18.心を引き摺られる
宿に帰ってみたけれど、エリアスさん達はまだいなかったので、お昼ご飯を食べながら待つことにした。
ここはかなりランクの高い宿みたいで、前に泊まった宿よりもずっと部屋が綺麗で、ご飯も美味しかった。
その代わり、宿泊費もいいお値段だったけれど。
食事にだけ来るお客さんもいるみたいで、宿の食堂は値段が高い割りには賑わっていた。
いつものように食べ切れなかった分はルーファスさんに食べてもらって、食後のお茶を飲む。
いつも食べ掛けを渡すのは申し訳ないと、食べる前に分けようとしてみたけれど、そうすると私の食べる量が増えないからダメだと言われた。
私が食べられるだけ食べてからでないと、ルーファスさんは受け取ってくれない。
もう少し太っていいと常に言われているけれど、そんなに肉付きが悪いんだろうか?
私が軽いんじゃなくて、ルーファスさんが力持ちなんじゃないかなって思うけど、きゅーさんみたいな巨乳を目指したい気もするので、できるだけ頑張って食べるようにしている。
「お待たせして申し訳ありません」
食後のお茶を飲み終わった頃、エリアスさん達はやっとやってきた。
護衛を頼んでいた冒険者達が捕まったので、騎士団に呼ばれていたらしい。
犯人が捕まってホッとしたけれど、同時に、エリアスさんのお兄さん達がどの程度関わっていたのか、他人事ながら気になってしまって、エリアスさんの様子を伺うように見つめてしまった。
「盗賊達と冒険者の話を纏めると、誰かの指示があって手引きしたわけでなく、最初から盗賊の仲間だったらしいです。賠償金の支払いが依頼の条件に入っていなかったので、最初から盗賊に襲わせるつもりで依頼を引き受けたと言っていました。ギルドには店の名前で依頼を出したようなので、護衛依頼を出したのが誰なのか、帰らないと確認できませんが、私を殺そうとしたわけではないのでしょう」
安堵したような、何かを迷っているような、複雑な表情でエリアスさんが説明してくれた。
リゼルさんは黙ったまま控えているけれど、怒りを隠しきれていない。
大事な主人が死ぬところだったのを考えると、腹が立って仕方がないのだろう。
積極的に殺そうとしたのでなくても、悪い人を引き寄せる可能性がある条件で護衛依頼を出すなんて、明確な悪意があるように感じる。
エリアスさんもそれは感じ取っているから、表情が曇っているのだろう。
「解決したのなら、出発するか。夜までに王都に辿り着けなくなる」
ルーファスさんに促されて、揃って宿を出た。
私よりも冒険者の事情に詳しいルーファスさんが、何も気づいていないはずはないけれど、関係ないと割り切っているのか口を挟む様子はない。
だから私も、それ以上は何も言わなかった。
馬を馬車に繋いで、御者台に直接乗せてもらうと、ルーファスさんも身軽に飛び乗ってくる。
身のこなしが見惚れるほどに鮮やかで、かっこいいなぁって思う。
先に出たエリアスさん達の馬車を追って、ゆっくりとルーファスさんが馬車を走らせた。
門でアーサーさんの手紙を忘れずに受け取ってから外に出る。
こんな時間から王都に向かう人は少ないのか、エリアスさん達の他に馬車の姿は見えなくて、すぐに追いついてしまう。
こちらの方が速度が速いので、後ろから追いかける形で護衛することにした。
エリアスさんの馬車もゴーレム馬だけど、馬が一頭なので、その分、速度が出ないらしい。
「王都についたら、またどこか、宿に泊まるの?」
ルーファスさんの馴染みの宿で、馬車を預かってくれるところがあるだろうか?
いつもよりものんびりとした速度で走る馬車の御者台から、周囲の景色を見ながら問いかけると、ルーファスさんは悩むように軽く唸った。
「そうだな、馬車があるからな……。ユキの安全も確保したいし、ローランドのところに行くしかなさそうだ。仮にも公爵家の屋敷だから、滅多なものは入って来られないからな。それに、ローランドの奥方はとても親しみやすく、面倒見のいい人だから、ユキのいい相談相手になってくれるだろう。いつでも使えるようにと、公爵家の離れを一棟、贈られたんだが、いつも客間を利用しているから、まだほとんど使った事がない。ユキが一緒なら、離れを使うのもいいだろう」
離れを一棟贈るって、どれだけ敷地の広い屋敷なんだろう?
