Inférence
「睦美、きみが犯人なんだろう?」
篤士が、人差し指で僕を指名した。篤士は真っ直ぐに僕を見据えているが、その瞳は頼りなく揺れている。認めたくないのだろう。今しがた語った推理が、真実だと肯定されるのを。
彼の傍らに座っている中年の男は、蔑むような目で僕を見詰める。彼にもわかっているだろう。篤士の推理が正解であることが。
僕は首筋に伝う汗を厭わず、乾ききった唇を少し舐めて、口端を上げた。いつものように、屈託の無い笑みを浮かべて。
「ああ、そうだよ。この館で起こったことは、すべて僕の仕業だ。大正解だ、篤士。見事な推理だったよ」
「今から、俺の推論を述べる。この館で起こった連続殺人事件。その犯人を告発するのが第一の目的だ。まあ、俺も容疑者の一人だから、偉そうな口はきけないが、なにか気になった事があったら言ってくれ」
篤士は、彼らしい、堅い口調で話を切り出した。大広間に集められた僕ともう一人の男は、黙って篤士の言葉に耳を傾けている。
「まず、この館に集まった人物を整理しよう。なにせ、十人もいるんだ。数日間共に過ごしたとはいえ、多少記憶が曖昧な部分もある。そうだな……睦美、メモを取っておいてくれないか」
僕は相変わらず黙ったまま、サイドテーブルに置いてあるメモ用紙を手に取った。ポケットから愛用の万年筆を取り出して、篤士に目配せをする。篤士は微かに頷いて、再び話し始めた。
「えーと、まずは、俺たちからいくとしようか。俺は鞍馬篤士。新聞記者だっていうのは話したかな。
そして、釼持睦美。きみは確か通訳をやっているんだったっけ。
次に、小早川光一郎さん。裁判官をなさっているんでしたよね?」
小早川さんは渋い声で、
「ああ、そうだ」
と答えたきり、再び黙ってしまった。多分、疑心暗鬼に陥っているのだろう。殺人犯は自分を除いた他二人。もしかしたら二人はグルで、今か今かと自分の命を狙っているのではないか、と。彼の不安はわからないでもないが、これほどあからさまに怯えられては、逆に自分が落ち着いてくる。
「じゃあ、次からはもう殺されてしまった人だな。俺が記憶している順に挙げさせてもらう。
まず、江木藤次郎さん。彼は医者だった。最初の頃は検死とか、俺たち一般人にはできないことをやってくれていた。
次は笛吹桐彦さん。俺は彼と話が合って、何度か一緒に話をしたことがあった。この館での食事は全部桐彦さんが振舞ってくれていた。その腕の通り、仕事は有名イタリアンレストランのシェフだそうだ。
次は鏑木真澄だ。俺はあまり彼と話をしたことはなかったから、最初から最期まで怯えてた印象しかないな。俺は彼についてのことはよく知らない」
そこで僕は、万年筆を走らせる手を止めて、口を挟んだ。情報は公平に共有されなければならない。
「真澄くんは20歳で、公務員の仕事をしている。父子家庭で、高校卒業後すぐに就職したらしい。とても素直で良い子だったよ」
だから殺したときは一番罪悪感が残ったんだけど、と心の中で付け足した。
真澄くんは僕にとても懐いてくれていた。僕と年齢が大して違わない為だったのかはよくわからないが、彼とは結構個人的な話をしたこともあった。
「そうか、ありがとう」
篤士は端的に礼を述べた。
そういえば、真澄くんは篤士が苦手だと言っていたことがあった。どこか冷たくて、壁を感じると言っていた。確かに僕も、篤士と最初に会ったときはそう感じた。しかし、時が経ち、それが彼の性格なんだと理解した。こんな状況じゃなければ、真澄くんと篤士も、良い関係を築けたのかもしれない。
「じゃあ次だな。生駒涼太郎さん。俺たちの一つ上で、24歳だった。一番最初の被害者が殺された時、あの人は相当落ち着いていたように見えた。だから俺は、最初は彼が犯人だと思っていた。彼もまた、早いうちに殺されてしまったけどな。
次に、逢坂百合子さん。女性二人の内の一人だな。作家だと言っていた。俺は結構本を読むほうだが、彼女のことはよく知らなかった。若手だし、あまり名の売れた本は出していなかったんだろう。
