35.子供じゃない ルーファス視点
本日二回目の更新です。読み飛ばしにご注意ください。
ユキの様子がどことなくおかしい。
本人は気づいていないようだけど、儚い、消えてしまいそうな笑みを浮かべて、何度も溜息をついている。
ローランド達を見ていて、家族が恋しくなったのだろうか?
ユキが寂しがっているような気がして、寂しさを感じないようにできるだけ構うようにしているけれど、時折、悲しげにユキの瞳が揺れる。
ユキの悲しみを癒せない自分が、とてももどかしくなる。
「ルーファス。また子供のお守り? Aランクの冒険者のすることじゃないわよ?」
ユキのレベル上げと気晴らしになればと思い、朝から冒険者ギルドにやってきたが、来る早々、面倒な相手に捕まった。
クエストを選んでいたユキの表情が曇るのに気づいて、余計な事を言う女に腹が立った。
アゼルの娘だから仕方なく返事くらいはしていたが、元々好んで話したい相手ではない。
「お守りじゃない、パーティメンバーの手伝いだ。余計な事を言わず、仕事に戻れ。邪魔だ」
怒りで言葉が常よりも刺々しくなる。
以前会ったときはこんな風ではなかったと思うのだが、成人したからか、発情期のメスのようになってしまっている。
俺を相手に発情されたところで、相手をする気はまったくない。
ユキという番と出逢ったからというのもあるが、それがなくても、知人の娘に手を出す気にはなれない。
「あんな子供のクエストにつきっきりで面倒見るなんて、お守りと変わらないじゃない」
媚びるような視線を向けられ、腕に手を掛けられそうになって、反射的に払った。
俺に触れていいのはユキだけだ。
嫌悪感を露わにしたまま軽く睨むと、グロリアは怯えたように後ずさる。
この程度で怯えるくらいなら、近づいてこなければいいのに。
「ユキ、クエストは決まったのか?」
グロリアに背を向けてユキに声を掛けると、頷きが返って来た。
そのまま、依頼書とギルドカードを手に、受付にクエストを受けに行く。
何度か通う内に、ユキもすっかり慣れたようで、一人でクエストを受けたり報告をしたりができるようになった。
俺がいなくても大丈夫だとわかっているが、目を離すのは心配なのでついてきてしまう。
俺がそばにいることで発せられる、グロリアの心無い言葉でユキを傷つけることを考えれば、そばにいないほうがいいのかもしれないと思うが、ユキの姿が見えないのは不安だった。
「待たせてごめんなさい」
クエストを受けたユキが戻ってきたので、一緒に冒険者ギルドを出た。
ピクニックに出かけた日から、俺がユキを抱き上げると悲しそうな顔をすることに気づいて、以前のように抱き上げる事ができなくなった。
初めて逢った時から、ユキとは心が通じ合っていたように感じていたのに、今はユキの考えている事がわからない。
心が閉ざされているように感じて、ユキに手を伸ばしかけては、躊躇って引いてしまう。
ユキの受けたクエストを聞いて、目的地まで馬車を走らせながら、隣に座るユキを伺うように見た。
いつしか寄り添うように座るのが当たり前になっていたのに、今は少しだけ隙間があいている。
それが、ユキの心が離れていった証のようで、胸がきりきりと痛んだ。
一体、何がきっかけなのだろう?
何がユキを悲しませているのだろう?
