41.エリアスとリゼル ルーファス視点
ユキの作る料理はいつも美味いが、今日は格別だった。
ありふれた野菜が、天ぷらという料理になるだけでここまで美味しくなるのかと驚かされる。
ユキはテンツユとマッチャ塩を用意してくれた。
食感を大事にするなら塩で食べるのがいいが、テンツユも少し甘みがあって美味しかった。
魚介を食べる事はあまりないのだが、エビもイカも、ぎゅっとうまみが封じ込められているように感じた。
いつか港のある街に、ユキと旅をしてみるのもいいかもしれない。
ユキは魚が好きらしいから、きっと喜ぶだろう。
「ユキ様は料理までなさるのですね。どれも食べた事のない料理で、とても美味しかったです」
最初は緊張気味だったエリアスも、美味い食事で少し落ち着いたようだ。
公爵家のローランドと同じ食卓につくのは恐れ多いと、後ろに控えようとしていたリゼルも、半ば無理矢理一緒に食事をさせたので、そちらが気になって、自分の緊張はどこかに行ってしまったというのもあるだろう。
いつ見ても仲のいい主従だ。
リゼルは従者にしては品がよく、食事のマナーもきちんとしたものだった。
貴族を相手に商売をしているのだから、当然の事かもしれないが、それにしては出来過ぎのように思える。
エリアスも従者として以上に大切にしているようだ。
「お口にあってよかったです。こちらでは油で揚げる料理は珍しいみたいだったので、せっかくだから食べてもらおうと思ったの」
褒められてはにかむように微笑みながら、ユキが俺の左手を見る。
きっと、指輪の礼も兼ねていたのだろうと、その視線で気づかされた。
「油で揚げてあるのか? ユキ、よかったらうちの料理人に、作り方を教えてやって欲しい。父や兄達がやってきた時に、見たことのない料理があれば喜ぶだろう」
ローランドに頼まれて、ユキは気安く頷く。
自分の持つ知識が珍しいものだということを、ユキはあまり意識していないようだ。
「そういえば、エリアスさんとリゼルさんって、仲がいいですよね。長い付き合いなんですか?」
食後のお茶を飲みながらユキが問いかけると、エリアスは一瞬躊躇うように目を伏せた後、背後に控えるリゼルに視線をやる。
同じ食卓にはついたものの、食堂から応接間に移動した後は、リゼルはいつも通りにエリアスの背後に控えた。
まだ若いのに頑固な男だ。
「リゼルは私の弟ですから。父が使用人に手をつけて産ませた子なのですが、父は貴族に嫁がせるために、女の子が欲しかったようなのです。男だったリゼルは捨て置かれたので、私の母が引き取って、一緒に育ちました。私の母は、私以外に子ができなかったことで、リゼルの母親を犠牲にしてしまったと、今も悔いています。商会では兄達と、兄達の亡き母の親族が強い発言権を持っていますから、リゼルは父の息子とは認められず、他の使用人と同じ扱いなのです」
大店ともなればよくある話ではあるが、エリアスはリゼルやリゼルの母の境遇を気の毒だと思っているのだろう。
命がけで互いを守ろうとしていた姿を知っているから、二人には血の繋がり以上の絆を感じる。
リゼルが決して自分の立場を逸脱しないようにしているのも、商会の中で身を守るには必要なことなのかもしれない。
「兄弟で助け合って働けるのは、とてもいい事だな」
俺がそう言うと、エリアスは何かを噛み締めるような表情でしっかり頷いた。
心から信頼できる家族と共にいられるのは、幸せなことなのではないだろうか。
こんな風に人のことを考えられるようになった自分の変化に気づいて、何となくくすぐったいような気持ちになる。
ユキと出逢わなければ、他人のことをこんな風に思える日は多分来なかった。
「はい。得がたい、大切な弟です」
何か胸に迫るものがあったのか、エリアスが大切な事を言葉にするように強く言い切る。
リゼルは感極まったようで、表情を隠すように俯いた。
「兄と呼んで欲しいのですが、ルーファス様もご存知の通り、リゼルは頑固者なので、決して呼んでくれないのです」
