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1-5

 侑が呆然としている頃、リーナは教員寮の屋上に移動していた。その顔はいまだに赤いままである。

 「つい逃げちゃったけど、私どうしたんだろ・・・?」

 侑に言われた言葉が頭から離れない。

 『先生も守ってみせますよ』

 生徒にこんなことを言われたのに苛立ちや不満など負の感情は全くなく、むしろ嬉しいとさえリーナは感じていた。侑のことを考えるだけで胸が痛い。しかしそれは苦ではなかった。この奇妙な感覚にリーナは戸惑い、その内心は面白いくらいにメチャクチャだった。

 (まさか、これが恋!?今まで魔法の勉強ばかりしてきて異性に興味を持ったこともなく、自分の身体に自信も持てないこの私が?そっか、これが吊橋効果というヤツなのね!追い詰められているときに優しくされると、ときめくっていうアレね!そう、これは一時的なもの。きっとすぐにこの熱も冷めるはず。第一、私は教師で彼は生徒だし!年だって5つくらい離れてるんだから。それに確かに顔もかっこいいけど、最初見たときにはそこまでとは思わなかったのに!あぁ、でももう一回あの真剣な顔で言って欲しいかも。『可愛い』って、『守る』って、『好きだ』って!)

 こんな風に考えながら一人で悶えている少女のような女性は、恋という病を患っているに違いなかった。


 自分が何をしたのか気づいていない侑は、この状況をどうにかするために仁に連絡を取った。さっきまでの状況を、授業中の無神経な行為からリーナが突然消えたことまで包み隠さず説明し、どうするべきなのかを尋ねた侑に、仁は呆れながら答えた。

 『侑が女性への配慮に欠けていることは分かったし、依頼は教師の手を借りないという件も理解した。でもどうしてその流れで担任教師を落とすことになるのかが分からないな・・・。まぁそれは置いておくとして、今日のところは帰っていいと思うぞ?どうせ侑が部屋にいるならその先生も戻ってこないだろうし』

 「落としたっていうのがどういうことか分からないけど、とりあえずありがとな。でも俺がいると戻ってこないっていうのはまた俺が何か失礼なことをしたからか?」

 『それは気にしなくていい。てか、少し用事があるからもう切るぞ。これから苦労するだろうけど頑張れよ』

 「?それってどういう―――」

 仁の言うことに疑問はあったが、質問を言い切る前に通話は切られた。そのためすっきりしないまま彼の言うとおりに侑はリーナの部屋を後にした。今日一日の様々な非礼の謝罪にメモとお詫びの品を残して。


 侑との通話を終えた仁に、本当は用事など無い。あのまま会話を続けても侑のためにはならないと思ったため強引に通話を切ったのである。侑はこういう経験が初めてということを知っている彼は、この機会にしっかり経験しておくべきだと思っていた。自分はもちろん、侑も学園に通っていれば嫌でもこの手のイベントが発生する容姿と実力を備えていることを仁は理解していた。

 (まあでも、まさか担任教師が最初とはなぁ。面白そうだけどいきなり教師と生徒っていうのも・・・。それに自分で追い詰めて自分でフォローしてるんだから性質が悪い。今まで他人との交流がほとんど無かった侑が色恋沙汰に気づくまでにどれくらい掛かるかなぁ。その間に何人落とすかは予想できないけど無自覚っていうのが罪だよな。まあこの国も倭国も一夫多妻が認められてるから後は侑次第ってことだ)

 そう結論付けて、仁は侑の恋愛事情を見守ることを決めた。侑のためでもあるが、自分が楽しむためというのも彼がそう決断した理由であった。


 侑がリーナの部屋を後にしてからしばらくして、部屋の主はこっそりと戻ってきた。彼女は侑の魔力が部屋から感じられないことに安堵しだが、少し残念な気持ちにもなった。先ほど侑と話していたリビングの机にメモを見つけたリーナはそれを手に取った。

 「なになに?『今日は本当にすみませんでした。お詫びになるかは分かりませんが冷蔵庫に自分が作ったお菓子をいれておきます。お口に合うか自信は分かりませんが珍しいものだと思いますので食べてみてください。また明日教室で会いましょう』ね。でも明日は彼の顔を直視できないかもなぁ。って、え?まさか冷蔵庫の中見られたの!?」

 最後の文章を少し嬉しく思ったリーナだったが、冷蔵庫という単語を思い出してハッとなった。

 (冷蔵庫の中にはほとんどお酒しか入ってないのにーーー!)

 教員寮にも食堂は存在し、料理の出来ないリーナは部屋のキッチンなど使ったことも無く、毎日食堂のお世話になっていた。そのため冷蔵庫の中に入っているのは飲み物や軽くつまめるものだけとなっている。新生活で精神的にまいっていたリーナがお酒に頼るのも仕方無いことであるが、やはりその状態の冷蔵庫を見られるのは女性として恥ずかしかった。この世界でも一般的な家庭では女性が家事をこなしており、たとえ貴族で使用人がいたとしても女性は家事を出来る方が好ましいという風潮が存在している。それに自分の容姿についてよく分かっている彼女は、お酒がイメージに合わないことも自覚していた。

 (はぁ、こんな女に振り向いてくれるのかなぁ?)