「私って……子供かな?」
ぽつりと、消え入りそうな声でユキが呟いた。
人族ならば聞き取れないような、小さな声だった。
「ユキは子供じゃない。確かに今の見た目は幼いが、本来の姿や中身は成人していると俺は知っている」
強く言い切ると、不思議そうにユキが俺を見上げた。
「本来の姿って、どうして知っているの?」
問われて、今までユキの夢に神が降りた時の事を話したことはなかっただろうかと、記憶を探る。
話したかどうか、どうも曖昧だ。
「ユキの夢に神が現れる時、ユキの姿に黒髪の女性の幻が重なるんだ。とてもユキに似ているから、俺はあれがユキの本来の姿だと思っていたんだが、違っていたのか? 髪が今のユキよりもずっと長くて、女らしい体つきの美しい人だ」
何度思い出しても、触れられないのが堪らないほどに、俺の心を掻き乱す。
髪の色などは違うのに、今のユキに相通じるものもあって、強く心が惹き付けられる。
「黒髪で髪が長いのは間違いないけど、美しいとか、そんな風に言われるような顔じゃないよ。それに、今の姿と比べると、ちょっと太ってるかもしれないし、幻だから美化されてるのかも」
美しいと言われて照れたのか、恥らうように俯いて、ユキがふるふると頭を振る。
愛らしい仕草に笑ってしまいながら、勇気を出して、そっとユキの肩を抱き寄せた。
いつもと違い、ただ肩を抱き寄せる、それだけの事に緊張してしまう。
情けないほどに鼓動が速まって、しっぽが落ち着きなく座面を叩いた。
抱き寄せた瞬間、大きく身を震わせたユキは、それでも俯いたまま体を預けてくれる。
今まで当たり前だった事が、俺にとってはとても大切な事だったのだと、思い知ってしまった。
「ユキっ……思うことがあるのなら、言葉にして欲しい。俺はユキの心が知りたい。わからなくて、不安になるのは嫌だ」
両腕できつくユキを抱きしめると、賢いゴーレム馬はゆっくりと足を止めた。
これでユキだけに集中できる。
抱きしめたまま顔を覗き込むと、ユキが涙目で俺を見つめた。
涙の溢れそうな目元にそっと指で触れると、ユキがしがみつくように抱きついてくる。
その様子は、あの花畑でユキが不意に飛びついてきた時の激しさを思い出させた。
「ルーファスさんも、不安になるの?」
抱きついたまま、消え入りそうな声でユキが尋ねる。
その様子で、ユキも何か不安に思っているのだと伝わってきた。
「ユキのことがわからないのは不安だ。こんな感情は、ユキにしか抱いた事はない」
わからないことが不安だなどと感じるほどに深い付き合いを、今まで誰ともしたことがなかった。
ユキだけが特別で、ユキだけが俺の心を震わせる。
「ユキは、何が不安なんだ? 俺には話せないことか?」
顔を寄せて、ユキの表情を見逃さないように見つめると、強すぎる眼差しから逃げるようにユキが目を伏せる。
伏目がちの憂いを帯びた表情はとても大人びていて、見ているだけで酷く胸が騒いだ。
「――守られるだけの、子供じゃなくて、ルーファスさんと対等になりたかったの。でも、今の私は子供の体で、ルーファスさんに守られなければ何も出来なくて……それが、とても、もどかしかったの」
自分の気持ちを伝えようと、言葉を探しながら、ユキが想いを口にする。
本来の姿とは違う子供の姿になったことで、ユキの心に知らない内に負担が掛かっていたのかもしれない。
少し考えれば気づけそうな事に、気づきもしなかった自分に腹が立ってくる。
抱き上げたり、子供のように扱われる事を、最近のユキが嫌がっていたのを思い出して、自分の言動を反省した。
ユキが子供だからではなく、ユキに触れていたかったから抱き上げたりしていたのだが、それを伝えたら引かれてしまうだろうか。
「守るというのは半分は口実で、ユキの姿が見えないと、俺が不安なんだ。抱き上げるのだって、子ども扱いしているわけではなく、その……ユキに触れていたいんだ。それに、周囲に見せ付けたいというのもある。俺のユキに手を出すなと、牽制したかった。俺はユキを子供だとは思っていない」
内心びくびくとしながらユキの様子を伺うと、恥らうように頬を染めて、俺の胸に顔を埋めてきた。
恥ずかしいから顔を隠したいのだろうとわかるけれど、その仕草があまりにも可愛くて、心を奪われる。
頬でユキの頭に擦り寄りながらしっかりと抱き寄せると、しっぽもしっかりユキの腰に回っているのに気づいた。
無意識の内に独占欲を発揮していたらしい。
尾を絡ませるように体に回すのは、惚れた相手に対する虎族の習性だ。
今までずっと、独占欲を露わにする同族を見るたびに、俺にそんな相手は現れないだろうと思っていたけれど、運命とは不思議なものだ。
「確かに、ユキの今の体が子供なのは間違いない。それをいいことに、外でも自重することなくユキに触れていた。俺の行為がユキを傷つけていたのなら、申し訳なかった。とても残念だが、ユキが嫌なのだったら、これからはきちんと大人扱いするから、許してくれないか?」
俺が謝ると、ユキが慌てたように顔を上げる。
頬は赤らんだまま、羞恥のあまりか瞳が潤んでいて、とても魅惑的な表情をしている。
大人扱いするのなら、キスくらいはしても許されるだろうか?