寂しそうにエリアスが零すが、兄と呼べないリゼルの立場も理解しているのだろう。
仕方がない事として受け止めているようだ。
「エリアス、今日ここに呼んだ理由を話す前に、まずはルーファスが出すものを見てほしい」
ずっと様子を見ていたローランドが、俺を見て一つ頷いた。
どうやらエリアスは及第点をもらえたようだ。
俺はテーブルにユキがスキルで作ったグレンの実のジュースと矢を取り出した。
ポーションはここで見せずとも商人ならば見たことがあるだろうし、弓はまだ製作を試していない。
馬車に関しては、ユキの馬車をエリアスは外から見たことがあるから、わざわざ見せずとも少しは知っている。
「拝見します」
一言断って、エリアスが矢を手に取る。
じっと矢を見つめていたかと思えば、驚いたような様子でジュースの方も手に取った。
「これは、どちらもスキルで作られた品ですか? 製作者はユキ様でしょうか」
今はまだ隠そうと思っていたことを言い当てられ、驚いてしまいながらエリアスを見た。
ローランドは貴族らしく表情を隠しているが、やはり驚いているようだ。
「何故、ユキが作ったと思った?」
ローランドが尋ねると、エリアスはユキを見て笑みを零した。
「以前、ルーファス様とユキ様に助けていただいた時に、お茶を振舞っていただきました。私は手にしたものを鑑定する能力を持っています。ですから、あの時に出してくださった紅茶やクッキーが、スキルで作られたものだというのは察しておりました。体力の回復効果があるクッキーなど、スキル以外では作れないでしょうから。こちらの矢には攻撃力が上がる効果がありますから、スキルで作った物ではないかと判断しました。ルーファス様は戦士としては有名ですが、生産スキルをお持ちだとは聞いたことがありません。ですから、ユキ様がお作りになったのではないかと推測しました」
エリアスは初めて逢った時から、ユキが普通の少女ではないと気づいていたけれど、誰にも言わず心に秘めていたらしい。
リゼルですら今まで知らなかったようで、驚きを隠せない様子だ。
それにしても、ユキの作った矢は攻撃力も上がるのか。
スキルで作った品に、付加のような効果がつくのはよくあることなのに、それでも驚かされてしまう。
「まさか鑑定持ちとは思わなかったが、商業の神の加護があるなら、それも当然のことかな。能力が高く、口も堅く、恩に報いることも知っている。得がたい人材だな、君は」
ローランドが感心しながら、手放しでエリアスを褒めた。
ユキのことを知りつつも黙っていただけでなく、自分から無理にユキに連絡を取ろうとすることもしなかった。
公爵家に出入りできる商人なら、何かと理由をつけてユキと逢う事は容易かったに違いないのに、エリアスはそれをしなかった。
つまり、エリアスにユキを利用する気持ちはなかったということなのだろう。
「エリアスさん、お願いします。私の手伝いをしてくださいませんか? 信じ難いことだと思いますが、私はフローリアという神に、スキルで作ったものを世に出して欲しいと頼まれています。そのための店をエリアスさんにお任せしたいんです。オルコット商会から独立して、リゼルさんと一緒に、ローレンシアで一番の店を作ってみませんか? エリアスさんが思う存分に力を発揮したら、それができると思います」
自分が関わる事であるのに、人任せにするのが嫌だったのか、ユキがエリアスに真剣な表情で願い、頭を下げる。
エリアスは驚いたような表情ではあったものの、ユキの言葉に心を揺さぶられたのか、次第に頬を紅潮させた。
「ユキ様、頭を上げてください。ユキ様もご存知の通り、商会内での私の立場は微妙なものです。私ですらそうなのですから、リゼルはもっと危険な立場にいます。私達兄弟を救い上げて、店を与えてくださるというのですから、お願いするのはこちらの方です。何より、ローレンシアで一番の店という言葉に、心が躍りました。男として生まれ、商人になったからには、柵を断ち切って、はるか上を目指したいと思います。それに、あの日、私とリゼルの命がお二人に救われたのも、神のお導きなのでしょう」
