10.馬車の性能
アイテムボックスや倉庫に入っていた武器や防具、それからアイテム類は、一つも欠けることなく入ったままだった。
ポーションや作った料理、素材もそのまま入っていて、入っている物の説明をしたら、中にはとても貴重なものも混ざっているらしく、ルーファスさんをまた驚かせてしまった。
ずっと気になっていた紅茶は、ティーカップじゃなくて、陶器のティーポットに入った状態で出てきた。
紅茶をカップに注ぎきったらティーポットは消えてしまって、ちょっとだけ安心した。
だって、999個もティーポットがあっても、使い道がなくて困ってしまうから。
グレンの実を使ったジュースは、紙パックのジュースみたいな感じになっていて、これも飲み終わったら紙パックが消えてしまった。
ルーファスさんに聞いてみたら、紙パックはこちらにはないようなので、だから消えてしまうのかな?と思ったのだけど、ポーションの瓶なんかも、ポーションを使うと自然に消えるらしいので、それと同じ仕様なのかもしれない。
この世界のポーションの作り方を聞いたけど、天空人の遺産で製造の魔道具のようなものがあって、材料を入れてボタンを押すだけで、一定品質のポーションが生産されるらしい。
ただ、魔道具を使用するには、ポーション作成スキルと魔力が必要で、生産する時に魔力を消費するから、材料さえあれば好きなだけ作れるというものでもないようだ。
ポーションは高価なので、使うのは裕福な貴族やすぐに怪我を治さないと命取りになる冒険者が多く、それ以外の人達は、ちょっとした怪我なら、薬師が作った薬を使うのが一般的らしい。
大きな街に行くとお医者さんもいて、医学や薬学もそれなりに進歩しているようだ。
私たちの世界だと手術が必要な怪我は、ポーションで治るので外科手術のようなものはないようだけど、病気はポーションが効かないこともあるので、そちら方面の医学は進んでいるらしい。
薬草の扱いに一番長けているのは、森人と呼ばれるエルフのようだ。
「製氷機になりそうなの、何かあったかなぁ?」
馬車の中で、紙パックになったジュースを冷蔵庫に入れながら悩みこむ。
紅茶はホットで出てきたけど、氷があればアイスティーにもなりそうだった。
でも、氷を作ってアイスティーにしたら薄まってしまって、やっぱりだめかもしれない。
そうなると、茶葉を手に入れて、自分で作ったほうが良さそうだ。
先に氷だけは作っておこうと思って、結局は木の器に水を入れて、そのまま冷凍室の中に並べた。
水はシンクに水の魔石がついているので、簡単に手に入る。
火の魔石もあるから、お湯にもなるようだ。
今の体だとちょっとシンクが高いけど、使えないといったほどではないので、何の問題もない。
「夏でも夜になると冷えるから、天井の窓は全部閉めておいたぞ」
日暮れ時になって野営地に馬車を止めた後、ルーファスさんは私の手が届かない位置にある窓を閉めてくれた。
暗くなったけど、馬車の内部に明かりの魔石があったので、ランプを使わなくてもそれで明かりをつけられた。
天井の二箇所に照明のようなものがあって、壁の魔石を触るだけで明かりがつくようになっている。
消す時はもう一度触ればいいようだ。
「明るいな。外にいるとは思えないほどに快適だ」
木製だけど、ゆったりとした作りのソファに座りながら、ルーファスさんが天井を見上げる。
確かに、昨夜泊まった宿よりも、下手をすると快適かもしれない。
部屋の広さという点ではとても敵わないけれど。
馬車の中を見るまでは、料理が出来るかどうかわからなかったので、素材と一緒に簡単に食べられる料理も買ってあった。
早速料理をしようかとも思っていたけれど、ルーファスさんが買ったものをテーブルに並べたので、今日はそちらを片付けてしまうことにする。
木のコップに水を入れて、テーブルに運び、ルーファスさんの向いのソファに座った。
テーブルが意外に大きくて、ルーファスさんが遠い。
くっついている事が多かったから、テーブルに阻まれただけで距離があるように感じる。
まだ知り合って3日目なのに、すっかりルーファスさんに馴染んでしまったみたいだ。
