31.実験 ルーファス視点
泣いてもどうにもならないのだから、泣くだけ無駄だと、物心つくころには思い知っていた。
だから泣くという行為に対して、いい印象はなかった。
嘘臭い女の涙には嫌悪しか沸かなかったし、小さな子供に泣かれるのは嫌で仕方なかった。
今なら、何故子供に泣かれるのが嫌だったのかわかる。
俺は悲しかったのだ、ずっと。
見た目だけで判断して泣かれ、遠巻きにされることが。
ユキと知り合ってから、感極まったり、嬉しくて泣くということもあるのだと知った。
それはとても幸せなもので、その幸せな感情を与えてくれるのがユキだと思うと、より強く幸せを感じた。
いい歳をして泣いたのを見られるのは、とても恥ずかしいという事も知った。
初めてもらった贈り物を、ずっと眺めていたい気持ちもしたが、中を確かめたくて包装を解いた。
いつの間にこんなものをと思ったけれど、多分、エリアスの店で用意してくれたのだろう。
「ユキの瞳の色か」
小さな箱を開ければ、そこにはユキの瞳の色をそのまま形にしたような綺麗な宝石があった。
とても質のいいサファイアの指輪だ。
ユキが冒険者になりたてとは思えないほどに頑張って働いて、その報酬で買ってくれたのだと思うと、また目の奥が熱くなった。
ずっと付き添っていたのだから、どれだけユキが頑張っていたのか、俺が一番よく知っている。
休憩を勧めても、あと少しだけと、子供とは思えないほどの集中力を発揮して、クエストをこなしていた。
ユキはスキルで薬草の位置がわかるらしく、探すのに手間取らないから、他の新人冒険者とは比べ物にならないほどに採集できていた。
それでも、あれだけの量のクエストをこなすのは、簡単なことではない。
手持ちの資金を使えば何でも購入できたのに、あえてそれには手をつけずに、クエストの報酬だけで買ってくれたのだと思うと、この指輪はこの世に唯一つの宝だと感じた。
クエストの報酬をアイテムバッグに入れずに財布に分けていたから、ずっと不思議に思っていたけれど、まさか俺に贈り物をするためだとは思わなかった。
こんなに心の篭った贈り物をもらったのは、生まれて初めてだ。
一体、どれほどにユキは、俺の心を捕らえるつもりなのだろう。
右手には剣を持つから、左手に指輪をつけようと思ったが、どの指にしたものか悩む。
興味がないので、俺は装飾品を身につける習慣がなかった。
人族のような耳もないし、そうなるとつけられるのは指か腕か首だ。
だが、滅多にないが獣化することもあるので、そうなった時に紛失する可能性を考えれば、わざわざ装飾品を手に入れる気になれなかった。
獣化したときに、指輪はどうなってしまうのだろう?
壊れたら嫌だから、服を脱ぐのと一緒に外すしかないのか?
でも、一度身につけたら、まるでユキを手放すかのようで、外すのが嫌になってしまうかもしれない。
今日も、目的があって別行動したものの、ユキから離れるのが嫌で仕方がなくて、落ち着かなかった。
今後のユキの為だと自分に言い聞かせて、何とか我慢したのだ。
今日は、防具を見に行くのは口実で、商会の中で耳を済ませて情報収集をしていた。
店の実情を知りたいのなら、店員に話を聞いたり、店員同士の会話から情報を集めるのが早い。
ユキが派手に買い物をしてくれたのもあって、商会内では、ユキに付き添っていたエリアスの話がいくつも出ていた。
商品の事を聞きながら、ついでに軽く水を向ければ、ここだけの話と、極秘の話を教えてくれる店員もいた。
俺の名前が王都では知れ渡っている事も、店員の口を軽くするのに一役買ったらしい。
英雄などと呼ばれるのは好きではないが、俺と話したがる店員が何人もいたので、今日は助かった。
「ルーファス、入るぞ」
いつものように、ローランドがノックと同時に扉を開ける。
ノックの意味はない訪れだが、今夜呼び出したのは俺だし、咎めても無駄なのでスルーした。
「何だ、そんな神妙な顔をして。ユキと喧嘩でもしたのか?」
俺の雰囲気がいつもと違っていたのだろう、向かいのソファに腰を落ち着けながら、どこか心配そうにこちらを見てくる。
泣いてしまったのがばれそうで、つい、顔をそらした。
俺の情けない姿を見るのは、ユキだけでいい。
「喧嘩なんぞしてない。指輪を、どの指につけるのがいいか、これを着けたら、獣化したときにどうなるのか、気になっていただけだ」
俺の手にある指輪を見て、ローランドがにやりと笑う。
