5人目の聖女候補
見目麗しき聖女候補その1は、可愛らしいのは外見だけで、腹の中は真っ黒だった。
けれどその外見の愛らしさを生かす術を存分に知っていたようで、王子や騎士、執事や魔法使いなど地位も見目も良い男を次々と虜にし、イケメン争奪戦に参加した他の聖女候補2・3・4を蹴落としていった。聖女候補から外された女の子はこの訳も分からない異世界にいくつかの金貨を握らされ放逐される。怖くない?聖女から外さた途端、魔法使いに掛けられた魔法は解かれ、言語も文字も分からなくなってしまう。それなのに。勝手に呼び出しておいて、必要が無くなれば、追放なんて。
ということで、私はこのチートな魔法が効いている状況で、理不尽満載の異世界の言語を学び始めた。文字や言葉が理解出来る今がチャンスだった。本を読み漁りこの世界の知識を蓄える。聖女候補その1~4は礼儀やマナー、ダンスなどを学んでいたけれど、そんなもの聖女から外されれば何の役にも立たなくなる。私には必要ない。大切なのは保身であり自己防衛だ。
あ、申し遅れました。日本の北国出身の私の名前は一ノ瀬アリス。6~7ヵ月くらい前にこの世界に召喚された聖女候補その5です。自分で言うのも何だけど、人に優しくも無ければ、どちらかと言うと自己中心的な性格。そんな私が何故聖女候補なんかに選ばれたのか、今でもさっぱり分からない。
「ねぇ、この状況で何考えてるの?」
「いや…まさかこんな方法で蹴落としに掛かって来るとは思わなくて、驚いてる」
「そんな風には見えないけど」
目の前の男は闇に溶ける様な黒髪に、ルビーみたいな赤い目を持っていた。口元は黒い布で覆われているがその顔が整っていることは明らかだ。名前はノインだったか…あれ、カインだったかな?兎も角、その1がそんな感じの名前で呼んでいるのを聞いた事がある。
「ッ」
首に押し当てられたナイフが食い込み、チリとした痛みが走る。そのうちに放逐されることは予想していたが、まさか、こんな方法で消そうとしてくるなんて考えてもみなかった。失敗した。こんなことになるんだったら自ら逃走していたのに。言語の勉強も無意味だったか…
「いや、ちょっと待ってよ。諦めるの早くない?もっとさ、暴れたり罵ったりとか無いの」
「私、無駄なことはしない主義なの」
「…ふーん。じゃあ俺を拾って手当てしてくれたことは無駄じゃなかったんだ」
「…あれは…」
私は口ごもった。
思い起こせば半年前。このトンデモ世界に召喚されて数週間が経った頃だっただろうか。私は息苦しい王城を抜け出して迷い込んだ路地裏で、一匹の傷ついた犬を拾った。ボロボロで汚れた毛並みに触れると手にベッタリとした血液が付着したが、それでも懸命に生きていた。
私はその子を抱えて王城へと連れ帰った。聖女候補は優遇される。嫌悪や侮蔑、好奇の視線は感じたが、私が自分に与えられた部屋にその子を連れ込んで手当てをしても、直接は、誰も何も言うことはなかった。あぁ、いや、ひとり居たな。私のやる事なす事に口を突っ込む、聖女候補その1が。
「アリスちゃん。傷ついた犬を拾ってあげたって本当?」
ブリリアントな魔法使いと騎士をつれた聖女候補その1が現れた。血塗れのワンピースのまま獣の傍にしゃがみ込む私を、魔法使いも騎士も軽蔑するような目で見下した。うん。通常運転だ。
「聖女様、あまり近付かれませんよう、汚れます」
「その犬…獣堕ちの呪いに掛かっているよ。元は人だ。…でも、きっと碌な奴じゃない」
えっ!!人かよ!!!
