A4のルーズリーフ
ヒマだ。ヒマすぎる。
朝早く起き、始発の電車に乗り、駅からバスに乗り、そこから更に歩いて大学の講義を受けに来ているというのに何だ、このつまらなさすぎる講義は。前で偉そうに立って話しているあの推定四十八歳の先生なんかより俺の方がまだ同じ内容でも解り易く説明出来るぞ、まったく。
それにだ、この教室には俺を含めて十人くらいしか講義に出てないじゃないか。こんな事なら俺もサボれば良かった。
俺は窓際にある一番後ろの三人席を一人で独占して座っている。講義が始まってようやく三十分経っただろうか、まだ俺は何一つノートを取っていない。取る必要もないし、取る気もない。やる気もない。
仕方が無い……逃げるか。
俺はいつもこうしている。どの授業も毎回しっかりと出席するが、つまらないと判断した回の講義は開始三十分で退室する事にしている。もちろん出席確認しない授業と最初に確認する授業だけだ。出席したのに欠席扱いになるなんて無駄な事は、俺はしない。
だから、今回もいつもの様に退室する準備を進め、机の上にあるまだ何も書いてないノートに今回の講義のテーマに関連した資料のコピー二枚を挟み鞄に入れようとした時だった。机の下に一枚の紙が落ちているのに気が付いた。特に意味も無く俺はその紙を拾い、机の上に置いた。
その紙はA4のルーズリーフで上から順に箇条書きで何か書かれている。
ある町にお兄さんとお姉さんがいました。
お兄さんは大学を卒業して一流企業に就職し、お姉さんは大学を卒業し家事手伝いになりました。
ある日、お姉さんは夕食の材料を買いに近くのスーパーに買い物に行きました。
ここで終わり。何だこれは?
誰かがヒマ潰しに書いた小説の一部? 講義のメモ? 何にしても面白そうなものを拾ってしまった。今、俺の周りには誰も座っていない。一番近くにいるのは三人掛けの椅子を一つ挟んで入り口側の一番後ろの席に座っている奴だけだ。あいつが落としたものでは無いだろう。俺の四個前の席に座っている奴が落としたものでも無さそうだ、真面目に聞いているし。ここにいる奴らではないな。他の学科の奴だろう、恐らく。
誰が書いたか? この疑問は置いといて、これは何か? という事だ。
何で途中で終わっているんだ? 続きは?
俺はもう一度その紙を見た。良く見ると、行によって字の大きさや感じが違う。一行目はしっかりとした字で、丁寧に書かれている。二行目は一行目より文字が薄い気がする。三行目は字が斜めっている。これはわざとか? 何かの狙いがあって文字の雰囲気を変えているのか?
違う人が書いた。
仮に違う人が書いたとするとなぜそんな事をしたのか、という疑問が出てくる。友達三人で一行ずつ書いていて、講義の終わり時間になったので置いていった、捨てていった、忘れていった? それともこの紙が講義中に回って来て……いや、これは無いか。
始めに誰かが一行目を書いて、それをこの席に忘れていった。もしくは意図的に置いていった。それを見つけたまた違う誰かが二行目を書いた。そして、誰かが三行目を書いて、また置いていった。そんなトコかな。それとも、場所は変わっているのか? 四回目はこの教室で四人目は俺という事なのか? 場所はどうであれ四人目は俺なんだな、きっと。良いヒマつぶしを見つけた。続きを書こうじゃないか。
お姉さんは買い物に行った後どうしたか? どうなったか?
そうだな、万引き犯にでも間違えられて捕まる。それか、行く途中にひったくりに遭う。通り魔、交通事故、心臓発作……。
俺、心が病んでいるのかな?
何だろ、こんな事しか思いつかない。大体こんな場合の物語って良い話、若しくは為になる話が殆どだよな。考えろ、考えろ俺。
そうか、何もここで俺がお姉さんを何かのイベントに遭遇させる必要無いんだ。適当につないで次の五人目の人にバトンを渡せば良いんだ。そうだ。その手があった。……ん?