そして女性の二人目、吾妻雪子さん。現代抽象画の画家だ。俺も何度か彼女の作品を目にしたことがある。彼女の殺害を皮切りに、この連続殺人事件が起こったんだったな。
最後に鬼柳昌樹。彼は吾妻さんの彼氏だったのだろうか。吾妻さんが殺された時、狂ったように怒っていた印象があるな。俺はあまり近づきたくなかったから彼のことはよく知らない」
篤士はそう言い切って、小早川さんと目を合わせた。雪子さんが殺された時、怒り狂う鬼柳を宥めていたのが、小早川さんだったからだ。小早川さんは小さく溜息を吐いて、言った。
「彼は吾妻雪子さんの幼馴染みだったらしい。恋人関係であったかどうかは知らないが、相当依存していたように見えた。言葉や態度は乱暴だったが、吾妻さんを救えなかったことにとても責任を感じていたよ」
小早川さんはそう言って、目を伏せた。彼も彼なりに責任を感じているのだろう。
僕は羅列された人物一覧を眺めて、穴があることに気がついた。涼太郎さんと昌樹の職業が判明していない。
「篤士、涼太郎さんと昌樹の職業がわからない」
僕は篤士に訴えた。しかし篤士は、
「職業なんてわからなくてもいいんじゃないか」
と言って、一蹴してしまった。
誰がどの職業に就いているかは、この事件を解く鍵となるのに。僕はそう思ったが、それは口に出さずにいた。
篤士は僕が淹れておいた紅茶を口に含んだ。この中に犯人がまだいるというのに、随分無防備なことだ。毒を盛られる可能性を、彼は考えていないのか。
「では、犯人探しに戻そう。殺された順番は、まず、雪子さん。次に涼太郎さん、桐彦さん、江木さん、百合子さん、鏑木、最後に鬼柳だな。
そこで俺は一つ気付いたことがある。彼らは五十音順に殺されているんだ。この館に集められた人は、吾妻雪子の『あ』から、順に並べて、小早川光一郎の『こ』までが揃えられている。多分、犯人はそれを狙ってこの館に呼び集め、順に殺したんだろう。
そして、その順番通りに行けば、次に殺されるのは間違いなく俺だ。だからこうして、殺されてしまう前に推理を纏めて、二人に話そうと思ったんだ。
信じてはもらえないだろうけど、俺は犯人じゃない。睦美のことも、小早川さんのことも信じてる。でも、犯人はこの三人の内の誰かだ。それは間違いない」
篤士は僕と小早川さんを交互に見据えてそう語った。五十音順に殺されているというのは、着眼点が良い。しかしそれは、多分小早川さんもわかっていたことだろう。現に、篤士が殺害順の規則性を述べた時、彼は毛ほども動揺していなかった。
篤士はいいところに目をつけたが、あと一歩足りない。その一歩に近づければ、犯人なんてすぐにわかってしまうのに。
「突然だが、ここでこの十人の関係性について整理しておきたい。もうわかっているだろうけど、俺と睦美は高校時代の同級生だった。それに加えて、吾妻雪子と鬼柳昌樹は幼馴染み同士だ。他にもまだいるかもしれない。今回の事件とどう絡むのかはわからないが、明確にさせておいて損はないと思う。
まず、俺からだ。俺は睦美の他に、雪子さんのことを知っていた。彼女の個展にも行ったことがあったし、取材をしたこともあった。向こうは多分俺のことなど覚えていなかっただろうけど。
俺は以上だ。睦美、きみはどうだ?」
「僕は百合子さんのことを知っていたよ。僕はフランス語ができるからね。彼女の作品を翻訳したことがある。篤士は彼女の作品を知らないと言ったけど、当たり前だと思うよ。百合子さんは絵本の作家だから。
……僕は、以上だよ。小早川さんはどうですか?」
篤士の代わりに、僕から小早川に問うた。小早川さんは若干篤士を警戒しているように見える。さっきから篤士の問いにあまり多く答えないし、何より、篤士の顔を一回も見ていない。多分、目を合わせたくないのだろう。小早川さんの緊張を少しでも解してあげようと、僕は優しく問いかけた。
「私は、鏑木君のことを知っていた。知っていると言っても、仕事の関係で何度か見掛けたことがあるだけだ。名前などは今回初めて知ったし、話すのも初めてだった。当然、鏑木君も私のことはよく知らなかった」
小早川さんは少し声音が和らいでいた。渋くて低い声は相変わらずだったが、少しは警戒を解いてくれただろうか。