でも、いくら雰囲気が似ていても、ルーファスさんはお兄ちゃんとは違うんだから、甘えすぎないように気をつけないと。
小さい頃からお兄ちゃん子だった私は、家にいるときはお兄ちゃんにべったりで、甘やかしてくれるのをいいことに、くっついてばかりだった。
子供みたいにじゃれついて甘えてばかりで、それが普通だったから、余計にお兄ちゃんの彼女の妊娠がショックだったんだと思う。
私を撫でて抱きしめてくれる優しい手が、外ではいやらしいこともしているのだと知りたくなかった。
大人の男女なら当然の行為だとわかっていても、怖くなってしまった。
多分、私が子供過ぎたんだと思う。
いくらお父さんがいないからって、高校生にもなって、お兄ちゃんに甘え過ぎていた。
「ユキ、どうした?」
私が余程酷い顔をしていたのか、身を乗り出したルーファスさんが、頬を包み込むように優しく触れてくる。
温かさを感じると、それだけで気が緩んだ。
「何でもないの。大丈夫」
頬の手に手を重ねて、安心させようと笑みかけた。
子供になってしまったせいで、ルーファスさんの手と比べると本当に小さい手だ。
この手で料理や洗濯とかの家事がちゃんとできるか、少し不安になってしまう。
でも、ルーファスさんの役に立つって決めたから、絶対頑張る。
聞いてみたところ、浄化魔法のような、洗わずに綺麗にする魔法はないようなので、掃除も洗濯も自力でやるしかない。
「それなら、冷めないうちに食べてしまおう。風呂にも入りたいんだろう?」
頬の手を滑らせて、私の髪を軽く撫でてから、ルーファスさんが手を引く。
お風呂と聞いて、テンションが上がった。
明るい昼間の内に見てみたけど、お風呂にも魔石がついていて、普通に入れそうだった。
浴槽を置いたのではなく、屋根に埋め込んでいるような形なので、深さはあまりないけど代わりに広い。
排水設備もちゃんと整っていて、栓を抜くと配水管を通って、馬車の下に水が流れるようになっていた。
浴槽の中には大きなたらいも入っていて、残り湯で洗濯もできるみたいだ。
雑貨屋さんでは、シャンプーは手に入らなかったけれど、代わりに薔薇の香りのついた石鹸が手に入った。
衝立を立てるけど、野営地になったここは森の中だし、露天風呂気分が味わえるかもしれない。
ご飯の後は、のんびりお風呂に入りたい。
「広い浴槽だったから、ルーファスさんでも足を伸ばして入れると思う。浴槽部分は、香りのいい檜で作ってあるの」
ゲーム内で檜があったので、是非檜風呂を作ろうと思って、実際に入れるわけでもないのに素材集めをした。
現実の檜風呂はメンテナンスも大変みたいだけど、この馬車には状態保存の付加がついているので、作ったときの状態で保てるはずだ。
お風呂が楽しみすぎる。
「ヒノキ? 木材には詳しくないが、ユキがそこまで嬉しそうなのだから、いいものなのだろうな。ただ、この野営地は魔物避けはしてあるが、盗賊は避けられない。だから警戒は必要だ」
お風呂が屋根の上ということで、ルーファスさんは盗賊の襲撃が心配なようだ。
馬車をとめるときも、樹に隠れて弓などで攻撃ができないように、ある程度の距離を置いてとめていた。
そういえば、馬車についた付加能力のことは話してなかった気がする。
「あのね、この馬車、物理攻撃も魔法攻撃も無効化されるの。所有者は私だから、もちろん盗難もできないし、反射機能もあるはずなんだ。ゲームの時は、魔物に襲われても反射で倒す事もあったくらいだから」
多分、屋根の上にいる時に弓で射られても、弾いてしまうと思う。
攻撃無効の範囲がどの辺りまでなのかは、実験してみないとわからないけれど。
状態保存の付加をつけたのは、魔物に攻撃されても壊れないようにという意味が大きかった。
反射も魔物対策だったけど、ここでは盗賊対策になりそうだ。
ちなみに物理攻撃無効、魔法攻撃無効の効果だけだと、馬車に向けられた攻撃が一定範囲に届いた段階で消滅するけれど、それに反射が加わると、馬車に攻撃が届く前に、同じ威力の攻撃を相手に返すことになる。
