1-0.プロローグ
その日は彼らの15歳の誕生日だった。いや、正しくは誕生日ではない。その日は彼らが今は亡き、師であり母であった人に拾われた日であった。
15歳になったばかりとは思えないほど落ち着いた雰囲気の少年二人は、自宅の敷地内で日課の朝稽古をし、朝食後に再び二人で自己鍛錬を行っていた。夏と秋の境である今の季節は体を動かすのに適していた。この家にはその少年二人しか住んでいないのだが、その人数に対して敷地面積は広大である。3年ほど前から二人で生活している彼らの容姿は、付き合いの短い人には見分けられないだろうが、ある程度親しくなれば見分けられるというレベルで似通っていた。それは彼らが双子であることを示しており、少し長めの黒髪に同じく黒い瞳、顔立ちはかなり整っている。実際に仁は、学校で幾度となく女子生徒に告白されているほどだ。
この日は日曜日で学校に行っていないことについては問題ないだろう。しかし曜日に関わらず、二人のうちの片方は学校に在籍はしているものの登校したことはほとんど無かった。その登校していない少年が篠宮 侑、もう一人が篠宮 仁という名前である。この二人が自身を鍛えている理由の一つは、自分たちを拾い育ててくれた人物にいつもこう言われていたからである。
『全てを、とは言わないから自分の大切な人だけでも守れるくらいには強くなっておけ』
しかし、二人とも幼い頃からの努力によって既に十分な実力を持っている。それもこの世界の人間とは異なる種なのではないか、と師から冗談交じりに言われたくらい圧倒的な実力を。それでも二人は、特に侑は非常に厳しい鍛錬を行っている。まるで自分の無力を呪っているかのように。
もっとも、鍛錬を続けている最大の理由は生活のためである。彼らは師亡き後、彼女の仕事を継ぎ、その収入によって生活していた。主に仕事を侑がやっているために登校していないのである。その仕事は簡単に言えばなんでも屋であり、報酬があればどんな依頼でも請け負う。しかしそれは表立ったものもあれば、闇の深い裏の仕事を受けることもある。
侑だけが仕事をしているのは事情があるが、そもそも彼らの師であり母である篠宮 由梨は彼らに仕事を継がせる気などなく、二人に訓練をするつもりもなかった。しかしいつ自分が命を落とすか分からない以上、何も出来ない侑と仁を残すことの方が彼女にはよほど恐ろしかった。だからこそ生きる術を叩き込もうとしたのだが、二人は彼女の予想を上回る成長速度で瞬く間に彼女を超える実力に至った。こうして侑と仁は力を手に入れ、仕事をこなしながら生活をしているのである。
しかし彼らは由梨が亡くなったことで生きる目的を失った。彼女を支え、いつか恩返しをすることが二人の生きる理由であったためである。
それでも日々の生活のために鍛錬を続けていた二人だったが、今日この日は良くも悪くも、彼らの人生が変わる日となった。
「侑、ちょっといいか?なんか今日は嫌な感じがしてさ。侑は何か感じるか?」
仁が侑に今感じている嫌な予感を伝えたのは、鍛錬の間の休憩時間であった。
「いや、俺は何も感じてない。でも仁がそう言うなら何かあるかもな」
侑がこのように言ったのには理由がある。彼らの仕事は一人で行う場合もあれば二人で行うことも当然あり、侑が実行役、仁はサポート役を務めるのだが、仁が嫌な予感を感じることは仕事中にも何度かあり、その場合にはいつもイレギュラーが起こったのだ。
「まぁ何が起こってもいいように警戒しておくか」
「そうだな」
仁の提案には、侑自身もそう考えていたためすぐに肯定の返事があった。しかし今回起こる現象については、いくら警戒をしていても振る払えるものでは無かった。
それは侑が昼食の準備でもしようかと思っていたとき、唐突に現れた。現代日本ではまず見ることの無い、いや地球のどこであっても見ることは出来ないであろうものが二人の足元に出現したのである。それはいわゆる二次元の世界や架空の物語などでしか見られない、光り輝く幾何学的な模様の魔法陣であった。
「仁!大丈夫か?」
「侑こそ!」
警戒していたため、二人が突然現れたその魔法陣に対して驚いた様子は皆無であった。それは以前に同じような光を目撃したことがあるためだが、二人ともそのときのことは思い出さなかった。いや、思い出したくない記憶であるため無意識に思い出すのをやめたのかもしれない。そういう状況ではあったが、冷静に声を掛け合って互いの無事を確認し、即座にこの魔法陣から離れようと二人は動き出そうとした。しかし動こうとした瞬間には、彼らの身体は宙に浮いたような感覚に包まれていた。そして一瞬で見慣れた家の景色は消え去り、見慣れない景色が二人の視界に入ってきたのだった。
「ここ、どこだ?」
「日本ではないのは確かじゃないか?ついでに地球でも無さそうだけどな」
仁の問いに侑は冷静に周囲を見て返答する。そこは自然豊かな森林の中であったが、見たことのない怪しい植物が多く生育していた。そしてその状況把握の最中、近くに生物の気配を感じた。恐らく人間であろう存在がすぐ近くに3つ。その気配は二人に近づいている。それは仁も感じたようで、そちらに視線を向け、いつでも動けるような状態となった。侑も警戒を強め、同じ状態になる。魔法陣の存在から、魔法を使うであろうと推測される未知の相手と、この状況で戦闘することの危険性は十分に理解していたため、その状態は脱出を念頭に置いたものであった。もちろんそんな未知の相手から逃げられる保証がないことは二人にも分かっていたが、戦闘よりも逃走の方が生存確率は高いと直感的に理解していた。
突然見知らぬ場所に移動させられたにも関わらず二人は冷静であった。それは正確な状況判断は冷静でなければ不可能であることを経験的に知っているためで、この二人は、特に侑に関してはその年齢に対してこういった場数が異常なほど多いのである。
数秒後、彼らの前に現れた3つの気配は予想通り人間のようであった。そしてその中の一人、20代前半にも見える、小柄で、腰の辺りまである黒髪の、美しいというより可愛いという雰囲気の女性が涙を流していた。その初対面の女性が
「侑!仁!」
と自分たちの名前を呼んだことで、侑も仁も不意を突かれて動揺し身体が硬直した。二人とも普通に名前を呼ばれるだけならここまで動揺せず警戒すら出来ただろうが、初対面の女性に泣きながら名前を呼ばれては動揺してしまうのも仕方ない。その隙は大きく、状況を飲み込めていない二人が何か反応しようとしたときにはその女性に抱きつかれていた。そして泣きながら何かを呟くその女性に対して出来ることはなく、二人ともその場で立ち尽くした。