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3.優しい人




 パチパチと何かが爆ぜるような音で目が覚めた。

 泣きすぎて腫れてしまった目を何とか開けると、赤々と燃える火が見える。

 体を起こすと、掛けられていたコートのようなものが足元に滑り落ちた。

 


「目が覚めたか?」



 低く素っ気無い声で問われて、視線を向ける。

 そこには、座っていても体格のよさがわかるほどに、大柄な男の人がいた。

 焚き火を挟んで向い側の大きな石の上に座ったその人は、夜目にも鮮やかな銀色の髪をしている。

 飾り気のないシャツとズボンを身につけただけの軽装なのに、その体格のせいか、妙な威圧感があった。

 表情は乏しく、強すぎるほどの視線は、人によっては怖いと感じるかもしれない。

 でも、私のお兄ちゃんも誤解されがちな怖い顔をした人だったので、怖いというよりも親近感を覚えた。



「……腹は減ってないか?」



 最初の問いに頷きだけを返すと、言葉を探すように視線を彷徨わせてから、更に問われた。

 返事をする前にお腹が小さく鳴って、勝手に返事をしてしまう。

 さすがに恥ずかしくて目を伏せると、くすっと微かに笑われたような気配がした。

 赤くなった顔を上げれば、さっきまで怖くも見えた口元が綻んで、優しい印象になっている。

 そうなって初めて、彼がとても端正な男らしい顔をしていることに気づいた。

 しかも、よく見れば頭に獣のような耳がある。

 一瞬、コスプレ?と思ったけれど、私の凝視するような視線に気づいたのか、ぴくぴくっと耳が動いて、作り物でない事がわかってしまった。

 それに、人間なら耳があって当たり前の位置に、耳らしきものがない。

 空にある大きな二つの月と、ゲームや小説の中でしか存在しないはずの獣耳を持つ人。

 深い絶望が蘇り、またじわっと涙が溢れてきた。


 家には帰れない。

 だってここは、私の住んでいた世界とは違う。

 どうやってやってきたのかもわからないのに、帰る方法なんてわかるはずもない。

 もう、帰れない。

 知らない世界で、私は独りきりだ。

 絶望の波が押し寄せて、ほろほろと涙が溢れて、止まらなかった。



「どうした? どこか痛むのか?」



 肩を震わせしゃくり上げる私に、焦ったように近づいてきたその人が、気遣うように問いかけてきた。

 威圧感を与えないようになのか、跪いて顔を覗き込んでくる。

 声にならなくて、首を振ることで返事をした。



「それなら、――俺が怖いのか?」



 私がじっと耳を見ていて、その後に泣き出したせいで誤解されてしまったようだ。

 さっきよりも強く否定するように頭を振ると、ホッと安堵したような気配が伝わってきた。

 もしかしたら、子供に怖がられて泣かれる事が多い人なのかもしれない。

 私のお兄ちゃんと同じだと思ったら、ほんの少し胸の痛みが和らいだ。



「そんなに泣くな。俺が必ず家に送り届けてやるから」



 恐る恐るといった様子でのばされてきた手が、そっと私の頭を撫でる。

 子供を慰める方法を他に知らないといった様子のぎこちない手つきが、子供に接する事に慣れていないのだと教えてくれる。

 私を家に送り届ける事が、どれだけ難しい事なのかこの人は知らないとわかっていても、力強く『送り届ける』と言い切ってくれたことが嬉しかった。

 帰りたいのに帰れない、その不安や悲しみが、少しだけ癒された。



「……ありがとうっ」



 涙声で何とか一言、言葉にすると、安堵したような様子で涙を拭ってくれる。

 その優しさも、お兄ちゃんにとてもよく似ていた。

 ここがどこなのかも、どうしてこんなところにいるのかも、帰れるのかどうかもわからないけれど、漸く、泣く以外の何かができそうな気がした。








 泣きやんだ後、一緒に食事をしながらまずは自己紹介をした。

 顔は怖いけど優しい彼はルーファスという名前で、白虎の獣人だそうだ。

 職業は冒険者で、世界中を旅しているらしい。