攻撃が無効化されるなら反射はいらないんじゃ?と思ったけれど、きゅーさんが、『くーちゃんを攻撃しておいて何の報復も受けないなんて、ありえないわ!』と、熱くなって、反射の付加石をプレゼントしてくれたので、反射もつけることになった。
状態保存は耐久度を減らさないためという意味が一番大きい。
馬車にも耐久度があって、付加で無効になっていても、攻撃をされればそれだけ耐久度が減る。
修理をすれば耐久度は回復するけれど、馬車のパーツが多ければ多いほど修理代が高くなる。
だから、状態保存の付加石は修理代を節約する為に必要だった。
稼いではいたけれど、付加石一つで出費が抑えられるのならその方がいいと、つけておいた。
「――でたらめな性能だな。さすがは天空人の作った馬車というべきか。天空人の馬車は、こういった性能があるのが普通なのか?」
料理に手をつけながら尋ねられて、なんと返事をしたものか悩んでしまった。
ゲーム時代、私の馬車はネタ装備と同じ扱いだった。
それをルーファスさんに説明するのは、ちょっと恥ずかしい。
「付加は、好きなものをつけられたから、移動速度を上げる付加をつける人が多かったかなぁ。私は物を作るのがメインで、戦闘能力にはあまり自信がなかったから、危険な場所を通るには、馬車の頑丈さと速さが必要だったの。だからこの馬車は、最大4頭まで馬を繋いで速度を更に上げる事も出来るし、攻撃を受けても馬車が壊れないように、できる限りの強化をしてあるの」
馬車での移動中に魔物と遭遇すると、戦闘になることもあった。
その場合、ゲームでは馬車に乗った状態が解除されてしまう。
私のような生産者は、いかに敵に見つからないように移動するかが重要だった。
そうじゃないと、待ち合わせのダンジョンなどに辿り着く前に、戦闘で消耗しすぎてしまうから。
変なところで現実的なゲームだったので、ダンジョン前に直接飛ぶとかできなくて、目的地までは馬車や馬で移動するしかなかった。
ダンジョン前には必ず安全地帯が設けてあったので、そこにしばらく留まって、目的を果たすまで同じダンジョンを周回する人もたくさんいた。
戦闘職の人は、移動しながら戦うのも苦にならないので、そういう人達が馬車に求めるのは、移動速度や重量軽減などの速度に関わる付加が多かった。
これと同じ形の馬車は、他には5台しかない。
同じ生産職仲間に頼まれて私が作った物だけだ。
馬車職人は何人もいたけど、鍛冶スキルまでとって馬車を作っている人は少なかった。
鍛冶スキルを取っていても、ガラス窓ともなると、つけていてもつけているように見えなかったことから、苦労してつけるだけ無駄と言われていて、私の他にガラス窓をつける人はいなかった。
生産仲間達は、つけられるからには見た目が変わらなくても何か意味があるのだろうと面白がって、ガラス窓がついた馬車を注文してくれた。
けどそれも、形は同じでも、付加石を集めるのが大変だったから、性能はある程度で妥協したものばかりだった。
「速度は大事だな。盗賊に襲われても、速ければ逃げ切る事もできる。付加石は俺も知っているが、武器や防具に使われるもので、馬車にまで使えるとは知らなかった。やはり、2千年の間に失われた知識も多いのだろうな」
しみじみと言うルーファスさんに頷きながら、胡桃の入ったパンをちぎって食べた。
ルーファスさんのアイテムバッグに入っていたから、まだ温かくて焼きたてみたいでとても美味しい。
調味料は少し高いみたいだけど、こっちのご飯も結構美味しくて助かっていた。
食べるのは好きだから、ご飯がまずい世界で生きるのは辛い。
「中々手に入らなかったりして、物に試すのはもったいないからって、やらなくなって、物にも付加がつけられるのは忘れられたのかもね。私たちの世界では、付加石は魔物を倒せば稀に落ちるものだったけど、今はどうなっているの? 付加石はダンジョンのボスが落としたけど、冒険者はダンジョンに挑んだりもするの?」
胡桃パン一つでこの世界の食糧事情に飛んでいきそうな思考を、ルーファスさんとの会話に戻す。
ルーファスさんはランクの高い冒険者だから、ダンジョンに行く事もあるのかな?