「それと、私は生駒君のことも知っていたよ。私がよく利用する銀行に勤めていてね。彼も私のことを覚えていたようだった」
その言葉で、涼太郎さんが銀行員だったことが明らかになった。僕は黙って項目を追加した。篤士はあまり気に留めていないようだった。
「では他に、誰かと誰かが知り合いだったという話は聞いていないかな。俺は、江木さんが桐彦さんの店の常連客だという話を聞いた。お互い面識もあって、何度か親しげに話しているのを見た。
……俺はそれだけだな」
篤士はそう言って、無言で僕の目を見た。僕に話を促そうとしているのだろうけど、生憎、僕はもう何も知らない。僕は黙ってかぶりを振った。
篤士は続けて、小早川さんと目を合わそうとしていたが、小早川さんは俯いたまま首を横に振っただけだった。
「それでは、本格的な犯人探しを始めよう。まずは誰がどうやって殺されたか。その時誰が殺害可能だったか。
最初は吾妻雪子さん。彼女は2日目の深夜に毒殺された。雪子さんが寝る前に飲んでいたウィスキーに青酸カリが混入していた。そのウィスキーは彼女が自分で用意したもので、江木さんによると、青酸カリはグラスに付着していたらしい。みんな知ってると思うが、それぞれの個室には元々三脚のワイングラスが用意されている。犯人はそのグラスに予め毒を塗っておいたんだろう。
犯人は、雪子さんが寝る前に酒を飲む習慣があることを知っていなければならない。それを知り得るのは、幼馴染みの鬼柳昌樹。彼女と面識のあった俺。あとは、彼女と親しくしていた逢坂百合子。この三人だな。俺以外の二人はもう死んでしまっているから、現時点で一番怪しいのは俺だけだな。この件に関しては俺も言い逃れできそうにない」
僕は篤士の推理を聞き流しながら、黙々とメモを取り続ける。篤士の間違った推理を、乱雑に書き連ねていた。
犯人は雪子さんが酒を飲むことを知らなくてもいい。誰にでも犯行は可能だ。酒を飲む時でなくても、グラスを使う時はあるのだから。いつまで経っても彼女がグラスを使わないのならば、その時は別の方法を考えればいいだけ。故に、この件だけで犯人は絞れない。
ああ、本当に間抜けだなあ、篤士は。僕は思わず笑みを溢しそうになったが、慌てて抑えた。
「次に、生駒涼太郎さん。彼は3日目の夜に薬殺された。彼は雪子さんの殺害が相当ショックだったようで、睡眠前に館に用意されていた睡眠薬を服用した。江木さんの検死によると、彼は致死量の睡眠薬を飲んでしまっていたようだ。この件は俺にも皆目見当もつかない。何しろ、彼自身で用意した薬を誤って飲み過ぎてしまっただけだからな」
篤士は悔しそうに眉根を寄せた。そんな彼の表情を見ることなく、僕は若干苛立ちながらもひたすらにペンを走らせる。
篤士は周りを見ているようで全然見ていない。彼は自分のことにしか興味がないのだ。
涼太郎さんの睡眠薬は確かにこの館にあったものだが、彼の元へ持って行ったのは僕だ。彼に渡した睡眠薬は適量。涼太郎さんは少しも怪しまずに服用した。だが、薬と共に飲むブランデーに、致死量の睡眠薬を溶かしておいたのだ。
篤士はそのことを知らない。その日は直ぐに寝ていた。僕が涼太郎さんに睡眠薬を持って行ったことを知っているのは、僕自身と、涼太郎さんだけ。知らないのも仕方がないことなのだろうが、少しは疑ってみたりしないのだろうか。
さらに篤士は語り続ける。
「三人目は笛吹桐彦さん。4日目の朝方に撲殺された。凶器はまだ見つかっていないが、ビール瓶が一本無くなっていることから、それが使われたと思われる。
桐彦さんはキッチンで朝食の後片付けをしていた際に、背後から殴られた。その頃俺たちは、早朝に発見された涼太郎さんの殺害のことにかかりっきりで、誰かがこっそりキッチンに近づいたとしても多分気づかなかっただろう。陥没痕が前頭部にあることから、犯人は彼より背が高い男に絞られる。生存者でその条件を満たしていたのは、江木さんと俺と小早川さんの三人。江木さんと俺は涼太郎さんの部屋にずっといましたが、小早川さんはその時は何をしていましたか?」
急にアリバイを問われ、小早川さんも流石に腹が立ったようだ。穴のあり過ぎる推理にも指摘をした。