俺の不埒な想いが伝わったわけではないのだろうが、ユキが勢いよく頭を振った。
「ルーファスさんは悪くない。私は傷ついてなんかいないし、恥ずかしいと思うときもあったけど、嬉しかったからっ! ――子ども扱いされて、対等じゃない私では、ルーファスさんに気持ちを伝えられないと思ったの。困らせるだけだって」
ユキの気持ち?
一言で理性が吹き飛ばされ、それ以上ユキに言わせてはならないという本能のまま、ユキの頭を抱き寄せて、言葉を紡げないようにしてしまう。
鼓動が速まって、息が苦しい。
俺は、期待してもいいのか?
ユキとこの先ずっと一緒にいられるかもしれないと思うだけで、酷く胸が騒いだ。
ユキを引き止めてもいいのだろうか?
俺と一緒に生きて欲しいと、願ってもいいのだろうか?
でも、この先ずっと、ユキを支えて、ユキに孤独を感じさせる事もなく守りきることが、俺にできるだろうか?
何が何でもユキを守り生き抜く、絶対にユキを幸せにする、そんな覚悟が、本当に俺にあるのか?
想いを告げようと思った瞬間、次々に不安も押し寄せてくる。
「――ユキ、俺は……ユキの大人になった姿が見たい」
葛藤している間に、ぽろりと言葉が零れ落ちた。
頭を抱く腕を緩めると、ユキが顔を上げて俺を見つめる。
何か言いかけるように動いた唇に指で触れながら、顔を寄せて、まっすぐにユキを見つめ返した。
「この世界で、俺と一緒に生きて欲しい。ユキを帰したくないんだ。ユキを愛してる。だから、ユキと共に生きて、幸せになりたい。成長するユキを一番近くで見ていたい。ユキと世界中を旅したい。それから、ユキと家族になりたい」
俺が言葉を重ねるごとに、ユキの瞳が潤んで、何度も小さな頷きを返してくれる。
それが、俺の望みはユキの望みでもあると伝えてくれるかのようで、胸がいっぱいになって、情けないほどに声が震えた。
ユキの瞳から、綺麗な涙が次々に零れ落ちる。
「……嬉しいっ……私も、愛してる。ルーファスさんを一人にしたくないっ……ずっと、一緒にいたい。帰りたくないっ……」
絶対に離さないと伝えたいのに声にならず、ただユキを抱きしめた。
心に空いていた大きな穴が埋められて、ユキで満たされていくのを感じた。
この先、俺が孤独を感じることは二度とないだろう。
俺は俺だけの番を、たった一人の人を手に入れることができたのだ。
嬉しくて幸せで堪らない時にも、涙が溢れてくるのだとまた知った。
俺に幸せを教えてくれるのは、いつだってユキだ。
「俺が、ユキの家族になる。寂しい思いは決してさせない。だから、ずっとそばにいてくれ。俺には、ユキが必要だ」
感じていた不安は、淡雪のように消えてしまった。
代わりにユキを守って生きていこうという、強い気持ちが沸き起こる。
きつく抱きしめあったまま、しばらく心が通じ合った幸せに浸っていた。