もし、ダンジョンでボスを倒す事があるなら、ボスから付加石が出るかどうかも知ってるかもしれない。
「天空人がいなくなったことで手に入らなくなったものや、手に入り辛くなったものの情報が失われているんだろうな。俺は冒険者になって長いが、ダンジョン以外で魔物を倒して付加石を手に入れたことは、片手で足りるほどしかない。付加石はダンジョンの魔物が落とすから、魔石と並んで冒険者の大事な収入源だ。希少価値という意味では、付加石の方が価値は高いが、付加の内容によって値段はかなり変わる。ユキの馬車についているような攻撃無効の付加石なら、Aランクのパーティの2~3年分の年収になるだろう」
しっかりと食事をしながら、ルーファスさんが丁寧に説明してくれる。
ダンジョンでは、ボス以外の魔物からも付加石が手に入るようになってるのか。
ゲームとは少し違ってきてるのかもしれない。
パーティの人数は、ゲーム時代だと6人までだったけれど、この世界では一応制限がないみたいだ。
ただ、ルーファスさんは所属していないけど、クランという冒険者仲間で作る組織があるので、パーティの人数が多くなると、1パーティの人数は5~6人にして、複数のパーティでクランを作ることが多いそうだ。
ゲームの時はクランの立ち上げ資金を貯めるのが大変だったけれど、それはここでも同じみたいで、1から立ち上げずに、解散間際のクランを交渉して買い取るという方法もあるらしい。
その場合は、クランの名前を変えたりすることや拠点を移動する事ができないので、大きな街や稼ぎやすいダンジョンの近くに本拠地があるクランは、売却する時も人気があるそうだ。
大きなクランだと、大体クランマスターか幹部で引き継いでいくので、解散することは滅多にないらしい。
王都にも大きなクランがあるのか聞いてみたけど、ルーファスさんは興味がないみたいで知らなかった。
クランがいくつもあるのは知っているけど、名前を覚えていないらしい。
ルーファスさんの話を聞いていると、ちょこちょこと周囲に無関心なのだと思わされることがある。
そんなルーファスさんが私を拾って同行を許してくれたなんて、奇跡に近いものがあるんじゃないだろうか。
「ダンジョンは難易度が定められていて、冒険者のランクで入れる場所が制限されている。俺がAランクまで上げたのは、ダンジョンに入るためだ。ユキはまだFランクだから入れないが、Dまでランクを上げれば、王都の近くにDランクで入れるダンジョンがある。レベル上げにもなるし、ユキが行ってみたいのなら連れて行く」
この口ぶりだと、Aランクじゃなきゃ入れないダンジョンでも、ルーファスさんはソロだったんだろうなぁ。
ダンジョンのランク制限は、ゲームでもレベルで制限があったから、同じようなものなんだと思う。
王都についたら、やらないといけないことがたくさんあるみたいだ。
もしかすると長い滞在になるかもしれない。
「レベルは見られても違和感がない程度までは上げておきたい。レベル1のままじゃ、変なんでしょう? ランクもパーティでクエストを受けるためにもあげた方がいいみたいだし、それに、冒険者として必要な事を、1から全部体験してみたい。だから、王都についたら色々教えてください」
基本からきちんと覚えて、自分でもやれる事を増やす事が、ルーファスさんの助けになると思う。
自分のためでもあるから、必要な事は全部覚えたい。
私の言葉を聞いて、ルーファスさんは嬉しそうに頷いた。
「ユキが望むなら、すべて叶えよう。王都ではFランクのクエストから体験してみるといい。俺が必ず守るから、ユキは安心して好きなように振舞え」
力強い言葉に、笑顔で頷いた。
ルーファスさんがいるから絶対に大丈夫だと信じられた。
私が目立たないようにと制限するのでなく、必ず守るから大丈夫だと、自由にさせてくれるルーファスさんが頼もしい。
行動を制限されてばかりいたら、きっと窮屈でストレスがたまってしまうと思う。
ただでさえ、ここは生まれ育ったのとは違う世界で、不安も多いのだから。
身体の安全だけじゃなくて、ルーファスさんは私の心まで守ってくれる。
「ありがとう、ルーファスさん。――私、先にお風呂に入ってくるね」
ルーファスさんと話していたら、段々胸がいっぱいになってしまって、それ以上食べられそうになかったので、先にお風呂に向かった。
兎のぬいぐるみを持って、馬車の天井から下ろした階段を登っていって、馬車の屋根に出る。
