いはずなんだけど、リセットされていたら一からやり直しになるのかな?
ゲームではあるのが当たり前だったスキルとかが、今はどうなっているのかがよくわからない。
肉料理はポークソテーみたいなものだったけど、少し焼き過ぎな感じで固かった。
半分ほど食べたところでお腹いっぱいになってしまって、残ったものはルーファスさんが全部綺麗に食べてくれた。
人の食べかけとかダメな人もいるけど、ルーファスさんは気にしないみたいだ。
食事の後は、お風呂の使い方を説明してもらう。
こちらのお風呂は水属性の魔石で出した水を、火属性の魔石で温めているそうで、バスタブに二つの魔石が埋め込まれていた。
魔石は交換できるようになっていて、一つの魔石で一月から二月は持つらしい。
ちなみに、こちらの一月は30日で、一年は12ヶ月あるそうだ。
街では2時間ごとに鐘が鳴って時間を知らせてくれて、朝の6時に鐘が一回、その2時間後の8時に2回といった感じで鐘の回数が増えていき、9の鐘までしか鳴らない。
街ごとに鐘を鳴らすための魔道具が備え付けてあるそうで、それも天空人の遺産の一つらしい。
1の鐘で起き出して、2の鐘の頃から働き始めてというのが、定住している人の生活習慣みたいだけど、冒険者はもっと自由みたいだ。
一応、新しいクエストが張り出されるのは2の鐘の頃だけど、冒険者ギルドは常に開いているし、一日で終わらない依頼も珍しくないから、冒険者は依頼の期限は気にしても、鐘の音は気にしないらしい。
「必要なものは明日買いに行こう。今夜は俺の物で悪いが、着替えやタオルはこれを使ってくれ」
アイテムバッグから取り出したシャツやタオルを差し出されて、素直に受け取った。
服は汚れないようだとわかっても、お風呂上りにもう一度着たいかと言われると、とても微妙だ。
バスルームに入って、脱衣用のスペースで服を脱ぐと、ワンピースの下にはキャミソールと下着もつけていた。
下着はドロワーズというのだろうか、ウエストと両腿の部分でリボンのような紐を結んで使うものだ。
服に合わせてあるのか、どちらも色は黒で、肌触りは意外にいい。
「これ、手洗いしたら乾くかな?」
服以上に下着はもう一度身につける気になれなくて、困ってしまう。
魔法で綺麗にできる方法とかあったらよかったのになぁと思いながら、脱いだ下着を洗うことにした。
乾かなかったら、下着を買ってもらうまで明日はノーパンだと思うと、恐ろしくも感じるけれど、昨日からずっとつけていた下着をそのまま身につけるよりはずっとマシだ。
浴室に入ると石鹸があったので、まずはしっかりと下着を洗濯して、出来るだけ水気を絞ってから、皺を伸ばして脱衣スペースに広げた。
ルーファスさんは紳士だから勝手に入ってくることはないだろうし、見られる心配がないからこそできることだ。
裸のまま作業して冷えてしまったので、急いで髪と体を洗い、バスタブに入った。
お湯は少し熱めだったけれど、私にはちょうどいい温度だった。
熱く感じた時は水の魔石を軽く押せば、少し水を出してくれて、温くしてくれるらしいけれど、必要なかった。
反対に熱くする時は、火の魔石を軽く押すらしい。
排水や換気などの設備もしっかりしているようで、特に湯気が篭ったりもしていないし、バスタブの外で水を流しても、綺麗に流れている。
髪と体を洗う石鹸が同じもので、シャンプーやトリートメントがないので、ちょっと髪がごわつく感じがするけれど、贅沢は言ってられない。
ちゃんとご飯が食べられて、お風呂にも入れて、安全な場所で眠れるだけで十分だ。
もしもルーファスさんに見つけてもらえなかったら、誰も来ない森の中で一人きりで、飢えと孤独に苛まれていたに違いないのだから。