 私が久住有希という名を名乗ると、妙に納得したように頷いていた。

 後で知ったけれど、この世界で家名があるのは貴族だけなので、この時、私は貴族の子供だと誤解されていた。



「ユキはどこの国の生まれだ? 住んでいた街の名前はわかるか?」



 一日も早く送り届けようとしてくれているのだろう。

 子供に問うように優しく尋ねられて、今の自分の姿が子供になっていることを思い出した。

 自分で自分の姿は見えないので、つい忘れがちになってしまう。



「その前に、ここがどこなのか教えてもらってもいい?」



 日本や東京と説明してもわからないだろうと思ったので、先にこの世界について教えてもらうことにした。

 この世界に日本がないことは、わかり切っているのだから。



「ここはアルノルド国にある妖精の森だ。それも森の中心地にかなり近く、幻惑耐性がなければ入れない場所だ」



 妖精の森と聞いて私の頭に浮かぶのは、中学に入った頃から遊んでいた『二つの月の物語』というゲームだ。

 妖精の森は、そのゲームの中では一番最初の村がある場所で、村を囲むように広がる森は広く、初期のクエストの宝庫だった。

 MMORPGというジャンルのゲームだったけれど、生産の盛んな育成ゲームでもあって、PK禁止はもちろんの事、対人戦などの要素はまったくないまったりとしたゲームだったので、女性プレイヤーが多かった。

 オンラインゲームは初めてだった私のために、お兄ちゃんが選んでくれたゲームで、キャラクターを細かく作り込めたので、私の子供の頃の写真をパソコンに取り込んで、それを元にお兄ちゃんがキャラクターを作ってくれた。

 オンラインゲームの世界には、異性との出会いを目的にしている人達もいて危険だからと、ゲームを始める前に、現実の自分の情報を絶対に口にしないことと、オフ会などには絶対に参加しないこと、ボイスチャットを含めたゲームの外で連絡を取るためのツールを利用しない事を約束させられた。

 ボイスチャットで話をしながらゲームで遊んでいる人も多くて、時には誘われる事もあったけれど、お兄ちゃんと約束していたので、どんなに仲のいい人でもゲーム内だけで付き合うようにしていた。

 中にはそうすることで疎遠になってしまう人もいたけれど、私と同じようなプレイスタイルの人も多くて、ゲーム内だけの付き合いしかなくても楽しく遊べていた。

 10才くらいの子供のキャラはあまりいなかったので、可愛い物好きのお姉さん方には随分可愛がってもらった。

 生産がメインだった私の周りには、生産特化の人も多くて、生産で作れる可愛い小物などをプレゼントされる事もよくあった。

 もちろん、もらうばかりというのは嫌なので、私も自分で生産したものをお返しにプレゼントしたりしていたけれど。

『素材採集弾丸ツアー』と銘打って、生産職だけで固まって、死に戻り上等とダンジョンに挑んだり、時には二つのパーティに分かれて、どちらがレア素材をたくさん集めるか競争したり、楽しい思い出がいっぱいだ。

 高2の夏になるまでの4年と数ヶ月、ほぼ毎日のようにログインして遊んでいた。

 実際に逢ったことはなくて、ゲームの中だけの付き合いだけど、それでも友達だと言い切れるくらい仲のいい人たちもいた。



「ここはローレンシア?」



 半信半疑で私が尋ねると、大きな頷きが返って来る。

 あまりにも当たり前のことを聞いたからか、ルーファスさんは怪訝そうな表情だ。

 眉間にちょっと皺が寄っていて、顔が怖くなる。

 お兄ちゃんで慣れているから、私は怖いと感じないけれど。



「ローレンシア大陸のアルノルド王国だ」



 信じられないことに、やっぱり私はゲームの世界にいるみたいだ。

 子供になっているということは、ゲームのキャラと同じ姿なのだろう。

 ゲームと同じならば、ステータスを見たりアイテムボックスから物を取り出したり出来るのだろうかと思ったけれど、ゲームの時はパソコンの画面を見ながらキーボードとマウスで操作していたので、現実になってしまった今、どうやって操作したらいいのかわからない。