スケールが違いすぎて驚いてしまう。
公爵家の人達は、余程ルーファスさんを気に入っているんだろうなぁ。
「まるで家族みたいな扱いね。アーサーさんも凄い勢いでルーファスさんに逢いに来てたし、ローランドさんもあんな感じ?」
押しが強い兄弟なのかな?と、まだ見ぬローランドさんを想像してみる。
きっとアーサーさんの弟なら、美形なんだろうなぁ。
高貴な家には美人が嫁ぐ事が多いから、必然的に美形だらけになるって、何かで読んだことがあるけれど、その通りなのかもしれない。
「ローランドは、アーサーほど鬱陶しくない。周囲をよく見ていて、するりと相手の懐に入ってくるようなところがある。それに、根気強い。俺は相当素っ気無くて失礼な態度ばかりとったと思うんだが、ローランドは俺と交流を持つことを諦めなかった。そして、俺は恩人だからと、他の貴族や王族からの盾にもなってくれた。今も俺と繋がりを持ちたがる貴族達の窓口になってくれている。いくら王家と血の繋がりがあるとはいえ、王族からの要請を断るのは大変な事だと思うんだが、安易に俺を呼び出そうとする王族に対しても、厳しく対応しているようだ」
ルーファスさんは気づいてなさそうだけど、ローランドさんのことを語る口調がほんのちょっと自慢げで、虎耳も自慢するみたいにぴくぴくしてる。
自覚が薄そうだけど、ローランドさんのことはかなり好きなんじゃないかなぁ。
ルーファスさんの話を聞けば聞くほど、ローランドさんっていい人だと感じる。
貴族らしい駆け引きの上手さや狡猾さと同時に、恩人に対して心を尽くすという、人として大切な部分も持ち合わせた人なんだろう。
敵に回すと怖いけれど、味方にするととても心強いタイプなんじゃないかと思った。
そういう人が味方でいてくれるのは、ルーファスさんも心強いだろう。
安易に呼びたてる人ではないとわかっているからこそ、ルーファスさんは呼び出しに応じたんだろうな。
「ルーファスさんは凄い人と友達なのね」
感心してしまいながら言うと、ルーファスさんは友達という言葉を噛み締めるように呟いて、ふっと笑みを漏らした。
「そうだな。ローランドは私の友人だ。ユキを早く紹介したい」
穏やかに微笑んで、ルーファスさんが私の肩を抱き寄せた。
寄り添ってルーファスさんを見上げると、何だか嬉しそうに見える。
もしかして、ローランドさんが大切な友達だってことに、今まで気づいてなかったのかな?
ルーファスさん、自分の感情に無頓着だからなぁ。
「夜にはつくかな? ローランドさんに逢えるの、とっても楽しみ。結婚してるんでしょ? お子さんもいる?」
さっき、ローランドさんの奥さんの話をしたときのルーファスさんの口調は、とても好意的だった。
だから、奥さんもとてもいい人なんだろうなと想像がつく。
「ローランドには、奥方と子が3人いる。アーサーも言っていた通り、男系の家系らしく、子は3人とも男だ。二人とも女の子が欲しいと言っていたから、滞在中はユキを構いたがって大変だろう。奥方はセシリアというのだが、伯爵家の生まれの割りに庶民的だ。裁縫も得意だが、料理や掃除の腕もかなりのものと聞いている。健康的で朗らかな女性だ」
思い出しながら穏やかに語る口調から、ローランドさん達に対する好意が透けて見える。
セシリアさんは、貴族の出なのに家事ができるということは、貴族は貴族でもあまり裕福じゃなかったってことなのかな?
よく王族や貴族が出てくる小説なんかで、貴族のお嬢様が結婚前に行儀見習いも兼ねて侍女になるとかいう話もあるけれど、伯爵といえばそれなりに高い身分だから、普通は家事のような仕事はしないはず。
それが3男とはいえ公爵家の息子に嫁いだんだから、きっと恋愛結婚なんじゃないかなぁ。
どんな風に出逢って結婚に至ったのか、機会があれば聞いてみたい。
恋愛小説みたいなドラマティックなお話が聞けるかもしれない。
子供が3人もいるってことは、仲睦まじいんだろうし、幸せなご家族なんだろうなぁ。
「ルーファスさんの大切な人達だから、私も仲良くなれるといいな。ローランドさんの家に行くのなら、王都にいる間はそこを拠点にするの?」
離れというのがどんな建物なのかわからないけれど、一棟というくらいだから、一軒家くらいの広さはあるのだろうし、そこに腰を落ち着けるなら、生産スキルのレベル上げをしてもいいかもしれない。
宿でやるよりは、落ち着いて生産できそうだ。
「ユキならきっと仲良くできる。ただ、あまりにも構われすぎて鬱陶しい時は、我慢しないで言え。俺はユキが一番大切だ。だから、ユキに無理や我慢はさせたくない。もし、ローランドの屋敷が居辛いなら、宿に移ってもいいし、もっと庶民的な小さな家を借りてもいい。ユキがのびのびと過ごせる場所が、俺の滞在したい場所だ」
潔いくらいの言葉に、驚くと同時に照れてしまって、言葉にならない。
シスコンだったお兄ちゃんだって、ここまではっきり私を優先してくれなかった。
ルーファスさんは私を甘やかし過ぎだと思う。
「そんなに甘やかして、私が我侭になったらどうするの?」
我侭を言って、嫌われるのは嫌だなって思いながら、ルーファスさんの横顔を見つめた。
視線を感じたのか私を見て、ルーファスさんが幸せそうに表情を和ますから、胸がドキドキと騒いで落ち着かなくなる。
こんなに優しい顔で、際限なく甘やかされてばかりいたら、英雄を振り回す、稀代の悪女になってしまいそうだ。
「女の我侭を叶えるのは、男の甲斐性だと聞いたことがあるんだが、違ったのか?」
半ば冗談なのか、笑い混じりに問われて、私も笑ってしまう。
ルーファスさんって、こんな軽口も叩けたんだ。
「それって、恋愛関係にある男女の場合じゃないの?」
笑顔のまま反論すると、優しく頭を撫でられた。
いつものようにそっと触れてくる手が優しくて、とても幸せな気分になる。
日に日にルーファスさんの存在が私の中で大きくなっていって、いつかくる別れから目をそらしたくなる。
帰る方法はあるのかな?