 侑には体型のコンプレックスや今のような生活習慣を知られているし、おまけに情けない姿を見せて慰められる始末である。それを改めて自覚したリーナは恥ずかしかったが、これは逆に考えれば・・・

 「もうシノミヤくんに責任を取って貰うしかないよね!ここまでされたら他の人のお嫁にはいけないし!」

 前向きに考えて元気を取り戻したリーナは、ふとメモに書かれていた冷蔵庫の中のお菓子が気になった。リーナは女性らしく甘いものが大好きだが、この世界にはそもそもお菓子の種類が多くない。それはもちろん食文化が未熟なせいである。さらに種類が少ないだけでなく味や触感についてもバリエーションがない。この世界のお菓子は砂糖を固めた飴のようなものか、パンの糖分を増やして甘くしたようなものくらいしか存在しないのだ。クリームやチョコレートはもちろん餡子のようなものもない。魔力の影響でハチミツのような自然のものすら失われている。そんな事情があるので、リーナはあまり期待していなかったのだが冷蔵庫に入っていたのは今まで見たことも無いものだった。彼女から見たそれは非常に軟らかそうな丸いパンだったが、それは侑や仁からすればお馴染みのシュークリームである。これは仁のリクエストで侑が作ったもののあまりを彼がボックス内に保存していたものであった。すなわちこの世界でこれを食べるのは彼女が3人目である。

 リーナにとっては未知のものだが不思議と警戒心は生まれず、気づけば彼女はそれを口に運んでいた。そのときのリーナの反応は、彼女の年齢を考慮した上で名誉のために言わないでおこう。


 翌日、いつも通り登校した侑を待っていたのはクラスメイトからの奇妙な視線だった。昨日のことは本来ならそこまで気にする必要もないかもしれないが、昨日のホームルームでリーナが早退したことを知り、教室に侑が戻っていなかったことから様々な想像を膨らませていたので、クラスメイトは何があったのか真実を知りたいのである。

 「で、ユウ!昨日はリーちゃんの部屋に入ったのか?」

 少し期待した目でアークが真っ先に侑に尋ねた。ちなみにアークがリーナのことをリーちゃんと呼ぶのは、リーナ自身が自由に呼んでくれと言ったからである。それはさておき、何故こんなにも注目されているのか分からない侑は、この状況に煩わしさを覚えた。そのため必然的に言葉は冷たくなる。

 「この話は長くなるのか?それなら俺に聞かないで先生に聞いてくれ」

 冷静であればクラスメイトも侑から視線を外すであろう物言いだったが、あいにく彼らは興奮状態である。アレンやティーゼ、ルミナや他の数名はあまり興味がなかったのかその雰囲気に気づいたが大半は気づいていない。異世界であってもこういうネタは学生にとって関心の的なのだ。昨日の件については様々な噂が流れているが、それは全て誰かの妄想でしかない。アークはともかく、侑の人となりを仁ほどではないにしても知っているアレン、ティーゼ、ルミナはそれをよく理解していた。アークは依然として興奮状態のクラスメイトとは異なり、侑の反応からいつもとの違いを感じ取り、少し冷静になった。そして自分の過ちに気づいてこの状況をどうにかしようと行動した。侑とまともに会話したことがある生徒はこの場にアークしかいないので自分がどうにかするべきだということはすぐに理解できたのである。

 「ユウ、すまん!冷静に考えればユウに限って何かあるわけないのに変なこと聞いちまって。これからちょっと気に障ること言うかもしれないけど、後で何でもするから許してくれ」

 侑に小声でそう伝え、アークはクラスメイトに向けてこう言った。

 「みんな、それぞれ色んな噂を聞いてると思うけど、ユウはそういうことに興味がないことを皆知っているはずだ!昨日の授業で証明されているけど、こいつはオレと違って女子のスリーサイズに興味を持っていないくらい枯れてるんだ。だからリーちゃんとユウの間にはきっと何もない!」

 侑としては気になる発言もあったが、表現が過剰なだけで間違ってはいないので指摘するつもりはなかった。それにこの場を治めようとする姿勢は侑にとって好ましかった。自分ではクラスメイトとの関係を悪化させるのが目に見えていたのだから。アークの説明で見事に落ち着いた生徒たちだったが、そこから新たな噂が生まれることとなる。彼は異性ではなく同性に興味があるのか、という噂が。しかしこの噂は一瞬で忘れ去られることとなる。


 教室内がいつもの雰囲気を取り戻し、侑の機嫌もいつも通りになっていたとき、毎度のことながら転移魔法でリーナが教室に現れた。その表情はいつもより自然で、輝いているように生徒は感じたことだろう。そのリーナに、先ほどのアークの説明だけでは完全に納得出来ていなかった女子生徒が問いかけた。