 キーを一つ押すだけで、必要な画面が開けていたのは便利だったなと思う。

 色々試してみたいことはあるけれど、とりあえず、今は説明をしなければ。



「あのね、ルーファスさん。信じられないかもしれないけれど、ここは私の住んでいた世界じゃないみたい」



 ゲームの世界といっても通じないだろうから、そこをどう説明したものか悩む。

 ここがローレンシアだと知っているのに、この世界の住人じゃないと信じてもらうのも難しそうだ。

 唯一の希望であるルーファスさんに信じてもらえないかもしれないと思うと、不安になってしまうけれど、でも、最初からずっと優しくしてくれるルーファスさんを騙すような事はしたくない。

 だから、できるだけ正直に話すことにした。



「私、夕方にここで目が覚めるまでは、違う世界にいたの。体もこんな子供じゃなくて、17歳だった。ローレンシアというのは私の世界では架空の世界だったの」



 私の説明を聞きながら困惑した様子だったルーファスさんは、不意に何事かに思い当たったのか、はっとしたように私を見る。



「もしかして、ユキは天空人か?」



 テンクウビト?

 よく理解できずに首を傾げると、ルーファスさんは言葉を探すように視線を彷徨わせる。

 宙を睨んでるような真剣なその顔は、見る人が見ればとても怖く見えるかもしれないけど、多分、考え込む時のルーファスさんの癖なのだろう。



「2千年くらい前まで、この世界には天空人と呼ばれる人達がいた。天空人達はもう一つ別の姿を持っていて、ローレンシアとは別に暮らしている世界があったらしいと、天空人の研究をしている人物に聞いたことがある。ある日突然、天空人は自分たちの国に帰ってしまったようだが、この世界には天空人の遺したものがたくさんある。これも、その遺産と言われているものの一つだ」



 言いながらルーファスさんが見せてくれたのは、革製のしっかりとした作りのバッグだった。

 色は紺に近い青で、ウエストポーチのような形のバッグは、私には見慣れたものだ。

 ゲームの中でという注釈がつくけれど。



「アイテムバッグ?」



 青は一番容量の多い96マスのバッグだった。

 ゲームの中では、アイテムボックスの中に5箇所バッグを置けるようになっていて、バッグの容量は様々だった。

 96マスのバッグは課金アイテムで、一番性能がいいものだ。

 クエストをクリアするともらえるのは最小で8マス、最大でも32マスのバッグだったから、課金アイテムの性能のよさは群を抜いていた。

 ゲーム内で課金アイテムを売りに出している人もいたので、無課金でも手に入れやすく、私も持っていたけれど、個人で使える倉庫もアイテムバッグで拡張する仕組みだったので、需要も高くて、とても人気のあるアイテムだった。

 もしかしてここは、ゲームのサービスが終了して2千年後の世界なのかな?

 国に帰ったってことは、サービス終了したって事なんじゃないかと思う。

 アルノルドは大きな国だったから、2千年経ってもなくなることもなく、残っているのかもしれない。

 そうなると、プレイヤー=天空人ということになるから、私は天空人でいいのかな?



「天空人の住んでいた大きな屋敷などの一部は、今では遺跡になっているところもある。これと同じような物が、遺跡から発掘されることもあるらしい。このバッグは譲り受けたものだから、どこから手にいれたものか詳しい事は知らないが、もし、ユキが天空人なのだとしたら、それは公にしない方がいい」



 何か気掛かりがあるのか、苦悩するような顔でルーファスさんは息をついた。

 生産が盛んで育成もできるゲームだったので、自分の家を持って、工房や農園などを作っている人もいた。

 クランという仲のいいプレイヤーが集まって作る組織では、クランホームという拠点を作ることも出来て、大手クランのホームはかなり大きかった。

 城のようなホームも珍しくなかったし、そういった場所が今は遺跡になっているのかもしれない。

 私も木工の工房兼家を持っていた。

 私の家は辺鄙な森の中にあったけれど、今では遺跡になっているかもしれないと思ったら、少し複雑な気分だ。

 一応、登録した人しか入れない設定にしてあったから、もしかしたら無事だろうか? 家を見つけて入ることができたら、ここがゲームの世界と同じという証拠になるけれど、アルノルドからは離れた場所にあるから、辿り着ける気がしない。