そう考えると、改めてルーファスさんに対する感謝の念が沸き起こる。
助けたって何の見返りを得られるわけでもなく、足手まといでしかない私に、ルーファスさんはとても親切だ。
私がもっと大人の姿だったら、もしかして下心があるのかな?とか邪推していたかもしれないけど、今の私は手間の掛かる子供でしかない。
それに、ルーファスさんがそういった欲求を満たす相手に不足しないだろうということは、村に入ってから宿に辿り着くまでの短い道のりだけでも理解できた。
通りすがりの村人らしい女の人や、冒険者らしき女の人が、何人もルーファスさんに見惚れていたから、かなりもてるに違いない。
ルーファスさんは怖くも見えるけれど、言い換えればそれは男らしくも見えるということだ。
私を抱っこして運んでいなければ、きっと声を掛けられていたと思う。
ルーファスさんの髪は綺麗な銀色で、白虎の獣人と聞いているけど、耳もしっぽも白というよりは銀色っぽく見える。
銀色っぽい白に黒い模様が入っていて、とても綺麗だ。
耳とかしっぽに触ってみたいけれど、何か特別な意味があるといけないから、自重している。
ライトノベルとかで、獣族の耳やしっぽが性感帯だったり、伴侶にしか触らせない特別なものだったりするのは、お約束だったから。
ゲームの中の設定では、特にそういった表記はなかったけれど、知らないうちに勝手な行動は出来ない。
私は何の役にも立ててないし、何も出来ないけれど、せめて不愉快にさせるかもしれないようなことはしたくない。
色々と考えていたら長湯をしてしまって、大きなバスタブから少し苦労しながら外に出たときは、ちょっとのぼせていた。
ぽかぽかの体を拭いて、ルーファスさんのシャツを着ると、腿どころか、ふくらはぎまで隠れてしまう。
ボタンを全部留めて、袖を折り曲げて、何とか形にしたけれど、下着がないので落ち着かない。
明日より先に、今夜ノーパンになる心配をしなければいけなかったのに、そこには気づかなかった。
「ユキ、大丈夫か? かなり時間が経っているが、のぼせたりしていないか?」
着替えている物音が聞こえたのか、扉がノックされて、扉越しに心配そうな声が聞こえてくる。
長く待たせてしまったのだと気づいて、慌ててタオルと洗った下着を包んだ服を持って扉を開けた。
「待たせてごめんなさい。ルーファスさんも早くお風呂に入りたいよね」
慌てて飛び出てきた私を驚いたように見ていたルーファスさんが、微かに微笑んで、濡れた髪に指で触れてくる。
髪に指を潜らせながら、ルーファスさんが何か呟いた瞬間、濡れていた髪は乾いてしまった。
「のぼせていないのならいい。風邪を引かないように、早くベッドに入れ」
髪が乾いたかどうか確かめるかのように、指先で優しく梳いてから、頭を撫でられる。
優しい仕草に照れてしまって、言葉にならないまま頷いた。
髪を乾かしたのが魔法かどうか聞きたかったのに、ルーファスさんがバスルームに入ってしまうから追いかけられない。
「ルーファスさんって、やっぱり絶対もてるよね」
あんなに優しくされたら、勘違いする人が続出だと思う。
浴室の扉から見えない位置に洗った下着を干してから、ルーファスさんが荷物を置いてない方のベッドに潜りこんで、熱くなった頬を枕に埋める。
シーツも枕も、きちんと洗濯をした後のいい匂いがした。
お風呂で使った石鹸もちゃんと香りがついていたし、探せばちゃんとシャンプーとかもあるのかもしれない。
アイテムボックスが使えたら、好きに買い物するくらいのお金もあるのになぁ。
いくらルーファスさんが優しいからって、贅沢品や嗜好品をほしいという我侭は言えない。
長湯して疲れたのか、目を閉じたら、すぐに睡魔がやってきた。
おやすみなさいを言ってないなぁって思いながら、眠りに落ちた。