2.妖精の森 ルーファス視点
ルーファス視点です。あまり長くないので、いつもの時間にもう一話投稿します。
妖精の森と呼ばれるその森に、俺が足を踏み入れたのは、何となく気が向いたから、ただそれだけだった。
これから訪ねる相手が、この妖精の森でしか手に入らない珍しい果物を好んでいた事を思い出して、手土産代わりに少し手に入れようと思ったのだ。
今から森に入れば森の中で野営する事になるが、妖精の森は中心部へ行けば行くほどに魔物が出なくなるから、むしろ安全だ。
その代わりに道に迷いやすくなり、安易に目的地に辿り着けなくなるのだが、俺は父親から特殊な血を引いているので、妖精種の幻惑には耐性があった。
今の時代、この森の中心部に辿り着けるのは、幻惑耐性を持ったものか、貴重な幻惑耐性の効果のある装備やアクセサリーを持った限られた者だけだ。
森人とも呼ばれるエルフは幻惑耐性を持っているらしいが、森の中の隠れ里に住んでいて、滅多に姿を現すことはないので、それが事実かどうかはわからない。
その昔、天空人達がこの世界に溢れていた頃は、この森の奥深くを訪れるものも多かったらしい。
天空人達は、俺と同じように幻惑耐性を持っていたようだ。
だが2千年ほど前、たくさんの遺産を残して、天空人達はこの世界から一斉に消えてしまった。
今では、この妖精の森の奥深くまで足を踏み入れられる者は滅多にいない。
だからいつも、この森は心地よい静けさを保っていた。
それが今日は、何となくざわついているように感じる。
多数生息している妖精達が、落ち着かない様子なのだ。
俺は妖精達の存在を感じることはできるものの、会話はできない。
だからいつもと違うようだというのはわかっても、何がどう違うのかまではわからなかった。
いつもよりも周囲に気を配りながら、とりあえずは目的の果物を手に入れることにする。
妖精の森以外では栽培不可能と言われているグレンの実という名の果物は、今では黄金時代と呼ばれる、天空人達がいた時代には、ありふれた物であったらしい。
天空人達の作る特殊な農園では、普通に栽培されていたようだ。
けれど時を経て、天空人達の遺した農園で栽培されていたグレンの木も数を減らし、今では珍しいものとなってしまった。
高さ2メートルほどの、そこまで大きく育つ事もない木は、成長しても幹が細く、薄紅色の可憐な花を咲かせる。
細い枝を撓らせるほどに実るグレンの実は甘い香りを放ち、妖精達の好物でもあるようだ。
俺の握り拳ほどの大きさの実は、濃い紅色をしていて、熟せば熟すほどに柔らかくなる。
季節を問わず花を咲かせ、実をつける木なので、程よく熟したグレンの実を見つけるのに少し手間取ってしまった。
少し硬さが残る程度のものを収穫しなければ、土産として渡しても、すぐに傷んでしまう。
程よく熟したものを満足のいくまで収穫し終えた時には、夕暮れ時を過ぎていた。
野営する予定であったので、薪になる木を集めながら、野営に適した場所を探し歩く。
その時、遠くで悲痛な絶望に満ちた悲鳴が聞こえた。
魔物や獰猛な獣のいない妖精の森では、まず有り得ないことだ。
声の方向へ俺は反射的に駆け出した。
滅多に立ち入れる者のいない妖精の森で、妖精や害のない動物以外と遭遇した事は初めてで、珍しく興味を引かれた。
知人に言わせれば俺は、『来るものを遠巻きに観察し、去るものは忘れる』という薄情な生き物らしい。
人や物事に興味を持とうとせず、できる限り人を避けて一人で生きているという自覚がないわけでもないので、いつも反論はしない。
その俺が珍しく、心を動かされているようだ。
好奇心というのはこういった感情なのかと、初めて理解したような気もする。
身体能力を生かして、全力で木々を避けながら駆け抜け、悲鳴の聞こえた川原へと出た。
月明かりを遮るものがない川原では、夜目が効く俺には、昼間と変わりないほどに周囲の様子が見て取れた。
よく見てみれば、大きな岩が転がりごつごつとした川原に、子供が倒れている。
駆け寄って呼吸を確かめると、特に乱れた様子もなく、気を失っているだけのようだ。
7~8歳くらいだろうか?
人間の子供のことはあまりよくわからないが、折れそうに細く頼りなげな体つきをしている。
随分泣いたのか目が腫れているようだが、それでも、子供の容姿が際立って美しい事はわかった。
衣服も貴族の子女が着ているような質のいい物で、肩よりも少し下の辺りで整えられた綺麗な青銀色の髪も、手入れが行き届いている。
貴族の子女にしては髪が短いのが不思議ではあるが、それ以上に、森を一人歩きすることも出来ないような子供がこんな場所にいるのは、もっと不思議だった。
迷子になったにしても、何かのトラブルに巻き込まれたにしても、こんな場所に一人でいるのはおかし過ぎる。
とりあえずは少しでも寝心地がマシになりそうな場所へ手持ちの毛布を敷いて、その上に子供を寝かせた。
抱き上げれば信じられないほどに軽く、驚くと同時に、何故か胸が締め付けられるように痛んだ。
「可愛そうに……」
思わずそう呟いてしまった自分に、さっきとはまた別の意味合いで驚く。
他者に心を動かされる事など滅多にないというのに、珍しい事だと、自分を客観的に見ながらも、同時にこれが庇護欲というものなのかと、新たに知る感情を心地よく感じていたりもする。
風邪など引かないよう外套を体に掛けてやりながら、この子供がもう泣かずに済むように、俺にできる限りのことをしようと心に誓った。
誰かを泣かせたくないという感情が、俺の中にも存在していたらしい。
問題は、俺が大抵の子供には怯えられるくらい、怖い顔をしているということだ。
怖がられないといいんだが……。
そう思いながら、とりあえずは火を起こし、簡単な食事の支度をすることにした。