忠告の多い料理店(レストラン)
最近、噂の店がある。
密かに同僚のOL間で人気になっていて、それはうちの会社だけでなく、他でもそうらしい。
東京のとある場所。
大きい通りの横道の横道をすこし入った小さな一軒の店。
小さいが落ち着きのある洒落た店。
しかしそれだけでは、噂にはならない。
都内にはそんな店、少し探せば沢山ある。
じゃあ、この店が彼女らのおしゃべりの中に毎日と言っていいほど出てくるのはなぜか。
それは、「忠告」をもらえるからだ。
一体、「忠告」とは何なのか、私も実際に行ったことが無いので分からない。
行ったことがあるという人に訊ねてみると、「願いが叶う」とか、「本当に当たった」とか、「おかげで救われた」なんて言っていた。
占いとか、人生相談とか、そんな類だろうか?
私は、そういったものを信じていないが、「一度行ってみれば分かる。」と言われたので、行くことにした。
「いらっしゃいませ。」
チャリンという音と共にドアを開け、店に入ってみると、若い男性ウェイターが爽やかな挨拶をしてこちらに来た。
顔立ちは良い。ただ、まだ子供っぽさが残っている。大人になりきれてない大人のようで、店の雰囲気に合ってない。
「コートをお預かりいたしましょうか?」
「ああ、ありがとうございます。」
私はコートを預けて、店内を見渡す。
暖かく落ち着いた雰囲気。木の柱や梁が多く、ぬくもりが感じられる。輸入ものの良い暖炉があった。しかしただの飾りで、火は入っていない。
ウェイターがもどってきた。
「では、テーブルにご案内致します。」
「あ、ちょっと待って。二階席は空いているかしら。」
一階席に案内しようとしたウェイターを呼び止め、私はたずねた。
そう、噂の「忠告」を聞くには、二階席でないといけないらしい。
何も言わなければ、二階席が開いていようと開いていなかろうと、何も聞かれずに一階席に案内されてしまう。
「はい。では二階席にご案内させていただきます。」
ウェイターについて行くとすぐに狭くて急な木の階段があった。とても客を通すようなものに見えない。
昇っていったところで、紫色の繻子ののれんが掛かっていた。その前でウェイターが誰かに声をかける。
「お客様をお通ししてもよろしいでしょうか。」
「ええ。構わないわ。」
奥から女の声が聞こえた。
「どうぞ、お入り下さい。」
ウェイターが私を奥へと促す。
変な所だなあ、と首を傾げながら私は奥へ入った。
「いらっしゃい。どうぞ、そこの席に座って頂戴。」
のれんをくぐると女がいた。
黒くてレースの付いた着物を着て、長い髪を毛先のほうを巻いている。口調も目線も上から。
女が移した目線の先には小さなテーブルと向かい合う二つの椅子。
テーブルにはワインレッドのテーブルクロスが掛けてあり、ガラスの花瓶には一輪の白い薔薇が挿してあった。
小ぶりで華奢な椅子に腰掛けて女を見た。
女は紅茶を入れて、こちらへ来た。
「はい。外は寒かったでしょう?」
女はそう言いながら私の前にに紅茶の入ったカップを置いた。そして女は私の向かいに座った。
「で、用件は何でしょう?」
女は小さな匙で紅茶に砂糖を溶かしながら私に聞いてきた。
「えぇ。近頃私の周りでこの店のことが話題になっているもので、勧められたので来てみただけです。」
私は紅茶を一口飲みながら理由を話す。
「あらそう。でも何があなたをここに来る気にさせたのかしら。興味が無かったら来ないでしょ?」
女が少し眉間に皺を寄せ、首を傾げる。
「噂によると、『忠告』とやらが聞けるようで?」
私は女に問いただすように訊ねた。
「『忠告』?私は何も知らないわ。私はそんなことをしているつもりは無いのだけれど。客の誰かが私の話をそう名付けたのなら、納得できるわ。」
女はそう言って紅茶をすする。
「じゃあ、あなたは私とおしゃべりをしに来たってことでいいのかしら。」
「えぇ。あなたがいつも、ここで客とおしゃべりをしていると言うのならば。」
私は少しぶっきらぼうに答えた。
「そうね。じゃあ、あなたに一つ言わせてもらうとすると、あなたって何でも首を突っ込むのが好きなのね。」
女がそう言って右の口角をつり上げた。