 「先生、昨日はシノミヤくんと何も無かったんですかー?部屋に入れたって聞きましたけど」

 一部のクラスメイトはまだその話をするのかと呆れていたが、リーナの反応を見て、あれ?と首を傾げることになる。リーナが赤面し、恥ずかしがり始めたからである。それは侑も同様で、あの人は何をやっているんだ?と理解が追いつかなかった。そんな侑の心情など知らず、リーナは話し始めた。

 「シノミヤくんからのお詫びで私、彼なしでは生きられなくなっちゃった・・・。今でも忘れられない、あの濃厚でドロッとしたーーー」

 そこまで言ったところで、リーナは生徒の以上に気づき、話を中断した。

 「あれ?皆どうしたの?」

 女子生徒は頬を赤らめて俯き、男子生徒は目を閉じて何かと戦っている。侑はアークに詰め寄られて弁明を余儀なくされた。アレンはその様子を面白そうに眺めており、ティーゼとルミナは他の女子生徒と同様の反応を見せている。

 「アーク、とりあえず先生の話を最後まで聞け」

 「うるせぇ!このロリコン!信じてたのに裏切りやがって!」

 教室の雰囲気に疑問を持ちながらも、リーナは言い放った。

 「いやぁ、皆にも食べて欲しいなぁ!あのお菓子!」

 「「「「「は?」」」」」

 ほぼ全員の声が重なった。それを気にすることも無く、その味を思い出しながらリーナは説明する。

 「シノミヤくんにお詫びでもらった彼特製のお菓子があまりにも美味しくてね、もうあれなしじゃ生きていけないなぁって。今まで食べたことのない甘さのお菓子だったよ!」

 これを聞いた生徒の大半は自分の誤解を恥じているが、アークは侑の制服の襟を掴んだまま呆けている。そんなアークに侑は言った。

 「アーク、この際どういう誤解をしていたのかは聞かないが、人の話は最後まで聞いたほうがいいぞ」

 「おう・・・。ほんとにすまん」

 力なく侑に謝り、アークが席に着いたとき、ちょうどホームルーム開始のチャイムが鳴った。このとき大半の生徒が授業の始まる前から精神的に疲弊していたが、ルミナは安堵していた。

 (ユウのことは信じてるけど、何も無くてよかった・・・)

 リーナが説明しているとき、侑がリーナと本当にそういう関係になっていたことを考えたルミナは胸が苦しかった。それは自分に見せる優しさが奪われるのではないか、と不安だったからだ。しかし彼女自身はそれに気づいていない。彼女の中で侑の存在は彼女が思う以上に大きいのだ。それでもこれはまだ恋ではないだろう。本当の父親を早くに失ったルミナは男性に頼ることを知らない。だから自分に下心が無く、優しく見守ってくれる侑という存在が傍にいることで安心しているだけだ。しかし侑が父親の代わりにはならないことを本能的に理解しているからこそ、侑が誰かと付き合うことで簡単に離れていくと感じてしまうのである。


 ルミナが安堵する中、ティーゼはリーナの異変に気づいていた。

 (あれ?先生の笑顔ってあんなに自然だったっけ?それにさっきユーくんの話をしていたときの表情はアタシからみても魅力的だったし、何かユーくんに向ける視線が妙に熱いような・・・。まさか、ね。先生が生徒に恋するなんて。いや、でも年もそんなに離れてないし相手がユーくんなら・・・)

 ティーゼ自身、何度か侑の無意識の褒め言葉にドキドキさせられているし、侑の容姿は今まで出会った異性の中でも飛び抜けて整っている。そこからも分かるが魔法の素質についても非常に高い。にも関わらず誰かを見下すことも無ければ得意になっている様子も無い。加えて同い年にしては落ち着いているし、頭の回転も速いのだから、対人コミュニケーションスキルに問題があることを除けば非の打ち所がないようにティーゼには思えた。しかし、そんな完璧な存在は現実ではありえない。侑にも欠点はあるし、彼の過去は簡単に語れるものでもない。そんなことは知らないティーゼは、リーナが侑に恋していると確信していた。


 アレンはただ一人この騒動を楽しそうに見ていた。

 (アークは相変わらずバカですね。また楽しいイジメ、ではなくお話が出来ることでしょう。そして先生がユウに落とされたようですが、ルミナさんは・・・もう少し時間が掛かりそうですね。ティーゼさんは良く分かりませんが、ユウも隅に置けません。しかしこう鈍感では見ていても動きがなくてつまらないんですよね・・・)

 リーナが語ったシュークリームについては、侑とアレンを除いて誰の記憶にも残らなかった。後日、アレンは侑にシュークリームについて尋ねた。そこで侑はアレンの驚いた表情を初めて目撃し、珍しいものを見ることが出来て喜んだ。そしてアレンは侑に必要な材料や作り方を教わった。このとき侑は、恋人にでも食べさせるのだろうか、と推測していた。この推測は大体当たっており、アレンは婚約者にシュークリームを送ったようだ。侑の料理スキルについてアレン以外が知る機会はいつになるか分からないが、そのときはまたそれぞれの驚いた表情が見られるだろう。




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