「笛吹君よりも高身長の男にしか犯行ができないと君は言ったが、それはこじつけが過ぎる。笛吹君がもし偶然にも屈んでいたとしたら、誰にでも犯行は可能だ。屈んでいる男を殴り殺すことくらい、女性にもできる。
第一、笛吹君が殺された時、私は釼持君と共に鬼柳君を落ち着かせていた。証言者は釼持君だ」
小早川さんはそう言って、僕に目を合わせた。その瞳が証言をしてくれと訴えている。嘘をつく理由もないので、僕は言った。
「ああ、そうだよ。僕と小早川さんは昌樹の部屋にいた。次に殺されるのは俺だって、呪われたようにぶつぶつと呟いていたよ。確か、一緒に真澄くんもいた」
「そうか。じゃあ、その時のアリバイがないのは百合子さんだけなんだな」
篤士は一人で満足気に頷くと、話を進めた。時折、小早川さんの溜息が聞こえてくる。小早川さんも、いい加減うんざりしているのだろう。
「四人目は江木藤次郎さん。彼は桐彦さんの検死をしていた時に斬殺された。凶器はキッチンにあった出刃庖丁だな。これは血痕が付いていたから間違いない。
俺は桐彦さんの検死に立ち会っていなかった。俺はどこか外へ出られる方法がないか探していたからな。俺の代わりに、彼の検死に立ち会っていたのは……」
篤士はそこで一旦止め、僕の瞳をじっと見詰めた。僕たちはしばらく睨み合っていたが、ややあって、口を開いた。
「そうだよ。僕だ」
「……その時きみは何をしていたんだ?」
「江木さんに頼まれて、彼の個室まで荷物を取りに行っていたんだよ。その隙に殺された。戻ったら彼は既に死んでいたよ」
篤士は切れ長の瞳をさらに細めて、訝しげに言った。
「証人もいないのに、誰が信じると思う?」
「……誰にも信じてもらおうなんて思ってないよ。アリバイがないのは皆同じ。生き残っている僕らは、皆等しく怪しいんだ。そうだよね?」
その一言で篤士は納得したようだった。微かな声で、「そうだな」と呟き、推理を再開した。
「じゃあ、次。五人目は逢坂百合子。彼女は5日目の朝に毒殺された。江木さんが亡くなってしまったから詳しいことはわからないが、近くに注射器と青酸カリの瓶が落ちていたことから、彼女は青酸カリを直接注入されたと思われる。
注射器は江木さんの私物だ。江木さんの私物もそうだが、既に殺されてしまった者の私物は個室にそのままになっていたから、誰でも持ち出せた。だが、犯人は江木さんが注射器を持参していることを知っていなければならないな。江木さんが医者だということは周知の事実だったが、まさか彼が注射器を持っているとは思わないだろう。
江木さんが注射器を持っていることを知っているのは、彼と親しくしていた者。或いは彼の検死に立ち会ったことがある者。前者は桐彦さんのみ。後者は俺と睦美の二人。桐彦さんは既に亡くなっていたから、怪しいのは俺たち二人だな」
そう言って篤士は、大仰に溜め息を吐いてみせた。あたかも自分は犯人ではないと主張するかのように。
その様子を見て、僕は更に苛立った。さっきから苛立ってばかりだ。僕も自分を落ち着かせるように、小さく溜め息を吐いた。
「百合子さんが殺されたのは深夜だから、お互いアリバイが無い。
……と言いたいところだが、俺にはアリバイがある。俺は寝付けなくて、この広間にずっと居たんだ。夜の間ずっとな。そして、きみ以外の三人も居た。三人とも個室じゃ眠れないというから、みんなしてこの広間で寝たんだ。
俺はずっと起きていたが、朝になるまできみと百合子さんは来なかった。百合子さんは女性だから、広間で男だらけの中で雑魚寝するのは、確かに気が引けるだろう。
でも、きみはどうだ。誰にいつ殺されるかわからない状況で、たった一人で寝れるか?きみは俺の予想以上に肝が据わっているから、その辺は大丈夫だろうと思った。
だがしかし、広間で男全員で寝ていれば、犯行は不可能だ。もし犯人が男ならば監視の目がある。そして、犯人が百合子さんだったとしてもそれは同じだ。きみはそこまで頭が回らない人間じゃないはずだ。じゃあどうしてあの夜、きみは広間に来なかった?広間に来ればきみの無実は証明できた。なのに、なぜ?