 もっと普通の場所に家を作っておけばよかったと、ちょっと後悔する。

 基本的に馬車で移動という世界観だったけれど、拠点となっている家からは、転送陣で登録した街に移動できたので、変な場所に家を作る人も多かった。

 私が知る中で一番凄かったのは、海底の拠点で、その豪華さも相まって、竜宮城と呼ばれていた。

 生産仲間の拠点だったから招待されることもあったけれど、転送陣を使わなければ、訪ねていくのはとても大変だった。



「天空人がいた時代は黄金時代と呼ばれているが、それから2千年経って、当時の遺産は変わらず使えるものもあれば、壊れてしまったものもある。特に当時の知識や技術は失われたものも多く、専門の機関で研究されているが、再現できたものは少ない。もし、ユキが天空人だと知られれば、独占する為に権力者に拘束される可能性もある」



 苦々しい表情で、どう危険なのかをルーファスさんが説明してくれる。

 帰る方法を探したいから、監禁コースは遠慮したい。

 もしかしたらルーファスさんが心配性で、考えすぎなのかもしれないけれど、この世界で私の存在が異質なのに間違いはない。

 出来るだけ気をつけて行動するようにしよう。

 


「私は、帰る方法を探したいから、気をつける」



 食べながら話していたら、気がつくと食べすぎで苦しくなってしまった。

 お腹を撫で擦っていると、子供にするように頭を撫でられる。

 私が泣いてしまった後から、ルーファスさんはずっと、最初に座っていた向い側じゃなくて私の隣にいてくれる。

 子供の相手は慣れていないのか、どう接していいのかわからないといった様子もあるけれど、でも、ルーファスさんの優しさは些細な仕草や声から伝わってくる。



「もういいのか? しっかり食わないと大きくなれないぞ?」



 見た目が見た目だから仕方がないけれど、完全に子ども扱いだ。

 ピタパンのようなものにお肉と野菜を挟んだサンドイッチと、スープというご飯だったけど、サンドイッチ一切れとカップ一杯のスープで、お腹いっぱいになってしまった。

 サンドイッチはまだ残っているけれど、子供の体になったせいか、これ以上は入りそうにない。

 


「もう、お腹いっぱい。ありがとう、ご馳走様でした」



 手をあわせてお礼を言うと、また頭を撫でられる。

 子ども扱いは恥ずかしいけれど、お兄ちゃんにされてるみたいで嬉しかった。

 顔はルーファスさんの方がずっと整っているけれど、お兄ちゃんと雰囲気が似てるので親しみを感じるせいか、触られるのも違和感がない。

 助けてもらったという意識もあるから、恩人と感じていて、心を許してしまったのかもしれない。



「ルーファスさん、私が天空人と同じ能力を使えるのかは、まだわからないけど、家に帰る方法を探したいの。……迷惑をかけてしまうけれど、私が一人で旅を出来るようになるまででもいいから、色々教えてもらえますか?」



 本当は知らない世界で一人になるのは怖い。

 さっき一人だった時の、心が押しつぶされてしまいそうな孤独感を思い出すと、それだけで震えが走る。

 だけど、ルーファスさんにはルーファスさんの都合があるだろうし、いくらこちらでは子供だからって、甘えてばかりもいられない。

 この世界の事を教えてもらえるだけで十分だから、そう自分に言い聞かせながらお願いすると、小さなため息をつかれた。



「家に送り届けると約束しただろう? ユキは子供なんだから子供らしく素直に甘えていい。大体、ユキのような見目のいい子供が一人旅をしていたら、すぐに攫われるぞ? それに、街や村の外には盗賊や魔物も出て危険だ」



 私はこの世界の住人ではないのだから、家に送り届ける事はできない。

 それがわかってからも、知らないときと同じように送り届けると言ってくれるルーファスさんは、やっぱりとても優しい人だと思う。

 帰る方法を探したいという私のために、自分で口にした言葉を守ろうとしてくれるルーファスさんの気持ちがありがたかった。

 私に何が出来るのかわからないけれど、できる限りの恩返しをしたい。

 感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまって、「ありがとう」と一言告げることしかできなかった。

 絶望しきって、死に掛かっていた私の心は、『家に送り届ける』と約束してくれた、ルーファスさんに救われたのだと思う。

 どうして、こんなことになってしまったのかわからない。

 だけど、ルーファスさんと出逢えた私は、とても幸運なんじゃないかと思った。




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