外は、月と星の明かりで真っ暗ではないけれど、でも、周囲がよく見渡せないほどに暗かった。
もしかしたら、馬車の天井部分の窓は、夜にお風呂に入る時に明かり取りでもあるのかもしれない。
足元にいくつか明かりがあれば、それだけでもかなり違うはずだ。
明日からは天井の窓を閉めずに、お風呂に近いほうだけでもいいから開けておこう。
まずは衝立を立てて、浴槽にお湯をためていく。
衝立を立てると、魔石ランプを掛ける場所があったので、ランプを引っ掛けて、一つは足元に置いた。
洗濯用の大きなたらいの中に入って、ぬいぐるみから必要なものを出していく。
はっきりいって、このたらいだけでも行水はできそうな感じだ。
服を脱いで、お湯を汲むための桶や石鹸を手に、浴槽に向かった。
浴槽は埋め込み式だけど、洗い場は別になっているので、流したお湯が浴槽に入ることはないようだ。
シャンプーが手に入らなかったことを少し残念に思いながら、泡立てた石鹸で髪と体を洗って、丁寧にお湯で流した。
今は夏だからいいけど、冬になったらこのお風呂は結構寒いかもしれない。
でも、冬になっても、私はまだこの世界にいるんだろうか?
物思いに耽りながら浴槽に浸かると、檜のいい香りがした。
足を伸ばしてゆっくりと肩まで浸かりながら、空を見上げる。
暗いのは怖くて嫌いなのに、今は怖いとも不安だとも感じなかった。
きっとそれは、すぐそばにルーファスさんがいてくれるからだ。
二つの月と、降るような星空を見ていると、ここは異世界なんだなって強く実感する。
私の住んでる場所では、星なんて数えるほどしか見られなかった。
地方に行けばよく見えるらしいけれど、家族旅行なんて一度もしたことがない。
お父さんの遺した生命保険金とお母さんの収入だけで生活していたから、特別貧乏というほどではなかったけれど、余裕のある生活でもなかった。
それでも、お兄ちゃんは私が寂しい思いをしないようにと、休みになると遊びに連れ出したりしてくれて、私は十分に満たされていて幸せだった。
いつか就職したら、お母さんとお兄ちゃんと一緒に、家族で旅行するのが夢だったんだけど、叶えられるのかな?
今は暗闇は怖くないけど、私がお兄ちゃんを傷つけているかもしれないと思うと、それは凄く怖い。
行方不明なんてことになってなければいいと思う。
お兄ちゃんのことを思い出したら人恋しくなってしまって、急いでお風呂を出た。
雑に髪を拭いて、パジャマ代わりのシンプルなワンピースを着て、片付けもそこそこに急いで階段を降りる。
「ユキ、どうしたんだ? 何かあったのか?」
私の様子がおかしいとすぐに気づいたようで、ルーファスさんは歩み寄ると、優しく抱き寄せてくれた。
髪に指を潜らせて、魔法で乾かしてくれるルーファスさんに、ぎゅっとしがみ付く。
甘えすぎちゃいけないと思ったけど、でも、くっついてしがみ付いて、独りじゃないことを実感したかった。
「ユキ?」
慰めるように優しく背中を撫でられて、ルーファスさんの鳩尾の辺りに顔を擦り付ける。
獣人だからなのか、体温が少し高くて、湯上りの体でも温かく感じた。
「少しだけ、寂しくなったの。甘えてばかりでごめんなさい」
離れがたかったけれど腕を解こうとしたら、それを阻止するみたいにしっかりと抱きしめられた。
髪や背中を撫でられて、甘えていいのだと仕草で伝えてくれているような気がした。
長いしっぽまで、私の体に回されているのに気づいて嬉しくなる。
逞しいルーファスさんの体に腕を回すと、それでいいというように、優しい手つきで髪を梳かれた。
「ユキに甘えられるのは、好きだ。頼られるのも嬉しい。だから、謝る事はない」
いつもと違って、お姫様抱っこみたいに抱き上げられて、ソファに運ばれる。
テーブルはいつの間にか綺麗に片付けられて、折りたたまれていたので、体格のいいルーファスさんが座っても足元が広い。
膝に横抱きにされたまま、髪に顔を埋められる。
人恋しさが落ち着けば、ルーファスさんの甘い仕草が段々恥ずかしくなってしまって、頬が火照ってくる。
「いい匂いがする。それに、ほかほかだな。風呂は心地よかったか?」
鼻先で擦り寄られて照れてしまいながら、ルーファスさんの胸に凭れかかる。
お兄ちゃんだって、ここまで甘やかしてくれるのは滅多になかった。
特に私が高校生になった頃から、もう子供じゃないんだからと、あまり抱きしめたりしなくなった。
だからこんな風に甘やかされるのは、凄く久しぶりだ。
もしかして、これは子供扱いの一環なのかな?