もし、帰る方法が見つかった時、私はルーファスさんと離れられるんだろうか?
今でさえ、離れがたいと思うのに、何ヶ月も何年も一緒に過ごした後、離れて生きていけるのかな。
急に不安になって擦り寄ると、しっかりと抱き寄せられた。
触れ合ったところから伝わる温もりが心地よくて、それが何だか切なくて、泣きそうになる。
「恋愛関係でもそうでなくても、俺にとってユキは特別だ。俺の心を揺さぶるただ一人の存在を、どうして愛さずにいられる? 俺はお前が愛しいよ。いつか帰るまででいい、ずっとこうして一緒にいたい。ユキの望みなら、何だって叶えてやる、どんな我侭だって聞いてやる。ユキが帰ることを望むのなら、絶対に帰してやると決めたんだ」
静かな声なのに激しい感情が篭っていて、胸が熱くなる。
愛しいだなんて、家族にすら言われた事はない。
ルーファスさんが胸に秘めた強い気持ちを感じ取って、堪えていた涙が溢れた。
ずっと一緒にいたい気持ちと、家に帰りたい気持ちの狭間で心が揺れて、胸が苦しくて堪らない。
「ユキ、泣くな。まだ別れの日は遠い。俺達が共に過ごす日々は、始まったばかりだ」
指先で優しく涙を拭われて、声にならないまま一つ頷いた。
ルーファスさんの言う通りだ。
まだ帰り道が見つかったわけじゃない。
未来の別れを嘆くよりも、今、一緒に過ごす時間を大切にすることの方がずっと大事だ。
まだまだ、ルーファスさんと一緒にやりたいことはたくさんあるのだから。
「ルーファスさん、ありがとう」
出逢ってからもう何度口にしたかわからない感謝の言葉を、今までとは違う気持ちで告げる。
こちらの世界に来てから今まで、夢の中にいるみたいな気持ちで過ごしていた部分もあった。
ルーファスさんに感謝する気持ちも、好意も本物だけど、でも、まるで小説の中の登場人物を眺めるような気持ちも、心のどこかにあった気がする。
だけど今、ルーファスさんの強い言葉に心を引き摺られた。
今、私はこの世界で間違いなく生きている、そう実感させられた。
漸く地に足が着いたと言えばいいのだろうか。
帰るにせよ帰らないにせよ、この世界でしっかり生きていく覚悟が出来た。
王都で冒険者として活動する前に、ちゃんと考える事ができてよかった。
ふわふわとした中途半端なお客様気分じゃ、大きな怪我や命の危険もある冒険者としてやっていけなかったに違いないから。
ルーファスさんが守ってくれるからと甘えて、何も出来ない子になっていたかもしれない。
冒険者として旅を続けていれば、魔物を殺すどころか、盗賊を攻撃したり殺したりする可能性だってあるに違いないのに、何の心構えも覚悟もないまま、人を殺す事もできる武器を手にするところだった。
「ユキ、あまり気負うな。俺は今まで、人に甘えられた事がない。だから、ユキに甘えられるのは嬉しくて好きだ。ユキの願いを我侭だと感じたことはないが、我侭も嬉しい」
張り詰めた気持ちを和らげるように告げられて、ルーファスさんは本当に優しい人だなぁと実感する。
ルーファスさんと当たり前のように一緒にいられることが、どれだけ幸運な事か思い知る。
「私もルーファスさんに甘えるのは好き」
体を預けるように凭れ掛かると、長いしっぽが私を囲うように腰に回された。
このしっぽも好きだなぁって思う。
いつか触らせてくれるかな?
しっぽと逞しい腕に抱かれたまま、馬車は王都へ走っていく。
王都に辿り着くまで、思うままにルーファスさんとおしゃべりをした。
一緒に先の予定を立てるのは、楽しくて仕方なかった。