適当につなぐ?
適当って何だ? 今まで適当、適当って言って来たけど意外と適当って難しいぞ、うん。
夕食の材料を買いに行く。これからどうつなげる、俺。
そうだな、例えば――
しかし、スーパーは閉まっていました。
うん。適当につないだぞ。つないだ? つながってないぞ。終わっちゃったよ。それに、夕方にスーパーは閉まってないだろ、普通。スーパーにすれば一番の頑張り所じゃないか。ここで売り上げ伸ばさないとどこで売り上げを伸ばすんだよ。
これはボツだな。現実味が無い。
お姉さんがスーパーに行くと、もの凄く込んでいました。
夕方のスーパーは確かにもの凄く込んでいるよな。レジとか遊園地のアトラクション待ちみたいになってる時あるしね。もっとレジ増やせよって、誰もが待ちながら思ってるんだよ。そんなお客さんと、レジ担当のパートのおばさんとの無言の戦いは確かに現実味がある。
でも、こんな現実味要らない。
何だろうな、今までの流れを崩さずに、適当に、自分の色を出しつつ、誰もが納得のいく、現実味のある四行目を考えないと。
ここで発想の転換だ。
一旦、お姉さんを忘れて、お兄さんを考えよう。
お兄さんは一流企業に就職した後どうした?
夢と希望を持って会社に就職したが、社会の厳しさを実感し「辞めようかな」と考えている。
現実味あるな。若しくは「やっぱり、子供の頃の夢を諦めきれないよ」と課長に辞める理由を訊かれ、こう答えて辞めた。
うん、しっくり来る。もう、お兄さんは会社を辞める設定で話が進んでいるけど、まあ、良いか。
ある町にお兄さんとお姉さんがいました。
お兄さんは大学を卒業して一流企業に就職し、お姉さんは大学を卒業し家事手伝いになりました。
ある日、お姉さんは夕食の材料を買いに近くのスーパーに買い物に行きました。
その頃、お兄さんは「子供の頃の夢を諦める事が出来ません」と言い、折角入った会社を辞めてしまいました。
俺は退屈な講義の時間を使って四行目を完成させた。我ながら上出来だと思う。今、世界に作家と名乗っている人達がどれくらいいるか知らないが、俺はその人達にこう言ってやりたい。
――俺を超えてみろ。
後は、これをどうするか?
しかし、俺の頭に浮かんで来たこの疑問は瞬時にして解決した。俺のすぐ横。振り向けば、前髪と前髪が触れるんじゃないか、そう思うのも無理もない程の距離に、少し前まで俺の遥か前方で偉そうに講義していた推定四十八歳の先生がいた。
「ほう。そう来ましたか」
アゴを摩りながら、推定四十八歳の先生は俺の四行目を見て言った。
先生は俺の目を見て更に、
「一番目は私。二番目は一昨日、私の講義に出ていた生徒。三番目は昨日、私の講義に来ていた生徒」
とゆっくりと言った。
「そして、四番目が俺ですか?」
先生は目で頷き、
「このルーズリーフに関わった人間がどんな人間か解るかね?」
と怪しげな笑みを浮かべ、訊ねて来た。
どんな人間って、まさか関わったら次の日死ぬなんて無いよな? 書いた通りに人生が進むとか? そんなものあるわけ無い! よな?
「人の話が聞けない人間だよ」
先生はそう言って、ドアの方に歩いて行った。
もう教室には誰もいない。教室に一人取り残された俺は、まだこのルーズリーフを見ている。
このルーズリーフに関わった人間は四人いる。二人はこの大学の生徒。一人は俺。
そして、あの先生。
「あ、あの」
先生。まだ終わりの時間じゃないですよ。先生がグダグダ話している間にみんな出て行きました。
先生は俺の話を聞かずに教室から出て行った。