ルーファスさんにしてみれば、私は小さくて痩せた子供らしいし、恥ずかしがるのは自意識過剰かもしれない。
甘えられるのが好きだって言ってくれるんだから、子供らしく甘えるべきなんだろうか?
子供にはいつも泣かれるって言っていたから、ルーファスさんはそれが辛かったのかもしれない。
泣かない子供と出会えて、実は子供好きだったルーファスさんが構いたくて仕方ないんだとしたら、いつもの言動に説明がつく。
子供らしく甘えて頼ることで、ルーファスさんが喜んでくれるのなら、恥ずかしいのは我慢しよう。
私も恥ずかしいだけで嫌じゃないんだし。
「お風呂、気持ちよかったけど、ちょっと暗かった。お風呂側だけでもいいから、天井の窓を開けておくと、明かりが漏れてちょうどいいかもしれない。それと、今の時期はいいけれど、冬になったら寒くて使えないかも」
意識して甘えるとなると照れてしまうけど、ルーファスさんが喜んでくれるならと、首に腕を回して、首筋に頬を摺り寄せた。
ルーファスさんはくすぐったかったのかぴくっと身を震わせた後、きつく私を抱きしめてくれる。
力のあるルーファスさんが加減せずに抱きしめたら、痛くて苦しいはずだから、きつくても心地いいと感じるのは、ルーファスさんが常に気遣いを忘れていない証拠だと思う。
「――俺も風呂に入ってくる。ユキは眠いなら、先に寝ていても構わないから、湯冷めしないようにするんだぞ?」
壊れ物みたいにそっとソファに私を降ろして、ルーファスさんは屋根の上にあがっていった。
今、ルーファスさんの顔が赤かったような気がするのは気のせいかなぁ?
匂いはしなかったけど、私がいない間にお酒でも飲んでたのかな?
首を傾げながら、ソファをスライドさせて、寝られるようにしてしまう。
ソファの座席の下は物入れになっていて、開けてみるとシーツや毛布が入っていた。
薄いけれど、折りたたみのマットレスのようなものまである。
必要なものを取り出して、心地よく寝られるように整えていった。
アイテムボックスにクッションも入っていたので、枕代わりにそれも取り出しておく。
イベントでもらった時は、クッションなんて拠点の部屋の飾りにしか使えないって思ったけど、処分せずに持っていてよかった。
「ベッド一つだけど、どうしよう? 今は子供だし、一緒に寝ても変じゃないよね?」
私のサイズなら、ロフトに上がればそこで寝られないこともないけど、柵みたいなのはないから、落ちてしまいそうで怖い。
そこまで寝相は悪くないはずだけど、寝返りを打った拍子にルーファスさんの上に落下とか、想像するだけでも痛い。
それなら、最初から一緒に寝たほうがいいよね?
しばらくして戻ってきたルーファスさんを、一緒に寝ようと説得するのは、とても大変だった。
外か、床で寝ると言い張るルーファスさんを、最後には半ば強引にベッドに引っ張って、逃げられないようにしっかり抱きついてしまった。
湯上りでほかほかのルーファスさんはとても温かくて、遠慮なく抱き枕にしたまま眠り込んだのだった。