答えは、きみが犯人だからだな」
篤士は一息にそう言い切ると、僕を睨めつける。小早川さんは衝撃を受けたように、ハッとして僕を見た。
この推理は、的を射ている。さすがに言い逃れはできそうにない。でもまだ認めない。一連の犯行がすべて僕の仕業だとするのにはまだ早い。
「うーん、さすがだね、篤士。じゃあ、仮に僕が犯人だとしよう。でも、そうしたら僕にはできない犯行もあるよね。雪子さんがお酒を飲む習慣を僕は知らないし、桐彦さんのときは、僕にはアリバイがある。それをどうやって説明する?
……できないだろ?まだ僕を犯人と決めつけるには早いよ」
「……まあ、きみの言うことにも一理ある。
だが、俺はこの一件から、きみが犯人ではないかと疑って、きみを見ていた。
六人目は鏑木真澄。彼は5日目の昼間に射殺された。食後、各が自由にしていた時間だな。俺はこのとき一人だった。小早川さんは相変わらず鬼柳の介抱をしていた。そして、鏑木ときみも一人だった。この時点では、きみと俺は等しく怪しい。だが、銃声が聞こえてから鏑木の部屋に駆けつけたとき、きみは既に彼の部屋にいた。
鏑木の部屋は二階で、階段から一番遠くにあり、この館の最果てだ。俺は銃声が聞こえたが、どの部屋からなのかわからなかったから、生き残っている者が使用していた二階の部屋を一つ一つ調べたんだ。誰よりも早くな。しかし、一番端にある鏑木の部屋には、既にきみがいた。
きみは鏑木と親しくしていたそうじゃないか。それに加えて、鏑木もきみによく懐いていた。まさかきみが犯人なんて疑わないだろ。だからきみが彼の部屋を訪れても、彼はちっとも怪しまずにきみを招き入れたはずだ。もし俺が鏑木の部屋を訪ねても、彼は俺を警戒していたから、部屋に入れなかっただろう。俺ほどじゃないが、それは小早川さんでも鬼柳でも同じだっただろう。きみなら、彼に怪しまれずに、安々と彼に近付ける。そうして、彼の隙を突いて殺せばいい。きみなら容易いだろ」
僕は内心、喜んでいた。やっと篤士がまともな推理をしてくれたことに、喜びを感じていた。正否はともかく、今の推理はとてもそれらしい。僕は笑いそうになるのを必死に抑える。頼まれて書いていたメモは、いつの間にか手が止まっていた。ふと見ると、代わりに小早川さんが書いてくれている。自分が疑われていないとわかり、心に余裕が生じたのだろう。
「それで?」
僕は篤士に先を促す。
「……反論しないのか、睦美」
「今反論したところで、篤士も小早川さんも信じてくれないだろ?無駄なことはしたくないよ。さっさと先を続けて」
篤士は戸惑いながらも、続けて言う。
「じゃあ、最後だな。七人目は鬼柳昌樹。彼も鏑木と同じく、5日目の夕方に射殺された。俺と小早川さんで、鏑木の遺体を調べていた時だったな。きみは鏑木の遺体を見たくないと言って、加わらなかった。鬼柳は相変わらず怯えきっていたから、一番人が良いきみに介抱を頼んだんだったな。
そこで俺はひとつ疑問に思ったのだが、なぜ犯人は連続して凶器に拳銃を用いたのだろうか?発砲したらすぐにばれてしまうんだ。もし俺が犯人だとしたら、そんな綱渡りの殺人は犯さない。使われた凶器になにかあるんじゃないかと思って、俺は一から調べてみたんだ。そうして、俺はあることに気付いた。
凶器に縛りがあるんじゃなくて、殺し方に縛りがある。これは一種の見立て殺人だったんだ。
毒殺、薬殺、撲殺、斬殺、そしてまた毒殺、射殺が立て続けに二件。
かの有名なミステリ、クリスティーの『そして誰もいなくなった』。これを見立てているんだな。みんな、それぞれの個室に、兵隊の格好をしたうさぎのぬいぐるみがあっただろ?あれは死んだ者の個室からは消えているんだ。これもまた、『そして誰も』を見立てている。
睦美、きみはミステリの、とりわけクリスティーの愛読者だったな。俺もミステリは読むが、きみほどじゃない。こんな見立てを思いつくのは、きみぐらいだ。
鬼柳が殺されて、次は俺の番。俺はきみが犯人だと思った。だからこうして、相応の根拠を述べ、小早川さんの納得を得て、きみを告発する」
篤士は、小早川さんの方へ視線を動かした。小早川さんはもう僕が犯人だと信じきっているようだ。篤士の視線に応えて、弱々しく頷いた。それを見届けて、篤士はゆっくりと腕を上げて言った。