ユキの瞳と同じ色だと、すぐに気づいたのだろう。
「そんなに心配なら、そのリボンを指に結んで、獣化してみればいい。その後、人間の姿に戻れば、どうなるのか実験が出来る」
指輪の包装に使われていたリボンを指差し、ローランドが面白がるように実験を嗾ける。
今なら、ユキは風呂に入っているし、その間に獣化してみるか。
もしもユキに怖がられたらと思うと不安で、まだユキの前で獣化したことがなかった。
今が夏で、暑いからというのも理由の一つだ。
夏の毛皮は見ているだけでも暑苦しい。
毛皮の持ち主だって暑いのだ。
リボンを左手の指に結ぼうとしたが、するっと抜けて結び辛い。
仕方がないのでぐるぐると指に巻きつけて、外れないようにした。
「相変わらず、いい体をしてる」
準備が整ったので、躊躇う事もなく服を脱いでいけば、ローランドに観賞されているのに気づいた。
男に裸を見せる趣味はないので、顔を顰めてしまう。
「見るな、減る」
背中を向けるのも業腹で、そのままシャツやズボンを脱いで、下穿きはそのまま獣化した。
ローランドに全裸を見せるくらいなら、下穿きの一枚や二枚、犠牲にしたほうがマシだ。
「何度見ても、見事な毛並みだね。完璧な美だよ」
俺の獣化した姿をローランドは特に好んでいて、いつも撫でたがるが、断固拒否している。
野郎に撫で回されて喜ぶ趣味はない。
撫でようとすればこの姿が見られなくなると学習したからか、今日は大人しく見るだけにするようだ。
久しぶりの獣化なので何となく落ち着かないが、とりあえず毛繕いをしておく。
夏には暑苦しい毛皮であるが、自慢でもある。
「きゃあああっ!」
寝室に繋がる扉が開いて、ユキが悲鳴を上げる。
怖がらせてしまったのかと、内心真っ青になってしまいながらおろおろとしていると、ふらふらと歩き寄ってきたユキが俺の前に膝をつく。
頬が紅潮して目が潤んで、まるで酔っ払ったような表情に驚いていると、がばっと首に抱きつかれた。
「可愛い~! ルーファスさんなんだよね? 凄い可愛いし、綺麗。毛並みが気持ちいい~」
抱きついたまま、ユキがすりすりと湯上りでいい匂いのする体を擦り付けてきて、今、獣化していたことに心から感謝した。
獣化している今なら、顔が赤くなってもばれはしない。
ローランドの前で赤面などしたら、ずっとからかわれてしまう。
ユキを抱きしめられないのは切ないが、どうやら喜んでくれているようなのでよしとしよう。
「ユキは、獣化したルーファスが怖くないの?」
ローランドに聞かれて、ユキはぶんぶんっと勢いよく頭を振った。
そんなに強く頭を振ったら、頭がもげるぞ、ユキ。
抱きついたままのユキに顔を寄せると、うっとりと見つめられる。
普段よりも熱の篭った視線を向けられて、何やら胸が騒いで落ち着かないが、こんな風にユキに見つめられるのは悪くない。
「こんなに可愛いのに、どうして? それにルーファスさんだから。ルーファスさんが私を傷つけることは絶対にないのに、怖がる理由なんてない」
言いながら俺の前脚を持ち上げて、ユキが肉球をふにふにと押し、堪能する。
マッサージをされているみたいで、なかなか気持ちいい。
こんなに喜んでもらえるのなら、もっと早く獣化すればよかった。
暑苦しいし、ユキが怖がるのではないかと思って、意識して獣化しないようにしていた。
獣化するほどの危険に遭遇しなかったのも、理由の一つだ。
「見て。今だって、私が傷つかないように爪を引っ込めてくれてる。ルーファスさんは優しいって知ってるから、安心してじゃれ付けるの」
前脚はすぐに離され、ユキがまた毛皮を堪能するように擦り寄ってきたので、好きにじゃれさせておく。
ローランドがずるいとばかりに俺を見ているが、俺に触っていいのはユキだけだ。
ただ、この姿では会話ができないから、それが辛い。
ユキの髪も乾かさなければならないし、人に戻った方がいいだろうか。
そうしないと、ユキが風邪を引いてしまう。
「え? いやぁあああっ!」
人型になれば全裸だということを忘れて、うっかり人型に戻った瞬間、ユキが真っ赤になって悲鳴を上げ、逃げていく。
獣の時は喜ばれたのに、人になった途端逃げられるとは……。
純情なユキの反応はとても可愛らしかったので、顔がにやけてしまう。
「ルーファス。早く服を着て宥めに行かないと、口を聞いてもらえなくなっても知らないぞ?」