私は驚愕しながらも毛布の上に寝かせた獣を再度見下ろした。確かにちょっと大きいけど、犬にしか見えないのに…
「呪いって…解いてあげられないの?」
「なんとお優しい。この様なみすぼらしい者達にも慈愛の心を向けられるとは」
うざい。寸劇かよ。騎士を上目に見上げる聖女候補その1と、うっとりとした笑みを浮かべる騎士。そんな二人の世界に口を挟んだのは、やはり聖女候補その1に傾倒する魔法使いだった。
「簡単だよ。彼の首に食い込む環を外せば良い。…あぁ、そこの君も、一応は聖女候補なんだ。そのくらいは出来るだろ」
代わりにやりなよ、と促され、私は心中で舌打ちしながらも獣の首に手を伸ばした。金の環に指先で触れる。そしてクソ魔法使いにおざなりに教えて貰った呪文を唱えると、獣の身体が眩い光に包まれた。指先で触れた金属環がパラパラと光の粒子になって消える。おぉ、私もやれば出来るのか。…なんて、その時はそんなくだらないことしか考えていなかったわけだけど。
しかし。
光が収束し、現れたのは…なんということでしょう。目を閉じていても分かる、傷を負った美形だった。これは…その1が好きそうな面だ。というかこの女は顔の良い男は皆好きなんだけどね。
私の思った通り、その1は頬を紅潮させて元獣、現美形の男を見詰めている。と、思ったら突然こちらに駆け寄って来ると、膝を着いて男の手を両手で握った。
「酷い怪我…すぐに手当てしないと!ねぇ、アリスちゃん、この人の手当て、私に任せて貰えないかな?」
「聖女様!貴方がそんなことする必要はありません!」
「そうだよ。それに獣堕ちの呪いを掛けられるくらいだ…犯罪者かも知れない」
目の前で繰り広げられる惨劇…じゃなかった寸劇(再び)、を、私は半眼で見守った。何だかもうどうでも良くなっていた。
「ううん。私は、犯罪者であっても傷ついた人を見捨てたり出来ないっ!」
騎士と魔法使いはその1の言葉に甚く感動したようだった。馬鹿か。その1が見捨てられないのはイケメンのみだ。
私はそそくさとその部屋を後にして風呂場へと向かった。湯を浴び、着替えを済ませて自室へと戻れば、そこに彼等はもう居なかった。後は知らない。数週間後、その1と一緒に居る彼を見掛けたが、私が声を掛けることはなかった。
――――――だって、私が欲しかったのは、私を一番に思い、忠実で、裏切らず、最期まで傍に居てくれる存在だったのだ。その1に誑かされた人間になど興味が無かった。
「あれは、何?」
「…別に何でもない。というか、アンタを助けたのはあの子でしょ。私は関係ない」
メイドが噂していた。その1が献身的に看病し、手当てしたお陰で男は助かったのだと。優しい優しい聖女様と男を見捨てた私、という噂は瞬く間に王城内に流れ、それから地味に信者やメイドの嫌がらせや陰口が増えた。ヘビやカエルはまだ良い、でも拾い上げた帽子の下から蝉が飛び出して来た時は泣くかと思った。
「違うよ。俺を拾ってくれたのはアリスちゃんでしょ?路地裏で死に掛けていた犬を、抱き上げて撫でてくれた」
「…私が助けたかったのは、」
犬であって、人では無い。そう言おうとしたのに片手で口を塞がれる。倒れていたのが人だったのなら、私は憲兵を呼んで、それで終わりにしていただろう。そもそも顔の良い男にあんまり関わりたくないのだ。その1が絡んでくるから。
「俺ね、神も聖女もクソだと思ってたんだけどさ…でも、あの瞬間思ったんだよね。あぁ、この子が聖女って奴なのかな。…ほしいなって」
これって一目惚れってやつだよね?と、細められた赤い目に狂気とか執着とか恋慕とかがごちゃごちゃに滲んでいる気がして私は慌てて目を逸らす。思い込みだ!と声を大にして言いたい。しかし言える雰囲気では無かった。
首筋に当てられたナイフが、先程よりも深く私の皮膚を切り裂く。痛みに顔を歪めると彼はようやくナイフを引いたが、私の上からは退こうとしない。…いや、アンタ殺る気あるの?無いの?どっちなのよ。
「痛いよね。ごめんね。…でも、呪いにはお互いの血液が必要なんだよね」
そう言うと彼は口元を覆い隠していた布を引き下げ、私の傷口に舌を這わせた。ゾワリと背筋が粟立つ。丁寧に血を舐め取られ、ついでのように鬱血の跡を残していく。
呪い。
いつか魔法使いが言っていたのは何だったっけ。確か、け、獣堕ち?犬になるの?私は。