今まで1ミリも口角を上げていなかったくせに、やっと笑ったかと思えばなんて嫌な笑い方だろう。
ああ、嫌な女だ。始めから分かっていたけど。
「首を突っ込んでいるつもりはないのですが。」
「興味の無いような顔をしておいて、本当は興味があって、無視できずに『来てやった』みたいな顔してやってくる。そんな感じじゃない?」
今度は女が、私を問いただすような口調で言ってきた。
「では、首を突っ込んじゃいけないんですか?」
反論は山ほどあるが、とりあえず開き直ってみる。
「いけないとは言わないけど、興味があるなら素直にそう言えば?」
そう言い放って女は目を反らした。
「そりゃどうも。で、他のお客はここに何をしに来るんです?」
「そうね。相談とか世間話とか?」
「へえ。それで、あなたは何て答えるんです?」
「何てって、それは毎度毎度違うけれど。人によるわ。」
妙に「人によるわ。」を強調して女が答えた。
「私のことがそんなに気に入らないですか?」
私はむっとして女に問う。
「あなただって私のこと気に入らないんでしょ。」
女が鼻で笑った。
「あなた、稼ぎいいんでしょ。なのに彼氏がいない。」
女は私を眺めながらそう言った。
「なぜそんなことをあなたが知っているのです?」
私は不審に思った。
「見れば分かるわよ。で、あなた、どうするのよ。」
「どうするも何も、私は一人で生きていけるわ。一人で生きて、一人で人生をやっていくわよ。」
私はそう断言した。
「あら、そう。簡単にそうやって人の前で宣言するの、やめたら?あなた、ムキになって何が何でもそれ通すでしょ。それだからいつまでたっても一人なのよ。」
女がわざとらしく大きなため息をつく。
「好きに言えばいい。」
私は鋭くそう言って、そっぽを向いた。
私の様子を見て、女はにこにこした。
「何が面白いのやら。で、次は?」
呆れて、先を促す。
「そうね。あなた、完璧主義者でしょう?そして現実主義、効率主義。人に完璧を求め、自分にも同じ・・・いや、それ以上の完璧さを求める。まさにできる女。でも、味気ないのよね。そういうの。」
そう言いながら女はクッキーに手を伸ばす。
「ええ。それが何か?完璧なことほど美しいものは無いわ。」
つっけんどんに私は私の自論で返す。
「美しいと言うより、まるで塩を入れ忘れたクッキーのようなものよ。それ。」
そう言って女はクッキーを口に入れた。
女のものの例え方にカチンときた。
「そんなに、完璧がお嫌いですか?完璧であることに私がどれだけ努力を重ねてきたことか。そしてどれだけ自分の価値を高めることができたか。
それでもあなたは、完璧であることは素晴らしいことではないと言えますか?」
私はムキになって女に反論した。
「別にあなたの努力を否定したりしてないわ。だけど、あなたは潔癖症みたいなものになっていない?綻びのあるものを見ていられない。見たくもない。そう言って他人も自分も全てを拒否しているんじゃない?」
女が私を指差し、真剣な眼差しでそう言った。
「そうよ!私は今あるもの全てを否定するわ。今あるものはどれも完璧ではないもの。今あるものとは違う、完璧なものが欲しいの。
完璧でないものは要らないの!完璧が全てなの!」
私はテーブルを叩きつけ、大声を出して、今にも立ち上がらんばかりに怒鳴った。
「・・・ところで、あなた、さっきからずっと、独りで物に向かって喋っているというのに、まだ気付かないの?」
女が笑った。
女が笑うのと同時に、女は顔、姿を変えていく。
幼い少女、スーツを着た新人社員、セーラー服姿の高校生。
どれも私だった。かつての私だった。
切り捨ててきた、完璧でない私。
「今あるものとは違う、何か。そればかりあなたは求める。
あなた、今をちゃんと見ないから、自分がどこへ向かうべきなのかわからないのよ。」
そう言って女は一人の女の姿になる。
少しつり上がった目、細い体。神経質そうに顔を歪ませている。
誰?今度は誰だと言うの?
「お客様、お食事をお持ちいたしました。」
ウェイターの声ではっとした。
目の前の椅子には、細めの一枚の姿鏡が立て掛けてあった。
映っているのは、私の姿と二組のカップだけだった。
ただ、鏡の前に置かれたカップに、紅茶は半分ほどしか入っていなかった。