商業の神の加護があるからか、エリアスは神を身近に感じているようだ。
男として大きな事を成し遂げたい、そんな希望が胸を満たしたのか、表情から憂いのようなものが完全に消えている。
「私も、エリアス様……いえ、兄についていきます。ユキ様のお役に立てるように、力を尽くしたいと思います」
リゼルが強く決意に満ちた言葉を口にすると、兄と呼ばれたエリアスの表情が嬉しそうに輝いた。
この二人なら、力を合わせて頑張ってくれるだろう。
冒険者として盗賊を見過ごせなかっただけなのに、それがこんな風に繋がっていくなんて、人の縁とは面白いものだ。
そこに神の手が入っているのは少しおもしろくないが、ユキのためになるのだから気にしないことにしよう。
「私の言うべきことを、ユキが言ってしまったな。結果的に、ユキが頼んだ方がよかったようだけど。商品の出所がユキだとわからないように、表向きは公爵家で出資した店ということにするつもりなんだ。公爵家の店から人を引き抜こうとする貴族はまずいないからね」
ローランドが人好きのする笑みを浮かべ、気さくに話しかける。
生粋の貴族ではあるが、ローランドは身分や立場の違う人と付き合うのが上手い。
あの竜退治のときも、ローランドが騎士と冒険者との間を取り持って、何とか連携が取れるようにしていた。
ローランドがいなければ、もっとたくさんの死人が出ていただろう。
それを知っているから、俺は自分だけが英雄などと呼ばれるのが嫌いだ。
俺がしたのは、身体能力に任せて竜の頭に上り、獣神に贈られた剣で竜の首を落としただけなのだから。
それだって、俺が動きやすいようにみんなで一斉に竜を攻撃して、気を引いてくれたからこそできたことだ。
俺は頑丈な体と高い身体能力と、竜の鱗すら断ち切れる剣を持っていたに過ぎない。
「ルーファスさん、顔、怖くなってる」
隣に座るユキが、小さな手で俺の頬に触れ、優しく撫でてくる。
些細な仕草で容易く心が癒されて、頬が緩んだ。
英雄と崇められるのが重くて、世界中を旅しながら、強い魔物を退治し続けた。
自分で人を寄せ付けなかったくせに、英雄などではない素の自分を見てくれる人を探していたのかもしれない。
情けない顔も、かっこ悪い姿も、すべて受け止めてくれる、そんな人を求めていたのかもしれない。
俺がずっと探し求めていたものが形になったら、それがユキになる。
「ユキも、俺を英雄だと思うか?」
唐突な俺の問いに、ユキはきょとんとして、次の瞬間には明るく微笑んだ。
「私にとってルーファスさんは英雄じゃなくて、恩人だよ。それで、優しくて可愛くて寂しがりで、放っておけない人」
これはどう受け止めればいいんだ?
好意的な言葉だとは思うんだが、ユキから見た俺は結構情けない男なんじゃないだろうか?
いや、放っておけないというのは、とても嬉しい。
俺はユキに構われるのが大好きなのだから。
困惑しつつも、何となくユキを抱きしめたくなって手を伸ばすと、ジュースの紙パックが飛んでくる。
反射的に捕まえたはいいが、飲み掛けだったようでジュースが少し零れた。
「私に話を任せて、いちゃつくな、ルーファス」
にやにやと笑いながらローランドにからかわれたので、見せ付けるようにユキを腕に抱きこんでおく。
ユキが真っ赤になっているが、可愛いので問題はない。
「最近、小舅のようだな、ローランド。やきもちを妬いているのか?」
冗談で返すと、ローランドが堪り兼ねたように吹き出して笑い出した。
エリアスとリゼルも、耐え切れなかったのか笑みを零している。
ユキだけが真っ赤になったままだが、そのおかげで場の空気が一気に和んだ。
その後はエリアスも遠慮なく会話が交わせるようになったようで、どうするのが最善なのか、遠慮なく意見を交し合いながら、夜は更けていった。