「この呪いは魂に刻まれる。ずっと、永遠に、一緒に居よう」
口元に付着した血液を拭う事も無く嬉しそうな表情を浮かべた彼は、次いで、自分の掌にもナイフを這わせた。そうして流れ出た血は私の比では無い。けれど彼はそれを気にする事も無く、自ら舐め取り、そして、何を思ったか、私に口付けた。
「んっ、むーーーーーーーーー!!!!!」
鉄臭い血の味。最悪だ。飲み込むまいと頑張るが、さらに深く口付けられ、それでも頑張る私に対し、ついには鼻を摘まんでくる。手で押し返そうとするがびくともしない。無理。もう、駄目。
ごくりと咽喉が鳴る。飲んだ。飲んでしまった。これで私も呪われるのか。
「良い子」
甘やかすように額に口付けられるが酸欠でそれ所では無い。ぼんやりとする意識の向こうで、彼は何か呪文のようなものを唱え始める。血みどろの呪いだというのに、その言葉の響きはどこか綺麗で、私は『目が覚めたら犬になってるのかな…』と、悲しくなりながらも意識を飛ばした。
「なんで!?ねぇ、どうしてよ!!!」
珍しくヒステリックな声を上げる聖女候補その1に、私はうんざりと息を吐き出した。
「何が」
「何が、じゃないわ!結婚ってどういうことよ!」
結果として、私は犬にはなっていない。カインに掛けられた呪いは二人の魂を永遠に繋ぐというものだった。所謂、婚姻。出会ってから半年しか経っていないのに、カインの私に対する好意…というか妄信には呆れ果てる。思春期のバカップルでももうちょっと思慮分別ある…いや、同じくらいか。ちなみに私達の腕には同じ細工の細身の金環が嵌められている。ペンチで切ろうとしても洗剤を使っても取れなかった。呪いの腕輪だ。
「ごめんね。俺達、相思相愛だから」
「違うけど」
言うが早いか、後ろから抱きしめる腕に力が籠もる。いたたたた!
「そんなっ、だって、カイン、私の為なら何でもしてくれるって言ったじゃない!」
「他にアリスちゃんを殺すように依頼されるよりは、俺に来た方が手っ取り早く潰せるだろ?アリスちゃんの為に半年も見張ってたんだよ?偉くない?」
「それなら嫌がらせの蝉もどうにかしててよ」
「ヘビとかカエルとか平気そうだったから蝉も大丈夫かと思ったんだけど…でも泣き顔も可愛かったよ」
「死んでほしい」
「俺が死んだら、アリスちゃんも死ぬけどね」
楽しげに言われ愕然とする。初耳だった。本格的に呪われている。
「あ、ちなみにお前の悪事は証拠と一緒に国のお偉いさん達に届けてあるから。今頃査問会でも開かれてるんじゃないかなぁ」
「…ッ!!…ッ!!!」
その1は言葉にならないようだった。私も唖然とする。カインはじわじわと獲物を弄る猫のようだった。怖すぎる。そんな男と永遠に夫婦生活を続けなきゃいけないって事にも絶望した。
バタン!!!と大きな音を立てながら部屋と飛び出すその1を見送っていると、カインが私を抱き上げたままソファから立ち上がった。急な浮遊感に驚き、慌てて縋り付く。カインは…とても嬉しそうだった。
「それじゃあ、行こうか」
「えっ、どこに?」
「誰も俺達を知らないとこ。大丈夫、お金ならあるから。アリスちゃんは何もしなくても良いよ。そこで夫婦生活を始めよう」
決定事項か。相手の許可はどうした。不服な目を向ける私にカインはすっと目を細めて見せた。
「だって王城から出ないと。アリスちゃん、聖女にされるよ?」
「まさか」
「繋がれてるから分かるんだよ。潜在的な魔力の保有量が、アリスちゃんは桁違いだ」
「…………うそ」
「俺は嘘吐きだけど、アリスちゃんに嘘は言わないよ。だから、一緒にここを出よう。お伽噺に犠牲は付き物だ。聖女は違う誰かがなれば良い。そうだよね」
「いや、そ…」
口を開いてみたが私に答える暇など与えられてはいなかった。ふいに口付けられればもう何も考えられなくなってしまう。
「アリス」
愛おしそうに名前を呼ばれれば収縮した心臓がきゅっと痛んだ。何でだろう。こんな無理矢理の展開にも嫌悪が浮かばない。カインが美形だからだろうか。私も潜在的イケメン好きということか…
「愛してるよ」
思わず私も、と、言いそうになって口を噤む。呪いの腕輪に頭まで洗脳されているのだろうか。それでも私は今まで感じたことの無い幸福と安心感を彼の腕の中で感じていた。