呆れたようなローランドの忠告で、ユキと話が出来なくなることを想像した瞬間、体は勝手に動いて、衣服を身につけていた。
服を着ながらユキの部屋に向かい、寝室に入ると、ユキはベッドに潜り込んでいるようだ。
「……見てないっ…何も見えてないんだからっ……全部、気のせいっ……」
何やらぶつぶつと呟いているユキの頭を撫でると、俺がいることに気づいていなかったのか、ビクッと震える。
髪をいつものように魔法で乾かしながら、いきなり全裸を見せることになって、嫌われてしまっただろうかと、不安になってくる。
よく考えてみたら、変質者のような行いだ。
「ユキ、怒ってるか? すまない、ユキの髪を乾かしたいと思った瞬間、人に戻ってしまったんだ。見苦しいものを見せてすまなかった」
さっきまでの幸せな気持ちも吹き飛んで、落ち込んでしまいながらユキに謝ると、ユキは慌てたように体を起こした。
顔が真っ赤になっていて、涙目になったユキはいつもより愛らしく、抱きしめたい衝動を堪えるのが大変だ。
「違うのっ! 私も、ごめんなさい。まさか、裸だなんて思わなくて、びっくりしただけなのっ……見苦しいとかっ、そういうことはなくて、筋肉が凄くかっこよくて……えっと、そうじゃなくてっ……本当に驚いただけだからっ」
ユキが焦って、真っ赤な顔で言い募るのを見ていたら、絶望感は消えてなくなった。
ベッドに座り、そっとユキを抱きしめると、さっきのことを思い出したのか、一瞬小さく震えるものの、いつものように抱きついてくる。
獣姿でじゃれ付かれるのも嬉しいが、こうして自分の腕で抱きしめられるのはもっと嬉しい。
ユキの髪を撫でて、温もりを感じて、幸せに浸りながら話までできるのだから。
「何で獣化してたの?」
漸く落ち着いてきたのか、俺の腕にすっぽりと収まったままユキが顔を上げる。
さっきの名残りか、それとも湯上りだからか、まだ頬は赤く、それがどこか艶かしい。
今の外見はまだ子供だというのに、末恐ろしい事だ。
ユキが成長したら、俺は魂を奪われるだろう。
「獣化したときに、服は破ける事が多い。ユキにもらった指輪が獣化したときに壊れたり、どこかにいってしまうのは嫌だったから、指にリボンを巻いて実験していた」
さっき巻いたリボンは、まったく変わらない状態で指にある。
アクセサリーは獣化しても飛ばされたり消えたりしないらしい。
獣化でユキからの大切なプレゼントを失う事はないとわかって、ホッと息をつく。
「ルーファスさん、可愛い」
俺に抱きついたまま、ユキが不思議な事を言い出す。
こんなに厳つい男を可愛いというのは、ユキくらいだろう。
俺が不思議がっているのがわかったのか、ユキがくすくすと可愛らしい笑みを漏らす。
ユキの笑顔は、俺をいつも和ませ、幸せにしてくれる。
「私には可愛く見えるから、可愛いでいいの。指輪ね、破損防止の付加がついてるって、エリアスさんが言ってた。だから、壊れる心配はしなくても大丈夫」
まさか付加までついた指輪だと思わなくて、言葉もないほどに驚いた。
ユキは知らないようだが、付加のついた装飾品は高い。
エリアスはユキに内緒で、かなり割り引いてくれたのだろう。
しかも、俺が獣化したときのことを考えて、破損防止の付加にしてくれたのではないだろうか。
「ユキ、エリアスのことで話があるんだ。それもあってローランドを呼んでおいた。眠いかもしれないが、もう少しだけ付き合ってくれるか?」
ユキの友だという神らしき存在が、エリアスとは繋がりを持った方がいいと忠告したと聞いた時から、俺に考えていた事がある。
エリアスなら間違いないだろうと、今日の指輪の件で再確認できた。
「まだ眠くないから大丈夫。次にエリアスさんに逢う前に話しておきたいんでしょう? それなら、早く行こう。ローランドさんをずっと待たせるのも申し訳ないから」
ユキに急かされて、ベッドに入ったままのユキを抱き上げた。
ユキは自分で歩きたがるが、人前でユキを抱いて歩けるなど、ユキが小さい今の内しかできないことなので、できるだけ堪能させてもらっている。
もちろん、周囲を牽制するという意味もあるのだが。
ユキを抱いて戻ると、ローランドに生温かい視線を向けられた。
最初は俺の変化を喜んでいたくせに、段々残念なものを見るような視線に変わってきているのは気のせいじゃないだろう。
全部見えちゃったらしいです…(笑)
長くなりすぎるので分けました。




